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波濤揺蕩う神殺し  作者: 韋駄天
名も無き島と神喰らい編
5/100

先輩

救貧院の門をくぐった先ではミーモが洗濯物を干していた。


洗濯籠には救貧院の住人が一日で出す大量の洗濯物が押し込められている。


これらを全て洗い、干すだけでもかなりの重労働になるだろう。


「おはようございます」


ジェイクが挨拶をすると、その声に気付いたミーモは作業を中断して振り返る。


すでに6月ということもあり、朝の日差しも日に日に厳しくなる中、彼女の額には汗が浮かんでいる。


「おはようジェイクちゃん」


猫の手も借りたいほど忙しいはずであるのに、ミーモは柔和な笑みでジェイクに挨拶を返した。


「昨日はどうでした?」


ジェイクの質問に、ミーモは昨日の出来事を思い出したのか、顔色が曇る。


その様子に、ジェイクはあまり良い結果にならなかったのだと予想した。


「何とか落ち着いてはくれたけど、一人にさせてほしいみたいだから、とりあえず空いてる111号室に案内しておいたわよ、着替えと一緒にね」


「・・・それだけですか?」


ほとんど進展が無い事に若干驚きを隠せないジェイクであったが、あの状態のメリッサを落ち着かせただけでも上出来であると言えるだろう。


会話が成り立つ状態にならないと、彼女の問題は解決せず、冒険者組合に誘うこともできない。


「そうよ、彼女には時間が必要なのよ、とにかく休んで、ご飯を食べて、適度に体を動かして、お茶しながらお友達とお喋りする時間がね」


「うぅ~ん・・・そういう物ですか?」


ジェイクはミーモの意見に懐疑的な様子。


メリッサはこの街へ休養のために来たのではない。


他国に向かうにしろ、冒険者になるにしろ、そんな悠長な状況とはジェイクには思えなかった。


「メリッサちゃんの抱えてる問題は深刻よ・・・だけど今必要なのは(元気)! 人生色々あるけれど、元気が無きゃなんにもできないわ、問題解決なんて後回しで元気を補充しないと!」


ミーモは深刻な面持ちでジェイクに訴えかける。


メリッサは心は孤独に乾き、体は旅で疲弊していた。


何かを始めるにしても、まず休息をしなければ潰れてしまうとミーモは考えていた。


もしかしたら、彼女はこの街でメリッサに最も心を砕いている人物なのかもしれない。


「まぁ、たしかに多少の休養は必要かもしれませんが、僕は彼女に仕事を教えるように命令されてる身なのは知ってますよね?」


彼女の夫は貿易会社で働く勤勉な男であり、成人した二人の息子達も、父と同じ道を歩んでいる、貯金も潤沢にある、どちらかと言えば町でも裕福な部類の人間である。


しかし、それと引き換えに家族は仕事で世界中を航海する日々、彼女が孤独に苛まれるのは必然と言えよう。


「じゃあ、ジェイクちゃんがメリッサちゃんを朝ごはんに連れてってあげて」


「はい?」


ミーモは教団の門を叩き、教義の中に救いを求めようとした矢先、偶然教会にいたドツバに声を掛けられた(救貧院を手伝ってくれないか)と。


それ以来、彼女は毎日救貧院で誰かに世話を焼いている。


地図の書かれた布団を洗ったり、歯が抜けた老人のための食事に知恵を絞っている間に彼女の周りは人で溢れるようになった。


「仕事教えるって事は先輩って事でしょ?先輩ならごはんにぐらい連れてってあげなさい」


こうして彼女は多忙な日々の中で、いつのまにか自分が渇望していた物を手に入れたことを悟る。


己を必要としてくれる者、仕事の合間のお茶の時間である。


救貧院は貧しい者に手を差し伸べる場所、しかし救われるのは貧しい者だけとは限らない。


「そう来ましたか・・・とにかく、111号室でしたね?見てきます」


ジェイクは自分の懐事情を思い出し、若干の苦笑いを浮かべる。


「よろしくね~私はこれ終わったら事務所行かなくちゃいけないから」


興味の対象が大量の洗濯物に移ったミーモと手を振って別れるとジェイクは救貧院の建物へと向かう。


建築されてからかなりの時間が経過しており、老朽化も始まっているが、住民や教団がこまめに手入れを行いその姿を保っている。


ゆっくりと軋む扉を押し込み中に入ると、玄関ロビーの長椅子には会話に花を咲かせる老人や、朝から酒盛りを始める酔っ払いなど多種多様な人間がいた。


誰もが皆、一見何の悩みも無さそうな住民に見えるが、その笑顔はどこか影が有る。


ここに来る前は多かれ少なかれ苦難の道を歩んだ事を窺わせた。


ジェイクは適当に挨拶を交わしながら目的の111号室のドアの前に立つと、身だしなみを整え、軽く数回ノックをした。


「どなたですか?」


中から返事が返ってくる。


何かに怯えた様子や、敵意は感じられない。


ミーモが何を彼女に話したのかなどジェイクには解るはずも無いが、今はその功績に感謝した。


「僕です、ジェイクです、入っても良いですか?」


「どうぞ」


ジェイクは一呼吸開けてから扉を開く。


中は二段ベッドと窓以外は人が何とか1人通れる程度の空間しかない、ひどく狭苦しい部屋だった。


メリッサは荷物置き場になっている下のベッドの隅に腰かけていた。


昨夜と比べて眼が澄んでいる、一晩の間に冷静さを取り戻したようだ。


「良く眠れましたか?」


「大丈夫です・・・昨日は取り乱してお見苦しい所をお見せしました」


メリッサは丁寧に頭を下げる。


その短い所作にも、どことなく品格を漂わせる。


名家の生まれであるという事は本当であると、ジェイクは感じた


「いいえ、あの状態で冷静でいる方がどうかしてます」


「お優しいのですね、ジェイクさんは」


メリッサから受ける印象は昨日とは明らかに異なり、トゲのある雰囲気は無い。


これが彼女の地なのだろうか、そんな事を考えながらジェイクはベッドの空いた所に腰を下ろした。


「それぐらいしか取柄のない男ですから・・・所で、お腹空いてません?」


「え? はい・・・朝食はまだですけど?」


メリッサはその質問の意味が理解できないようだった。


「じゃあこれから出かけませんか? バッカニアの人間は大抵屋台で朝ごはん食べるんです、店主が帰っちゃう前に行きましょう・・・今日は奢りますよ」


「はぁ・・・あの・・・今日はワタクシを朝食に誘いにみえたのですか?」


素直な疑問を口にするメリッサ、彼女にとって彼は昨日会ったばかりでしかも自分を罪人として逮捕した身分である。


その相手が翌日には朝食を誘いに来て、しかも奢ると良い出した。


冒険者組合に所属する返事もしてない所か、密航者としての尋問もされない。


本人からすれば身構えていた所に肩透かしをくらった気分であろう。


「えぇ、まぁ、なんというか・・・最初にする事がご飯を食べるってだけで他にも色々ありますよ、僕はあなたの世話がか・・・いえ、先輩ですから」


世話係、という言葉を出しかけて引っ込めたジェイクは、ミーモに言われた(先輩)という言葉に言い直した。


新人の世話係なんてガラじゃない、仕事の先輩ぐらいの方が気が楽だと判断したのだ。


「フフフ・・・承りました、ご一緒させて頂きますわ、先輩」


それが功を制したのか定かではないが、メリッサは初めての笑顔を見せる。


その微笑を見た瞬間、ジェイクは自分の胸の中に焼ける石炭のような熱を感じた。


「じゃあ僕は救貧院の門で待ってますので、準備ができたら来てください」


「はい、それでは後程」


話を済ませたジェイクはすばやく外に出て扉を閉めた。


「はぁ・・・なんかすごい緊張した」


彼は幼い時からずっとザダの神官として教育を受けてきた、年上の神官や、ドツバ達ザダの血族とはよく話すが、同年代の友人はいない。


まして異性など、まともに手を握った事もないほどに初心であった。


魚介類のメスなら話は別だが。


おまけに彼はずっとドツバの下で行動していたため、後輩などもったことも、誰かに何かを指導したこともない。


(先輩)の自覚をもったのもつい先ほどの事だ。


もしかすると、今最も危機に瀕しているのはメリッサではなく、彼なのかもしれない。


「お待たせしました・・・ジェイクさん?」


「あぁ失礼、ちょっと考え事を・・・行きましょう、すぐそこです」


ジェイクの考え事をしている間に、準備を済ませたメリッサが彼の背後に立っていた。


促されるままについてくるメリッサを先導しながら、彼は本日二度目の屋台通りへと向かう。


「皆さん歩きながら召し上がるのですね?」


見慣れぬ街並みとすれ違う人間をキョロキョロ見回すメリッサ。


普段テーブルで行儀よく食事をとる彼女にとって、当たり前のように食べ歩きをするバッカニアの民は、奇妙に映るのだろう。


「はい、これから仕事やら学校がありますからね・・・屋台は初めてです?」


「えぇ・・・恥ずかしながら」


屋台通りはピークを過ぎて人通りもまばらになっている。


今から人気のある物を手に入れるのは難しいが、すぐにでも食事を入りたい2人にとっては有難い時間だった。


「別に恥ずかしい事は無いですよ、ただ文化が違うだけで・・・ん~何が良いかな・・・そうだ、クレープなんてどうです?」


女性に受け良い屋台を知らないため、無難な所を提案するジェイク。


「クレープですか、良いですね!」


「じゃあ決まりですね」


メニューが決まった所でジェイクはすぐにとある露店の前へと歩き出す。


彼にとってこの道は自分の庭と同じ、何処で何時何が売っているか、味、値段、全て知り尽くしていた。


「らっしゃいジェイク君、あれ? そっちの子は初めて見るね」


客がまばらとなり退屈そうにしていた店主が、ジェイクの顔を見るなり気さくに挨拶をしてくる。


彼もまた長年バッカニアで生活しているだけはあり、住民の顔は全て記憶しており、余所者には敏感である。


「えぇ、ちょっと仕事の関係でしばらく滞在することになると思いますクレープ1ついいですか? ベーコンエッグで」


「あいよ! ちょっとまってな!」


店主は手際よく鉄板の上で生地を焼きながら隣でベーコンと卵を調理し始める。


十分に熱の通った生地の上に、ベーコンエッグを移すとそのまま刻んだチーズ、トマトケチャップ、生タマネギがトッピングされると、クレープは折りたたまれ、包み紙の中に納められた。


「はいお待ちどう!」


「すごい・・・」


早業に目を丸くしていたメリッサは差し出されたクレープを受け取る。


湯気を上げるクレープは、すぐにでもかぶりつきたい程に食欲を刺激する香りを放つ。


「じゃあ事務所にいきましょう、あそこならお茶があります」


かくして朝食を手に入れた2人は、冒険者組合の事務所に向かった。


何をするにしても、まず食べなければ始まらない。

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