冒険者組合 開店準備
「どうだジェイク、新規入組者向けの書類は?」
「たしかに、あまりお堅いのは嫌われますけど、これはこれで砕けすぎじゃないですか?」
冒険者組合バッカニア支店の執務室にて、2人の男が話し合っていた。
一人は成人したばかりの青年、藍色に染められたフード付きのローブで頭から足元まで包んでいる。
胸元にある魚のヒレのような刺繍以外は特に飾り気の無い質素な物で、古い物なのか所々色あせていたり、フチのほつれ、擦り切れも目立つが、刺繍だけは縫ったばかりのように整っていた。
潮風に当たりすぎたのか、それとも他人の目を気にするタイプではないのか、ローブから出ている茶髪はボサボサで顔と手には日焼けと肌荒れが目立つ。
「良いんだよ、本店のはあれこれややこし過ぎるから、重要な所だけバーンと書いといた方が後でめんどくさくねぇんだよ」
新聞をめくりながらもう一人の男が答える、一面には(ナハトにて内乱勃発 隣国との国境に避難民の列)との記事が印刷されていた。
未知への浪漫を育む店が新たに開かれる一方で、世界の何処かでは人の殺し合いが起こっている。
世の不条理を感じさせる記事に、ジェイクはため息が出そうになる。
「まぁ、ドツバさんが良いなら、僕も文句はありませんけど」
「だろ?・・・さぁて、後はミーモに任せてそろそろ行くぞ、ジェイク」
(ドツバ)と呼ばれた男は新聞を折りたたむと膨れたお腹を揺らしながら立ち上がった。
頂点の一部を残して干上がっている白髪と、それに反比例した豊かな白い顎ヒゲ、見た目は中年を通り過ぎた老年の手前と言った所だろう。
今にもボタンが飛びそうな茶色のズボンをサスペンダーで吊り、上半身薄っすらと黄ばみ汚れが目立つ白のワイシャツという身なりは、とてもこの店の支店長とは思えない。
ジェイクの肌が乾燥気味なのに対して、彼は皮脂のせいなのか、それとも何か塗っているのか、異様に肌がテカテカと光っている。
「いくぞって・・・僕は職員じゃないですよ?」
「似たようなもんだろ」
のそのそと歩くドツバの後ろに、嫌々ながらついていくジェイク。
使われていない倉庫を改築して作った支店の扉の外には、眩しい太陽光、海鳥の鳴き声、潮と魚介の混ざった生臭さが二人を待っていた。
「この日のために、俺達がどれだけ骨を折った事だか・・・・もうしばらくは人並みには働かねぇぞ」
「堂々と言わないで下さいよ、それでも支店長ですか?」
並んで歩く二人は朝の賑やかな港を歩きながら、道行く人たちと挨拶を交わしてゆく。
特にドツバに対しては恭しく頭を下げる者もいた、そのほとんどがジェイクと同じく、胸元に魚のヒレの刺繍、もしくはバッヂを付けた人々だ。
「良いんだよ、そのために部下がいるんだ、トップがいちいち全部に首つっこんでたら組織が回らねぇだろうが」
「そうですけど、ものには限度ってモノが・・・・ん?」
ジェイクの耳に、何処からか喧騒が届く。
「なんか騒がしいな?」
違和感を感じた2人が目を凝らすと、船着き場の方に人だかりができていた。
2人は急いで駆け寄ると、1人の男がドツバに駆け寄ってきた。
その男は2人も顔なじみである街の漁師であったが、その狼狽えようから何か重大な事件が発生した事は明らかだ。
「ドツバさん大変です、密航者です!」
「密航者だぁ?」
ドツバの言葉に、ジェイクは首をかしげる。
彼の知る限りでは、このバッカニアに密航しようとした人間はいない。
特別税関が厳しいという訳でもなく、貧富や身分を理由に拒否される事も無い。
船も他所から定期的に出入りしており、値段も安価だ。
そして何より、この街はひなびた(田舎)である。
「ワタクシに触らないで下さい!」
その時、観衆のどよめきと共にの一本の剣が宙を舞い、一瞬の静寂の後、地面に突き立った。
「さぁ、次はどなた? いくらでもお相手しますわ」
観衆達の声が熱を増す中、密航者は威勢よく宣言する。
よほど腕に自身が無ければ、そんな言葉は出てこない。
「あー・・・・・・任せた」
面倒事の臭いを感じ取ったドツバは両肩をガックリと脱力させながら、ジェイクへと目配せする。
ようするに、お前が何とかしろ、とのお達しである。
「はいはい、ドツバさんの苦手なタイプですからね、僕がいきます」
ジェイクは苦手なタイプと言ったが、正確には穏便にすませる事ができないという意味であり、短気で面倒くさがりなドツバは、こういう事を他人に丸投げをすることが多い。
しぶしぶと言った形でジェイクは腕をまくり、人ごみへと分け入った。
「次は貴方?」
人ごみの中から現れたジェイクに、密航者が視線を向ける。
ジェイクは努めて穏便に済ませようと相手を観察しながら話し始めた。
「僕はジェイク・ネクスト、この街で神に仕えています、大人しく降参してくれませんか? 乱暴はしたくありません」
「あら、名乗る礼儀はあるようねジェイクさん、ワタクシはメリッサ・フロストハウス、その男がいきなり襲い掛かってきたから抵抗したまでの事、逮捕されるようないわれはありませんわ」
メリッサと名乗る女性は、剣を構えたまま答える。
歳は二十歳を過ぎた程度、スラリと伸びた足、真っすぐの背筋、ジェイクを見据える鋭い視線、育ちの良さと自信を感じさせる密航者に、ジェイクは思わず目をそらす。
その先には一隻の船が海に浮かんでいる。
「・・・そこの船に密航したと聞きましたが?」
「み、密航だなんて失礼な!ちょっとその・・・隠れていたら眠ってしまって・・・目が覚めたらすでにここにいたのです!」
密航者は何とか言い訳をしているが、返事はしどろもどろで説得力がまるでない、これで納得しろという方が土台無理な話であろう。
「はぁ・・・とにかく、詳しいお話は事務所で聞きますので武器を収めてください、悪いようにはしません、約束します」
それでもめげずに交渉を続けるジェイクだが、心の片隅では焦りを感じていた。
今大人しくしてくれれば穏便に済むが、この街の(治安維持局)が到着すれば無傷では済まされない。
その前にどうやって無力化した者かと、ジェイクは頭を悩ませた。
「お断りします、ワタクシの潔白はこの紋章で一目瞭然、武器を収めるのはそちらの方です」
胸元の懐中時計をこちらに向けるメリッサに対して、ジェイクはもう一度彼女の風貌を確認する、日に焼けて色落ちしたツバ広の帽子を目深にかぶり、くたびれたコートの襟を立て、他人に顔をみられたくない意図を感じる。
整って枝毛の無い手入れされた金髪、家事や土いじりなど縁が無いであろう綺麗な指先、ホコリにまみれていても上等さが解るズボン、タイツ、革靴、間違いなく貧乏人ではない。
「しかたないですね・・・皆さん下がってください」
猛々しい牡鹿が彫り込まれた紋章も、然るべき場所であれば意味ある物なのであろう、しかしここは沿岸都市バッカニアの港、この場所を支配するのはこの都市の法である。
「まさか貴方達、この紋章をご存知ないのですか?由緒ある――」
メリッサの言葉を遮るように、ジェイクの掌から何かが飛び出した。
彼女はそれを剣の一振りで容易く弾く、海水と砂、小石などが混じったそれは、直撃すれば彼女に傷を負わせられたのであろうが、結果として剣を握っていた腕の袖を濡らしただけだった。
「いくつかはっきりさせておきたいことがあります・・・まず1つ、この町の頂点は我らが神、それ以外はどんな地位も名誉も等しく無意味です」
「そっ!? そんな事は・・・」
メリッサの顔に焦りが浮かんだ。
ジェイクの観察どおり彼女は銘家の血を引く人物であるようだが、そんな物は何の意味も無いとこの町の住人は知っている。
バッカニアの頂点に立つのは、この街の神ただ1柱のみ。
「それともう一つ、この勝負は僕の勝ちです」
「え?」
気が付いた時は、もう手遅れだった。
メリッサの腕には、大量のフジツボが群生して手首から肘にかけて覆っていた。
「な、何ですかこれは! 取って! 取りなさい!」
左手の拳を打ち付けてもフジツボはビクともしない所か、見る見るうちに手首から指先に、肘から肩に向けて増殖してゆく、関節が固定されてしまえば剣など扱えない、誰の目にも決着は明らかだった。
「武器を捨てて下さい、大人しくするなら取ってあげますよ」
ジェイクはあくまで諭すように呼びかける。
ここで高圧的にしても無用な反発を呼ぶだけ。
そして何より、密航者を捕らえたのは神の力の一端であり、自分はその末端に過ぎないと彼は認識しているからだ。
「うっ・・・解りました、これ以上は無意味ですね」
そう呟くとメリッサは剣を捨てて手を上げた、それを見た一人の船員がすばやく剣を拾い上げ縄で後ろ手に縛ってゆく。
「ちょっと、乱暴にしないでくださる?」
「うるせぇ、黙ってろ! 話を聞いてもらえるだけありがたいと思え!」
その声に呼応する何人かの男達。
彼等がメリッサを取り押さえようとしたものの、返り討ちにあった船乗り達であるとジェイクはすぐに解った。
「はいはいその辺で・・・後は僕が引き取ります、ご苦労様でした」
しかし、大人しくすれば悪いようにはしないと約束したのはジェイクである。
それを違えるわけにもいかず、彼は船乗りたちを冷静に宥めた。
「ったく・・・」
捨て台詞と共に剣とメリッサをジェイクに押し付けると、船員は踵を返した。
これから荷卸しが始まるのだ、彼らの仕事はまだ完全に終わっていない。
一部始終を見終えた野次馬達も、皆自分の持ち場に戻っていった。
「いやー助かりましたよドツバさん、ジェイク君もありがとうな」
「気にすんな船長、俺達ぁ冒険者を迎えに来たんだ、おいジェイク、そいつは空いてる部屋に放り込んどけ! 俺は新入り共を連れてくからよ」
ドツバはそう命令して船へと歩いていった。
彼の目的とは、開店したばかりの冒険者組合に加わる新たな仲間達を出迎える事である。
そのためにここまで来たのだ。
「解りました、じゃあ行きましょうか、メリッサさん」
「うぅ・・・フロストハウス家の者がこのような辱めを受けるなんて・・・」
「辱める気は無いのですが・・・嫌なら急ぎましょう」
メリッサを連行してゆくジェイクの背中を見つめながら、ドツバは一息ついて顎鬚をいじり始める。
「それで、どうなんだ?」
「何がです?」
「新入りだよ、何人乗ってきたんだよ?」
察しの悪い船長に、ドツバは肘で小突きながらさらに訪ねる、だがそんな彼の期待を打ち破るかのように、船長は真顔で答えた。
「いや、今日のは荷物だけですが・・・」
「はぁ!? んなわけねぇだろ! 前にチラシ配っとけって渡したじゃねぇか!」
自分の予想と異なる事態に興奮したドツバは、船長の胸倉をつかんで問い詰める。
新入りが独りもいないという事態になれば、支店の経営が成り立たない事に加え、彼の責任問題となる。
ドツバとしては、それだけは何としても避けたい所だ。
「そ、そそそそんなちょっと堪忍してくださいよ、私はきちんと配りましたよ・・・ほら、これですよね?」
怯えた船長は必死に説明しながらポケットから一枚の紙きれを取り出す、そこにはこう書かれていた。
(新進気鋭の冒険者よ集え、冒険者ギルドバッカニア支店9月1日オープン!)
「そうだよこいつだよ、なんで誰一人いないんだよ!」
渡されたチラシを指で叩きながら、ドツバは問い詰める。
冒険者という物は一か所にあまり定住せず、世界を巡って旅をする。
新しい支店ができて、そこに登録しない理由は無いのだ。
「いや、流石に三か月も前に来る奴はいないと思いますよ?」
空気が凍り付く。
周りは朝の仕事を再開した船乗りや漁師達が慌ただしく動いているのに
2人の間はまるで深海のように冷え切った沈黙が漂っていた。
「・・・今、なんつった?」
その言葉は、船長の背筋を凍りつかせた。
ドツバを怒らせると非常に厄介な事になる。
この街では常識であった。
「あの、その・・・今日は6月1日なんで、気が早いのではないかと・・・」
「・・・嘘だろ、俺はちゃんと――」
(ちゃんと)、その後の言葉は喉につかえたまま出てこなかった。
何度見ても、誰が見ても、6月とは書いていない。
「すいません、私には9月に見えるんですが・・・」
「んむぐ・・・むぐむぐむぐむぐむぐむぐむぐ」
言葉を失ったドツバはただただ唸る事しかできなかった。