地喰みの儀
「よぉ、調子はどうだツェリ?」
洋上に浮かぶ小島の上で、ドツバはツェリに話しかけた。
穏やかな海中には青白い光を発する生物が無数に回遊しており、周囲をぼんやりと照らしている。
「神官の配置は完了した、部隊も準備万端・・・合図さえあれば、いつでも出撃できよう」
ツェリは誇らしげに語る。
彼の言う通り、海中にも彼の後方にも血族達が待機しており、命令が下される時を待ちわびていた。
「ほ~お前はどうよ、カノープス?」
ドツバはそう呟きながら足元を数回足で小突くと、(小島)がくすぐったそうに揺れ動いた。
「○○○」
背中にドツバ達を乗せたまま、カノープスは蒸気船の汽笛のような声を上げる。
この生物も、この場の張り詰めた緊迫感と高揚感に当てられ張り切っているのか、先ほどまで静かだった海が、カノープスの動きで不規則な波が発生していた。
「あぁ~相変わらず元気だなお前は、そんな大声出さなくても聞こえるぜ」
指で耳栓をしながらドツバは苦々しい顔で答えた。
カノープスにとっては何気ない返事でも、人間や血族達相手には耳が痛くなるほどの大音響である。
「それで、ジェイクは何時目標ポイントに到達する?」
「もうしばらくかかると思うが・・・あん?」
ドツバが予定を確認しようとするが、その相手であるジェイクから通信が入った事に気付き、彼は会話を中断した。
何しろ彼の動向1つが、教団の計画を左右するのだから。
「ドツバさん、こちらジェイクです、まずい事になりました」
鱗から聞こえてくるジェイクの声は明らかに異常だった。
何かに焦り、怯えるような声の震え。
そしてその向こうからは、無数の足音や金属の擦れ合う音が聞こえてくる。
「まずい? 何だ? 行ってみろ」
緊急事態であると判断したドツバはなるべくゆっくりとした口調で、それでいてはっきりとジェイクに聞こえるような声で話した。
「今、僕達は反乱軍に向かって進軍して・・・もうすぐ接敵します」
ドツバが思わず息を飲むと、その仕草に異常を察知したのかツェリも彼のすぐそばで近寄り、通信に意識を向ける。
ジェイクは確かに目的地へと進んでいたが、その早さはドツバにも、きっとジェイク本人ですら想定外だった。
「おい待て、お前今日現地入りしたばっかじゃねぇか、前線に送られるわけねぇだろ」
義勇兵たちはたしかに個々としての戦いはできるが、軍として動き、兵士として陣形を用いて戦える者は皆無である。
そのため本来はそういった訓練を受けてから部隊に編成されるものだが、どうやらベルモンドはそんな気を回すつもりはないようだ。
ただ正面からぶつかり、敵にそこそこの被害を出してくれれば良い程度にしか考えていないらしい。
「いえ、事実です、もう向こうの方に敵陣の灯りと・・・その奥には神殿が見えます」
ジェイクが伝える現状は、海上にいるドツバ達にも戦場の空気を運び込み、声の聞こえる範囲にいる全員がその言葉に耳を傾ける。
神の命令により動いていた彼等も、そこでようやく自分達がこれから戦争に参加するのだと実感し始める。
「何考えてんだナハトの連中は? そんなんだから反乱起こされるんだよ・・・ったく」
「指示を下さい、僕はどうしますか?」
悪態ばかりが頭を過る中、ジェイクの声が沸騰しかけたドツバの頭を冷却した。
今はナハトの顔も知らない司令官相手に怒りをぶつける時間はない。
任務の為に死地へ出向いたジェイクを、無事生還させなければならないのだから。
「ちぃ! 仕方ねぇ、計画を前倒しだ! 少しの間耐えろよジェイク」
「解りました!」
ドツバの言葉に安心したのか、ジェイクはそれを最後に通信を終えた。
彼は一切詳細を聞こうとはせず、素直に教団の助けが来ると信じた。
それほどまでに、彼はドツバを信頼している。
「聞いた通りだツェリ、今すぐ始めるぞ、あいつが死んだら照準が定まらない、何もかもパーになっちまう」
ドツバがツェリに計画を実行を迫るときには、既に彼は部下達への指示を終えていた。
何百という視線が一斉に彼へと集まり、号令が発せられる時を待っているのだ。
一瞬の静寂の間、海上全体が氷のような緊張に包まれた。
「総員(奇跡の刻)合唱!」
ツェリが右手を振り上げると、海中で待機していた血族達が讃美歌を歌い始める。
夜の闇の中、海中からこだまする歌声は水面を揺らし、灯りを放っていた生物達も興奮して動きを活発化させ、歌う血族達の周りをぐるぐると回り始めた。
その灯りを線で繋げば、海中にカノープスから地上までを繋ぐ長大な一本の光る道ができている事がドツバ達には良く見えた。
「カノープス、充填開始せよ!」
「○○」
ツェリの合図により、カノープスが海水を吸いこみ、その体に蓄え始めた。
海面に巨大な渦ができるほどの凄まじい勢いと共に、カノープスの体が風船のように膨らんでゆく。
「下らねぇ、なんで俺達が他所の内輪もめに首を突っ込むんだか・・・」
着々と準備が進んでいく中、ドツバは一人ごちた。
教団がナハトに介入すると決めてから彼は仕事漬けで、のんびりと昼寝もできない日々。
それが布教のためとはいえ、他人の尻拭いなどやっていて面白い物ではない。
「それには同意するが、我は心躍るぞ」
「なんでまた?」
子供のように楽しげな表情を浮かべるツェリに、ドツバは尋ねた。
治安維持に従事しているだけあって彼は教団の中でも余計なトラブルや秩序を乱す事を特に嫌っているはずだった。
「聖戦だぞドツバ、これは我が神の威光を示す輝かしい歴史の1ページとなる」
その一方、彼が教団でも指折りの狂信者であることも、ドツバは思い出した。
教団の歴史において、海の無法者や怪物相手の大規模な戦闘記録はあるが、戦争の記録はほとんど無い。
加えて今回相手どるのは国家を乱す反逆者。
そこに神の教義と秩序を打ち立てるために戦うのは、彼にとってまさに本懐とも言える戦いとなるだろう。
「聖戦ねぇ・・・」
そんなツェリとは対照的に、ドツバはまるでやる気が無かった。
彼はどんな理由であれ、戦争に大義名分など無意味だと考えている。
まして今回の戦いは初の地上戦、下手をすれば血族達にも死傷者が出る可能性がある。
彼はそれを危惧せずにはいられない性分だった。
「万物を冷めた目で見る貴公には解るまい・・・なぁ、かつて海を割る奇跡を起こした者を知っているか? 我々は今からその逆を行うのだ、我が神の奇跡が血みどろの内紛に終止符を打つ、このツェリがその先駆けとなるのだ、これに勝る栄誉はあるまい」
ツェリは有名な神話に準え、自分達の未来が栄光に包まれていると確信しているようだった。
平時であれば危険極まりない思想だが、これから向かうのは死と隣り合わせの戦場。
死地にあっては、絶対に折れないその信仰心こそが、彼の最大に助けとなるであろう。
「お前が教団一のポジティブで良かったよ」
妄信的とも取れるその発言に水を差そうと考えたドツバであったが、現地で戦いジェイクをその救うのはツェリ達である。
流石のドツバも軽い皮肉程度で送り出すのが吉であると判断したようだ。
「ふっ・・・褒め言葉として受け取ろう・・・さぁて、そろそろか」
合唱が続く海中では光が爆発的に強くなり、光の道筋は夜空に浮かぶ天の川のように煌めいている。
それを確認したツェリは不敵に笑った。
ようやく、ようやくこれから奇跡が始まるのだ。
その火蓋を切るのは他でもない自分である。
その事実に、かつて無いほど拳が震えた。
「これより地喰みの儀式を執り行う、各員奮起せよ、3,2,1、放て!」
「○○○○!」
ツェリの合図を受け、カノープスが口から貯めこんでいた海水を吐き出した。
それは光の道に沿って一直線に進み、陸地を目指す。
そしてその海水は大地に衝突してもなお勢いを落とさずに進み、首都に到達するだろう。
それこそが海を割る奇跡と真逆の奇跡、ザダの地喰みの儀式であり、その道標となるべくジェイクは戦地に送り込まれたのだ。
「我に続け! 奇跡の奔流に乗り、聖戦の地へ向かうぞ!」
「うおおおお!」
ツェリの叫びに呼応してときの声を上げる血族達は、彼を先頭にして次々と光の道へと走る。
そして、彼等は一切の迷いなく、1つの群れとなってその中へと身を投げてゆく。
「言っちまったか・・・死ぬなよツェリ・・・ジェイク・・・」
ただ1人残ったドツバはカノープスの背中で激戦の首都で戦う仲間達を案ずる。
その背中は、いつもより少しだけ丸く小さくなっていた。




