いつもの日常
主人公・千明のお家
柔らかな日差しが降り注ぐ、春の陽気を感じる。
そんなゆったりとした空気を感じながら、この世のものとは思えぬほど美しい満開の桜の下で、その美しさを愛でるでもなくただただ立ち尽くす。
いたずらな風が花弁を散らし、目を奪われるような幻想的な光景を作り出しても、見向きもせず。
俺は、じっと待っているのだ。
……と、いう夢を最近よく見る。
なんだか言葉にするとただ待ちぼうけしている寂しい夢みたいだが、そんなことはない。あの夢で待ってる時の俺はもうほんとにわっくわくのどきどきで、そわそわしてるなんてもんじゃなかった。超上機嫌。気を抜けば緩みそうになる顔を必死で引き締めていたぐらい。
まあ、そんな楽しい気分を味わえるので、この夢を見るのは好きだ。それに割と朝に弱い俺がなぜかこの夢の後はすっきり目が覚めるので、さらに良い。だからこういう日は朝から上機嫌。鼻歌を歌いたくなるほど気分がいいのだが。
「おう、今日は早いのう、おはようさん」
「ああ、おはよう」
「……お前さん、こんなすがすがしい朝くらいもうちっと顔緩ませて朗らかに挨拶したらどうじゃ?」
これだ。俺の表情筋は、死んでいる……。
昔から、驚きとか喜びだとかがほとんど表情に出ないのだ。
目の前の祖父は、初めて会ってからしばらく、あの手この手でなんとか表情を引き出そうとしていた。
後ろからわっと驚かせたり、甘味を一つ激辛にしたり、ホラーものの映画を見せまくったり。
結果的に、まったく表情は動かなかったらしいが。
……まあ実際ほんとに感情が動いてないのかというとそんなことはない。寧ろ俺は結構感情豊かな方だと思っている。
祖父に驚かされたときは心臓止まるかと思ったし、激辛食べたときはじじいに殺意すら湧いてきたし、ホラー見せられたときはガタガタ震えていた。心の中で。
そしてそんなチャレンジャーな祖父のおかげで大抵のものには動じない図太さを手に入れたわけだ。全く感謝したくないが。
祖父は俺にちょっかいかけ続けたが、しばらくすると
「こやつの鋼の心、気に入った! ここまで動じぬとは、我が武を伝えるにふさわしい!」
とかなんとか言って、このころすでに祖父に苦手意識すら持っていた俺を、両親の仕事を理由に強引に引き取り、自分の道場で鍛え始めたのである。
その時の両親は、
「まあ、あの気難しいお父さんに気に入られるなんて、さすが千明ね~! 新しい場所でもあなたなら大丈夫よ~」
「お義父さんは頑固な人だからね……でも千明のとこだから心配はないな」
と、息子に過剰な信頼をしつつあっさり送り出したのである。
「朝から辛気臭い溜息を出すんじゃない! 運気が逃げて行くぞ」
誰のせいだと思ってんだクソじじい……。
しかし思っても口には出せない。この破天荒じじいはただのじじいではなく、めっちゃ強いじじいなので、こんなこと朝の鍛錬前に口に出したら俺はボッコボコにされてしまう。
じじいの発言をスルーしつつ、さくさく朝の鍛錬を終わらせて、学校の支度を済ませてから、食卓に着く。
「おはよう千明。今日も朝から精が出るね。鍛錬、無理してないかい?」
「おはよう康子さん。もういつもの日課だからかな、やらないと落ち着かないんだ」
「あらあら」
そう言ってふんわり笑うのは、じじいの奥さんの康子さん。
なんであんな無茶苦茶なじじいと結婚してしまったのか謎な上品な人だ。ただ怒らすとあのじじいが竦み上がるほど恐ろしいらしいが。
「さあ、召し上がれ」
今日の朝御飯は、鮭の塩焼きにほうれん草のおひたし、金平牛蒡に、だし巻き卵、具沢山の味噌汁だった。やっぱり康子さんの料理はおいしい。
腹いっぱい食べて学校へ行く。
道にはたくさんの桜が咲いている。
もう四月も半ばで散り際ではあったが、左右の桜並木は圧巻だ。
けれど、あの夢の桜とは比べるまでもなかった。
孫の話を聞いたのは、たしか千明が7歳ほどのことだったか。
もちろん産まれたときに祝いに行き、毎年の誕生日にも贈り物をしていた。
しかし、儂はこの通り武一辺倒の男で、自身を鍛えることにしか興味がなかった。
まめまめしく物を送っていたのは康子であったし、度々顔を見に行っていたのもまた康子であった。
その日、また娘夫婦のところを訪れた康子の話を聞いた。
「千明はね、本当に泰然自若とした子なのよ」
「まだ幼子だろうに、泰然自若と? ははっ、身内贔屓が過ぎるじゃろう」
度々訪れるさまをみて、こりゃだいぶ初孫が可愛いらしいとは感じてはいたが、ここまで孫馬鹿になるとはと、いっそ愉快な気分で笑い飛ばした。
すると少しむっとした表情で、
「本当なのですよ。あなたも会っていただければ分かります」
と、拗ねてしまった。まあ、儂は珍しいものが見れたと、それからそのことを全く気にしてなかったのだが、康子は違ったらしい。
しばらくしてから、有無を言わさぬ笑顔で俺を娘夫婦のもとに連れ出したのだ。
娘は、儂の初めてといえる来訪にとても喜んでいた。
そこまで喜ばれると、今まで寄り付かなかった罪悪感で居た堪れなくなってしまう。昔から儂は嫁と娘には弱い。
あやつが落ち着くまで庭にでも出ておるかと、縁側を歩いていると、庭には先客がいた。
桜を見上げているのは幼子だ。きっと自分の孫だろう。
そう気づいて、一言声でもかけるかと思ったが、はと自分の見てくれを思い出して、止めておいた。
見知らぬ、顔に傷のついた厳つい男が急に声をかければ、幼子なら泣いてしまうだろうとおもったからである。ちなみに既に何人もの仲間の孫を泣かせてきた前科もあった。
しかし、来た道を戻ろうとした瞬間、幼子がこちらを向いてしまったのである。
「桜を見に来たのではないのですか」
はっきりと告げられた言葉には震えもなく、こちらを見上げる瞳に怯えの色はひとかけらも見えなかった。
それから少々問答してみたが、いやはや、面白い。
康子と共にしばらく娘夫婦の家に滞在し、その間、様々な揺さ振りをかけてみたが、こやつは全く動じぬ!
時には大の大人も泣き叫ぶような少々質の悪い事もやってみたのだがな……。
康子の言葉は本当だったのだ!
この何にも恐れぬ強き心、また、冷静に周りを見定める賢さ、武の才能もあるようだと、過ごす内に気付いた。
こやつならもしかすると、今まで諦めていた儂の武の後継者となれるやもしれん。
そう思うといてもたってもいられずに、半ば強引に連れ帰った。
それから今まで、あやつはこの家で武の才能を磨いておる。
相変わらず表情は変わらぬが、その瞳に宿る強い意志は昔からちっとも変っておらぬ。
あやつに表情についてとやかく言うのは、あやつのあの無表情のせいで、学友たちに一線引かれてしまうのではと思ったからじゃ。武においてあの表情は褒められこそすれ、しかし只人にとってはとっつきにくかろう。
そう康子に話すと、
「本当にあなたは変わりましたね。とってもいい方向に」
と、嬉しくて仕方がないといった顔で笑うので、儂にはどこが変わったのかさっぱり分からぬ、とは言わないでいる。
今日も朝から鍛錬を行う。
大抵の者が音を上げる厳しいものでも、こやつは真面目に、泣き言も言わずこなしていく。
朝餉では、あの鍛錬の厳しさを心配する康子に「やらねば落ち着かぬ」などと言っておった!
「あやつは全く、面白いやつよ」
千明「桜を見にきたの?(ど、どこの殺人鬼だ……逃げるのはダメだ、抵抗してもこんなのワンパンで死ぬわ!こうなりゃ話長引かせて母さん達に気付いてもらうしかない……(絶望))」
→千明「(うちのじいちゃん?!この戦闘民族みたいな人が?!しかもあのぽやぽやした母さんの親父……えっ??)」




