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走馬灯

作者: 十津川彩

あの一定のリズムで揺らされていると不思議と眠くなってしまうのは、赤子のころのゆりかごを思い出してしまうからなのだろうか。

 私も学生の頃はいつのまにか寝てしまい、目が覚めたらなぜか反対方向に電車が走っていたということがあった。まあ今は職業病のせいで椅子に座れなくなってしまって寝れなくなったのだが。

毎日のように乗るこの終電にも深く寝入るものや大きく舟をこいでいる人がいた。つり革をつかんでいる人もまた、何度も目をしばたかせていた。

 やがて駅が近づくと静かな車内にアナウンスが流れ、その音につられるようにして何人かの顔が上がる。

次の駅が降りる駅だったのだろう。横で座っていた女性が慌ただしくかばんをつかみ上げた。


終着駅まであと3つ────2つ────1つ────着いた


電車を降りると同時に、静かな構内に毎日聴く定型文が流れる。が誰もその言葉に耳を傾けることなく家路を急ぐ。少し経ってフラフラと電車から降りてきた乗客が階段を上がると、駅に残っているのはベンチに座ったままの私だけになってしまった。

 やがて乗務員が電車にもう誰も乗っていないことを確かめると、電車は尻尾から駅を後にする。

私だけたった一人、霞みゆく明かりを見送った。

見えなくなっても、私はレールの先にいる電車を見送り続けた。



線路の向こうをたっぷり見てから、私は腰を上げた。

そろそろ帰らなくては。早起きする理由はないが、毎日の習慣なのだ。壊したくない。

と、その時。遠くの線路の色が変わった気がした。しかしその気付きはやがて確信へと変わっていく。その光は徐々に大きくなり、やがて光る二つの目までくっきりと見えるようになった。光は駅のホームをも照らし出し、私はあまりの眩しさに目を細めた。

古い型の電車だった。しかし車体はしっかりと塗装がけされていてきれいな光沢を放っていた。

何のアナウンスもなく入ってきたその電車は停まってもなお静かにしているが、ホームと電車がアンバランスな関係を作り出し、余計に浮いて見える。開かれたドアから降りる人は誰もいない。しかしそのドアが私には乗客が来るのを待っているような気がした。

自然と足がその電車へと進んでいき、気付いたときにはもう電車に入っていた。

空気の圧縮される音とともにドアが閉まるが、私は一切振り返らず、硬い椅子に座った。


最初に停まった駅は、なんだかボロボロで控えめに主張しているランプがなければ絶対にそうだとわからないほどにさびれていた。

プラットフォームのベンチに駅長が座っていた。

私は電車を降りてその人に話しかけた。

「こんにちは」

「こんにちは。初めて見る顔だね。降りる駅を間違えたのかい?」

駅長は、ここで電車が二十分ほど停まり続けるのだと教えてくれた。

「いつも、ここに座っているんですか?」

「いいや」

 駅長は首を振った。

「いつもはうるさい子供たちが電車を見にやってくるんだ。でも今日は来ないよ。なんでもクラスメイトのお見舞いに行くらしい。朝一の電車に乗っていったよ」

 そこで会話が途切れた。夕闇を弱弱しく照らす光が私たちを、そして電車を赤く染める。

 心地よい静寂を破ったのは、私のほうだった。

「あの、駅長さん。つかぬ事をお聞きしますが」

「なんだい?」

「来週も、ここにいますか?」

駅長は笑った。声を出さずに、けれど嬉しそうで自信に満ち溢れた顔を見せた。

「来週も、来月も、これから先この駅がなくなるまで、わたしはここにいる」

 発車ベルが鳴る。駅長に別れを告げ、電車に乗り込む。

 振り返ると、知らない人がベンチに座っていた。




 次の駅はどこにでもある普通の駅だった。ところどころ手入れが行き届いてないところもあったが、私のよく知る複線型のホームではなく単線型のホームであったが。

 まだ日の出る前の時刻だからだろう。ホームには一人だけ。休憩室のとなりで煙草をふかしている職員しかいなかった。

私は電車を降りてその人に話しかけた。

「こんにちは」

「……」

その人は答えない。かわりに私の服装をじろじろと見まわして厳しい目を向けた。

「あ、あの……」

「なんだ」

「電車も当分来ませんし、少し話しませんか?」

 威圧感にやや気圧されながらも言葉を重ねると、職員は同じ言葉を繰り返した。

「なんだ」

「どうしてこの仕事に就こうと思ったんですか?」

「なんとなく、だ」

「なんとなく! そんなに簡単に決めてよかったんですか?」

「さあな」

そう答えた職員はふっと笑った。

「ただいまはこの職につけてよかったと思っている。生徒もできたしな」

「生徒、ですか」

「ああ。物覚えが悪くてテストにもウケを狙ったような回答を書いてくるようなバカもいる。」

 話のほとんどがグチや悪口の類だったが、その職員はなぜかとても楽しそうで、とても生き生きとしていた。

「そろそろ夜明けか。そろそろ電車が来る時間だ。また会ったら話でもどうだ?」

「そうですね。また、ご縁があれば。ありがとうございました」

 職員は私に背を向け、駅長室へと入っていく。私も電車に乗り込んだ。



 電車はのろのろと街中を走る。時折乗客をいっぱいに詰め込んだ。自分たちを追い抜かしていく。

 いつしか電車から聞きなれない音が鳴り始めた。と同時に速度も次第に落ちていく。

ようやく電車が止まったのは日が昇り切った頃であった。

その駅は、なんだかボロボロで草もぼうぼうで蛍光灯も壊れていて自分がいま住んでいる時代を忘れてしまうほどに趣のあるオブジェと化していた。

駅には一人の男性が立っていた。

電車が近づいても反応せず、ただじっとうつむいていた。

「こんにちは」

 私がそう話しかけると彼も弱弱しく「こんにちは」と返してきた。

「どうかしたんですか?」

「この駅がなくなってしまうんです」

「そうなんですか……」

「この駅は私の原点です。私はこの駅を通してたくさんのことを学びました。鉄道員になってこの駅に恩返しをしようと決めてから毎日そのことを目標に生きてきました。でももうおしまいです。あと十何年かかるかわかりませんが、この路線は地下に移行されることになるそうです。そうなればもう思い出がすべてなくなってしまう」

 私は依然として下を向いたままの男の隣に座り、肩に手を乗せた。

「大丈夫。君は必ず新しい生きがいを見つけられる」

「どうしてそう言えるんだ?」

 男の問いに私は自信をもって答えた。

「だって君は私だろう? 私が大丈夫だったんだ。君もいずれわかる時が来るさ」



 電車はよたよたと進む。今にもレールをつかむのをやめそうなほどで、進んでいるのが奇跡にも思えてくる。だが電車は懸命に前へ進む。少しずつ見覚えのある建物が増えていき、やがて止まった。

 その駅より先に、線路はない。電車はドアを開けるとあのうるさいエンジン音は聞こえなくなってしまった。

 ホームに誰か立っている。帽子を深くかぶっていて顔はよく見えないが、たぶん知らない駅員だ。

「こんにちは」

私が後ろから声をかけると、その人は帽子のつばを持ち上げながら振り返った。



「先生、先生ですよね?」

目を開けると懐かしい顔が目の前にいた。

「もしかしてここで一夜明かしたんですか?もうこのホームに電車は来ませんよ。ホームは地下に移動したので。そういえば昨日付けで引退した車両もありましたよね?」

「昨日のその電車に乗ってきたよ」

「本当ですか⁉」

「あの先輩、この人は?」

 声をかけてきた駅員の横からもう一つ顔が出てきた。

「鉄道学校に通ってた頃の恩師だよ。鬼教師って言われていたけど」

「いいや、私なんて全然厳しくないよ」

 そう反論すると、

「『私よりもっと厳しかった人がいた』からですか?」

 私は一瞬言葉につまり、苦笑した。

「そんなこと言ったかな?」

「言ってましたよ。それも毎日」

 そう言うと昔の生徒は小さく笑った。

 昔の生徒の後輩が「僕が見回りしておくんでそのまま話してていいですよ」と言ってその場を立ち去った。柱の向こうに消える直前に、その駅員は手に持っていた帽子を深くかぶった。

「そういえば先生、なにか夢でも見てたんですか? 寝ているときの先生、幸せそうな顔していましたよ」

 昔の生徒の問いに、私は答える。

「いや、夢は見ていないよ」

「なんだ」という風に残念がる昔の生徒に、私は続けて言う。

「走馬灯を見ていたんだ」

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