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その二の二 節会はいつが素晴らしいのか、そして正頼の他の娘の結婚について

「お帰りなさいませ。まあ、どうなさったのですか」


 戻るなり難しい顔になり、どん、と座り込んでしまった夫に大宮は驚く。

 帝からの急のお召しだった。何か粗相があったのか、近づいている相撲の節会のことで難しい依頼があったのか、と大宮はとっさに想像を巡らす。


「いや、仁寿殿に参上したらな、例の中将達のことを切り出されてな」

「中将どの達の?」


 どの中将だろう、と大宮は一瞬迷う。


「仲忠と涼のことだ。神泉苑での褒美の話を覚えているだろう?」

「ええ、でもあれは所詮口約束だったということでは」

「確かにそうかもしれない。しかし帝が仰せられるには、やはり彼らの処遇はきちんとしておきたいということなのだ」


 まあ、と大宮は身を乗り出す。


「それで、何と」

「帝はあの折り、仲忠に女一宮を、と。そして涼には今宮を、と仰るのだ」

「今宮… ですか」

「帝は仲忠の琴の才を子孫にお伝えしたいらしい。ともかく女一宮と仲忠を、というあたりを強調された」

「女御は何と」

「帝が仰るのなら、と微妙に奥歯に物が挟まっている様な感じだったがな」

「まあ」


 娘の危惧するところは母には容易に想像がついた。

 しかし母は娘ほど深刻に考える質ではなかった。仲忠という人物はどんな生まれであれ、現在はとても素晴らしい若者だ、と彼女は信じていたのだ。


「婚儀は八月半ばに。もうこれは決定だそうだ」


 はあ、と大宮は目をできる限り大きく広げた。


「…まあ、想像はしていた。だからこそ、あれに来た文はお互い見せない様に処分していただろう?」

「それはそうですが、いざ現実に、というかこの忙しい時に、というか」

「まあいつだって我が家はごたごたと忙しいから、そのあたりは慣れているからいいだろう。一気に済ませてしまうというのも一つの手だろうな」

「そうですね」


 大宮はうなづく。


「…しかしそうなると、他の姫達のことも気になりますね。皆もう一応結婚はできる様になりましたし…」

「向こうの姫もか?」

「ええ、あちらの方から聞きましたの」


 成る程、と妻達の仲の良さに、正頼は感心する。


「今宮は涼に。正直、彼は同じ源氏だし、物持ちの向こうの財目当てではないかという評判が立つのではないか、と心配ではあるのだよ」

「でも帝の仰せでしょう」

「それが救いといえば救いだな。しかし何というか、婿取った者がこっちの後見でもって出世していくのを見るという楽しみには欠けるな… まあ、あとは今宮自身が果たしてきちんと奥方に収まってくれるか、だが…」


 うーむ、と正頼はうめいた。しかし大宮はあっさりとこう答える。


「何とかなるでしょう」

「…あれがか?」

「一度度胸を決めたらあの子は強いと思いますわ。私だってそうでした」

「そ、そうなのか?」

「ええ。私の子ですもの」


 母は強し。正頼はそう感じずには居られなかった。


「さてそれでは、その下の子達はどうしたものかな。あて宮に懸想していた方々に差し上げるのが一番丸く治まると思うのだが」

「……そうですね、実忠どのは特にそう思いますわ。どうしたものでしょうね」

「実忠と兵部卿宮と右大将、それに平中納言に十一の君から十四の君は差し上げよう。さて誰に誰が似合うかな」

「そうですね、私の子の方しか、誰がこうとは申し上げられませんですが、袖宮には右大将どのが良く似合うと思いますわ」

「そうだな。袖宮は右大将にもよく似合う。それに彼の好みに合っているだろう。けす宮は――― あれも少し今宮と似たところがあるな、何やら自分の好みがある様だが」

「けす宮を実忠どのに、ではどうでしょう」

「そうだな。それでは向こうの人とも相談してみよう」

「皆それぞれ美しく育ってくれて嬉しい限りだ」


 正頼はふとつぶやく。


「今宮もなかなか美しく、堂々と成長したものだと思うな」

「あの子は顔だちなどはあてこそとそっくりなのですが、髪と、あの気性が…」


 大宮は苦笑する。


「それを考えると、あて宮は何処といって非の打ち所の無い、見るからに素晴らしく生い育った子だとは思いますが…」


 完璧すぎるのだ、とは大宮は言わなかった。


「まあだからこそ、東宮さまの現在まのご寵愛も無理ないことだろう。今宮を内裏に入れてしまったら、どういう騒ぎが起こることか、想像するに恐ろしい」


 正頼はふとため息をつく。


「…もっとも、あの子がああなったのは、あて宮が完璧すぎたからかもしれませんが」


 大宮は思う。

 自分のあて宮に対する何処とない隔意が、今宮をあの様に奔放な子にしてしまったのかもしれないと。

 およそ姫君には相応しくない、はきはきした言動だの、好奇心旺盛なところだの、理屈に走りがちなところなど。

 姫君としての美点を全て兼ね揃えたあて宮にはそれは存在しない。

 大宮は自分で生んだ子ながら、そのあたりが空恐ろしく、ついつい年子である今宮にはそのあたりについて厳しくすることを無意識に怠ってしまったのかもしれない。

 まあそれはそれでいい、と彼女は思う。涼がそんな彼女を気に入らなければ、自分がずっと一緒に居るだけだ、と。

 できれば相手が物好きであってくれれば嬉しい、と半分思いつつも。

 その様にして正頼の三条殿では、相撲の節会の支度と平行して、沢山の婿を迎えるための支度が行われれつつあった。


   *


「なかなか大変そうであるな」


 上達部や皇子達が仁寿殿に参上した日、帝が正頼に向かって言った。

 この日、正頼は三条殿から果物や酒を取り寄せていた。

 未だ暑さは残るとは言え、空や風の何処そこに秋の気配を感じる日のことである。


「ようやく風も涼しくなってきたことだし、今度の秋の節会は面白く満足できるものが見たいものだな」


 帝は東宮に向かって言う。


「人の寿命は短いものだ。生きているうちは楽しいことを見て暮らしたいものだ」

「毎年次々とある節会ですが、同じことなら父上の御代に於いて珍しい『例の』行事としたいものですね。昨年、院が吹上行幸の折りに行った九月九日の節会は、いつもより面白いものとなったでしょう。そういうことがまたあったらいいのだが」


 最後の言葉は周囲の上達部に向けたものだった。


「年中行事の中で、どの節会が特に良いものだろうな。皆はどう思う?」


 すると正頼が答えた。


「年中行事の節会はどれもこれも趣があって良いものではございますが、中でも朝拝や内宴の折りのご様子がたいそう面白く、美しいものだと思います」

「ほほう。例えば?」

「三月の節会は、桜が早く咲いた時にはまずそれが大層素晴らしいものでしょう。五月の節会は、花は菖蒲の他にはさほどにありません。ですが短い夜が明ける頃、時鳥の声がほのかに聞こえる様子や、雨の降る日の明け方の菖蒲の風情なども宜しゅうございます。また、ほんの少し時期を過ぎた橘などが残っている時には、その香りもほのかに、大層趣の深いものでございます」

「では七月七日はどうだ?」


 東宮は問いかける。


「七月七日は、残念ながらさして格別な面白いことはございません。やることは決まっておりますから、その時々の工夫によりましょう」

「だが私は索餅さくへいは好きだぞ」


 くす、と東宮は笑う。七夕の節会には、内膳司から索餅という、麦の粉を固めてねじって縄の形にした菓子を供する行事がある。

 それを微妙にかわして正頼は続ける。


「九月九日は、あの吹上の折りが、格別素晴らしいものでした。それより後の年中行事は、五月五日の節には劣ると思われます」


 うむ、と帝はその答えを聞いて納得した様にうなづく。


「良い答えだな。私もそう思う。五月五日の節会に勝るものはない。花橘や柑子などが、その季節が過ぎて古くなったとしても、珍しいものの一つとして称えられるのが面白いものだな。それに騎射や競馬もやはり面白いしな」


 そう言って帝は笑った。


「それにしても、まだ陽の光は厳しいな。夕暮れとなってもこの様子だ」

「いい加減涼しい風が吹いて欲しいものですね」


 皆でそう言いながら、夕暮れになるまで物語を続けていた。


「吹いて欲しいな。確か今日は立秋でしょう」


 誰が言ったのだろうか。七月十日、確かに秋の始まりとされる日である。

 だが夕暮れとなっても、西日はきつく、むっとした大気は人々の頬をどんよりと撫でて行くばかりである。


「秋らしい風よ、吹けーっ」


 誰かが思わず天に向かって叫んだ。

 と。

 ふわり、と風が吹いた。

 その中に微かに混じる涼しさに、そこに居た皆が秋を感じた。

 帝は笑って言う。


「ほほう、皆の祈りが天に通じた様だな。

 ―――珍しく吹き始めた風が涼しいのは、今日が初秋だと知らせているのだろう」


 それを御簾の中で聞いていた仁寿殿女御が、こう応える。


「―――いつの立秋でも、秋らしい様子を知らせますけど、特に今日は風が秋を深く感じさせますね」


 すると帝は笑った。


「だが秋風はまだ外に居て、あなたの居る御簾の内には入っては居ない筈だよ。

 ―――秋は来たものの、まだ御簾のうちにも入らない初秋を、心にしみるほどに知らせる風は、どんな風だろうね―――

 その通りだ、と応える風は無いかな」

「それはどうでしょうね」


 正頼が娘をかばう様に詠みかける。


「―――訪れて外に立つ/秋が立つことを頼んだ訳でもございますまい。浮気な秋は、出てきても過ぎ去ってしまうものなのでしょう」


 それを聞いた帝は立ち上がった。


「清涼殿へ戻る」


 もしやお怒りを、と正頼は少しばかり危ぶんだが、帝の女御への言葉で救われた。


「今夜はおいでなさい。あなたときたらここのところ、こちらから迎えを出しても、何かと返してしまうのだからね」


 御簾の内から女御の声も少し柔らかにこう伝わってきた。


「返しやすい使いですので――― 嘘です」


 笑う気配がする。


「―――夏でさえも衣を隔てていましたのに、どうして秋/飽きの風を今更厭ったり悲しんだり致しましょう。迷わず参上致します」

「早くいらっしゃい」

「すぐにでも」

「いつもの様に使いだけを返したりはしないように。…まあその時には、私から出向けばいいな」


 あっはっは、と帝は笑った。

 上達部達は帝について清涼殿へと向かって言った。

 やがて清涼殿から女御に使いがやってきた。女御は早速清涼殿に上っていった。



 正頼が三条殿に戻ると、中の大殿では十四の君をはじめ、大殿の上腹の若君達が涼んでいた。


「やあ、皆居るね」

「先ほど涼しい風が少し吹きましたので、皆で涼もうと」

「お久しぶりですわお父様、さっきから上の上のお兄様がずーっと何か言いたげですのよ」


 十四の君、けす宮は今宮にも似た口調で父親に向かってもずけずけと話しかける。

 彼もまた、この末娘に対してはやや甘くなる。


「何かね、忠純」


 は、と忠純は遠方の国々から送られてきた絹や糸の相談を始める。


「どういうものがあるのか、持って来させてくれ」

「用意してあります」

「準備がいいな」

「だから、ずっと待ってらしたって言ったでしょう?」


 くすくす、とけす宮は笑う。これ、と大宮は娘を軽く叱る。

 長兄はその様子を丁重に無視し、その場に届けられた絹や糸を並べる。


「なかなかの出来ですわね。…そう、相撲の節会の時の、女御やあて宮の装束はどうしましょうね」

「言うまでもない。この賄いで全て染物縫物をさせればいい。とは言え、よくよく注意してさせなさい」

「裳のほうはもう山藍やつゆ草などで色々の模様を染めさせましたわ。唐衣はまだですけど」

「おお、準備がいいね」

「何かと忙しくなりますもの」


 大宮はそう言うと、ふふ、と笑った。

 それを聞いているけす宮は、何処か他人事の様である。大宮はまだ彼女には直接結婚のことは伝えていない。


   *


 相撲の節会の準備は家司達にとっても大仕事である。

 中でも家司の少将義則は、それまでの同僚が左遷されてしまったことで大変な目に遭っていた。


「どうやって御盆にはいつもの数を揃えたらいいんですか?」


 部下が義則に問いかける。いつもだったら、少将和政がそういうことは先に指示していた。彼の居なくなったことは痛い。


「早稲の米を使うところなんだが… 今年は収穫が遅いんだよなあ…」


 どうしたものか、どうしたものかと彼は考え込む。

 同じ困るでも、同等の者が居ると居ないではずいぶん違うのだ。全くあの治部卿が! 内心彼は毒づいた。


   *


 節会の前日には、内裏でも帝の妻にあたる女性達が、自分達の当日の役割分担をしたり、化粧を整えたりしていた。

 当日の朝の賄いは仁寿殿女御。

 昼の賄いは承香殿女御。

 夜には式部卿宮の女御が担当となる。

 その他、更衣のうち上位の十人もその役目を負うこととなった。彼女達は滅多に見られない有紋の裳唐衣を身につけて働いていた。

 御息所達で賄いの手伝いをしない者は無く、髫髮の少女達だけが、何もしないで待っていた。

 女蔵人も皆高貴な身分の人々の娘達で、五節の舞姫になった者も居る。

 最も賎しい仕事をする蔵人でも、他の人にひけを取らない要望や身分の者で、髪上げをした様子も実に立派である。

 その十四人のうち、半分は五節のお召しの蔵人、半分は雑役である。

 また、昇殿を許されている命婦の三人、許されていない内侍にしても、皆それぞれにかなった立派な姿をしている。

 仁寿殿に当日奉仕する予定の美しい女達は、すぐにでも参上できる様に準備している。

 やがて、右近衛大将をはじめ、多くの人々が集まりだした。楽人も準備が整った。

 皆たふさぎの上に狩衣袴、という相撲装束をつけ、各組を示すひさご花の飾りを髪に挿している。

 左右近衛はおのおの、幄舎を設けて控えている。

 普段から立派な人々なのだが、この日は更に皆、二藍の美しい装束を身につけていて、非常に素晴らしいものである。

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