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波濤揺蕩う神殺し  作者: 韋駄天
ナハトの争乱編
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報復

「う・・・」


メダリオンが目を覚ますと、そこは見知らぬ荒野だった。


四方を見回しても地平線の果てまで灰色の大地が続く荒廃したその場所は、まるでこの世の終わりが来た後の世界のようだった。


「ここは何処だ、俺は・・・確か・・・」


(死んだはず)とまで口にはできなかった。


彼が海中で迎えた冷たい死。


それは想像を絶する恐怖と苦痛、そして絶望の爪痕を彼の記憶に刻みこんでいた。


「む?・・・おい!」


当ても無く歩こうとしたその時、灰色の世界に存在する異端の藍色を纏う人影に気付いたメダリオンはその人物に声をかけた。


「・・・ん?」


近寄ると、その人物は雨にでも降られたかのように全身が濡れており、癖のある長い髪とゆったりとした藍色のマタニティドレスの端からは水が滴っていた。


振り返った女性は身ごもっているらしく、腹が大きく膨れ、両手で優しく自分の腹部を撫でていた。


「そう、そこのお前・・・ここは何処だ、教えてくれ」


素性の知れない人物であったが、今のメダリオンにとっては唯一の情報源。


話を聞こうと一歩前に出ると、その女は突然彼へと敵意の眼差しを向けた。


「やはりここにいたか・・・探したぞ、怨敵」


その女が放つ異様な気配は百戦錬磨のメダリオンの心臓すら凍り付かせるほど冷たかった。


背丈はメダリオンより2周りも小さく、武器も持たない身重の女性が何故これほど恐ろしいのか、彼には想像もつかなかった。


「革命ごっこは楽しかったか? 何も知らぬ民を先導して、無辜の民を苦しめて・・・余の愛しい息子を殺して・・・さぞ楽しかったろうな?」


女は好き放題にメダリオンを罵るが、その言葉で彼の中の反抗心が沸々と力を取り戻し始めた。


あらゆるものには表と裏があり、見る方向からその印象を大きく変える。


女性の言葉は彼女から見れば真実だが、メダリオンにとってそうではない。


2人が対立するのは必然だった。


「お前に何が解る! 虐げられた民のため俺は立ち上がった、全ての人々が平等に過ごすために!」


メダリオンは女の言葉を遮って反論するが、女はそれを鼻で笑った。


彼の主張はまるで価値が無いとでも言わんばかりに。


「平等? あぁ、余が(正義)の次に嫌いな言葉じゃ、全く虫唾が走る」


(平等)


何故かその言葉を女は心底嫌っている様子で、メダリオンに今度は侮蔑の眼差しを向ける。


つくづく彼との相性が悪いらしい。


それとも、彼女は怨敵であるメダリオンの全てが難いのかも知れない。


「その言葉は怠け者の常套句、自分より貧しい者に言った試しは無い」


その台詞に今度はメダリオンが女を睨みつけるが、彼女は涼しい顔で話を続けている。


彼の事など微塵も恐れてはいないようだ。


「ふざけるな! 俺達が立ち上がったのはその日生きるのもやっとのせいだ! あのまま飢えて死ねと言うのか!」


メダリオンはついに怒りを爆発させた。


ナハトの貧しい民を少しでも知っていれば、彼等を怠け者などと揶揄できるはずがない。


その信念をぶつけるように吠えるが、女は全く意に介していない。


まるで霧を相手にしているかのような手応えの無さに、メダリオンはこの女に得体の知れない嫌悪感を抱いた。


「そもそも、人の管理の下に平等を求めるのが土台無理な話・・・いかに完璧な制度を作り上げようとも、それを扱う人間が不完全ではな・・・やはり人は母に・・・余に導かれてこそ輝きを放つ!」


女は灰色の天を仰ぎながら、狂喜の表情で語る。


その姿に、メダリオンは己の中にあった嫌悪感の正体をようやく理解した。


「お前は・・・何だ・・・」


(誰だ)ではなく、(何だ)と尋ねたメダリオンは人間の姿をしているこの女を、自分と同じ存在とは認識できなかった。


地域や国の違いから来る些細な食い違いでは片づけられない、もっと遠い世界から来た存在であると彼は確信していた。


「余はザダ、お主に愛しいジェイクを殺された、哀れな神の1柱よ・・・」


そう悲し気に呟くと、ザダは再び膨らんだ腹を慈しむように撫でる。


ジェイクの献身と信仰心は人間の中でも突出しており、教団もまた彼を優遇した。


血こそ繋がってはいないが、彼女にとっては腹を痛めて産んだ我が子同然。


ザダにとって、メダリオンはまさに怨敵と呼ぶにふさわしい相手だった。


「一度殺しただけでは足りぬ・・・今度は直接、余が完全に葬ってやろうぞ」


ザダが一筋の涙を流しながら吐き出した言葉は、まるで地獄の底から届いた呪詛のように灰色の世界へ響く。


その時、メダリオンはようやく合点がいった。


ザダが漂わせている潮の匂いは、彼が死の間際で感じた物と同じもの。


メダリオンは教団の手によって殺されたが、この神はそれだけに飽き足らず、彼を死後の世界まで追いかけて来たのだ。


全ては復讐のために。


「しかし、今日はツイておる・・・かようにも早くお主に出会えるとはな・・・」


ザダは懐から淡い翡翠色の玉を取り出すと、メダリオンに見せつけるかのように手の平で転がした。


「それは・・・まさか」


メダリオンはそれが何であるかすぐに理解した。


ザダが手にしているのは白の社でアコがジェイクへ託した龍の顎の玉。


彼がその事を知るはずも無いが、ザダが何を目的としてここに現れたのかを考えれば簡単に推測できる。


彼女はメダリオンを完全にこの世から消滅させようとしているのだから。


「神妙にせよ、すぐに終わる」


そして、もう片方の手でポケットから青い光を放つ小瓶を取り出すと、その中身を玉へと垂らした。


粘性のあるその液体は、油絵具特有の臭気を放ちながら玉へと染みこんでゆく。


それは芸術の神が残した画材の1つ、メリッサが回収した青色だった。


「塵も残さず・・・滅せよ」


玉が眩い若葉色の光を放った瞬間、メダリオンは全身から骨と筋肉が奪われたような感覚を受け、地面に倒れる。


神を造る心臓と血がメダリオンの持つ神の力をその中に取り込んだのだ。


「神の力は人には御しきれぬ・・・余の蔵にしまっておくぞ」


今のメダリオンは肉体を失った精神だけの存在。


そこから神の力を奪われたため、残されたのは脆弱な人間の魂のみ。


死後の世界において、それは破滅を意味する。


「1つ・・・聞かせてくれ」


何とか喉を震わせ、メダリオンは掠れた声で問いかける。


抵抗しようと思えばできた。


ザダがどれほどの力を持つか彼には知る由も無いが、何らかの行動を起こす事はできただろう。


しかし、彼は甘んじてザダの復讐を受けた。


自分が倒れた以上、反乱軍が散り散りになるのは避けられないと解っていたが、最後に彼の心を動かしたのはザダの涙。


戦争で家族を失ったのは彼女だけではない、メダリオンの反乱で悲しみを背負った人間は無数にいる。


その罪を突きつけられた以上、彼はその罰から逃れる事は許されなかった。


「うん? 末期の言葉か・・・良いぞ、聞いてやろう」


ザダは以外にもメダリオンの要求を呑んだ。


理由は勿論、彼が最後にジェイクの遺言を聞いた事を知っているからだ。


「お前はナハトを・・・世界を・・・どうする気だ?」


メダリオンの問い、それはザダの目的だった。


彼女は多くの血族と秘宝を集め、わざわざ他国の内乱に干渉するほどの力がある。


このまま突き進めば、ザダは世界の敵となる可能性すらある危険な存在、その終着点が何処にあるのか知りたかったのだ。


「余を母と崇めるよう差配する、それだけじゃ」


ザダの目的は単純明快、彼女はこの世界の全ての母となるつもりなのだ。


権力、名誉、富、そのどれでもない。


ただ本能的な母性のために彼女は世界へ進出しようとしていた。


「世界を相手取って、宗教戦争でも起こすつもりか?」


その狂気にメダリオンはトゲのある物言いをするが、ザダはまたもやそれを嘲笑う。


人間と神はすぐ近くにいる存在でありながら、物の考え方がまるで違うという事を、彼はこの時思い知らされた。


「はっはっは、神に成っても思考が刹那的な男よ、もっと遠大な視野を持て・・・移ろい易い人心は力では無く、たゆまぬ慈愛で寄り添う物じゃ」


暴力で競争相手を排除した所で人は心を開こうとしない。


穏やかな日差しを放つ太陽の如く、断続的な布教活動こそが彼女の戦い方であり、そのために血族は存在すると言っても過言では無い。


メダリオンは急ぎ過ぎたのだ。


仮に内乱が成功したとしても、必ず彼とは相容れない者が現れ、新たな火種を作る。


そんな負の連鎖は誰も望んでいない。


「・・・最後に・・・もう1つ」


「構わぬが・・・存外しぶといなお主も」


既に下半身は塵に変わっていたが、メダリオンは呆れ顔のザダと対話を続ける。


彼は自分を殺す神から様々な事を教わったが、まだ1つだけ心残りがあった。


「お前の作る世の・・・民は笑っているか?」


彼は命尽きる最後まで、民の事を気にかけていた。


神を抹殺して人の世を作ろうとしたメダリオンと、あらゆる人を子と見なして、その母神になろうとするザダ。


2人の道は真逆に思えたが、その目的地は同じ。


メダリオンは消えゆく刹那、自分を殺す相手に希望を見出そうとしていた。


「愚問、余があらゆる不幸の芽をつぶさに摘み取り、漣立つ心を宥める、さすれば世界は安寧の揺り籠となろうぞ」


自信満々にこたえるザダの目に曇りは無い。


自分は必ずやり遂げる、世界は必ずそう置き換わると信じて疑わない。


それが彼女の神としての役割なのだと、メダリオンは知った。


「は・・・はは・・・そう・・・か・・・」


その言葉を最後にメダリオンの全てが塵に還ると、ザダの握っている玉は激しい発光を止め、内部に光の渦を形成する。


その姿はまるで小さな銀河のようでもあった。


「さて、こやつの死をもって戦は完全なる終結を迎えた、これからは戦後の復興に心血を注がねばならん・・・む?」


龍の顎の玉をしまい、帰り支度を始めたザダは突然腹の中で赤子が動いた事に気付き、その足を止める。


「おぉ~よしよし、お主もぞんぶんに骨を折ってもらうぞ・・・ふふふ・・・」


出産を間近に迎えたザダは、愛おしそうに腹部を撫でまわす。


そこに先程までの険しい表情は無い。


我が子を思う、極々ありふれた母の顔をしていた。

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