その4
エルス。ティアが逃げ出した後を追おうとして。
傷ついたティアを見て、とっさに彼が思ったこと。
改定前には入ってました。
音にもならないか細い悲鳴を上げながらまるで硝子細工が壊れるようなティアの泣き顔を見た瞬間。
――追いかけなければ、そうエルスは思った。理屈もなにもない。直感と言い換えてもいい。使命感にも似た何かに突き動かされてエルスはとっさに立ち上がろうとした。
だが、焼けた針でめったざしにされたような激しい痛みを腕に覚えて、彼はその場に膝をついてしまう。
「……ぅっ」
エルスの意識が朦朧として視界がぼやける。彼は自分の腕を見た。左腕は手首から二の腕の辺りまでピンク色の肉がずたずたに切り裂かれ、絵の具でもぶちまけたように真っ赤に染まっていた。
「その怪我で動くなんて無茶だ!」
オズウェルが心配そうにエルスの腕の状態を覗き込む。彼は顔をしかめ、すぐにアメーリエへ指示を飛ばした。
「アメーリエ。君が持ってる消毒液と包帯。他の人にも分け与えてあげて」
「は、はいぃー」
ぱたぱたと子犬か何かのように部屋から出て行くアメーリエを見送ってから、オズウェルは止血するために肩口に細い糸を巻きつけ、ぎっと締め付ける。それだけでエルスは気が遠くなった。
エルスの痛みに耐える様子を見ながらも、オズウェルは手の動きを止めない。止血し、包帯を巻き、的確に応急処置を続けていく。
「……彼女は僕らが追うから。だから、君はもうこの件に首を突っ込むんじゃない」
オズウェルの声はたしなめているようで、懇願しているようだった。
そんなこと、わかっている、とエルスは声にならない声を発した。そんなことぐらい、誰に言われなくともエルスが一番わかっていた。我が身が第一ならここが引き際だということぐらい。
だが、あんなにも壊れそうな彼女をこのまま見捨てて、何事もなかったように彼の日常へ戻るのはなぜか躊躇われた。
(ああ、畜生――)
エルスはよくわからない自分自身に苛立った。恋焦がれたとか助けたいとかそんな積極的な感情には程遠いのに、このまま放っておきたくないという謎めいた気持ちだけが膨れ上がる。
――本当に哀れで情が深いよ。
トレイターの言葉がエルスの頭の裏側で鳴り響いた。即座に彼は否定した。そんなことあるわけがない。これはただの自己満足だ。トレイターの言葉を認めるのを拒むように頭を振ったエルスは立ち上がった。
「ちょ――」
オズウェルの制止の声を振り切って、今しがたティアが出ていった壊れかけの扉をエルスは踏み倒して外へ出た。彼女を追うために、ひとひら散る花のように降り続ける雪空の下へ。