おかかとこんぶ
(翌日)
ジェイクが目を覚ますと、すでに夜は明け太陽が高々と昇っていた。
カーテンの隙間から差しこむ日射しは正午を間近に控えたもので、普段迎えてくれる朝日の優しい光とは異なり、寝ぼけ眼には少々眩しい。
「くぅ・・・くぅ・・・」
誰かの呼吸に気付いてジェイクは首だけでそちらを向くと、ベッドにもたれかかる形でメリッサが寝息を立てていた。
体を起こそうと身をよじるも力がうまく入らず、少しだけ浮かせた上半身をベッドに横たえて深く息を吐くと、ジェイクの額から何かが転げ落ちる。
目で追うとそれは折りたたまれたタオルだった。
ほとんど乾いてはいるが、それは誰かが彼を介抱した証拠だ。
「メリッサはん、起きてはる~?」
突然のノック、そして扉を開けて比丘尼が入室する、手に持った盆の上には三角形のおにぎりと湯気を上げる湯呑が並んでいた。
「おろ、ジェイクはん、気が付きはった?」
「すみません、気を使わせてしまって、いつつ・・・」
懲りずにまた体を動かそうとしたジェイクを襲う上半身の痛み。
彼は今まで何度か神秘術の使い過ぎによる反動を受けた事はあるが、全く動けなくなるのはこれが初体験だった。
指名手配犯ヘンリックとの闘い、始原の神ボーガードの炎をしのいだ対価としては安すぎると彼自身も受け止めてはいるが、まともに寝返りすらできない状態では任務の続行ができないのは明白だった。
「無理はあかんよ、まだ寝ときぃ」
「・・・はい、有難うございます」
そんなジェイクの心中を察したのか比丘尼は穏やかな笑みで安静にしているよう諭す。
都は守られ、脅威は去った、もう焦る必要は何処にも無いのだ。
「礼ならウチやのうてメリッサはんにしなあかんよ、一晩中ず~っと心配して世話しとったのやさかい」
「一晩中・・・ですか」
比丘尼の言葉にジェイクは改めてメリッサに視線を戻す。
そもそも規則正しく健康的な生活を送っている彼女がこんな明るい時間に眠っている事が不自然なのだ、それにようやくジェイクは気づいた。
「えぇ相方がおると安気にやれるなぁ」
「本当にメリッサさんには助けられっぱなしです、僕は何もできてないのに・・・」
そして比丘尼に告げられるまで、こんな簡単な回答に辿り着けなかった自分の思慮の浅さを恥じた。
加えてヤマトでは血族を頼り、神にすがり、メリッサに救われ、ヘンリックは捕らえられず、燦々たる有り様だ。
「そないな事あらへんよ、確かにジェイクはんの力は小さい1の力かもしれへん・・・けどな、それを皆で大きゅうしたら100より立派な1にできる、してくれはるお仲間がおる・・・ほんまに果報者や」
「そう・・・ですね、僕の周りには色んな人がいて・・・いつもお世話になりっぱなしで、僕は弱いまま恩返しができずにいます」
ネガティブな思考に陥っているジェイクを励まそうと比丘尼はフォローするが、彼は今回の失態にかなり責任を感じているようだ。
「あかんよジェイクはん、恩を全部返そうなんて思うたらあかん」
「そうなんですか?」
予想外の言葉にジェイクは驚きの声を上げた。
受けた恩は必ず返す、神に仕える者ならば誰でも考えそうなことだが、彼女は異なる結論に至っているらしい。
「ジェイクはんは誰かを助ける時に、恩返しして欲しいと思てはります?」
「時と場合と相手によるかな・・・と」
彼は任務の為、見知らぬ誰かに手を差し伸べることもあるが、全てがそうではない。
明確な答えが出るはずも無かった。
「そうなぁ・・・ほな、何で返さんでええ時がある?」
「・・・その人の事を、純粋に助けたいと思う時です」
時には親しい人物の為、もしくは単なる気まぐれで無償の奉仕を行う事もあるが、そのほとんどは教義や道徳教育などによるもの、その目的まで考える者は極僅かであろう。
ジェイクは比丘尼の質問の意味を図りながらも、自分がいかに何も考えず生活しているか思い知らされた。
「うんうん、ウチも同じや、助けたいから助ける・・・もっと言うとな、好きやさかい」
比丘尼は曇りの無い瞳でそう告げる、疑う余地なく歓迎されるはずの(善行)に意味を見出せるほど、彼女には思案する時間があった。
「好き? まぁ・・・はい」
対するジェイクは誰かにストレートに行為を表す行為は滅多にないので、少し恥じらいながら言葉を濁した。
「相手の事が好き、人助けが好き、喜ばれるのが好き、皆ひっくるめてウチは好きどす・・・そやからジェイクはん、受けた恩を仰山抱えてないで、他の人でも、知らん人でも、どんどん渡しとくれやす・・・すると周りが皆好きになるし、好きになってくれる、そうなればジェイクはんを世話したお人も、喜ぶと思わへんか?」
ジェイクはその言葉に衝撃を受けた。
返しきれない恩を背負って生きるのではなく、それを他者に波及させる事も恩返しになるという比丘尼の教えは彼にとってまさに目から鱗の金言であった。
「勉強になります」
「あははっ! 大げさどすなぁ・・・ほな、そろそろご飯にしよか」
屈託のない笑顔を浮かべる比丘尼は話を切り上げると、眠りこけているメリッサの肩に触れ優しく揺り起こす。
「うぅ・・・ん・・・あ、比丘尼様?」
そうするうちにメリッサも覚醒し、目を二度三度瞬いて瞼をこすった。
「おはようメリッサはん、おかかと昆布、どっちがええ?」
「おかか・・・では無くて、ジェイクさんは!?」
寝起きで思わずおにぎりに手を伸ばしてしまいそうになったメリッサは慌ててベッドの上で横になっているジェイクの容態を確認しようと目を向ける。
「僕なら生きてますよ、元気とは言えませんけど」
「あぁ・・・良かった!」
ゴミ集積場で意識を失ったジェイクがようやく目を覚ました事に破顔し、その腕にすがりついた。
「いだだだっ! 待って! 腕が!」
思わず悲鳴を上げるジェイク。
普段であれば胸を高鳴らせる所だが、神秘術の代償で体が激しい筋肉痛のような症状に襲われている今の彼にそんな余裕は無い。
「ご、ごめんなさい! ワタクシ、つい・・・」
急いでメリッサはベッドから離れるも、苦悶の表情で痛みに耐えるジェイクの姿に自責の念がつのり肩をすくめた。
「それだけ声が出るなら、すぐよぅなるよ・・・はい、召し上がれ」
「わぁ~良い香り、頂きます・・・むぐむぐ・・・うん! ジェイクさん、このおかか美味しいですわ!」
差し出されたおにぎりを頬張るメリッサは目を輝かせている、よほど気に入ったのだろう。
「そ、そうですね・・・美味しそうですね」
鰹節の豊かな風味と醤油の香りが食欲を誘う、素朴で家庭的なおにぎりを目の前にして彼もご相伴にあずかろうとしたが、何しろ今は手も足も出ないので、ただ見つめることしかできない。
「ジェイクさんも食べます? はい、あーん」
その視線に気づいたのか、メリッサはおにぎりをひと口サイズに割るとジェイクの目の前に差し出した。
「え? あの」
「ほら、早くあーんして下さい」
子供のような扱いに気恥ずかしさから比丘尼に視線で助けを求めようとするも、比丘尼は何も言わずにほほ笑むばかり。
観念してジェイクは口を開いた。
「はーい、お味は如何ですか?」
「おいひいでふ」
2人が食事を進めている様子をしばらく眺めていた比丘尼はふと、床に転がっているある物に気付いて立ち上がった。
「おろ・・・この麦わら、斬られてはるな?」
拾い上げられたそれは彼女がメリッサにプレゼントした麦わら帽子だった。
大きなつばの一部が深く真っすぐに切り裂かれている、恐らく賊と戦っている間に刀で切り裂かれたのだろう。
「ごめんなさい、折角の頂き物を・・・」
「ううん、ウチが直すさかい、気にせんといて」
そう告げると比丘尼は荷物の中から裁縫道具を取り出し、帽子の修繕を始める。
卓越した裁縫技術を持つ彼女は丁寧に、なおかつ拙速に作業を進め、2人が食事を終えるころにはハサミで糸を切り、片づけを始めていた。
「すごい、完璧に治ってる・・・」
「縫い目が・・・いえ、縫い糸がありませんわ」
2人は目を丸くして麦わら帽子を観察するが、切断面も縫合された痕跡も糸も無い。
まるで時間が巻き戻っているかのように修復されているのだ。
「ふふふ・・・ウチも無駄に歳を喰うて来たわけでは無いどすえ」
「これが、白の社の神秘ですか?」
「ジェイクはんは知らんと思うけど、ワカサにもう神はおらんのよ・・・もぅずっと前からな」
ジェイクの問いに比丘尼は悲し気な表情で答えた。
その悲哀こそがこの旅に残された違和感の正体であると彼の勘が囁く。
「奇跡は神だけが行使できる物、人が起こせるのはただの偶然か、予定された必然のどちらかです・・・その技は人の域を超えています」
だからこそ彼はここで一歩踏み込んだ。
「かなわんなぁ・・・ジェイクはんには」
「そういう風に育てられましたから、人と、そうでない者の区別はつきます」
「なぁ、神様って何のためにおると思う?」
比丘尼は質問に答えるでもなく、唐突に神の存在理由を尋ねた。
漠然で曖昧なその言葉は彼女の苦悩や迷いを如実に表している。
「神はさしずめ燭台の炎とでも言いましょうか・・・光で満ちた世では軽視されがちですが、混迷の中では行く末を照らしてくれます、燃え盛る御身に触れる事は叶わず軽々しく扱えば仇となりますが、付かず離れず適切な距離を保てば善き隣人足り得ると僕は確信しています」
比丘尼はジェイクの語りを眼を閉じたまま聞き入り、やがてゆっくりと瞼を開いて2人を見つめた。
「善き隣人、ジェイクはんは説教がお上手どすなぁ・・・うん、ウチ決めた! 一緒にワカサに戻ってアコはんに会うてくれはる?」
その時の比丘尼はいつもの柔和な笑みを取り戻していた。
彼女が内に秘めていたわだかまりは霧散し、何かを決意した様子で2人にワカサへの同行を願い出た。
「ワタクシは大丈夫ですけど、ジェイクさんが・・・」
「あはは・・・そうですね、痛みが引いたらお供します」
すぐさま快諾する2人に比丘尼は目頭が熱くなるのを感じ、目を伏せた。
「おおきに、ほんまに2人とも・・・おおきにな」
人生は長い、彼女の場合は特にそうだ。
しかしその時間の中で気の置けない相手を果たして何人作る事ができるだろうか、それがまさに人生の宝であると気付ける人間が何人いるだろうか?
彼女はまさに得難い体験の中で、歓喜に涙していた。




