ボカ・デ・リベラ
なだらかな道ではあったが、足元のおぼつかない暗闇の中を進むのは普段の倍以上の時間と神経を必要とした。
自然と三人の口数は少なくなり、いつまで続くのか、本当に神の秘宝は存在するのか、最初の試練とは何なのか、そんな事を考えていると、それは突然目の前に現れた。
「きゃああ!!!」
メリッサが衣を裂くような悲鳴を上げる。
その視線の先にはたくましい男の首が照らし出されていた・・・が、その男は一切の瞬きすらせずに微動だにしない、ジェイクが良く見てみるとそれは精巧に作られた胸像であり、壁に塗りこめられているかのように張りついている。
さらに確かめようとジェイクはカンテラを近づけるが、その顔はすぐに驚愕の色に染まる。
「これは・・・まさか、ボカ・デ・リベラじゃないですか!?」
彼はまるで幽霊でも見たかのように目を見開き、隣にいるドーベルマンへ尋ねた。
「そう、嘘偽りある者が手を口に入れると災いが起こるとされる、通称(真実の口)・・・の複製じゃ」
ジェイクは立派な顎鬚を蓄えた男の顔を食い入るように見つめている。
何が彼をそこまで引き付けるのかは恐らく一部の人間にしか理解不能であろう。
「複製? これが・・・あ、そうか! 本物はラ・グレコ教会の中央柱廊にあるはずですからね、前に任務で近くに行ったので寄ったんですけど、夕日に照らされた薔薇窓がとにかく美しくて・・・あぁ~チラッと見るだけと言わず、ワガママ言って中も見ておくんだった~」
完全にスイッチが入ったジェイクは堰を切ったようにで真実の口について知りえる事を語り続ける。
好奇心旺盛なメリッサはその話を楽しそうに聞き入っていたが、ジェイクの解説にも過去にも興味が無いドーベルマンは徐々に苛立ちが募ってきたのか、ついにジェイクと胸像の前に立ちはだかり話を遮った。
「えぇい! 坊主の思い出話は後にしろ、今はこっちだ!」
ドーベルマンが指を刺した先には(嘘が嫌いな扉の番人は出張中、ご用命は双子の二枚舌が承ります)という簡素な看板が立て掛けられていた。
「扉の番人は出張中・・・えっと・・・これは先ほどお二人が話していた真実の口の事かしら?」
「その代わりを務めるのは双子の二枚舌・・・随分と対極的な兄弟みたいですね、口の中を調べれば解るのでしょうか?」
ジェイクはさらに観察しようとカンテラを近づけ口元をのぞき込もうとするが、その瞬間ドーベルマンが手刀を頭頂部を叩きこんだ。
「馬鹿モン! 展示品に触るなと書いてあったろうが、どんな罰があるか解らんぞ!」
「あいてて・・・でも、普通に見ただけでは舌の枚数なんてわかりませんよ、触らない範囲で覗いてみない事には・・・」
叩かれた所をさすりながらジェイクは抗弁するが、ドーベルマンはまるで聞く耳をもたずに腕を組み、ため息をついた。
「そんな単純な方法で試練を突破できる訳無いじゃろが・・・番人は双子、つまりラ・グレコ教会にある真実の口と瓜二つなんじゃよ」
「・・・まさか」
立て看板の奥には顔、顔、顔、似たような顔が無数に並んでいる。
ジェイクの意識の中で、頭部の痛みが内側からの鈍痛に変わるような解答が紡ぎ出された・・・が、口に出す事はできなかった。
何故なら、その答えはあまりにも絶望的すぎるからだ。
「そう、この中に本物と寸分違わぬ偽物があるはずなんじゃ、それが番人に違いない」
聞き逃しようの無いはっきりとした口調に(どうか杞憂であってくれ)という願いを打ち砕かれたジェイクは、衝撃でしばらく物が言えずにいた。
そのまましばし天を仰ぐが、そこには無機質な天井と闇が広がっているばかりで救いの光明の欠片も見当たらない。
まさに、神も仏も無いとはこの事だ。
「まぁ、なんて素晴らしいアイディアでしょうか!・・・所で、どなたが本物を見つけるのかしら?」
至極当然とも言える問いにドーベルマンは無言でジェイクに目線を送るので、それにつられてメリッサも彼を見つめる形となった。
しばらくしてジェイクが意識を天井から戻すと、何故か2人から期待の眼差しを浴びている事に気づいた。
「それができれば苦労しないんですよ!」
「何じゃ、できんのか? 神がどうのと偉そうな事を言っとった割に・・・まぁ、無理なら仕方ない」
思わず叫んでしまったジェイクに、ドーベルマンは落胆の色を見せた。
終始口汚くジェイクを罵っている割には、彼も幾分かの信頼を寄せていたようだ。
壁から無数に生えている胸像達に向き直るその姿を見て、ジェイクは本当に打つ手がないのか考えを巡らせる、記憶の引き出しからこの場で役に立ちそうな物を探っているのだ。
教団の力は群による対応・適応・順応にある。
彼等は全知万能など必要としない、一芸に秀でた者が万人揃えば、それは万能と同義であると考えているのだ。
その万を一つに纏めているのが土地神ザダと、その教義である。
「・・・・・・案ならあります、できるかどうかは解りませんが」
「あら素敵、やっぱりジェイクさんは頼りになりますわ!」
称賛の言葉に照れながらも、ジェイクは懐から海水の小瓶を取り出し、教団と連絡を取るべく軽く咳払いをした。
「もしもし、こちらジェイクです・・・」
「おぉ~ジェイクか、どうだ? 秘宝を見つけたのか!?」
「・・・いえ、まだです、そのために(エコロケ班)の手を借りたいと思いまして」
気の早すぎるドツバの応答に言葉が詰まりかけるジェイクであったが、何とか気を取り直して手助けの要求をした。
「よし、ちょっと待ってろ・・・おい、誰かエコロケできる奴いるか? そこのお前、どうだ? 何、もう上がりだと? バカヤロー! こっちが最優先だ、とっとと来い!」
何やら通信の向こう側でドツバが無茶な事をやっているようで、そのやり取りにジェイクの中でもやもやとした罪悪感が生まれるが、粛々と返事を待つ。
もはや彼にできる事は、一刻も早く二枚舌の門番を見つけ出して、エコロケ班を残業から解放する事のみである。
「こちら、エコロケ班です・・・」
明らかに声のトーンが低い血族との通信が繋がった。
「お疲れさまです・・・すみません、少しの間だけ協力をお願いします」
「いえ、これもザダ様のためです・・・準備ができ次第(門)を開いて頂ければこちらはいつでも探査できます」
「解りました、宜しくお願いします・・・ふぅ~」
通話を終えたジェイクはまだ何もしていないのに全身に絡みつくような疲労感を覚える。
こんな調子で二枚舌の番人を発見するまで体力がもつのだろうか?
「ジェイクさん、エコロケとは一体何の事でしょう?」
「エコロケ、正確に言うとエコーロケーションは鯨や海豚が持っている能力で、簡単に説明すると光の代わりに音で物を認識する能力です」
エコーロケーションとは(反響定位)の名の通り、動物が自ら発した音が何かにぶつかり、反響した音を受信して対象と自分の位置関係を把握する事で、視界の利かない水中や暗闇で過ごす生物達が進化を重ねる上で手に入れた聴力による代替能力である。
「ふんっ・・・つまり、インチキじゃな?」
「違います、神が信徒に与えた力の一端です・・・そもそもこの試練、本当に審美眼を試されているのでしょうか、いくら何でも無理がある内容だと思いませんか?」
実際問題として、遠く離れた教会に鎮座している像と同じ像を見つけ出して、しかも一致しているかどうかをペナルティ覚悟で確かめなければならない。
そんな芸当ができる人間は世界中を探しても見つける事は不可能だろう。
で、あれば、この試練は最初からいかにルールの穴を突き、イカサマをするかどうかとも言える。
「つまり・・・抜け道もまた道の1つ、ですわね」
人間であるメリッサにエコロケの事は曖昧にしか把握できなかったが、少なくとも馬鹿正直に鑑定をするよりは可能性がある事は理解しているようだ。
「その通り、では・・・始めます、少し下がってください」
ジェイクは目を閉じ右手で(門)を構築すると、そこから潮の匂い、海洋生物が持つ独特の生臭さ、そして見る物の心を揺さぶるかのような青い光りが溢れだす。
異様な光景にドーベルマンとメリッサは思わず後ずさると、どこからともなく音楽が聞こえてきた。
近くから、遠くから、上下、左右、前後、ありとあらゆる方向から耳へと届くその音色はそのまま鼓膜を無視して直に脳に訴えかけてくるような常ならざる旋律であり、それに合わせて何十人もの合唱が聞こえてくる。
その異空間のど真ん中でジェイクは静かに意識を集中させ、呼吸を整える。
「いと愛しき神ザダよ 我ら深き淵より汝を呼べり」
それはただの歌ではない、讃美歌だ。
神を褒め称え、慈悲を乞い、跪くためひたすらに喉を震わせる、そんな信者達の歌声に寄り添うように、ジェイクも歌い続けている。
「その御許より出でたる慈しみにて諸人に常しえの安寧を与え給う ああ偉大なるザダに長久の栄光あれ、繁栄あれ、喜びあれ」
漣のように寄せては返す合唱の波は永遠に続くものと思われたが、やがて風の無い新月の夜のような静寂が訪れた。
「こちらジェイクです、繋がってますか?」
「こちらエコロケ班、(門)の状態は良好、何を調べますか?」
(門)は普段よりも強い青の光を放ちながらジェイクの手の中で維持されている。
「僕が手をかざした像の口の中を調べて、舌が複数あれば教えてください」
「・・・舌を? 了解、違和感を見つけ次第報告します」
話がまとまった所でジェイクは距離を取っていた2人に目配せをした後、ゆっくりと洞窟の奥へと歩き始める。
左手のカンテラで注意深く足元と胸像を交互に照らしながら、ぞろぞろと並んでいる像の口に右手の(門)を近づけ調査を行うジェイクの顔は真剣そのもので、神秘術の行使に集中しているようだ。
「おい坊主、さっきの歌は何だ? 魔法の呪文か?」
「呪文・・・とは少し違いますね、僕達はザダ様への讃美歌を捧げる事により一時的に神との結びつきを強め、僕と神殿を繋ぐ(門)を強固に、あるいは大きくするのです」
ザダの信徒達は多くの術や呪文を学ぶという行為をしない、(門)から血族達が生み出された生物達、あるいは神に直接力を借りる事で問題を解決する事が効率的であると考えており、普段は長くても数十秒しかもたない(門)も、讃美歌により数分はもたせることができる。
「とは言っても、限度があるので・・・僕がスタミナ切れする前に見つかると良いんですけど・・・」
ゆっくりと歩を進めながらも、無駄なく最速で、しかし焦らず確実に。
ジェイクは1つずつ胸像を調べるが、中々に当たりが来ない。
気が付けば額に大粒の汗が浮かんでいた、拭えども次から次へと流れてくる。
足が鉛のように重い、これが限界か? いや、ここで止めたら秘宝への道は潰えると、彼は歯を食いしばりながらも己を叱咤激励し続けた。
あと一つだけ、あと一歩だけ、あと一息だけ・・・。
「こちらエコロケ班、像に異常を発見! 舌の上に取っ手のような物があります」
その声が暗闇に差す一筋の光のように、3人の耳に飛び込んできた時は思わず耳を疑った。
それが幻聴でない事を悟ったとき、体の内より歓喜が泉の如く噴出し始めた。
「やったぁぁぁ!」「やりましたわ!」「でかした!」
思わず拳を振り上げ、喜びの声を上げるも、ジェイクの体はすでに限界を超え、満身創痍の所で達成感に満たされ脱力、地面にへたり込んだ。
「こ、こちらジェイク・・・協力感謝します・・・」
「了解、長時間(門)の構築ご苦闘さまでした」
ジェイクは口から振り絞るように感謝を述べ、血族は彼の行動を労う。
もう何度目か解らないやり取りも、今回ばかりは身に染みる。
「こちらが本物の偽物・・・いえ、偽物の本物かしら?」
「どっちでも良いわい、わしが調べるぞ・・・いいな?」
腰を下ろして息を整えるジェイクの両脇から半信半疑の様子で像をのぞき込む2人。
「大丈夫ですか? 念のため僕が試しても良いですけど・・・」
真実の口が下す罰については諸説あるが、最も有力であるのが手が口から抜けなくなる、もしくは手を食いちぎられる、である。
血族達の協力により目の前の像が目的の物であるのは間違いない、間違いないのだが・・・もしかしたら、万が一、という考えが頭を過る。
「問題ない。若いモンより死にぞこないの方が適任じゃろ・・・それに、絵は片手でも描ける・・・いや、仮に両腕無くしても足で、足も無理なら口で描く!」
そう言い終わるやいなや像の口に手を突っ込んで中をまさぐり始めた。
いきなりの事態にジェイクとメリッサは呆気に取られるが、そうこうしている間もドーベルマンは手の感覚だけを頼りに二枚目の舌を探しているようだ。
「むっ!?」
ピクリと眉を動かしてドーベルマンの動きが止まる。
まさか!? と2人の脳裏に最悪の未来が浮かぶ・・・が、どうやら仕掛けを動かす事に成功したようで、胸像が埋め込まれた壁と共に後方に下がり、そこには下へ降りるための階段が現れた。
「びっくりした・・・もう、紛らわしい事しないでくださいよ」
本当に万が一が起こってしまったかと冷や汗をかいたジェイクであったが、気を取り直して立ち上がると、階段を上からカンテラで照らし、中の様子を伺う。
そこにはひたすらに濃い闇が立ち込めているばかりで、石造りの階段を進んでみない事には何も解らない。
「ふんっ! 肝が据わっとらんなぁ坊主、もっと場数を積まんといかんぞ?」
「では、先頭は僕がいきますね、メリッサさんは後ろをお願いします」
階段は人間1人がようやく通れる程度の狭い物で、所々劣化して崩れている。
ジェイクは階段を一歩ずつ足で確認するように歩を進め、その後にドーベルマン、最後尾にメリッサが後方を警戒する形で下りてゆく。




