天地人荒ぶる時
「おぉ、何だ今のは・・・ネズミ小僧か?」
「馬鹿言え女だったぞ、ありゃ猫娘だ」
観衆がその姿にどよめく中、メリッサは平屋の屋根に着地、転がるように受け身を取り衝撃を和らげると、すぐに立ち上がり賊の姿を探す・・・が、見当たらない。
背中に嫌な汗が流れ始める。
(メリッサ 右 右)
バオバオの呼びかけに視線を泳がせると、向かって右方向の屋根に潜んでいる姿が月明かりにぼんやりと映し出された。
「あんな所に・・・」
メリッサは再び助走を付けて屋根を飛び移り、慎重に近寄ると、賊は逃げ出さずに何やら蠢いている。
「ぐっ・・・この、安普請め・・・」
家の屋根から黒装束の上半身だけが突き出た状態で、賊はそこから抜け出そうともがいていた。
どうやらもろくなっていた屋根を踏み抜いてはまってしまったらしい。
あれほどの大立ち回りを繰り広げた割には、なんとも呆気ない始末だ。
「・・・大丈夫ですか?」
メリッサはその姿に毒気を抜かれたのか、追いかけていた相手の心配して手を差し伸べた。
何処までも甘いと言えばその通りだが、それが彼女流なのだろう。
「止めろ、寄るな!」
すかさず賊はその手を払いのける。
敵の情けは受けないという意思がひしひしと感じ取れた。
「そんな強がりは出てから仰い・・・なさい!」
しかし、彼女はそんな都合など知らんとばかりに逆の手で賊の二の腕を鷲掴みにすると、強引に穴から引き抜いた。
「何のつもりだ・・・拙者をどこまで愚弄するつもりだ!」
足を痛めたのか、賊は立ち上がらず屋根に両手で肘を突きながらメリッサを睨みつけた。
あくまで交戦する構えのようだ。
「宜しいですか、ワタクシは貴方に恥をかかせるためにここまで来たのではありません」
対するメリッサは屋根に腰を落として賊と目線を合わせると、腰に下げていた瓢箪を取り出して栓を抜く。
「・・・?」
そのままメリッサは目の前で本日何度目か知れない晩酌を始めた。
訳が解らない賊は唖然としたまま、メリッサが喉を鳴らす様子を見ていた。
ここまで無防備な態度を取られては、心理的にも声を荒げる事さえやりにくいらしい。
その点、彼は人斬りであっても、まだ捨てきれない人間臭さが残っていたようだ。
「ぷはっ・・・貴方、それほどの腕がありながら、何故そのように身を落としたのです? 言って御覧なさい」
「馬鹿馬鹿しい、そのような事を聞いて何になる?」
そしていつの間にか、メリッサのペースに乗せられて会話を始めてしまった。
これではもう酔っ払いに絡まれて説教を聞かされているただの不運な男だ。
「全ての行動が未来で何を生むかなんて、誰にも解りませんわ、さぁ・・・」
「ふざけるな! 拙者を(悲しい)と断じた者が、何を!」
このまま流されてはまずいと思ったのか、賊は刀を抜いてメリッサの目の前に突きつけた。
しかし彼女は微動だにせず口を開く。
「では、魂とまで言い切った剣が、何故そこまで傷んでいるのか・・・お伺いしますわ」
濃い酒気の混じったその言葉に、賊は思わず自分の得物を見つめる。
「馬鹿な、いつの間に・・・こんな・・・」
彼は自分の握っていた刀が、血と錆、汚れ、そして刃こぼれにまみれている事にようやく気付いた。
展覧会を襲っただけでここまで酷くはならない。
その無残とも言える姿に、声が微かに震えている。
「最後に手入れをしたのは何時ですか?」
「・・・解らん」
呆然自失と言った様子で、賊はぽつりとそれだけ呟いた。
ショックが強すぎて、メリッサと争う気も霧散してしまったらしい。
「何故そのような事に?」
「道具は・・・いや、売れる物は全て質に入れた」
つまり、彼の持ち物は今身に着けている物だけ、その最後の拠り所が刀だったのだ。
それだけに、失意も大きい。
「働く事は考え無かったのですか?」
「くははっ・・・戦働きしかできぬ拙者を雇い入れる物好きなど・・・おらぬわ」
ついに戦意を喪失した賊は刀を手放すと、己の過去を思い出し、自嘲気味に笑った。
「ここの警備や、軍に入る事は?」
「拙者のような愛想笑いもできぬ堅物は、何処でも鼻つまみ者よ・・・解るか? 太平の世に、人斬りの居場所など何処にも無い」
激しい時代の流れの中で、名のある者やコネの有る者は新たな職に納まる事はできたが、乗り遅れた浪人達は残った財産を崩しながら、その日暮らしの生活となった。
そのまま落ちる所まで落ちた結果が、今の彼なのだろう。
「何処にも、居場所が無い・・・」
メリッサは、その最後の言葉を反芻するように口ずさんだまま、固まった。
「・・・おい女、何を泣いている?」
メリッサはその言葉でようやく自分が泣いている事に気づいた。
「そんな事・・・ぐすっ・・・言わないで下さい」
袖で押さえても次から次へと溢れだしてくる大粒の涙がメリッサの頬から幾つも零れだす。
彼女は先ほどまで殺し合っていた相手の言葉に自分を重ね、感極まってしまったようだ。
理不尽な世界の流れによって孤独と辛酸を味わった1人として。
「何処かにあります、きっと・・・貴方を受け入れてくれる場所が」
「無い、拙者の・・・いや、サムライがヤマトに必要とされる時代は終わったのだ」
がっくりと膝をついたまま、賊は未来に絶望した顔でうつむく。
彼には最初から分かっていた、もうこの国の流れを止める事はできないと。
ただ、それを認める事ができなかっただけだ。
「では、外に出ましょう!」
「・・・拙者に故郷を捨てろと言うのか?」
「もぅ~ヤマトに居場所が無いと仰ったのは貴方ではありませんか!」
「しかし・・・」
声を荒げて一喝するメリッサに思わず身をすくめる賊は、傍から見ればまるで親と子のように見える奇妙な有様だ。
「世界に出れば、貴方の剣を必要としてい人が必ずいます、そこが第2の故郷となるはずですわ!」
「第2の・・・そのような事、考えもしなかった」
メリッサの言葉が賊の胸を打つ、国が開かれた事によって失われた誇りと財産を取り戻すには、世界に出るしかない。
その事に彼はようやく気付かされた。
「はい、そこならきっとやり直せるはずです・・・だから、今は罪を償いましょう」
「・・・お前の言う通り、目が曇っていたのは・・・拙者の方だ」
賊は、ついに自分の過ちを認めた。
彼なりにもがいていた結果としての凶行なのだろうが、窮すれば鈍す。
肉体的にも精神的にも追い詰められた状態の策など、正常な判断のはずがない。
彼はようやくその思考の泥沼から抜け出す事ができた。
「では、一緒に警察に出頭して・・・」
「いや、もう遅い」
メリッサの提案に対して賊は力なく首を振り、全てを諦めた様子で脱力している。
「人生をやり直す事に、遅すぎる事なんてありませんわ、ワタクシの友人に高齢でも再起に向けて努力している方はいらっしゃいます」
彼女は芸術の街で知り合ったドーベルマンの事を思い出しながら、賊に訴えかけた。
情熱を注ぐ対象があればまた人生を彩る事ができる、それは誰に対しても同じはずだ。
「女、お前の言葉は正しい、拙者の罪はあまりにも深い・・・」
賊はメリッサの言葉を肯定する。
自分の罪も肯定する。
彼女の願い通り全ては収束に向かっている・・・ように見えた。
「しかしな・・・すでに手遅れなのだ」
その言葉と同時に、ヤマトから夜の帳が引き剥がされ、都は明るく照らされた。
直後に地鳴りのような轟音と暴風が吹き荒れ、メリッサは思わず目と耳を塞いだ。
「どうにも取り返しのつかぬ事は、巷に幾つも転がっている、(あれ)もその1つだ」
「今の・・・あれは何ですか?」
メリッサが再び眼を開いた時には、展覧会場を挟んだ都の逆側の遠方に、巨大な火柱が燃え上がっている。
それは地の底から巨大な顎が開かれ、天と地を飲み込まんと舌を伸ばしているかのようだった。
「蛮神の炎だ、(あれ)はやがて都を巨大な火鉢に変えるだろう・・・これで拙者の任務も終わりだ」
メリッサの誤算、それは彼が単独犯で無いという事、加えて彼等の目的は展覧会場ではなく、都そのものであった事。
そして全ての終わりを悟った賊は、一度捨てたはずの刀を拾い上げ、逆手に構えた。
「何をするつもりですか?」
メリッサは賊が再び得物を手にした事に警戒したが、もう賊に反抗しようという気は毛頭ない。
ただ、己が犯した罪の清算を行うだけだ。
「しかと見よ、これがサムライ流の・・・贖罪だ!!!」
賊は刀を握ったまま両手を上げると、それを全身全霊でもって自らの腹部に突き立てた。
「ぐぅ・・・おっ・・・がっ・・・あ・・・・」
苦悶の声と共に腹部から赤黒い血が溢れだすが、それでもなお賊は力を緩めず、深々と刀を押し込み傷口を広げてゆく。
「そんなっ! 何という事を!」
メリッサはあまりの衝撃に息を飲み、両手で口元を押さえた。
その間にも賊の腹から血が流れ出し、傷口からは桃色の肉と内臓が見え隠れする。
「かはっ・・・この、死に様こそ・・・拙者には・・・相応しい」
賊はその言葉を喉から絞り出すと、満足気な笑みを浮かべて脱力する。
「あぁ! お待ちください!」
メリッサが手を伸ばした時には、すでに賊の体は屋根の上に崩れ落ち、その勢いのまま転げ始めていた。
彼女の掌は虚しく空を切り、賊の体は屋根から地上へと投げ出された。
一瞬の静寂の後、重量のある鈍い音、そして悲鳴。
天へと立ち昇る紅蓮の炎と賊の亡骸が、人々をパニックに陥らせた。
「鎮まれ! 鎮まれ! いずれ消防が消し止める、案ずることは無い!」
「我々の指示に従い冷静に避難しろ、老人、女、子供が先だ!」
そのまま混乱が無限に伝番するかと思われたが、展覧会からメリッサを追ってきた警備兵達がすぐさま沈静化を図り、賊の死体を取り囲んで人々の視界から遮った。
メリッサはその様子を屋根の上からしばし眺めていたが、どこか別世界の出来事のように現実感が無かった。
目の前で人が自殺した、それを自分は止める事が出来なかった。
「メリッサは~ん! 何処どすか~?」
魂が抜けたように座り込んでいたメリッサを現実に引き戻したのは比丘尼の声だった。
「比丘尼様・・・ただいま参ります」
メリッサは壁伝いに地上へ降りて駆け寄ると、比丘尼も胸を撫で下ろした様子で微笑んだ。
「良かったぁ・・・死人が出たって皆が言いはるから、えらい心配したんよ」
「ご心配をおかけしましたが、ワタクシならこの通り元気ですわ」
手を握って再開を喜ぶ2人であったが、何しろ今は非常事態、人ごみの中で密着するほどの距離でも人の波に押されてそのまま立ち続けることすらままならない。
「い、今はとにかく避難致しましょう!」
メリッサは比丘尼の手を引き、兵士の誘導に従い避難経路を進む。
彼女は神秘術の知識は乏しいが、あれほどの炎が人の技であるはずがない。
賊の残した(蛮神の炎)の言葉通り超常の存在が起こした火に違いない事をメリッサは理解していた。
打ち破る事ができるとすれば、それもまた神の力によるものだろう。
「今年はもうあかんかなぁ・・・ウチ等、えらい気張ったのになぁ・・・」
比丘尼は気落ちした様子で呟く。
喧騒の中でも解るほど弱々しく震えているその姿に、どう言葉をかけたものかと思案していたメリッサの麦わら帽子に、ひと粒の雫がぽつりと飛び込んできた。
「雨?」
メリッサは雨の到来かと手の平を空に向けて確かめようとするが、そこに舞い降りたのは乾いた灰の欠片だった。
天を仰げばそこには雨雲の代わりに黒々とした煙の入道雲が鎮座し、灰と煤を吐き出しながら成長を続けていた。
都に生きとし生ける者全ての上に、燃えカスが雨のように降り注ぐ。
頭の先から爪先、精神に至るまで、全てを黒く染め上げてゆく。
このまま全て、無に帰するのだろうか。
何もかも終わりだと言うのだろうか。
「いいえ・・・まだです」
むせるような煙の臭いに混じって、どこか覚えのある臭気が風にのって運ばれてきた。
決して心地の良い物ではないが、今の彼女にとっては混迷の中にある一筋の光に他ならない。
「ジェイクさんが、まだ戦っています」
潮の香り、浜に打ち上げられた海産物が放つような生臭さ、深き神とその眷属達の気配。
そこにメリッサは希望を見出した。
まだ、諦めるには早すぎると。




