68話 継ぎ接ぎの心は弱くて
肉体が弱ると精神も弱る。
精神が弱ると、虚像が乱れる。
虚像が乱れると、幻覚で苦しい。
幻痛でまた、肉体が弱る。とっても悪循環。
団長。シェイプル団長。
抱きしめて安心させてほしい。支えてほしい。養ってほしい。
あぁ、胸が痛い。締め付けられるように苦しい。貫かれたようにじくじく痛む。
剣のような秒針が刺さっている。本物だったらもっと痛いのかな。幻だから、想像の範疇を超えない痛みだ。
「――ミルピィ!!」
「ぅ、だんちょぉ」
「大丈夫!? どうしたのよこれ!」
団長が駆け寄ってきて、背中に刺さった針を抜いてくれた。しゅわりしゅわりと煙が出て、それで背中から胸まで開いた傷は消えた。
――キーンコーンカーンコーン。
始めと終わりのチャイムが聞こえ、時計達が消えていく。
僕は、団長に抱きついた。
「ぐすっ、うううぅぅ……」
さっきから涙が止まらない。いつ以来だろう、こんなに泣いたのは。
しばらくの間、団長にすがりついて泣きじゃくり、落ち着いた頃には体調が悪化して完全にダウンしてしまっていた。
「うぅ、グロッキィ……」
「吐き気する? 何か、袋を用意しないと」
「団長? 出て行っちゃだめだよ?」
「でも……あれ、扉は?」
「それならどこか行ったよ」
幻覚が勝手に部屋の模様を変えてしまった。
僕と団長の近くはそのままだけど、離れた場所では幻が溢れている。
「今ここで吐いたら大変なことになるわよ」
「ぁは、何も食べてなくてよかったね。吐きそうにまではなってないよ」
「そろそろ何か食べないとマズイのだけど」
「寝て、起きてからにする」
ここまで具合が悪いと、一旦寝た方がいい。
ぼやけていた目を閉じて、寝る体制に入る。
「……もしかして私、ここから出られないの?」
「んぅ……一緒にベッド、使っていいよ……」
「あのさミルピィ、その病気、染らないわよね?」
「…………あんまり、人に感染しないはず」
=====
目が覚めると、団長と目があった。
ぼーっと僕の顔を眺めていたみたい。相当暇だったんだね。
「おはよう」
「ぁは、団長おはよ」
「外、大変なことになってるわよ」
外……?
ドアの方を見ようとして、ドアが何処にもないことに気付いた。寝る前と変わらず、幻に呑まれたままのようだ。
それなら、どうして団長は外の様子を知っているの?
「ああ、【索敵】スキルである程度、ね。他の団員が慌てている様子が分かるの」
「なるほど」
恐らくこの幻覚がアジト全体にまで広がっているのだろう。
「はずかしぃ……」
「え、なにが?」
現れている幻覚は無意識下で産み出されているから、純粋に僕の内面が表れる。思ったこと、感じたこと、願ったことを見られる。何を見られるか分かったものじゃないよね。
「ぁは、は」
「ミルピィ、大丈夫?」
「ん、寝る前よりは良くなってると思うよ」
「それもだけど……」
うん? どうして、そんな不安そうな目で見てくるのだろうか。
大丈夫だよ、団長がいれば。
安心させようと笑ってみせたけど、何故か団長は、余計に不安そうになっていた。
「……それで、この幻術、なんとかならないの?」
「術でも何でもない、ただの幻覚だから。制御できないの」
「でも、あなたのスキルでしょう? 消したりできない?」
「完全にスキルの動作を止めれば消えるけど……」
「アジトの偽装は放置しても数日保つのなら、それで大丈夫じゃない?」
僕は【虚像】を常時発動している。
行使しているのはアジトの隠蔽と"精神幻惑"。アジトの隠蔽は僕の力が途切れても数日は保つ。距離が離れすぎると繋がりが薄れるから、その対策に幻術を強めに作ってある。
"精神幻惑"……つまりは自己暗示だけど、これは思考や感情といった常に変化する精神を一定の方向性で制御するものだ。これにはアクティブスキルの【虚像】を常に発動していなければならない。そのせいで現状、【虚像】はパッシブスキルのような扱いになっている。
そんなことをやっているから、時折こうして暴走するわけだけど。
「【虚像】を解くことは、できないの」
本当の僕は、とても弱いから。だからこの虚像を失うことはできない。たとえ少しの間でも。
というかさ、スキルを制御できていないせいか自己暗示、弱くなってるよね。
「でもまあ、ただの幻覚だし、慣れれば平気でしょ」
「このままだと、私が部屋から出られないのだけど」
「あはは、団長はずっとミルピィと居るの」
ふらつく身体でベッドから降り、すぐそこに座る団長に抱きついた。逃がさないように。甘く、絡めて縛るように。
「ミルピィ……? あなた、やっぱり少しおかしくない?」
「ひどいっ!? おかしな子だなんて!?」
「そうじゃなくて、いつもと違うってことよ」
「いつもなんて分かんないよ」
普段の自分なんて思い出せない。定まっていない。
あはは、どうしてか、笑えているのに涙が出る。団長の言うとおり、どこかおかしいのかもしれない。
「困ったわね……」
「あ、幻覚なら、一応対策みたいなことはできるよ」
「本当?」
「うん。団長が、ミルピィの頭の中をいっぱいにしてくれればいいの。ごちゃごちゃしたのが無くなれば、この幻覚もだいぶすっきりすると思うよ」
「なるほど……具体的に、何をすればいいのかしら」
「んー……まあ、不安が無くなればいいんだけど」
そう答えたら、団長は抱きついている僕のことを抱きしめて返してくれた。
「ぁは、団長、団長もっと」
「まるで小さな子供ね。よしよし」
頭を撫でて、髪を梳いてくれる。
それが気持ちよくて、団長の温もりが眠気を誘う。あーあ、起きたばっかりなのにな。
椅子の上だと眠り辛いから、団長をベッドに誘導して添い寝をしてもらう。
「眠りそう?」
「うん……」
「ご飯、どうしようかしら……」
「ずっと、部屋から出られないよ?」
「それだけでも何とかならない? その、私もそろそろ部屋を出ないと辛いのだけど」
「ミルピィの部屋は苦痛なの!?」
ショックを受けて、眠気を散らしながらがばりと起き上がった。……あ、眩暈が。
くらくらするのを堪えながら、団長の言葉の意味を確認する。
「ね、ねえ、嫌だった? ミルピィのこと」
「ああいや、そういう意味じゃないのよ? ただ、その……」
言いにくそうにしていた団長だけど、その様子を見ていたら察した。
ああ、お花を……。そりゃそうだよね。団長だってそういうことあるよね。悪いことしたなぁ……。
そんな僕の心境が影響してか、家出をしていた部屋の扉が帰ってきた。
「あのねミルピィ、すぐ戻ってくるから少しだけ待っていてね?」
「うん、待ってる」
「あと、目が醒めちゃったみたいだから、何か食べられる物を持ってくるわ。あなた、一日以上何も食べてないでしょ」
「でも、料理は時間かかるから……」
「それなら、誰かにお願いだけしてくるから」
「それなら……」
部屋を出て行く団長を見送り、その姿が見えなくなるとすぐに涙がこぼれ落ちた。
指先が落ち着かなくて、見てみると震えていて……ああ、これは全然駄目だ。やっぱり、今の僕はおかしくなっちゃってる。
少しだけなら我慢するから、だから早く戻ってきてね、団長。




