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空谷の声  作者: さとう晟
2/2

大樹

ここから見ても、高いんだな。」

高い木の上で一人の少年が空を見あげている。 

「天というものはとても遠いらしい。」

小さなため息をつくと、大振りの枝に腰を下ろした。少年はそのままじっと動かなかった。

それほど時間がたったのかはわからないが、下から自分を呼ぶ声がした。

「兄上。 良兄さん。」

高い木の下からなので、声は小さくしか聞こえない。しかし、それは弟の蓮だとわかった。 

「、、、、あいつはいつも私のいるところを知っているな、、、、」

やや少年らしからぬ口調でそうつぶやくと苦笑いすると、仕方がないという風に首を振って立ち上がった。 そういうところもまだまだ幼い容貌と対照的に老成していて、この少年に不思議なおかしさを与えている。 本人には自覚がないが、周りの大人たちは気がついていて、おもしろがっていた。 

「早く降りないと、」

と、少年が言い終わる前に下からの声に泣き声が混じる。ああ、もう泣き出してしまった。軽くため息をつくと、身軽に降りはじめた。


木の下にいる少年は上からの物音と聞きつけると、泣くのをやめた。 むろん、まだ鼻はぐずぐずしているし、目は涙でいっぱいだ。 

「蓮。」

軽い着地の音がして、目の前には探していた兄が立っている。一つしか歳のちがわない兄は自分よりやや小柄だった。

「兄上。あんなところにいては風邪を召されます。」

泣いているところを見られて、いまさら気恥ずかしくなった蓮は兄をなじる。

「確かにそうだ。」

しかし、兄はそんな蓮に笑うだけだった。 兄はどちらかというと体が弱く、よく風邪をひいては臥せっている。 それでも、兄は博学で何でも知ってる。加えて弓、馬、剣と器用になんでも長じていた。 そんな兄を蓮は心から慕っていたし、尊敬している。自分ほどこの兄を慕っているものはいない。 蓮はそう思っていた。

二人の兄弟は並んで歩き出した。 並んでいるとととても対照的な二人である。 蓮、弟のほうがいくらかではあるが背が高く、体つきもがっしりしている。 兄のほうはほっそりして小柄。 顔つきも男服でなければ女の子で通りそうなやさしい顔つきだ。 弟のほうはたとえ女児の服を着ても女の子の間違えられることはあるまい。 

「姉上が大変怒っています。」

蓮がそう伝えると、兄のほうはまた優しげに笑った。

「それは怖いな。」

「兄上はぜんぜん怖そうにみえません。」

「、、、蓮は本当に姉上がこわいのか?」

「はい。 姉上が怒ったときは。」

蓮の答えを聞くと、良はふむといって黙ってしまった。 蓮のほうは自分がへんなことをいってしまったかと考えたが、実際にあの、五つ上の姉は本当に怖いのだ。

「兄上は怖くないのですか?」

「うん。怖くはない。」


「怖くはないが、足は痛いな。」

帰った後、散々姉に絞られてようやく自室に戻った良は暗くなった外の庭を見ながら呟いた。 帰ってから今まで姉に絞られたのだった。 ふうと息をつくや否や、室の向こうから自分を呼ぶ声がする。 

「兄上。」

「蓮か、入れ。」

弟がおずおずと入ってきた。 

「叱られましたか。」

「ああ、たっぷりとね。」

良はそういうと、机上の書をまとめだした。 蓮はそんな兄の所作をどこか尊敬のまなざしで見つめていた。二人の歳は一つしかちがわないのにこの人はどこか自分よりずっと大人びていて、来年自分がまた一つ歳を取ってもきっとこうはなれないだろうと幼いながらも感じるものがあった。おとなしく目立たない兄だが、どこかほかの者とはちがうのだ、蓮はひそかにそう信じていた。

「伴の者も連れずに出かけるからです。」

弟の言葉に良はわずかな苦笑をしただけだった。 彼らの国、韓はとうに滅んでいる。 秦の国の一部になってしまった。 良と蓮の家、張家は彼らの父、祖父と二代続けて宰相を出した韓の名家である。 そんな家の息子が一人で出かけるなどと家のものの大半はことあるごとに言うのだが、良は寝耳に水とでもいう体で一人歩きをやめようとはしない。 良にしてみれば、韓のない今、自家は名家でもなんでもなく、今の自分はただの裕福な家の子供に過ぎないと思っていた。 

「一人で出かけるのは楽しいぞ。」

良の目は少し楽しそうに自分を見て微笑んでいる。蓮はややむっとしながら、自分とは行きたくないのか聞いた。

「お前と行くのも楽しい。 でも一人はちがう楽しさがある。」

「一人で何を楽しむのですか?」

蓮にはいまいちよくわからない。 

「いろいろだ。」

良はまた優しげに笑った。 この兄の怒った顔を見たことがないな、と蓮は思った。ほかの年頃の少年のように喧嘩をしたり、怒鳴ったりするところを今まで見た記憶はない。自分のいないところでやっているんだろうか? 蓮のほうはどちらかというと、感情的は子供で学友と言い合いになり、喧嘩に発展してしまったことも多々あった。 戦乱の世のせいもあるのか、子供も蛮勇を好むのか、学友のうちの何人かに兄の優男ぶりを揶揄されたときも喧嘩になった。そんな時、兄は自分のことで喧嘩をするなと蓮に注意した。 むろん、自分の、張家の名誉のために戦ってくれたことは礼をいってくれた。 だが、

「私のことをあれこれ言われてもこれからは聞き流すのだ。そんなつまらぬことで戦うな。」

と、兄はいつもの優しげは言い方ではない、ややはっきりとした口調で蓮に告げた。蓮は驚いて兄を見つめ、何か問おうとしたが、その場にいた姉の黄姫がそれを聞いて、良に説教をはじめたので、そのときはなにも聞けずじまいとなった。

 なぜ兄は蓮が自分の名誉のために戦うことを諌めたのだろう。 よくわからない。 自分の家族なのに。



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