新たなる神
「はぁ、はぁ・・・ここは?」
周囲と地図を見比べながら、ジェイクは上へと続く更なる階段を求めて神殿を急ぐ。
下階のマハラティーとシースの事が気がかりではあったが、今の彼は前に進むことが最重要であると考えている。
2人の事を気遣うならば、一刻も早くこの神殿を踏破する事が最善の道だ。
「うん?」
勢いよく踏み込んだその場所は、長い廊下だった。
両脇に大きな姿見が等間隔で置かれているその廊下は何処までも果てしなく続き、その終点はボヤけて見えない。
「ここは一体・・・しまった!」
咄嗟に背後を確認すると、そこに入って来たはずの扉は無く、代わりに頑丈な石の壁が道を閉ざしていた。
「まずい、罠だ・・・」
手を触れ、叩いた所で何かが起こるはずも無く、ただ冷たい壁が無機質な音を立てるだけだった。
「くっ・・・どうする?」
(門)を開いて何かを壁にぶつけようとしても、その前に水は蒸発し、生物は骨と塵に変わるだけ。
彼に残された選択肢は2つ、ここで誰かの助けを待つか、自分でこの場所を調べて脱出するしかない。
「とにかく進んでみよう」
覚悟を決めたジェイクは長い長い廊下へと踏み出すが、進めど進めど終わりは見えず、何処まで行っても鏡と壁、床、そして天井。
「はぁ・・・ここで時間をとられるのはまずい、どうにかして・・・」
息を切らして進むジェイクはあれこれ考えを巡らせるが、終わりの見えない廊下を進む彼自身のように、結論に辿り着かない。
彼はこの1本道の迷路の中で、完全に行くべき道を見失っていた。
「何を焦っとる、小僧」
そんなジェイクは突然声をかけられ、驚きの余り体を震わせた。
まさか、この廊下で誰かに呼び止められるなどとは予想していなかったのだろう。
「え・・・ドーベルマン・・・さん?」
恐る恐るその人物を確認すると、そこには小さな椅子に座り、キャンバスへと向かうドーベルマンの姿があった。
「おう、相変わらず生き急いどるな」
軽く挨拶をすると、すぐさま視線をキャンバスに戻して、筆を滑らせるドーベルマン。
ジェイクの記憶にある姿より若干老けてはいるが、この筆遣いと物言いは間違いなく本人であると感じた。
「ど、どうしてここに!?」
ジェイクは思わず頭の中に浮かんだ疑問をそのまま口にする。
今彼がいる神殿は普通では無い、不滅の神か、特別な加護を受けた人間以外は存在しないはず。
ドーベルマンがここでのんきに絵を描いているのは明らかに不自然だった。
「あぁ、何処から話した物か・・・とにかく、ワシの絵が大々的に評価されたんじゃよ」
ドーベルマンは親指で自分のこめかみを押し、脳から情報を取り出しながら語る。
「おぉ! おめでとうございます! いやぁ、誰だってあの絵を見たら一目惚れしますよ・・・所で、それは何時頃から?」
ジェイクはドーベルマンの朗報を、まるで自分の事のように喜び、手を叩いてその功績を讃えた。
彼が盗作などしていない事は誰よりもジェイクが知っているが、それを最も雄弁に語るのはやはり作品である。
ドーベルマン渾身の一作が、世の批判家達を黙らせたのだろう。
そう、ジェイクは認識した。
「ワシがくたばった数年後・・・くらいか?」
「・・・はい?」
ジェイクは混乱した。
ドーベルマンが死んだと言われても、目の前で彼は筆を握っている。
仮に亡くなったとすれば、この男は一体何者なのか。
彼はまたもや、思考の迷路に連れ戻された。
「とある著名な作家がふらりと立ち寄った教会で、ワシの描いた壁画をいたく気に入ったらしくてな・・・気が付けば(宗教画の神)なんて大層な名前で呼ばれとった」
そんなジェイクをよそに、淡々と喋り続けるドーベルマンであったが、やがてジェイクが話について行けず固まっている事に気付くと、大きなため息をついて椅子から立ち上がった。
「まだ解らんか、本物のワシは今頃アンチェインで油絵を描いとるわい! このワシは勝手に神なんぞに祭り上げられたあげく、無理やりここに連れこまれた未来のワシじゃよ!」
そして明かされる衝撃の真実。
今、ジェイクと話しているドーベルマンは未来から来た存在であり、彼は後の世で神になっていると言うのだ。
「えぇぇぇぇぇ!?」
これには流石のジェイクも度肝を抜かれた様子で声を上げる。
しかし、ドーベルマンがここにいる理由も、彼の言葉を信じれば全て辻褄が合う。
神となった未来から時間を飛び越えてまで、彼はこの神殿に呼び出されたのだ。
反乱軍の首謀者によって。
時間を操る力は侵入者を阻むためではない、未来に生まれ得る神すらもこの地へ呼びつけるためだと、その時ジェイクは理解した。
「ふんっ! 信じられんってツラをしとるが、お主もその内解るわい・・・所で、嬢ちゃんはどうした? 別行動か?」
ドーベルマンはメリッサの行方を聞いて椅子に腰かけるが、彼はそれまで唖然としていたジェイクの顔が一気に曇る瞬間を見逃さなかった。
それにただならぬ様子を感じ取り眉をひそめるが、深くは詮索せずにキャンバスへと向き直る。
「・・・何があったか知らんが、あんな良い娘は滅多におらんぞ、ワシのような老いぼれにも、貴様のような今一つの男にも分け隔てなく接してくれる女はな・・・逃したら一生後悔するぞ」
背中を向けたまま説教をするドーベルマンの言葉に打ちのめされるジェイク。
ドーベルマンの言う通り、メリッサのような女性と出会うチャンスは彼の人生で2度と無い幸運だろう。
しかし、メリッサはナハト貴族の娘、身分違いの高嶺の花。
自分は港町の魚臭い神官。
どう考えても釣り合うはずがない。
「僕は・・・どうすれば良いと思いますか?」
「そんな物、ガツンと行くしかないじゃろうが、貴様も男なら、当たって砕けろ」
藁にもすがる思いでのジェイクであったが、ドーベルマンは恋愛相談のプロでは無い。
全く参考にならなかった。
ジェイクはこれまで何度も旅で命の危機に陥ったが、この瞬間程神にすがりたい時は無かった。
「簡単に言わないで下さいよ・・・」
がっくりと肩を落とすジェイク。
ドーベルマンの言葉が真理であるならば、この世に恋の悩みは存在しない。
複雑怪奇であるからこそ、人類は日々恋愛に頭を悩ませているのだから。
「生意気な口を叩くな! 若いうちは勢いじゃよ・・・歳をとるとな、いらん知恵が入って守りに入る・・・そうなったら恋なんぞできんよ」
「そういう物・・・ですか?」
ドーベルマンは確かに良く喋るが、手は絶え間なく動き続けてキャンバスに色を足してゆく。
ジェイクは一体何を描いているのか気になりこっそり覗くと、そこには喫茶店でくつろいでいるジェイクとメリッサの姿が描かれていた。
仲睦まじく椅子に座ってお茶を楽しんでいるその姿に、ジェイクはため息が漏れるほど惹かれた。
自分も全てが終わったら、またアンチェインの喫茶店でこんな時間を過ごしたい。
そんな気持ちを起こさせる温かい雰囲気の絵にジェイクはしばし見とれていたが、ふとある事に気付いた。
「待てよ・・・」
絵の中の2人は確かに自分とメリッサであるが、今より少し大人になっている。
描いているドーベルマンが未来人なのだから当然と言えば当然だが、そこに1つの可能性が生まれる。
彼はメリッサが誰と一緒になったのか知っているはずだ。
ジェイクはそれを聞かずにはいられない衝動に駆られた。
「あの・・・」
しかし、その後の言葉を彼は飲み込んだ。
自分と結婚していると言われれば、バラ色の人生が約束されているような物だが、もし違う人間と結婚したと言われる可能性を考えると、急に恐ろしくなったのだ。
「いえ、何でもない・・・です」
「なんじゃあ? 煮え切らんのぅ・・・まぁ良い、羊はまだ持っとるな、出せ」
そんなジェイクの心中を察してか、それとも元来の人嫌いからか、深くは聞かないままドーベルマンは以前渡した木彫りの羊を渡すように要求した。
何故この状況でその話になるのかとジェイクは疑問に思ったが、素直に懐から小さな羊を手の平に乗せて差し出すと、ドーベルマンはそれを引ったくる様に奪い取る。
そして、またもや置いてきぼりのジェイクの前で、ドーベルマンはその羊へ色を塗り始めた。
「それは・・・何をしているのですか?」
ジェイクがそう尋ねる間にもドーベルマンは凄まじい勢いで羊を着色してゆく。
立派に渦巻く角、豊かな体毛、キリッとした顔つきと眼光。
眠そうな目をして穏やかなイメージのある羊だが、彼が彫ったのは群れのリーダーである。
常に敵の襲来から仲間を守り、群れが餓えないよう先導する雄羊。
ドーベルマンはそんな願いを込めてジェイクに羊を送ったのだ。
「ここを出たいんじゃろ? 道はそいつに聞け」
一通り作業が終わると、ドーベルマンは羊を返すかと思いきや、ゆっくりと床に置いた。
すると、その木彫りの羊は風船でも膨らむかのように巨大化し、数秒後には等身大の羊の姿となった。
「メェ」
その鳴き声に、ジェイクは息を飲む。
自分の眼の前で木彫りの羊が、本物の羊として生命を得たのだ。
それはまさに、カーブル山に存在したとされる芸術の神の力そのものだった。
「この羊が道を・・・・ありがとうございます」
ジェイクは撫でてみようと手を伸ばすが、その鋭い眼差しに素早く手を引っ込めた。
親であるドーベルマンと同じく、無用な馴れあいは好まないらしい。
「ふんっ! 礼は良いからとっとと行かんか、もうワシがしてやれることはないぞ・・・筆を握って、木を削って、石膏をこねるしか能がないからな」
それだけ一方的に告げると、ドーベルマンは再び背を向けて絵の続きに取り掛かった。
もう、これ以上自分にできる事は無い。
後はそっちで何とかしろ、とでも言わんばかりのぶっきらぼうな態度。
逝去して、神となってもなお変わらないその有り様に、思わずジェイクは苦笑してしまいそうになった。
「行きましょうか、羊さん・・・うわっ!」
ジェイクが羊に声をかけた瞬間、羊は前足で2度3度地面を叩き、猛然と走りだした。
その先には、この廊下で飽きるほど見た姿見がある。
ジェイクは反射的に目を閉じるも、瞼の向こう側ではガラスが粉々に砕ける音が響いた。
眼を開くと、案の定鏡は無残な姿となって床にその破片が散らばっていたが、破壊された鏡の裏には、何と人がすんなり通れるサイズの穴が隠されていた。
「この奥に・・・道が有る!」
穴を覗きこんだジェイクは細く短い隠し通路と上への階段を発見すると、急いで駆け出した。
一刻も早く反乱軍のトップを捕らえ、この戦争に終止符を打つと言う目的の為に、彼は長い廊下で疲弊した体にムチを打つのだった。
「行ったか、ジェイク・・・」
1人残されたドーベルマンは一心不乱に絵を向き合いながらも、戦いへと赴くジェイクの事を考えていた。
彼はジェイクがこの戦争で何をしたか、その身に何が起こったか全て知っている。
だからこそ、未来の事は一切口にしなかった。
彼が不名誉な濡れ衣を着せられても長年生きていられたのは、希望があったからである。
希望とは闇夜を照らす一筋の星明り。
そこに太陽の光が射し込めば全ては明らかとなるが、代わりに希望の光はかき消される。
全てが確定した人生の、何と無味乾燥である事か。
彼はそんな世界に、ジェイクを落としたくは無かった。
「貴様の人生は貴様で決めろ、運命だとか、慣習の言いなりになるんじゃあないぞ・・・いいな」
ジェイクはまだ若く、人生は長い。
ドーベルマンは彼の行く末に、完成した絵画では無く純白のキャンバスを送る事にした。
そこに彼が自分の意思で構図を考え、色を足す未来を願いながら、ドーベルマンは絵を仕上げてゆく。
その筆先で、絵の中のジェイクとメリッサは互いに見つめ合い、以前と変わらず微笑んでいた。