時間切れ
しかし、今のジェイクは死神の背後を取っており、いくらでも神秘術を浴びせるチャンスがある。
ジェイクが(門)を構築しようとした瞬間、背後から聞こえた物音に振り返ると、そこには気絶しているナタリアの横で膝をつくメリッサの姿があった。
「うぅん・・・あれ・・・」
「大丈夫ですか?」
ジェイクはすぐさまメリッサの傍に駆け寄る。
独りで戦っているシースも気がかりだったが、破片に怯んだ一瞬の間に何かされた可能性も否定できない。
「少し・・・飲みすぎた・・・かしら」
メリッサは浅く短い呼吸を繰り返し、顔を赤く、体は不安定に揺れていた。
これでは戦う事はおろか歩くこともできない。
「え? あっ! ちょっと!」
そしてついにメリッサは自分の体を支えきれなくなり、地面に崩れ落ちる所をジェイクが慌てて受け止める。
「ふにゃ・・・ジェイクさん・・・ワタクシ・・・」
ジェイクの腕の中で糸の切れた操り人形のように脱力するメリッサ、今の彼女は誰の目にも泥酔しているのは明らかだ。
しかし、彼女は秘宝の力で常に師匠であるバオバオと限りなく近い存在になってる。
酔いつぶれるなど有り得ない話だった。
「おかしい、腕輪はあるのにバオバオさんの真似ができてない・・・のか?」
ジェイクがその思案に入る直前に死神の振り下ろした槌が床を叩き、彼を現実へと呼び戻す。
そうだ、今は命のやり取りの最中である。
彼はひとまずシースの援護に入るべく(門)を構築しようと手を伸ばした。
「このっ!・・・あれ、何で!?」
しかし、彼の手が光を宿す事は無かった。
何度試みても(門)が開かれる様子は無い。
こんな事は、彼の神官としての人生の中で一度も無かった。
「おやおや、どうやら3対1では無くなったようだぞ?」
形勢逆転とまではいかないが、2人が戦力として役に立たなくなった事を知りほくそ笑む死神。
彼は最初からこうなる事を予測していたのだろう。
だからこそ、ジェイク達3人にあそこまで強気になれたのだから。
「何をしたか知らんが、まだあたしがいるぞ?」
「それもすぐに終わらせるとしよう」
死神は自身に満ち溢れた様子でシースとの死闘を続行するが、そこでジェイクに1つの疑問が生まれる。
死神は手にした鎚を振るうばかりで先ほどの危険な神秘術を使う気配がない。
壁やフジツボを破壊したあの術ならば、現在の均衡を崩す事など容易いだろう。
では、何故使わないのか。
そして死神が呼んだ神の名。
全ての情報がジェイクの脳内で1つとなり、この場の謎を解き明かすカギとなる。
「シースさん! 今この場所は全ての神から隔離されています!」
「そうか! それで!?」
額に汗を浮かべたシースは、死神から一切注意を逸らさずに答える。
一瞬でも気を抜けばそこに付け入られ、勝負が決してしまう。
それほどに死神は強敵だった。
「その男は狩人の守護神アンドラスの名を口にしました! その力で僕達は神秘術を封じられたのです!」
アンドラスは人間が狩りを始めた太古の昔から存在する神であり、信者に音や気配を遮断する加護を与えてきた神だ。
その中でも最上位とされる神秘術が、一定時間神への祈りすら届かなくなる空間を作り出す術である。
その中ではアンドラス自身すら手出しできなくなるが、純粋な力と力のぶつかり合いによる闘争こそ真の狩りであると信者達は確信している。
「なるほど、そういう手品か!」
「手品? 神の奇跡を手品とは、侮辱もほどほどにしたまえ」
術の正体はバレたが、死神は冷静だった。
彼には長年の暗殺者としての実績があり、最後に物を言うのは経験の数である事も知っている。
その点で言えば、彼は熱心な努力家だった。
「対策は何だ!」
シースの言う通り、困難とは未知であるが故に困難なのだ。
対策さえ取れるならば、突破できると誰もが考えるだろう。
「・・・その男から離れて空間の外に出るしかありません」
しかし相手は狩猟の神。
簡単に破れる物では無い事は、神に仕えているジェイクも良く知っていた。
「それは出来ない相談だ、この男から血を取り返すまで、あたしは逃げないぞ!」
シースは血を奪還するまで後退する気が無いようだ。
つまり、この場を離れるには彼女が真剣勝負で勝つしかない。
「くっ!他に何か・・・」
ジェイクは必死にこの状況を打破する方法を考えるが、神の力を封じられた今、彼はまともにケンカもできない戦いの素人である。
「どうした、剣が鈍っているぞ」
そうしている間にも、状況は動き続けていた。
「何を・・・気のせい・・・だろ」
シースは否定するが、乱れた呼吸と構えが体の不調を如実に物語る。
傍目に見ても、彼女の体力は限界が近い。
「強がりはよせ、明らかに太刀筋が鈍っている・・・ぞ!」
死神が渾身の力で槌を叩きつけると、衝撃でシースの手から刀が弾き飛ばされ、彼女はそのまま態勢を崩して床に倒れた。
「ジェイク! メリッサを連れて外に出ろ!」
上半身だけ起こした状態でシースは叫ぶ。
彼女は自分が絶体絶命の窮地にあっても、仲間の身を案じていた。
「ふむ、激しい殺意のぶつかり合い、久しぶりに血が滾ったぞ・・・君は凡作だが、味わい深い作品になるだろう」
死神が倒れたシースへと歩み寄る。
勝敗は決した、死神はすぐにでもシースに最後の瞬間を与えるだろう。
もはや、あらゆる選択の余地は残されていなかった。
「シースさんから離れろ、僕が相手だ死神!」
ジェイクは床に落ちていた曲剣を拾い上げ、死神へと向けた。
それはナタリアが使っていた物らしく、きらびやかな装飾が散りばめられていたが、刀身が中央から真っ二つに折られ、ナイフと同等までに殺傷力は落ちていた。
「全く・・・私は忙しいんだ、君の相手をする暇などない」
呆れたような口ぶりで語る死神。
言葉通りジェイクに興味は無いらしく、背中を向けたまま体勢を変えようとしない。
「早く離れろ!」
ジェイクは無我夢中で声を上げる。
体を低くし、剣の柄を腹に当ててしっかりと両手で固定する腰だめの構えをとり、死神へと突進する。
かつてドツバから(お前男のくせにケンカの仕方も知らないのかよ)と教えられた唯一の刃物の使い方だった。
ケンカに刃物を持ち出すほど常識知らずでは無いと当時は考えていたジェイクだったが、まさか実戦で使う日が来るとは夢にも思わなかっただろう。
「優れた芸術家の創作に、素人が水を差す者ではないよ、坊や」
死神は振り向き様の回し蹴りで迎撃すると、蹴り飛ばされたジェイクはまるで木の葉のように部屋の壁際まで吹き飛んだ。
やる前から解っていた事とは言え、圧倒的な力の差を見せつける死神に対して、ジェイクは何もすることはできない。
この行動も、ほんの一瞬シースから気を逸らした程度だろう。
「もういい、あたしの事は気にするな、すぐに遠くへ逃げろ!」
シースは蹴りを喰らって床に転がるジェイクを心配して立ち上がると、赤いコートから何かが地面に落下する。
「む? これは・・・何だ、この傷口は?」
死神が見つめる視線の先、そこにはシースの左腕が落ちていた。
断面は炭のように黒く、そこから黒いモヤが煙のように溢れだし、空中に溶けてゆく。
「あたしの中から、神の力が体を破って溢れだしてくる・・・もう時間切れが近いんだ」
シースは力なく膝をつき、そのまま地面へ体を投げ出した。
もう抵抗する力など残っていない。
そう認識した死神は槌を高く振り上げるが、その時自分の視界に入った奇妙な物に眼を奪われた。
「う・・・あ・・・な、何だ、いや、これは・・・」
それは死神自身の手の甲。
その一部に赤い斑点がいくつも発症していたのだ。
「うおおおお! 私の手に、このような汚らわしく、醜いものが!」
斑点は手から腕へと加速度的に増殖し、あっという間に両手は余すところなく病斑に覆われてしまった。
これは明らかに普通の病では無い。
シースの体から溢れだした、病の神の力、その一旦である。
「腕だけじゃない、すぐに全身にも回るぞ」
「お、おのれえぇぇぇ!」
シースの言葉に死神は我を忘れたように叫ぶと、部屋から風のように逃げていった。
駒鳥の血と共に。
ジェイク達3人に残されたのは、身一つ、命1つのみ。
それもジェイクが作った稼いだ数秒が無ければ、全てを奪われていたかもしれない、完璧な敗北だった。
「逃がした・・・か、すまない、あんた等を巻き込んでしまった」
その言葉にジェイクは痛む四肢にムチ打ち、なんとか体を起こして確認すると、腕だけでなく顔や首にも斑点ができている事に気付いた。
「まずい、僕達にも・・・すぐに治療しないと!」
ジェイクは慌ててバオバオから貰った瓢箪から水を飲む。
効力は確かで見る見るうちに斑点は小さくなり、やがて跡形も無く消えた。
それを安心して眺めていたジェイクであったが、しばらくすると治癒された皮膚からまた同じような病症が現れ始めた。
「え? この水が有れば病気は治るはず・・・」
「ジェイク、その水は間違いなく効いている・・・でもな、それ以上の速さで病があんたの体を蝕んでいるんだ、あたしの中にはそれだけの力が入っていた・・・これをきちんと使う事ができれば・・・くっ・・・」
困惑するジェイクに、自分の中にある力を説明するシース。
神の力を覆すのは、それをしのぐ神の力のみ。
マメールと雫の神、2人が抱えている信者の数の差が出たのだろう。
「血が無ければ儀式は失敗だ、パレードは開かれない、あたしは死ぬ・・・その後、世界中で人が死ぬ!」
儀式、パレード。
これまで何度も耳にした単語だった。
それなのに、ジェイクはその儀式の目的をまるで知らない。
「そもそもパレードとは一体・・・」
「あたしの体には天然痘の神(疱瘡神)の力が込められている、世界を廻り、皆に抗体を作らせるのがあたしの使命、儀式の目的だ」
ジェイクは儀式の真の目的、そのスケールの大きさに度肝を抜かれた。
もしもパレードが成功した暁には、世界から天然痘を撲滅することも可能だろう。
「でも、血が無いと神にはなれない・・・あの燃えるようなような朱で、宝石より眩しい紅い血が・・・畜生!」
シースは余りの無念さに涙を流し、残った右手で地面を何度も叩く。
どうしようもない無力感が洞窟を包んだその時、ジェイクの耳に聞きなれた声が飛び込む。
「おい、ジェイク! 応答しろ、急に通信が途切れたぞ、何があった?」
それはドツバからの通信だった。
アンドラスの神秘術の範囲外まで静寂の死神が離れたということだろう。
「・・・待てよ?」
しかし、ジェイクの意識は別の所にあった。
シースが何度も口にした朱。
死神が持ち去った駒鳥の血が放っていた紅。
そして、自分の記憶の中にある赤。
3つの手がかりが示す物が、一筋の光明となって彼の思考へと降り立つ。
「おい、大丈夫か?」
「ドツバさん、アンチェインで回収した赤の画材は今何処に?」
ジェイクは突如、ドーベルマンと共に分け合った神の秘宝の存在を口にした。
「はぁ? 秘宝なら管理局のトライントンの所だろ」
突拍子も無い質問にドツバはその意図が読み取れないようだが、秘宝の所在は把握している口ぶりだった。
「お願いします、今すぐ送ってください」
「何言ってんだお前、馬鹿か!? 勝手に秘宝を持ち出せるわけ無いだろ?」
ジェイクの要求にドツバは声を荒げる。
全ての秘宝は管理局の長トライントンの下に送られ、そこで調査、保存される。
そのため管理局は(神の蔵)とも呼ばれ、一度収容されると簡単に外へ出す事はできない。
「どうしても必要なんです!」
「無茶な事抜かすな!」
ジェイクは必死に何度も頼み込むが、ドツバは頑なに態度を変えない。
それほどまでに、神の蔵の扉は硬く重い。
「このままだと、僕も含めて世界中で沢山の人が死にます」
「死ぬ!? 何だお前、説明しろ!」
死、その言葉に情報部がどよめき立つ。
流石のドツバもジェイクとその他大勢の命がかかっているとあっては動揺を隠せないようだった。
「血が奪われ儀式が失敗しそうになっています、、儀式の目的であるパレードとは、天然痘を抑える為の神を作り、世界中を廻らせる事なんです! だけどこのままでは力だけが暴走して・・・きっと取り返しのつかないことになります!」
ドツバの周りにはいつの間にか人だかりができていた。
皆が不安そうにお互いの顔を見合わせながらジェイクの話に聞き入るが、彼がこんな嘘や冗談を言う人間ではないとその場の誰もが知っている。
「・・・何てこった」
ドツバは驚天動地の非常事態にざわめく室内にて、独りごちるのであった。




