神とその血族
(その頃、冒険者組合バッカニア支店では)
「ただいま」
「あら、ジェイクちゃんお帰りなさい、そっちの人はお客さん?」
支店の受付で待っていたのは、窓口係ミーモ。
ドツバの下で働く傍ら、町の救貧院でのボランティアも行う多忙な人。
栗色の髪は白髪交じりで、頬や目元には重ねてきた年月が垣間見えるが、未だに現役で働き続けるタフな女性、それが彼女である。
「そんなとこです、応接室借りますね」
「わかった、すぐお茶入れてくるからね」
ミーモはすぐに受付から立ち上がると、給湯室に駆け込んでいった。
あの足取りの軽さが元気の秘訣なのか、それとも元気だからこそなのか、そんな事を思いながらジェイクは、応接室の扉を開ける。
中には丸い机と、向かい合う古びたソファーがあるだけの粗末な部屋だった。
「良かったら、どうぞ」
促されたメリッサは素直にソファーに腰かけた。
それを確認してからジェイクも反対側のソファーにドッカリと腰を下ろす。
「感謝します」
最初に口を開いたのはメリッサだった。
ジェイクは話すことが無いので早くお茶が来ないかと考えながらくつろいでいたのだが、予想外の事に若干驚いた。
「僕、何かしました?」
「ワタクシの腕を隠したでしょう、恥をかかせぬように」
メリッサは来ていたコートの上に、ジェイクのローブを肩からかけていた。
教団のローブを羽織っていれば、縛られた手を通行人から見られて注目される事もない。
その結果、ミーモは彼女をただの客人と勘違いした。
「これでも、神に仕える身ですから・・・それに言いましたよね、辱める気は無いと」
ジェイクはニコリと笑いながら答える。
ローブを脱いだ彼は、アイロンがけのされていないワイシャツにガラスの首飾り、ベルトの通された動き
やすい白のズボン、胸元のボタンを外したカジュアルな姿だった。
「では、最後の情けかしら?」
彼には彼なりの考えがあってのことだったのだろうが、メリッサはそれを、罪人に対する情けと取ったようだ。
「どうでしょう? 僕には解りません」
「まさか、いかに小さな都市国家とはいえ、法律はあるでしょう?」
メリッサはいい加減な返事をするジェイクを訝しむ。
人が集まり、集団で行動する以上、そこにはルールが必要となる。
特に1つの街ともなれば、分厚い法律書が必要になるだろう。
「そうですね、もう話しておきましょうか」
ジェイクはそう呟き、首飾りを外してメリッサの前に差し出した。
それは小さなガラス瓶にヒモが括り付けてあるだけの簡素な物で、中にはコバルトブルーの鱗が水と一緒に入っているだけだった。
僅かに香る磯の匂いで、中の液体が海水だと判断できるだけの、ただのアクセサリー。
少なくともメリッサの目にはそう映った。
「これは僕の信仰する神ザダ様に仕える神官の証です、この都市バッカニアは警察も役所も主な機関は全てその血族達か、信者達が管理しています」
「ザダ? 血族? 一体何を仰っているのか・・・」
半ば飽きれた口調で首を振るメリッサに対して、ジェイクは首飾りを付け直しながら話を続ける。
「この港と近海を支配している神です、よくある(全知全能の神)ではありませんが、紛れもなく人知を超えた存在です、ただの若造に密航者を捕らえさせる術を授ける事はぐらいは簡単にできる・・・ね」
ジェイクはまっすぐメリッサを見ながら伝えようとした
彼女を待っているのは厳粛なる人の裁きではない、理不尽な神の裁きであろう事を。
だが、それでも彼女はどこか神妙な顔をしている、図太いのか、大物なのか、はたまた話を信じていないのか、ジェイクは判断しかねていた。
「そうですか・・・でも、それなら尚更ワタクシを許す理由が無いのでは?」
「色々事情があるんですよ・・・お、帰ってきたかな?」
ドスドスと大きな足音を立ててドツバが駆け込んできた。
応接室の中を見回してメリッサがいるのを確認すると、彼は安堵したような笑みを浮かべる。
「おぉ、ちゃんといるな密航者、お前に良い話がある」
「・・・何かしら?」
良い話。
その言葉を馬鹿正直に信じるほどメリッサは愚かでは無かった。
圧倒的に有利な人間が不利な人間にする提案の内容など、彼女に対して得であるはずもない。
「本来なら密航者は魚の餌になってもらう予定だが・・・寛大な俺がチャンスをやろう、お前は今日からこの冒険者組合に入り、各地を巡ってお宝を探してきてもらう、そうするなら、今回の事は水に流してやってもいい」
どうだと言わんばかりの顔でドツバは条件を突きつけた。
命に代えられるものはない、罪人からしてみれば魅力的な提案だろう。
「お断りしますわ」
しかし、彼女はそれを断った。
「ぬわぁんだとぉ!」
信じられないといった様子で声を上げるドツバ。
この提案には彼の仕事の成否がかかっている、組合を設立したものの、登録者がいなくては話にならない。
だから何としてもメリッサを引き入れたいのだ。
「密航の件は謝罪します、ですがワタクシは準備ができしだいすぐにここを発たねばなりません、宝探しをしている時間はないのです」
彼女はあくまで人の領域で戦おうとした、自分の責務を果たすためにはそれしかなかった。
さきほどジェイクの説明を受けたにも関わらず、だ。
「後日改めて伺います、賠償金もその時に割増しでお支払いしますわ、ですから」
何かが千切れる音がした。
最初は衣だった、ドツバの身に着けている服が内側から膨れ上がる肉体に耐え切れず弾けたのだ。
「こ、こん・・・のアマアアアアア!」
次はそれの持ち主だった、ドツバの頬は耳元まで裂け、目は魚眼のように肥大化した。
全身の皮膚と立派な顎鬚は硬質化し、鈍く光る魚鱗へと変わってゆく。
一瞬の内に彼はその本性を現した、ザダが生んだその血族、人と海洋生物の中間にあるおぞましい姿へと。
メリッサはその時になってようやくジェイクの言葉を理解した。
もしくは、そんな事があるはずないと思い込もうとしていただけなのかもしれない。
彼女の常識が音を立てて崩れてゆく、目の前に広がるのは神の領域の一端だ。
そこに、人の領域などあろうはずもない。
「つけあがんなこの野郎! 見逃してやるって言ってんのにその態度はなんだ!」
激怒したドツバは恐怖で動けないメリッサの首根っこを掴み、そのまま持ち上げたかと思うと、壁に勢いよく叩き付けた。
「ぐぁ!・・・く・・・は・・・」
メリッサの口から呼気が漏れる。
突然訪れた身の危険に、彼女は必死に抵抗するが、鱗に覆われたドツバの腕はびくともしない。
「とっとと(はい)といえば良いんだよ! 言わねんなら今すぐ刻んで養殖場の生け簀に叩っこむぞ、俺の言う事を聞くか、死ぬか、今すぐ選べ!」
ドツバは応接室のガラスが割れんばかりの声で怒鳴るが、肝心のメリッサは首を絞められて返事どころではない、呼吸すらままならないのだ。
だが、頭に血が上っているドツバに、そんな気は回らない。
彼はさらなる(提案)をするべく右腕に力をこめたが、それが上手くいかない事に気づいた。
ジェイクが呼び出したフジツボが、ドツバの背中から右肩に付着していたのだ。
「邪魔すんなジェイク!」
「そんな事したら返事を聞く前に死んじゃいますよ、人間の体はドツバさんのパンチに耐えられるほど頑丈じゃないんですから」
喚き散らすドツバの握りこぶしには、鋭いコバルトブルーの鱗が無数に逆立っている。
打撃と斬撃を同時に行うその凶器は、どう考えても常人が腹部に受けて無事ですむものではない、メリッサの身に着けているコートなど、その下の肉ごとバターのように引き裂いてしまうだろう。
「何ですか騒々しい、お茶がはい・・・ちょっとドツバさん何してるの!?」
人数分のカップとお茶菓子が乗ったお盆を持ちながらミーモが応接室に入ってきたが、すぐに事態を察してドツバの静止に入る。
「うっ、うるせぇな!この女がいう事きかねぇから・・・」
「今すぐ離してあげて、暴力はいけません!」
ドツバにとって彼女の登場は非常に間の悪い話だった。
顎の下にあるヒゲのような逆立つ鱗と、すぐ頭に血が上る短気な性格を揶揄して仲間内から(逆鱗のドツバ)と呼ばれる彼を止められる、数少ない人間の一人だ。
「でも」「早くしなさい!」
ドツバは舌打ちをしながらメリッサを解放すると、お茶の入ったカップを引ったくり不機嫌な足音を立てながら部屋を出て行く。
「ミーモ、こいつの世話は任せた、仕事はジェイクが面倒みとけ、良いな」
「了解です」
その言葉を聞き終わる前に、ドツバは乱暴に扉を閉めた。
後には、喉を抑えながらせき込むメリッサと、それに駆け寄るミーモ、緊張から解放されてソファーに座り込むジェイクが、壁にヒビの入った応接室に残された。
「大丈夫?まったくドツバさんの癇癪にも困ったものだわ」
「ちょっと沸点低すぎるんですよね、あの人・・・ふぅ~」
メリッサが落ち着くまで少しの時間を要したが、彼女は泣いたり喚いたりはしなかった。
縄を解かれてソファーに腰かけ直すと、勧められたお茶を口にして、大きく息を吐いた。
「すみません・・・あ・・・」
「私はミーモよ、それよりどこか痛い所ない? わざわざこんな所まで来て大変だったわね」
ミーモはメリッサの警戒と緊張を解こうと、精一杯の笑顔で返事をした。
どんな事情があるにせよ、協力する、しない、に関わらず、まずは話を聞かなければ始まらない。
「いえ、大丈夫ですミーモさん、ワタクシはメリッサ、ナハトから来ました」
メリッサはミーモを話の通じる人物だと判断したのか、それまでの態度を改め、会話に応じた。
その様子を、ジェイクは少し離れた所から無言で見守る。
「ナハトって・・・あらやだ、新聞で見たわ、内乱中って言うじゃない」
「はい、仰る通りです、ワタクシはすぐにでも諸国を訪ねて回り、内乱を収束に向かわせる使命があります」
その言葉に、ジェイクはようやく合点がいった。
密航の罪を許される対価として冒険者になるのは、はたから見れば飲んでも問題無さそうな条件に思える。
しかし、メリッサが背負っている使命を考えれば、その提案を受け入れる事は到底できない。
もっとも、それが彼女の命を脅かす事になったのだが。
「若いのに立派ねぇ、尊敬しちゃうわ・・・ねぇジェイクちゃん」
ミーモはメリッサを持ち上げながらジェイクに話を振った。
ジェイクはどう反応したものかと一瞬悩んだが、とりあえず頷いておくことにした。
あのドツバに凄まれて、拒否できる人間は中々いない。
「そうですね・・・それで、書状か何かはお持ちですか?」
「え?」
ジェイクの質問の意図をメリッサは理解できないようだった。
「国や豪族達を動かすのなら、相応の地位を持つ人間が認めた正規の文書がないと・・・大義名分や、終結後の見返りの要求だってできませんし・・・」
唖然とした様子のメリッサを無視して、ジェイクは更に続ける。
国同士の問題で口約束など有り合えない。
それ所か、敵国のスパイが国の防備を緩めるために、偽の要請を持ちかけたと思われても、それを否定する証拠が無い。
今のメリッサでは、故郷の内乱に対して何もする事は無い。
そう、遠回しにジェイクは伝えた。
「いえ、お父様がバッカニア行きの船に乗ってしばらくに身を潜めろ、機を見て各地を回れと・・・」
深い、とても深い沈黙が会議室を包んだ、ミーモは必死にかける言葉を選んでいるようだったが、何を言っても残酷な真実しか出てこないだろう。
メリッサは何とか無事バッカニアに逃げ延びた、しかし、そこが終着。
もう彼女にできることは待つことのみであること、彼女が動いて追手に見つかるのを危惧した父親が嘘を付いたこと、それを誰かが宣告しなければならなかった。
「娘思いのお父さんを持ちましたね」
「そんな!ではワタクシは、何のためここに・・・う・・・あ・・・」
ついにメリッサは泣き始めてしまった。
ジェイクの一言で、自分の置かれた状況事を察したのだろう。
必死に声を押し殺しながらすすり泣くメリッサに、ジェイクがさらに何か言おうと立ち上がった所で、それをミーモが静止した。
「ジェイクちゃん、今はそっとしてあげて・・・私が言って聞かせるわ」
「・・・解りました、明日こちらから救貧院に伺う事にします、では・・・失礼します」
ジェイクはそのまま応接室を出て、冒険者ギルドを後にした。
扉を閉めた所でようやく彼は大きくため息をついた、港は仕事が一息ついたようで先ほどまでの賑やかさが嘘のように静かだった
実際はわずかな時間だが何時間も悲痛な時を過ごしたかのように、どっと疲労が彼を襲う。
「何のためにって・・・生きて欲しいから、だと思いますよ」
ポツリと呟いたその言葉は、風の音にもみ消され、誰の耳にも届かなかった。