其ノ四
「奪うまでだ」
春沢がそう言った瞬間、東郷が声を張り上げた。
「者ども、かかれー!」
「おおぉぉぉぉー!」
野太い歓声が聞こえ、軍隊が凄い勢いで迫ってきた。
「どうする白!こっちきちゃったよ!」
「どうするも何も…、戦うしかないだろ」
「勝てるわけないよ!!」
「一人あたり十人。勝てる可能性はある」
「えっ?一人あたり十五人だろ?二人で三十人」
「三人で三十人だ。もう一人いるだろ。ほらあそこに」
白が山の近くにある桜ノ宮家を指さした。ドアの前には、買い物から帰ってきた空が涼しい顔で立っていた。
「げっ、兄ちゃん帰ってきてるじゃん!面倒事起こしちゃったから、怒られる!」
しかし白は、それよりも空の顔に疑問を抱いていた。
彼は温厚な性格で、争いごとが嫌いだった。だから、殺陣の訓練もずっと嫌がって、一人だけ弓道を始めた。白と紅が稽古をつけてもらうのさえ渋い顔をしていたし、二人が喧嘩をすると、珍しく怒って声を張り上げることもあった。そんな空なのに、戦争寸前のこの状態を涼しい顔で見ているとは。
「とりあえず、麓まで降りるぞ」
「了解」
二人は一気に麓まで駆けおりる。目の先には、迫りくる軍勢。柄に手を置いて、全員が戦闘の準備をした。
その時、白は視界の端で動き出す、空の姿を捉えた。思わず足を止める。
「受け取れ!」
空はそう言って、何かを投げてよこした。彼が投げてきたそれは…
『妖刀、月花』
人を切ることが出来ないと評判の刀だった。
「これは紅に!」
また空は刀を投げてきた。
力無しの空がどうしてここまで重い刀を投げられるのだろうか。しかし白には、そんなこと聞く余裕はまるでなかった。
「紅!受け取れよ!」
前を走り続けている紅に向かって、思いっきり刀を投げる。白が投げたそれは紅まで届くことなく、紅の足を止まらせた。挙句、ちょっと戻らせた。
「なにこれ!」
「妖刀、桜花」
月花と対になる刀だった。
「なんでそんなものが」
「これらの刀は特別な力を持っている。しかし、月花では人は切れない。悪いが、一人でいけるか?」
紅は深く頷いて、桜花を手に取った。鞘から抜く。刀は、艶めかしく光っていた。
「桜ノ宮家三男、桜ノ宮 紅がお前らを引き受けた!」
「一人で相手されるとはこっちも舐められたもんだな!野郎ども、ぶっつぶせ!」
東郷が鼻息を荒くして叫ぶ。決して舐めている訳ではなかった。ただ、相手が悪すぎた。
「桜花、力を貸してくれ」
紅は呟いて、刀を掲げる。そして、力強く一振りした。瞬間、軍隊の動きが鈍くなった。
桜花の能力。人に幻想を見させる。
鈍くなった軍隊の足はやがて止まり、今度は後ずさりし始めた。目線ははるか上空に向いている。彼らが見ているのは、巨大な化物の幻想だった。
「う、うわぁぁぁ!」
その声が啖呵を切ったのか、兵たちは次々と泣きっ面で逃げ出した。恐怖に耐えていた東郷と春沢も、部下が誰もいなくなると
「覚えとけよ!」
と言って走っていった。
こうして、軍隊は撤退したのだった。