其の参
桜の咲く季節。心地よい日差しをあびながら、白は木の上で昼寝をしていた。霞が山の番人は、山が見渡せる一番高い木の上で見張っていなければならない。しかし白は、見張りを弟の紅に任せ、自分は昼寝を始めたのだった。薫る桜に風光る。気持ちの良い昼の時間だった。はずだったのだが…
「おい、起きろ。はく、起きろよ、なあ。なあ、はく」
隣の枝に登っていた紅が白をゆすってきた。
「んだよ、うるさいな」
何かと思って目を覚ましたら、紅の口から物騒な言葉が出た。
「軍隊だ」
「はあ?大袈裟な。せいぜい役人共の集まりだろ?」
「政府の旗掲げてる」
「なんだと」
急いで紅の指差す方を見ると、確かに武装した人たちが隊列を組んでこちらに向かっているのが見えた。
「本当だ」
ざっと三十人程度。その先頭には、馬に乗った偉そうな奴がいた。高い帽子を被っていて、まるで英国の騎士の様だった。
「この西洋かぶれが」
そいつがこちらの姿を確認すると、持っている鞭を掲げて言った。
「そこの者ども!今すぐ麓へ降りてこい!」
「何故だ!」
「いいから!早く降りてこい!」
白と紅は顔を見合わせた。そして、少し考えた後、白がにやりと笑った。すると紅も口角をあげ、いたずらっぽく笑って言った。先程、昼ごはんの買い出しに出かけた空の言葉が蘇る。
「面倒事は絶対起こすなよ。いいな。絶対だ」
ごめん、空。面倒事起こすわ。白は心の中で謝って、軍隊の方に向き直った。
二人は嬉嬉として叫ぶ。
「嫌だね!」
「何を…」
赤くなる西洋かぶれ。いい気味だと白は思った。
「早く降りてこないか!この無礼者!」
兵隊服の西洋かぶれがプライドもなしに怒鳴ったが、紅は気後れもせずに言い返した。
「無礼者はどっちさ!どこの誰だか知らないけど、挨拶もなしにそれはねえんじゃねえの!」
すると西洋かぶれはもっと顔を赤くして、何かを叫ぼうとした。しかし、少し後ろにいたお役人が耳打ちをしたことにより、彼は冷静を取り戻した様子だった。そして、わざとらしく咳払いをした。
「私は政府から来た東郷と申す!この度は、突然押しかけてしまい、誠に申し訳なかった。話がある。降りてきては貰えないだろうか」
表面的な言葉だった。本心では、くっそあの餓鬼…と思っているに違いない。そう推測した白は、またもや
「嫌だね!」
と言い放った。
「何だと!?貴様、何様のつもりだ!政府に逆らうとは、身の程を弁えろ!」
身の程を弁えるのはどっちだよ。政府だから何だってんだ。しかし、用件も聞かずに追い返すのはさすがに父にも空にも説明の仕様がない。仕方がなく白は聞いてやった。
「用件はなんだ!」
「あ?」
「用件はなんなんだ!」
西洋かぶれの怒りは頂上に達していたが、後ろのやつは頭が良かった。
「聞いてくださりますか」
下手にでてきた。
「ああ、聞こう」
「我々は中央政府から桜ノ宮様にお願いを聞いていただきたくやって参りました。さっそく本題に入らせていただきますが、近頃、世間では犯罪に手を染めるものが多くなってきているのをご存知でらっしゃいますか」
「お前達の不届きだろ」
「誠にそうでございます。我々の不届きではございますが、罪人たちを収容する場所が都には無くなってしまいました。そこで、お力を貸していただけないでしょうか」
このお役人は始終、丁寧な口調で話した。ゆえに、まだ幼い二人はこの男に心を許しはじめていた。
「何をすればいい」
しかし、次の言葉には耳を疑った。
「この霞が山に、監獄を作らせていただきたい」
さすがにこれは、許すわけにはいかなかった。
「そんなこと!出来るわけないだろう」
「何故この霞が山なんだ!他にも山はある」
「いえ、霞が山でないといけないんです。何故なら、」
そこで彼は言葉を切った。
「なぜなら?」
「この山には化物が住んでいるからです」
「我が主を化物と呼ぶな」
かっとなって白と紅は言い返した。一方で、中央政府軍は余裕綽々だった。
「相手はまだ餓鬼だ。挑発すればのる」
「分かっております。だから東郷殿は黙っておいてください」
「春沢、…言葉には気をつけろ」
賢いお役人を、春沢と言った。春沢は、東郷を軽くあしらって、二人に向き直った。
「これは失礼いたしました。では何とお呼びすれば」
「さくら様と呼べ」
「では。霞が山のさくら様の伝説は都にも伝わっておりますゆえ、ここに監獄を作れば、罪人も減るのではないかと」
いまいち、この人の話は理解出来ない。
「もっと分かりやすく」
説明を促すと、春沢は面倒くさそうにため息をついた。
「つまり、この山の監獄なんて誰も入りたくないでしょう?」
「この様な美しい山なのにか」
「得体の知れないものが支配する所に、誰だっていたくない」
酷い言い草だった。しかし、一理あると白は思った。
「恐怖の監獄、霞が山」
春沢が呟く。そして、腹黒い笑みを浮かべた。
「どうせなら罪人にこの桜の木を切らせて、さくら様に祟らせてはどうだろう」
「ふざけるな!」
「妖艶な桜が己を呪うとは、良い死に様ではないか」
「やめろ!」
必死になって抵抗する紅だったが、春沢は耳を傾けもしなかった。
「そうだ。今、都の檻にいる罪人どもにまず桜を切らせて、それであいた土地に監獄を作り始めよう。よし、そうしよう!」
「霞が山は渡さぬぞ!」
「祟が本当なら、今いる罪人も死んで、これからの犯罪も減って、一石二鳥じゃないか。こんなにいい考えはないね!」
「だから、渡さないと言ってるだろ!」
「なら」
言葉を溜めて、にやり。
「奪うまでだ」