少女は期待と共に始まりの1杯を飲んだ
「では、書類を貴女の端末に送りますので、必要事項の欄を埋めて送信をお願いしますね」
受付の女性はこちらを見て言った。事務的な笑顔にでこちらを見ているが、ノールックで端末を操作していることから、この作業にかなり慣れているようである。実際、この場所は毎日多くの『ルーキー』が訪れるのだから――幸運なことに今は『ルーキー』が少ないけど――すぐに慣れるのであろう、天の川統一言語で書かれたネームプレートには『研修中』のタグチップが貼られていた。
「事務所から出なければどこからでも送信できますよ。そちらの椅子に座ってでも、食堂で何か食べながらでもオーケーです」
あら、それはありがたいね。ありがとう――と言って受付を離れる。食事ならさっきしたから食堂には行かなくてもいい。あ、でも食後のティーがまだだったかな、と脚先は自然に自販機コーナーへ向かっていた。
『HI,Rookie.本日は何を?』
証明書と財布を兼ねている端末をかざすと、自販機のスピーカーから機械的な男声――公共機械にインプットされている2級AIだ――が流れた。私を『ルーキー』と呼んだのは、まだ登録が終わってないからだろう。まだ認められてないことに――当たり前ではあるのだが――苦笑しつつ、目的のモノを自販機に告げる。
「温めのコーヒーを。ミルクも砂糖もいらないわ。眠気が覚めるような苦いのをね」
『O.K.Rookie.蓋とストローは?』
「蓋は嵌めて。ストローは無しで」
『O.K.Rookie.30秒お待ちください……』
自販機はそう言って作業を始めた。かなり曖昧な注文を出したが、2級AIはこれを難なくやり遂げる。
端末の個人情報を司るAIが、何度も注文を出した結果に持ち主の好みを覚えるからである。その情報を、端末をかざした時に自販機へと伝えられ、自分好みの飲み物が出てくるのである。
一見、便利のように思えるが、もちろん欠点もある。
使い始めた頃は自分で温度はあーだ味はこーだと詳しく注文しなきゃいけないのだ。 それがどんなにめんどくさいか……思い出は割愛させていただくが。
『Hey Rookie.注文どおりの温くてブラックのをどうぞ』
「ありがとう。それと、もうすぐ登録するわ。終わったらまた来るからね」
『おや、それはありがとうございます。早く貴女の名を呼ばせていただきたいですね』
HAHA、と自販機が笑った。感情プログラムで遂行されている行動ではあるのだが、まるで人間のように笑い、困り、悲しむのだ。小さいときはまだ無表情だったAIもここ数年で格段に進化を遂げているのだからビックリである。
「じゃ、また後でね」
出来上がったプラスチックのコーヒーカップを取り、自販機に手を振る。すると、わざわざしなくてもいいのに、自販機に備え付けられたホログラフィーボックスに2級AIのAIイメージが投影された。意外と渋いイメージの彼は微笑んで、またあとで、と離れる私に手を振ってくれていた。
外が見える事務所のラウンジは私と同じ『ルーキー』達で賑わっていた。 談笑しながら記入している集団や、一人で静かに欄を埋める人ばかりだ。「お前なんてネーム?」とか、「私と組まない?」という声もあちらこちらから聞こえた。
一人になれそうな場所を探し、窓際のカウンター席が丁度よかったので座る。まだ温いコーヒーを一口啜り、書類と相対する。だいたいは一般的な会員登録と同じ個人情報の記入だ。本名と生年月日を書く。ただ、住所はいらない。今まで住んでいたところはもう必要ないし、登録が終われば事実上『旅人』になるからである。
また、本名とは別の名が必要になる。この世界では何が起こるかわからないからだ。それこそ、いつ自分が犯罪者になるかもわからない――軽犯罪なら罰金払えばどうにかなるが――から、一般人に本名バレしないように別の名が必要になるのである。ちなみに書類に書いた本名は完全に画像編集で塗りつぶされ、事務所からしか入れないネットワーク領域に保存して職員以外のアクセスもしくは外部からのハッキングがあれば警察に即身バレの即お縄……と、さっき受付に説明されてある。まあ、心配はいらないだろう。現に、昨日もバカがハッキングして逮捕されたというニュースがあったし。
(ふう。こんなものかな)
伸びをして端末を見る。10分ほど経っていたようだ。書くところが少ないと楽でいい。カップを取り、もう少ない冷めかけたコーヒーを流し込んで窓の外を眺めた。
――所々光輝く以外は真っ黒の世界が、窓を挟んで私のすぐ側にあった。
そう、宇宙である。これ以外になにがあるだろうか。真空で、無音の世界。だが、私のすぐ側にある世界は、もしも空気があれば騒音というレベルではないだろうと言えるほど賑わっていた。
目の前を――もちろん窓を挟んでだが――なにかが横切る。左右にちょこんと生えたような翼。尖った先端。一瞬横切っただけなのにわかるそれは当たり前だが鳥ではない。
――汎用戦闘機『イーグル』。
長年星系警察などに親しまれている近距離宙間航行戦闘機である。免許さえ持っていれば安価で買える、初心者にオススメされる機体の一つだ。その運動性とスピードは宙間レースの機体としても大人気で、スペースNO.1グランプリ、通称《S1》のチャンピオン達のほとんどが愛機として扱っているほどだ。それが、何十機も編隊を組んで飛んでいる様は、まるでここが戦場の近くにあるように思わせるには十分の迫力があった。そして、イーグルの他にも色々飛んでいた。輸送艦に探索船、旅客船に多目的船。大小様々な船がこの宇宙ステーションのそばを飛んでいた。そして私も、もうすぐその一つとなるのである。
「……あ」
書類に、 後回しにしたところがあったのを思いだし、端末に視線を落とす。送信したはずのそれは記入不備のために注意書きと一緒に戻ってきていた。
記入不備の場所を見て、はてさてどうしたものかと悩む。一生ついて回るものだから、大事にしたい。できれば何かにあやかりたいものだけど――。
「……あっ、あれにしよ」
そういえば、と思い出した。昔、父親から教えてもらった伝説。確か、あれは男の人だけど、あやかるには充分の人だった。
「……よし」
冒頭に記載された固定名称の横に、あやかる名前を書いて送信する。再び目を外に向けたが、そこはほとんどの宇宙船が変わっただけ以外先程と同じ世界だった。エンジン部から青い光が伸び、ステーションとは明後日の方向を向いたと思った数秒後にはその場から一瞬で消え、また、別の船が現れる世界がそこにあるのである。見れば見るほど、私の心は早くここから飛び出したい衝動に駆られていた。
ピコ、という端末に設定した小さな着信音を、今度は、私の耳は聴き逃さなかった。メールソフトの着信音である。どこかの会員メールか、はたまた友人からのメールかわからない。だが、私は確信していた。
端末を見ると、そこには
「おめでとうございます。新規登録が受理されました。ようこそ、広大なる自由の世界へ。私達、パイロット連合は、CAPTAIN St.Xを歓迎します。」
という文章と自分の信用証明となる各種称号マークの添付ファイルがあった。
自販機に端末をかざす。自販機の主はイメージボックスに自己を投影し、目の前の彼女に嬉しそうな声で話しかけた。
『HI,CAPTAIN St.X.ようこそCMDRの世界へ。で、始まりの1杯はなににするかい?』
読んでいただきまして、真にありがとうございます。今まで何度も小説書きに挑戦してきたのですが、なかなかうまくまとまらず、ようやく納得できる作品ができたことにホッとしております。色々と読みづらい点もあったと思います。そういった箇所の指摘やアドバイス、感想等があればどんなに短文でも構わずお願いいたします。では、また会える日を――。