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  作者: 縄奥
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五十一話~七十話 里

◆◆◆◆◆51話








 青い空が緑色の山々を覆い、行き交う船が立ち上げる白い波しぶきが程よく水面に溶け込む穏やかな浜の集落も、水平線を真っ黒に染める嵐が見え隠れすると寄港した船は慌しい浜人たちが「いそげー!」と、声掛け合って船をおかへと引き上げる。


 時間と共に水平線は見えなくなって、黒々とした嵐の色は青かった海の色を変色させ岸へ集落へと近づいて来る。


 穏やかだった水面を強い嵐風が天から渦巻くように攻撃を繰り返し、海の水が宙へと舞い上げられては黒々とした水面に叩きつけられる。


 やがて集落を「ビュウゥーン! ビュビュビュッ!」と、嵐風が天から地面に向かって煽りを見せ、山々の木々は左に右にと身体をきしませる。


 集落の家々は雨戸が閉められ、浜から吹きつける潮は宙を彷徨った挙句「ゴォーバシャバシャバシャ!」と、滝から落ちる水のように轟音をあげて集落を襲う。


 船着場は大波に晒され「ゴオオォォー!」と押し寄せる黒波にジッと耐え、陽の光にキラキラと輝いていた砂浜は白濁した波で姿を消し、微かに山側の一部分だけが必死に自らを主張する。


 昼間だと言うのに暗闇に閉ざされた集落には浜人の姿も見えず「カランッコロコロコロ」と、倒れた木桶が風に押され地面を踊っているだけだった。


 雨戸の閉められた浜家の中には「ゴオオォー! バシャバシャバシャ!」と、突風と浜から巻き上げられた潮が打ち付けられ「ガタガタガタ…」と、家を小刻みに揺らす。


 静まり返った薄暗い浜家の中で「ガガガガ… ビィー! 本日の天気は… ガガ… ザザザザァー…」と、雑音混じりに天気予報が流れると、捻り鉢巻の御爺さんが小さな浜子を胡坐の上に抱っこして真空管ラジオに聞き入ると、横でゴロンと寝転がって囲炉裏に薪を入れる家人が渡網の上にスルメを「ポン」と、投げ入れた。


 囲炉裏の炎が時折「ポッ」と、立ち上がって辺りを照らせば、囲炉裏火の明るさで縫い物をする御婆さんの手元が暗闇に浮き上がり「おどぉー(じいさん)電気っこ、点けるがのおぅ~」と、小さな浜子の母親が立ち上がって声掛けると「わがねわがねー ラジオ消えてしまうべ」と、電力不足を手の平を左右に振って伝えた。


 家中にホンノリと甘しょっぱいスルメの匂いが漂うと「ほらぁ! ほらぁ!」と、おどーが寝転がっている息子の肩をゆすり「ほらよ!」と、焼きスルメを千切って息子が、おどーに手渡すと「おっほほー♪ 上手に焼けてらぁのおぅ~♪」と、抱っこしている浜子へ更に小さく千切って手渡した。


 おどーに抱っこされた小さな浜子の口に焼きスルメが入った辺り「おかぁー、おとー! したら行ってくっからー!」と、奥の部屋から「ペタペタ」と、少し大きめの浜子の足音が近づくと「おっ! 無理すんなよ! 危ねえば直ぐ戻れえよー!」と、寝転がっていた父親が突然起きあがって浜子に言う。


 嵐だと言うのに小学3年生ほどの浜子は、半袖に半ズボン姿で片手に魚を入れるタモを持ち「したら行ってくるがら!」と、家族全員の顔を一人ずつ見てから玄関に降り立った。


 外は荒れ狂う嵐で立っているのもやっとの集落から、一人、また一人と浜子たちが網を持って浜へ降りる一本道を列を作って歩み始めた。


 海から押し寄せる白濁した波は砂浜を埋め尽くし、人がやっと通れるていどまで迫っているものの、浜子たちには怖がる様子もなく淡々と歩みを前に前にと進めて行く。


 誰一人として浜子を止める浜人の姿もなく、嵐の砂浜を波シブキを受けながら浜子たちは見えなくなった。


 浜子たちが唸る海に出てから数時間がたった頃、家の中では囲炉裏に向かってラジオから流れる流行歌に聞き入る家人たちも「ずいぶん遅せぇなぁ~」と、心配する父親と「ふぇっふぇふぇふぇ♪ 大漁だべぇ~♪」と、ニコニコする、おどーに「止めたって止まらね浜衆はましゅうだもんよぉぅ~♪ すかたねえなぁ~♪」と、出かけた浜子を案ずる母親が笑みを浮かべて話した時「ガタンッ! ガタガタガタ…」と、玄関の引き戸が開かれた。


 戸の開く音に玄関の内戸をあけると「すこし多く獲れたなぁ~」と、膨れ上がったタモを引き摺るように中へ入って来た浜子に「おとー♪ おどぉー♪ ばばー♪ 大漁だぁー! 大漁!」と、浮き足立つように大声を奥に呼びかけた。


 この日の浜家では久しぶりの海の幸に家族は舌堤を鳴らし続けた。


 大シケになればなるほど漁に恵まれるホヤは、海底をエグル荒波からの贈り物として浜の集落では喜ばれたが、引き換えに浜子の命をも脅かされていた。


 浜に生まれた者は皆、支え合って生きているが浜人には浜人の仕事があって同時に、浜子には浜子の仕事がある。


 身体の大きな浜人では歩けない、波に晒された砂浜は浜子だけに海神様が許した漁だったのかも知れない。


 


 


  

◆◆◆◆◆52話







 浜集落に朝が来る… 朝日が赤から白に変ると山の木々の間に陽だまりが出来、沖から船が「ドコドコドコ」と、白波を連れて戻って来る。


 家々から大勢の浜人が船を向かえよと船着場に集まり、浜子たちは朝食のオカズを獲りに岩浜を、山の畑へと連れ立つ。


 港の大きな屋根の下は胴付きに身を包んだ浜人たちが、馬車の荷台に魚を積んで忙しく細い道を上へと駆け上がる。


 海から見上げれば、港と平行するように家々が建ち並び、家の前を通る道は上に伸びた後、蛇のように蛇行しながら更にもう一段、上下左右に家々は広がりを見せる。


 下街と上街と言うらしいこの集落の上街の更に上に位置するのが、どうやら浜子達の通う学校らしく、海から眺める集落はひな壇のような造りになっている。


 一斉に港に戻った船と、船着場に群がる浜人は「次はあっちだー! よし今度はこっちだー!」と、険しい表情をして走り回る。


 荷物を満載に積んだ馬車の荷台を覆い、積んだ魚を陽から守るのは海水に浸された小金色に光るムシロ、浜にとって大切な任を担うムシロは遠く離れた山里から馬車によって運ばれ浜の魚を守っている。


 上街に馬車で運ばれた魚は、大きなボンネットトラックへと積みすえられて、左に右にと白い土ボコリを上げ、轟音を山々に轟かせ走り去った。


 港から、船着場から浜人が姿を消して半時ほど経った頃「カ~ン… カ~ン… カ~ン♪」と、集落の天辺にある学校の正面玄関に、集落には似付かない背広が一人立ち、片手にぶら提げた鐘を木槌きづちで叩いて時間を知らせた。


 学校の正面玄関で打ち鳴らされた鐘の音は、漁師はまんどたちの眠る時間と、浜子はまごたちの勉強の時間を集落に伝えていた。


 



 


 

◆◆◆◆◆53話








 子砂利と砂の混じる海岸で焚き火をして、打ち揚げられたゴミを燃やす浜子たちの姿が見えた。


 集落とは間逆の海岸は、下から見上げてもグルリと断崖で囲まれ緑の草木が生い茂り、何処から降りてきたのか見当もつかないほど。


 陽の光に反射して白い煙を煌々と天高く舞い上げる焚き火と、時折サラサラと寄せ引きする緑が溶け込んだ海の水は、波立つことなく辺りに音を伝えることなく只管に只管に……


 打ち揚げられたゴミをアチコチから拾い集めては、焚き火の番人をしている浜子に「あっ! うん!」の呼吸で手渡す数人の浜子たち。


 焚き火を左に海に向かって腰を下ろせば、右側の少し向こうに見える黒々した大きな岩場の影から、一艘の磯舟が「ユラリ~ ユラリ~」と、舳先へさきを揺らして「ギュウッ、チャポンッ! ギュギュギュギュ~ チヤポンッ!」と、カイ(オール)を漕ぐ音が水面を岸辺に伝えた。


 麦わら帽子をかぶり、首に手拭を垂らした漁師はまんどが、音頭をとるように右に左にと身体を揺らしながら、カイを漕いでこちらに向かって来る。


 海岸の砂地を目指して向かって来る磯舟に気付いた浜子たちが、ゴミ集めの傍ら磯舟を振り返ると「おぉーい♪」と、漁師が片手を上げて浜子達に声を掛けた。


 磯舟の舳先は「ユラリ~ ユラリ」と、岸辺に近づくと「そりゃぁー!」と、一斉に声を上げた浜子たちが磯舟の来る場所へ駆け足で集まると「ズゥッ! ザザザザァー!」と、磯舟の舳先が波打ち際に乗り上げ「よいしょ!」と、掛け声かけた浜子達が船の舳先にしがみ付いて磯舟を砂の上へと引き寄せた。


 磯舟から降りた漁師が「ほほぉ~♪ いいわらしたちには良いことあるはんでなぁ~♪」と、ゴミを燃やす浜子達を嬉しそうに見回した。


 船の上で立ち上がった漁師が船の中から、黒々としたゴミ袋ほどの大きさのタモを重そうに持ち上げ、砂浜に「よいしょぉ!」と、船から降ろすと「け(食え)」と、ニコっと微笑んだ。


 浜子たちは嬉しそうに大きなタモを一瞬囲むと、一斉に散り散りに砂浜に散らばって戻ってくるなり砂に腰を下ろすと「バシッ! シャクッ!」と、平らな石の上に黒々と大きく育ったウニを置くと、手に馴染む石で殻を割って夢中で生ウニを口へと運んだ。


 砂浜に腰を下ろしてニコニコしながら浜子たちを見ると、タバコに火を点けた漁師はキレイになつた浜を見回して「うん、うん」と、感心の笑顔を放った。


 30分ほどしてすっかりウニを平らげた浜子たちは、大きなタモ網にウニの殻を丁寧に戻すと「ごっちゃん! めがったぁ~♪」と、頭をチョコンと下げると、少し離れた湧き水の場所へと一斉に駆け出し、葉っぱで作ったコップで喉を潤した。


 漁師は空になったウニの入ったタモを船に積み込むと、再びカイを漕いで波打ち際から数十メートル離れた沖の岩場へと船を揺らした。


 沖の岩場に辿りついた漁師は船の片側を自らの体重で傾げると、箱メガネ(ゴーグル)をかけ水中を覗き何やらしているのが見えた。


 木で出来た大きな箱の下にはガラスが付いていて、そこへ顔をスッポレと入れて海底を覗き込んでいる漁師は、ねずみ取りのような紐の付いた籠の中に、浜子たちに食べさせたウニの殻を入れると静かに海底に沈めた。


 海底に見入ってジーッとして動かない漁師が、片手に持った紐をを「パッ!」と、離した瞬間、沈められた籠のふたが閉まった。


 籠の中には大きな銀色の魚が右往左往していて、漁師は顔を上げるなり海岸にいる浜子たちに大きく手を振った。


 その後、漁師は転々と場所を変えては同じ仕草を繰り返すと、右側の岩場へと姿を消した。


 一通り浜辺をキレイにした浜子たちは、焚き火が燃え尽きるまで傍を離れることなく、誰かが獲って来た自然に生えたグスベリーの酸っぱさに、顔を顰め楽しそうな笑みを浮かべていた。


 やがて焚き火は消え、砂を上にかけると「さて行くかぁ!」と、大きい浜子が声かけると、断崖に育つ草木の生い茂る中へ浜子の列は姿を消した。


 そして浜子たちの姿を消した草木の生い茂る断崖の場所には、太い一本の艫綱ともづなが吊るされているだけだった。


 逞しい浜子たちが集落に戻ると出会う度に、浜人が「おぉ! いいもの食ってきたな~♪」と、声かけて微笑んでは「○○の、おどーだべ~♪」と、通り過ぎて行った。


 浜人たちに声をかけられながら、浜子たちが家に戻ると「いいごとしたなぁ~♪ ホラ~♪ 裾分けだってぇ~♪」と、浜子に嬉しそうに大きなソイを見せ「今夜はソイの刺身だな~♪」と、出迎えた母親は台所へと姿を消した。


 夕食ゆうげの一時が始まり、浜子が囲炉裏の横のテーブルに近づくと、大きな皿を埋め尽くしたソイの刺身が出迎えた。


 久しぶりのソイの刺身を前に「今日は御馳走だのおぅ~♪」と、湯飲み茶碗の濁酒どぶろくを「クイッ」と、一口啜る御爺さんが「しかしよおぅ~ ずいぶんと似合うのぉ~ その泥棒ヒゲは~♪ あっはははは♪」と、浜子の顔を見て大笑いした。


 ウニの色が両手を小豆色に染め、口の周りを泥棒ヒゲのように小豆色に染めた浜子の顔が、浜家の夕食をいっそう楽しいものにした。


 アチコチから聞こえる、泥棒ヒゲを付けた浜子の家族の笑い声が集落に楽しい時間を伝えた。


 

 ※ソイ漁(ウニを捕食するソイの御馳走で、夜にしか出てこないソイを好物のウニで籠の中に誘き寄せる伝統的な漁法の一つ)

 ※小豆色(生ウニを食べると色がついて両手や口周りに色がついて一週間ていど落ちない)

 ※浜子たちは定期的ではないが自発的に浜の掃除に一役かっている

 


 





◆◆◆◆◆54話








 ポカポカした陽気が恋しくなったのか、平屋で横長の校舎の一室の窓を学校の先生が「ガラガラガラ~」と、開けると下から浜風イソカゼがふんわりと教室に入ってくる。


 浜子達は先生の手本に従って真剣な表情で、机に向かっては「カリカリカリ」と、鉛筆の音を立て横に置かれた書き方と言う本と、黒板の大きく書かれた文字を、そして自分の書いた文字を何度も見比べてはカリカリと只管、只管…


 窓から見下ろせる浜の集落は静まりかえり、浜人ひとりとして姿を見せることなく、青々とした空には白いカモメガアチコチで自由に飛び回り、黒いカラスは陽射しが辛いのか木々の影に隠れ静まりかえっている。


 左右に広がる真っ青な海は太陽の陽射しに「キラキラ」と、アチコチから宝石のような光を放ち、少し首を捻れば左右から眩しいほどの緑色が目を細めさせる。


 外の明るさに比べると少し薄暗く感じる教室の中「カリカリカリ」と、鉛筆の音が響く中で「来るかな…」と、浜子が言うと「そろそろ来るべ…」と、別の浜子が声を細め「もう来ないとなんねえべ…」と、また別の浜子が声を細めた。


 浜子たちのヒソヒソを聞こえないフリしながら、開いた窓から外に半身乗り出して左右に広がる海をしきりに気にする先生が「うん? あれか?」と、独り言のように小さな声で呟くと「来た…」と、浜子がそして「来た来た…」と、別の浜子が囁くと「あれかぁ?」と、少し大きな声で先生が遠くの海に見入った。


 先生の「あれか?」と、言う声に「来たがや先生?」と、一人の浜子が席を立って辺りの浜子たちを見渡すと「ガタンッ! ガタガタガタ」と、一斉に浜子たちが席をたち「来たが? 先生?」と、窓から身を乗り出す先生の傍へと走り寄った。


 窓から半身乗り出した先生が「どうだ来たか?」と、身体を内側に戻して自らを囲む浜子達の顔を見回して「○○、ちょっと見てみろ!」と、鼻息を荒くして、一人の浜子を抱き上げて「どうだ? 来たか?」と、浜子に海を見せると「来た! 来た! 来た!」と、先生に抱き上げられた浜子が声を教室に響かせた。


 先生に抱き上げられた浜子が嬉しそうに「来たー!」と、叫ぶと「ガラガラガラ」と、左右の別のクラスの窓から、一斉に先生たちに抱きかかえられた浜子たちが顔を出し「来た! 来た! 来たー!」と、大喜びすると「わあああぁぁぁーーーー!!!」て、校舎の中から大歓声が巻き起こった瞬間「よし! 行くぞーー!!」と、先生は浜子を下ろして片腕を天井に向けた。


 大勢の浜子達が校舎から一斉に外へ飛び出し「来たーーー♪ 来たーーーー♪」と、大歓声が静まり返った集落に広がると「来たーー! 来たーー!」と、集落の家々から一斉に浜人たちが手に大きなタモや竹笊を持って、港の左右の黒々とした岩場を目指して駆け出した。


 浜子たちに混じるように、大きなタモやバケツを持った先生たちも「来たーー!!」と、大急ぎで浜の岩場を目指して走り出した。


 さっきまで青々としていた海に突然、銀色に輝く大河のような長い蛇行がアチコチに生まれ、その真上におびただしい数のカモメが宙を真っ白に染め、カモメの数に負けない程の真っ黒なカラスが白を覆うように宙を黒く染めた。


 静まりかえっていた浜の集落は、まるで軍隊のごとく陸から岩場を目指して突進し、空からは白いカモメと黒いカラスが陽射しをさえぎった。


 キラキラと銀色に光り輝く海に出来た大河は、鳥たちに追われるように「クネクネ」と、蛇行し一路岩場に突進していた。


 港から左右に伸びる砂浜を、一路岩場を目指して突進する大人子供入り乱れての大行進は、岩場に到着すると「うわああぁーー! うおぉぉーー!」と、大歓声をあげ、宙に舞う鳥たちは空の上から水面に急降下を繰り返した。


 黒々とした岩場は次第に黒からその岩肌を銀色に変え、寄せる白波が砂浜を徐々に銀色へと変えて行くと、蛇行していた大河は左右に散るように海全体を青から銀色に変えた。


 青い海が銀色に光り輝くと言う不思議な光景は、一年に幾度もない浜の大人も子供も男も女も入り乱れての祭りだったのかも知れない。


 身体中にキラキラと銀色に光るころもを纏った集落の人々は、皆、零れんばかりの笑みを浮かべ重そうにバケツやタモを持ち帰路に着いたようだ。


 集落の人々が帰ったあと、砂浜へと山伝いに降りて来た動物たちも帰りは、人間同様に銀の衣を身に纏って帰路についたようだった。


 一年に幾度もないイワシは、集落への海神様からの贈り物だったのかも知れない。


 そんな贈り物も数日経つと「おかあー おら! もうイワシ飽きたよおぅー!」と、浜子たちに切ない表情を浮かべさせた。


 

 


 


◆◆◆◆◆55話(上)








 ある晴れた朝の浜の集落、山から白い靄も消え、風も波も無い青い空と山々の緑が映りこんだ海。


 穏やかだと言うのに、沖から船着場のある港に来る船もなく、浜の集落にしては腑に落ちない風景に首を傾げる。


 既にが昇っていると言うのに、集落には浜人はまんどの姿も無く、浜子はまごの姿さえ何処にも見当たらない。


 静まり返った集落に遠慮するかのごとく、砂浜に打ち寄せる白波もなく船着場に丸太で組んだ物干し竿のようなところに、白いカモメが羽を休め海の上にポツポツある黒い岩肌に、身を潜めるように黒いカラスがうずくまる。


 いつもと違う光景… 集落を歩き回ると、家々の中に人の気配はあるものの誰ひとりとして外に出る者もなく、閑散としていて薄気味悪くなるほどである。


 家々を見回しながら浜へ降りて行こうと一本道を港へ向かうと、今まで気付かなかった左に反れる人ひとりが通れるほどの小道を見つけ「何処へ通じているのだ…」と、小道へと歩む。


 まるで他人の家と家の隙間を通るようで気の引ける細い道は、入って見れば真っ直ぐに少し行くと、急に広がりを見せ、浜へ向かう一本道と同じ広さになっていた。


 使われているとは思えない古い家は、浜人たちの倉庫だろうか… 家の屋根の上には漁で使う大きな網が広げられて干されていて、家の周りには溢れんばかりの漁具や、小船のカイ(オール)が立て掛けられ出番を待っていた。


 道を挟んで左右に軒を連ねる古い家の玄関の、真横には表札があったであろう形跡が纏う板の色と違うのがわかる。


 少し進むと左側だけが道に沿って軒を連ね、右側の家は途切れ青々とした海がホッとさせた。


 家の途切れた場所に立って、海から漂う磯の香り釣られるように身体を向けると、3階建くらいの火の見櫓ひのみやぐらが集落から海に向かって伸びる岬の上にポツンと建っている。


「どうやって行くのだろう…」と、目を凝らすと、岬を支える切り立った断崖に集落の外れから斜めに傾斜を持たせた艫綱ともづなが張ってあるのが見えた。


 距離にして50メートルほどだろうか、一本の艫綱が「何故、あんなところに…」と、思いながら岬へ続く陸路を家々の間を縫うように探し歩むと、巨木とでも言うのだろか無数に太く大きな木が立ち並んでいてそれを守るように草木が栄茂っていた。


 岬への入り口に立って巨木を見上げていると「おい、アンタそこで何してるや!」と、強い口調で後ろから声かけられ「えっ?」と、後ろを振り向くと一人の浜人が「そこは御神木だで入っちゃなんねぞ!」と、語りかけてきた。


 聞けば、集落に向かって来る浜の強風で一番強く吹き荒れるのがこの場所で、浜人たちはこの木を御神木として奉っていると言う。


 浜人はそう言うと無表情で立ち去り、視線を元の艫綱へと戻すと、何やら艫綱に掴まって断崖を岬へと進む浜人がいた。


 御神木を汚すまいと言うことか、艫綱に掴まって左手前から右の岬へと上る浜人は「サクサク」と、歩み上るとやがて姿が見えなくなり、代わりに火の見櫓の上に白い旗が掲げられた。


 青々とした海を背景に白い大きな旗が微風に靡いているが一体……


 






◆◆◆◆◆56話(下)








 大海原を背景に白い旗が僅かな風に揺られた時、静まり返っていた浜の集落の上空を何処からともなく黒い集団がアチコチから現れ始め、同時に白いカモメが泣き声を上げて右往左往し始めた。


 靡く白い旗のみえる場所を後にして、港へ向かう一本道へと戻った時、慌しく港へ向かう浜人達の姿が…「一体何が始まるのだ?」と、目の前を駆ける浜人に聞こうにも浜人達の目は血走り脇目もふらずに只管… 只管…


 港へ降りて行くと、集落から駆け足で降りて来た浜人達は一斉におかに有る磯舟の前に一人立つと「おどー! 乗れ乗れ乗れー! 下ろすどぉー!」と、遅れて駆けつて大きな声を発する、老婆の姿と後から駆けつけた若奥さんらしい人と大小の浜子たちが「よいしょぉー!!」と、掛け声を合わせて浜人の乗った磯舟を海へと下ろし始めた。


 下ろし始めた磯舟から目を離し、辺りを見渡せば「それえぇぇーー!」と、アチコチで大きな声を重ねて船を下ろす家族達の姿が何とも勇ましく、家族の少ない者のためだろうか、誰の船だろうと構い無しに家族達は次々に家族の少ない浜人の船を下ろし手伝っているのが見えた。


 海面へと下ろされた磯舟は「ユラユラ」と、左右に揺れるものの船に立つ浜人はフラフラすることもなく、おかで手を振る家族達に見守られながら静かに船に腰を下ろすと、木で出来たカイ(オール)を海水に浸し、船の左右のの木の棒に「スポッン」と、嵌めると「ギィーコ… バシャン… ギィーコ… バシャン」と、音頭を取るように港の中から出入口を目指した。


 湾型の港の出入口を目指して、陸から下ろされた磯舟は個々に漕ぐ音頭こそ違うものの、波の無い穏やかな海原を目指した突き進んだ。


 港の出入口に集結するかのごとく、集まった磯舟を漕ぐ浜人たちは口元を引き締め互いに会釈もなく次々に出航して行った。


 磯舟を送り出した家族達は言葉少なげに、黙々と蛇行する道を急ぎ集落へと散り散りに消えて行った。


 船を送り出した後の港は閑散とし、海面から顔を出す黒い岩には黒いカラスが実を潜め、船着場の物干し竿の上には白いカモメが肩を寄せ合った。


 沖の船が見える上街うえまちへと移動し、沖を眺めれば慌しく出て行った磯舟の姿は何処にもなく、海を前にして額に手傘を作って右へ左へと首を捻るものの、やはり磯舟は何処にも見当たらなかった。


 不安を覚え集落の中を、磯舟を捜し求めるように歩み続けると「今日のアンビ獲り大漁だばええのおぅ~」と、両手で山里から来たであろう山吹色のムシロを抱えた二人の老婆に出会ったが「アンビとは何だろう…」と、頭を抱えた。


 磯舟の姿を探し沖の方にいないのならばと、近場の海が見える場所へ移動し「ここならば!」と、100メートルほど下に見える黒々とした大岩がゴロゴロした岩場を見下ろすと、四角い箱に頭を「スッポリ」と、隠し片手に長い棒を持ち、更に逆の手でカイ(オール)を微妙に漕ぐ頭の無い浜人の乗った磯舟がアチコチの岩場に浮かんでいた。


 その奇妙な光景は延々と続き、何かを長い棒で獲っては箱に頭を隠したまま、船の中に「ポトッ」と、落とし入れそして長い棒を海の中に入れていた。


 ユラユラと浮かぶ磯舟は頭の無い浜人たちの乗った、幽霊船のごとく数時間が経過するとようやく、一人また一人と箱から頭を出しては「キョロキョロ」と、辺りの船を見回して船の中に置いてあった煙管キセルに火を点けて「スウゥー フアァ~」と、白いタバコの煙を吐き出していた。


 船の上の白い煙が一つ、また一つと増え浜人達の顔にも安堵の表情が浮かぶと、再び箱の中に頭を入れて海の中から円い黒々とした物を30分ほど獲り続けると今度は、こげ茶色の幅広の葉っぱのような物まで獲り箱の中から顔を出した浜人たちは、磯舟を沖へと漕ぎ始めた。


 下の岩場から沖へ50メートルほど漕ぎ出した磯舟たちは、船の舳先あたまおかへと向けて縦横に連なると、火の見櫓の白い旗は降ろされ今度は真っ赤な旗が掲げられた。


 青々した大海原を背景に白い旗が靡き、今度は逆に緑色の山々を背景に真っ赤な旗が靡いていた。


 海に浮かんだ磯舟たちは、赤く靡く火の見櫓の旗を見ると一斉に港を目指して漕ぎ進んだ。


 港へ一足先に戻り待っていると、次々に白い歯を見せニコニコと笑顔で船を進める浜人達が港入りをしては、陸で待つ家族たちに「大漁だいりょう! 大漁!」と、手を振っていた。


 陸に船の舳先が軽く乗ると、船の中から焦げ茶色した昆布やワカメを先に降ろし、海水の入った大きな箱に敷き詰められ、更にその上に「クネクネ」と、盆踊りでもするかのように身体を柔軟にクネらせるアワビが丁寧に入れられた。


 大きな箱に移された昆布やワカメとアワビの入った大きな箱の前に、見慣れぬ男衆おとこしゅ達が次々に訪れ、何やらは浜人と難しい顔しては時折「ニコニコ」して腕組を繰り返した。


 浜人の家族に聞くと「あぁー! 買い付け業者の人達だぁ~」と、笑みを浮かべ磯舟の中からトゲトゲの黒いウニを持ち帰るのだろうか、モッコに入れて白い指を小豆色あずきいろに染めていた。


 陸に上げられた磯舟の前で大勢の買い付け業者が行き交うと、小さな浜の港は久々に賑わう笑い声が充満した。


 年に数回しかない鮑漁は集落に祭りのように賑やかさを醸し出していた……


 

 ※鮑を生かして運ぶために使う昆布やワカメの量は決められていたが、少し多めに獲って買い付け業者への土産とされることが多く、業者は多めに入れられた昆布やワカメを自宅に持ち帰り食用として当てることが多かったようだ。

 ※鮑を獲って売り、運搬用として獲った海草を土産として業者に渡し、仕事の終わりに家で一杯やるためのオカズとしてウニを獲る、浜人のうみは浜に生きるものに確かな恵みを与えている。

 ※カイ(オール)は一般的にはといわれるところが多い

 ※鮑漁は公平をきすため白い旗が揚がるまで漁師も家族も家の外へは一歩も出ることは出来ず、浜子でさえも学校に行く時間をずらして登校していた。

 

 





◆◆◆◆◆57話








 ちょっと浜家の中を覗いて見ようと、開いている戸口から静かに様子を窺う… すると「今日は水の出が悪いのおぅ~」と、蛇口を捻る御婆さんに「どりゃどりゃ、ちょっくら川さ見に行ってくるべー♪」と、御爺さんが傍にいた浜子まごの頬を軽く撫でる。


 仕事着に頬かむりして麦藁帽子をかぶった御爺さんと、一緒に手を繋いだ浜子が薄暗い浜家から「坊ー、ちょっくら行ってくるかのおぅ~♪」と、屈んで浜子の身支度を整えた。


 石と土が混ざり合って固まった道の端っこを、御爺さんのゴム長靴が「ズザッ! ズザッ!」と、ゴムと道の擦れる音が乾いた土ぼこりを舞い上げ、浜子からは「ペタッ! グニュ~ ペタッ! グニュ~」と、ゴムの短靴の可愛らしい小さな土ぼこりを舞い上げると「坊ーの靴は少し大きいようだのおぅ♪ 早く大きくならんとなぁ~♪」と、端っこに浜子を、そして守るように御爺さんが車道側を歩む。


 右側に青々と広がる海を見下ろせば、銀色の砂浜に混ざるように黒い岩肌が白い波を受け水面が「キラキラ」と、光り輝く。


 左側には緩い傾斜地に緑色の草木が浜から吹く微風に「サラサラ」と、仄かに甘い香りを漂わせると「坊ー、ちょっくら休んで行くかのおぅ」と、木の切り株に浜子を座らせると、浜子の履いているゴム靴を片方ずつ脱がせ「よいしゃーのこりゅぁせぇー♪」と、小さな声で口ずさむと傾斜に生えるヨモギを、刈り取り、傍にあった少し大きめの石の上に敷き詰めると「よいしゃのぉ、こりゃぁせぇ~♪」と、まるで呪い(まじない)でもかけるように一握りの石を拾い上げると「グチャグチャ」と、磨り潰し「ほりゃ~ せぇ~♪」と、浜子の小さな足を磨り潰した蓬で丁寧に拭き取った。


 キレイに浜子の両脚を拭き取ると、今度は別の蓬を刈り取ってゴム靴の爪先の方へと親指で押し込むと「ほおぅら♪ 出来たどおぅ~♪」と、浜子の白いホッペを「ツンッ」と、撫でるとゴムの短靴を浜子の足に履かせ「どんだぁ~ 具合はええかぁ♪」と、御爺さんは嬉しそうに浜子に話しかけた。


 二人は手を繋いで再び歩みだすと「おどぉー(御爺さん)ええ具合だ!」と、浜子が下から御爺さんを見上げると「うんだがぁ~♪ えがったなぁ~♪」と、御爺さんは浜子に視線を合わせ歩く浜子の足元の具合に見入った。


 集落から曲がりくねった道を1キロほど来ると「チョロチョロチョロ…」と、川の流れる音が聞こえ「坊ー 着いたなぁ~♪」と、屈んで浜子に顔を合わせると「よし、もう少しだな」と、道から草むらの獣道に下れば「おどおー! ○○のおどーでねえかー!」と、川辺から声をかけられ、御爺さんはニコニコして手を振ると「だめだわ~ 雨すくねえはんで、ほりゃ! この通りだぁ~」と、水の出が心配になった浜人が見に来ていた。


 普段より八割ほど下がった水位に屈んで見入る浜人が「おどー まいったなぁ~」と、川辺に立つ御爺さんと浜子を交互に見ると「船で隣の街さ行って山の里さ電報で、水ば分けて貰うしかねえべなぁ…」と、元気の無い浜人に御爺さんが話すと「したどもなぁ~ 今ったら畑の時期だべぇ~ 分けたくても無いんでないべかのおぅ~」と、浜人。


 この日、浜の集落ではおさたちの寄り合いがあって翌日、漁船に水樽を積んで左右の街へと一斉に船が機関音を空に轟かせた。


 その数日後、浜の集落に久しぶりの雨が降り乾いた大地を潤したと言うが、山の斜面にある浜の集落には貯水出切る場所もなく、降り注いだ雨は山々と広大な海へと消えて行くことから浜の集落には必ず水神様が祭られていた。


 港の隅っこにある何十本もの樽は、使われないことを祈るように今日も何処かでジッと並んでいるのだろうか……


 


 



◆◆◆◆◆58話







 大木たちが四方八方を守るように立ち並び、一面を光沢のある真緑色が覆いつくし、真ん中に一本の細い道が中の方へ申し訳なさそうに伸びる。


 緩やかな上り傾斜を歩むと、黒土くろつちが太陽の光に暖められ土の香りが辺りに漂い、重なるように緑の匂いがそれを覆う。


 片手に釜と、藁で編んだ担ぎ袋を「ヒョイッ」と、肩に揺らせる老婆が足元の緑を食い入るように見ては、時折腰を屈め釜の先を地面に当てる。


 姉さんかぶりあたまには、白地に赤と紺の斑点が太陽に反射して、豆絞り(ぬの)のかぶりものが緑の中に映える。


 何を採っているのかと老婆から目を離し屈んで見れば、根だけを残して切り取られた茎からは「ツゥン」とした、ネギともニンニクともつかない刺激のある匂いが伝わった。


 立ち上がって老婆の跡を追うと、どうやら老婆は藁袋の中を二つに区切って別々の何かを採っては入れていることに気付く。


 中には光沢のある緑色と、淡い緑色の二種類の植物が入っていて、どちらも独特の香りを放っていた。


 1時間ほどして老婆は腰を伸ばすように「ポンポン」と、背を伸ばし腰を軽く叩くと「あぁ~ 感謝! 感謝!」と、山の方に両手を合わせ、ゆっくりと傾斜を下ると集落への道へと移動した。


 太陽の照り返しが厳しい、山吹色に乾いた道に降り立った老婆の足元を見ると、黒い地下足袋がモンペの裾を覆い歩きやすくしていたことに気付く。


 帰路に着いた老婆は真っ直ぐ前を向き只管… 只管…


 浜家の台所に立つ女子衆おなごしゅは御嫁さんだろうか…「ばばー お帰りなさい♪」と、声をかけながら玄関に歩み寄ると「今日も山がら土産もろうと来たはんでなぁ~」と、頬を緩ませた。


 老婆から藁袋を受け取った女子衆は、台所に戻ると袋から取り出した植物を竹で編んだざるに移し、蛇口から出た冷たい水で「ジャプジャブ」と、洗い始めた。


 透き通った太陽がようやく真っ赤に染まるころ、浜家の中から久々に山の恵みに感謝の声が聞こえた。


 老婆が持ち帰った山の土産は、家中をネギとニンニクを合わせたような、山ネギ(キトヒロ)の香りと、それを鎮めるかの三つ葉の香りが漂っていた。


 浜の岩場から獲って来て作られた、自家製の岩海苔は火に「サッ」と、炙られ「パリパリッ」と、した音を伝え、茹でられた三つ葉に「シャクシャクッ」と、手揉みして振り掛ければ何とも言えない濃厚な香りが家族を笑顔に。


 刺激のあった山ネギは卵に絡められ焼かれると、仄かな甘みを立ち上げ、小鉢に入れられ味噌を絡めた「ピリッ」と、辛味を伝えるネギ味噌は浜人たちに舌堤を打たせた。


 初物は笑って頂くと言う風習は、感謝の心を伝える小さな御祭りなのかも知れない……



 ※山ネギ(キトヒロ・アイヌネギ・行者ニンニク・キトビロ・キタビロ等、地方で様々な呼び名が存在する)

 







◆◆◆◆◆59話








 集落の南側の外れ、風も無く月明かりの美しい夜、波の音が聞こえそうな沖に目をやっても魚火一つない静まり返った真っ暗な海。


 浜家から漏れるランプの明かりが「ユラユラ」と、揺れアチコチの家々からは夕食ゆうげの笑い声が聞こえる。


 港の船着場に掲げられたランプは、誰も居ない真っ暗な水面に炎を揺らし時折吹く浜風に風見鶏が「カラッン…」と、向きを変える。


 集落の左右に伸びる道も闇に染まった黒の中、月明かりで薄っすらと行く先を伝えている。


 人通りもなく動物でさえもなりを潜め、風さえもが静寂に気遣いするかのように静かに… 静かに…


 一人集落の外れで闇の中に身を置き、静寂に癒され「そろそろ戻ろうか…」と、後ろを振り向いた瞬間「ん…」と、視界に入った何か…


 南側の数キロ先の岬の中に、何かが見え「何だろう…」と、身体の向きを南側へ向けると、提灯のような灯りがズラリと横一列に灯されていた。


 沖には魚火を灯した船もなく、海に突き出た岬の向こう側の集落まで十キロ以上は離れている…「何だろう…」と、食い入るように目を凝らすと「ポンポンッ」と、軽く肩を後ろから叩かれ、振り向くと「ほんに今宵は良い満月で…」と、集落には似つかわしくない色白の着物姿の女性が、口元を隠して微笑した。


 着物姿の女性が「何処から来なすった?」と、美しい顔立ちに似合わない口調で尋ね「はい、山里から…」と、答えると「ニコッ」と、女性が微笑み「今宵は嫁入りがあるようですよ…」と、囁くと、南の方に見える提灯の明かりが一斉に強い光を放ち「あれは何ですか?」と、女性に聞くと返事ははなく「何処へ」と、辺りを探したものの姿は消えていた。


 向こうに見える光の増した提灯は、少しずつ右側から左側へと移動しやがて闇の中へと消えて行った。


 翌朝、集落の浜人に出来事を話すと「あぁ~ キツネの嫁入りだろう~ アンタさん見たのかい? アンタついてるねぇ~♪ じゃあ、別嬪ぺっぴんさんにも御会いなさったんかのおぅ~♪ アンタさんついてたのぉ~♪」と、当たり前のように話し浜人は立ち去った。


 浜人に聞かされ、その場へ行って見ると不思議なことに提灯行列の見えた場所には、無数の狐の毛が道から山の中へと続いていた。


 満月の風の無い月夜の晩に、数年に一度だけ行われると言う狐の嫁入りの話しは、今も残っているのだろうか……


 





◆◆◆◆◆60話






 夏が近いとあって少しばかり寝苦しい夜が続いているようだ… 夜な夜な蛙たちが「ゲコゲロゲコゲロゲコゲロ」と、毎晩のように歌声を披露を繰り返し、家の周りの草むらからは「りりり… りりりり…」と、虫の声が闇の中へと溶け込む。


 朝方、なにやら外に浜人達の気配を感じて出て見ると、浜人に大小の浜子達の姿も交わり港へ向かう途中だった。


 ピョンピョン飛び跳ねて浜人の周りを「クルクル」と、走り歩きする浜子に「何かあるのかい?」と聞くと「今日はワカメ獲りの日だはんで!」と、豪気を放つ。


 黒いゴムの短靴に白いランニングシャツ、黒っぽいズボンの坊主頭の浜子たちとは対照的に、赤いスカートに赤いゴム靴、赤系のシャツに身を包むオカッパ頭の浜子たちは歩きながらの井戸端会議に夢中になっている。


 港へ降りる二股の道「左は港、右は砂浜」の、左へ男衆りょうしと右へ女子衆かぞく達に別れたが、坊主頭の浜子達は「キョロキョロ」と、左右を見回し「タッタタタタ~」と、左へ駆け出したものの、オカッパ頭の浜子たちはすんなりと、女子衆と同じ右へと井戸端会議をしながら進路を変えた。


 港では磯舟を水面に浮かべ男衆りょうしたちが頭に捻り鉢巻をし「おれらも海の男だぞ!」と、ばかりに坊主頭の浜子たちが船に道具を積み込む手伝いに追われていた。


 そのころ砂浜に到着した女子衆とオカッパ頭の浜子たちは、砂浜にムシロを敷き左向こうに見える港を「チラッ」と、一斉に見て腰を下ろして一休み。


 岬のやぐらに白い旗が風に靡くと、一斉に磯舟たちはカイ(オール)を漕いで水面を叩き「ギィィーバシャンッ! ギィィーパシャンッ!」と、白い泡波を立てた。


 坊主頭の浜子たちは船を送り出すと、港の中を通って白い砂浜を目指し、砂浜のオカッパたちは女子衆と木桶を持って、砂浜の奥にある沢へと湧き水を汲みに出かけた。


 港を出た磯舟たちは砂浜から数十メートル沖の岩礁の上にイカリを沈めると、10メートルはあろうかと言う大きなカマを水面へと沈め、箱メガネを口に銜えると水中を覗き込む。


 沖で「ユラユラ」と、揺れる磯舟を左に見ながら坊主頭の浜子達が足を急がせ、沢の方から木桶を持った女子衆たちが肩を揺らして戻って来る。


 女子衆たちはムシロの横に木桶を置いて、沢から採ってきた山葡萄やまぶどうの葉とつるで木桶の上に巻きつけるようにフタをした。


 ムシロに腰を下ろして、沖に浮かぶ磯舟に見入る女子衆と浜子たちを照りつける強い陽射しに、突然立ち上がった坊主頭の浜子たちは一斉に湧き水の出る沢へと走り出した。


 数分後、戻ってきた浜子達は「ホラッヨ!」と、女子衆とオカッパ頭たちに太くて固い大きな山蕗やまふきを手渡すと「わぁー♪」と、女子衆たちから拍手が沸き起こり「エッヘン!」と、坊主頭は胸を張った。


 波風立たない日を選んでのワカメ漁に、涼しい浜風を期待する者もなく「ジリジリ」と、照り付ける陽射しに只管、只管……


 2時間ほどしたあたりで沖に浮かぶ磯舟を見れば、船の上には焦げ茶色したワカメが山のように太陽の陽射しに「キラキラ」と、光を放ち「ギィィーコ… ギィィーコ」と、岸へと向かって来ていた。


 磯舟の到着を待つように、波打ち際に立ち並ぶ女子衆と浜子たちは船の到着と同時に「それえぇー!」と、一斉に積まれているワカメに群がり陽射しに照り付けられた砂浜にワカメを10センチ間隔で並べ始めた。


 そんな中、磯舟から降りて来た男衆は、砂浜に上がるなり山葡萄のフタを外し中の柄杓ひしゃくを握り締めると「ゴクッ! ゴクゴクゴクッ!」と、仄かに山葡萄の葉の香りたつ気桶の水で喉を鳴らした。


 


 




◆◆◆◆◆61話(下)







 男衆は喉を潤すと、忙しく動き回る女子衆と浜子を見ることもなく「どっこいしょ」と、ムシロの上に腰を下ろすと吸い口の無いタバコを煙管キセルに捩じ込み「スゥーー!」と、吸い込むと「ハァァー!」と、目を細めた。


 船に詰まれた山のようなワカメは、ドンドンと量を減らし白い砂浜を茶色に染め、照り付ける太陽の下、今度は船の上に乗った女子衆は船の木桶で海から水を汲むと「ジャバァーッ! ジャバァーッ!」と、船の上にぶちまけた。


 浜子達はぶちまけられた海水の中に屈んで、何かを小さな木桶に取っては入れるを繰り返し、それが終わると今度は船を枝の付いたブラシで「ゴシゴシゴシ」と、船の掃除を始めた。


 そんな浜子や女子衆から目を離し、お隣さんや更に遠くを見回すと、何処の船の上でも同じようなことをしていることに気が付く。


 男衆のタバコも残り少なくなった頃、一斉に船から下りた女子衆と浜子達は、船の舳先に何やら艫綱ともづなを結わえると「おどー! ええどおー!」と、タバコを吸い終えた男衆に女子衆が声を発した。


 船は来た方向とは逆に後ろ向きに沖へと戻って行き、女子衆と浜子達は船から下ろした先ほどの木桶を、波打ち際で見入っては「ワガメさぁ付いたのは大きいなぁ~♪」と、個々に目を輝かせた。


 沖の方では再びワカメ漁が始まり、男衆が船を揺らすと木桶を覗いていた女子衆と浜子達は「サッ! タタタタタタッ!」と、ムシロの方へ走ると「あっちぃー! あっちちちち!」と、個々に笑みながに手に手に藁で編んだ草履を持ち再び波打ち際に来ると「バシャバシャバシャ」と、草履を海の水に洗うように沈めると、波打ち際に横並び一列、旅支度のように草履を履いてしっかりと藁紐をカガトに結わえた。


 藁の草履をしっかりと結わえた順に、一人また一人と砂浜の上に駆け上がると「ズッ! ザッザッザッ!」と、ワカメに付いた砂を払い落とし引っくり返す仕事に取り掛かった。


 砂浜で引っくり返されたワカメから磯の香りが広がり、無風の砂浜を埋め尽くした頃「おぉーーい!」と、沖の上の船の上から男衆が砂浜に大声を発し「フッ」と、沖の方を見れば、只ならぬ量のワカメが船を埋め尽くし、男衆が何処にいるのか分らないほどだった。


 船はズッシリと海面に沈み、ひと波くれば沈んでしまいそうなほどになっているのに、誰一人としてその光景に驚く者も居らず、男衆の声を聞きつけた女子衆と浜子達は、一斉に砂浜に足を運び「よいぃーせ! よいぃーしょ! よいぃーせっ!」と、掛け声を合わせて、先ほど舳先に結わえた艫綱を運動会の綱引きのように引き始めると、ワカメで島のようになった磯舟は少しずつ岸へと引き寄せられた。


 砂浜に上がった男衆(漁師)に「あんなに積んで大丈夫ですか?」と、尋ねると男衆は「なんもなんも、半尺も残してるはんで、何ともねえー」と、笑みを浮かべムシロに再び「どっこいしょ!」と、腰を下ろし「あぁ、そろそろ昼飯ちゅうはんだな!」と、空を見上げ太陽を見た。


 すると、船からワカメを降ろしている女子衆が「おとぉー! これ終わったらマンマ(ごはん)にするべー!」と、男衆を労うに微笑みながらワカメを砂浜へと運んでいた。


 ムシロの横に別のムシロを敷き並べ、水の入った木桶を真ん中にして麻袋から取り出した鉄板で出来た弁当箱を、一人ずつに手渡すと「さてさて食うがやぁー♪」と、女子衆が声掛けると個々に弁当のフタを開けた。


 弁当の中身は白い御飯があるものの、おかずが見当たらず「どうするんだろう…」と、見ていると「よっこらしょ!」と、別の麻袋から出した木箱を大切そうにムシロの上に置いて「したら分けるはんでなぁ~♪」と、声掛ける女子衆に目を爛々と輝かせた浜子達が一斉に見入った。


 女子衆は用意した小皿の上に、何やら焦げ茶色した石ころのような物を「コロン!」と、置くとその横に白い粉を一つまみ置いて一人ずつ手渡していた。


 坊主頭もオカッパの浜子達は大歓声をあげ、石ころを砕く者にそのまま、まる齧りする者と個々に満面の笑みを浮かべ白い御飯に舌堤を打っていた。


 ムシロの上は、静まりかえり浜子たちも誰一人として口を開く者は居らず、最後は夢中になって石ころと白い粉を飯の上に塗して箸を動かしていた。


 その日の漁は昼飯後、夕方の3時ごろまで続き、乾いたワカメは次々に波打ち際にまとめられ、最後に残ったワカメを拾い集める頃には真っ赤な太陽が青い海を紅色に染めていた。


 乾かされたワカメは船に折り重なるように詰まれ、ワカメの上からは幾重にもムシロが覆い、男衆と坊主頭の浜子たちは力を合わせるように「ギィィーボチャンッ! ギィィーボチャンッ!」と、船を漕いで太陽の中に自らを紅色に染めた。


 砂浜を歩いて帰路に着いた女子衆とオカッパの浜子たちは、砂浜に漂うワカメの香りに「もう嗅ぎたくねえよぉー!」と、鼻を摘まんで「ジャリッ! ジャリッ!」と、足を前に進めた。


 港に入った男衆の船を「まってました!」と、ばかりに大勢の初老男女の行商人たちが出迎え「ごぐろうさん!」と、労いの声を口々に掛け、磯舟が半分ほど引き上げられると、小さなはかりを出して勝手に、ワカメを取っては秤にかけ、帳面に書き込んでは男衆に現金を手渡していた。


 太陽が沈みかけていると言うのに港は行商人で溢れ、次々に買い付けては背中の大風呂敷にワカメを入れ、次々に入る磯舟を追いかけるように右往左往を繰り返した。


 赤かった太陽が沈み真っ暗になっても、港から人の声は止まらず磯舟を完全におかへ上げた男衆と坊主の浜子たちは、ワカメがドッサリと詰まれた磯舟をそのまま離れようとして「大丈夫なんですか? まだこんなに残ってるのに…」と、問うと男衆は「あぁ、これは明日組合さ御ろす分だども、浜にゃ泥棒なんていねーはんでよぉー♪ 心配ねえから♪」と、辺りの磯舟を見渡すと、陸に上げられた他所の磯舟にも干しワカメがドッサリと積まれていた。


 暗がりの中、おかに上げられた磯舟たちはどれもこれも、ワカメがドッサリと積まれているものの、誰一人として近寄る行商人も居らず無駄な心配だったと気付く。


 男衆と浜子たちは、賑わう港を後に家路を急いだ… 「おおー! いい匂いだなあー!」と、家の玄関を開けた男衆が歓喜すると、囲炉裏の上には大きな鍋が用意され、浜子たちが「うおぉぉー♪」と、鍋の中を見て手を叩き大喜びしした。


 囲炉裏の真ん中に、台所から運ばれた大なべから湯気と共に、浜三平汁はまさんぺいじるの匂いが家中いえなかに「パァー」と、広がると、浜子達は一斉に囲炉裏の自分の席へと正座し始め、おかっかー(母親)が、おとおー(父親)に「今日はご苦労さんでしたぁ♪」と、濁酒を湯飲みに注げば、ばばじじもみんな笑顔になった。


 口々に「うめなぁー♪ うめえぇー♪」を繰り返し忙しく箸を動かす浜子達と、のんびり疲れを癒すかのように濁酒を飲む浜人おとなたちの癒しの時間も過ぎていく中で「プップゥー♪」と、行商人達を乗せた臨時のバスが集落からタイヤの音を遠のかせた。


 早朝から暗くなるまで続いたワカメ漁は、布団の中でカイ(オール)を坊主頭の浜子に漕がせ、ワカメを引っくり返す仕草をオカッパの浜子にさせて夢の中で只管、只管……


 静まり返った家の周りに「ゲコゲコゲコ… ゲロゲロゲロ」と、鳴いた蛙たちの声は、疲れ果てた浜子達に届くことは無かったようだ……




 ※浜三平汁の具はワカメ漁の時に獲ったワカメに付いて来た通称、お土産と言い、鮑にウニに螺貝も3種類と多く、ヤドカリに時には小さい蛸が混じることもあった。

 ※焦げ茶色した黒砂糖と白砂糖は当時、浜集落では高価なもので集落自体に入ってこない貴重なものだった。

  また、3センチ角の1キレの黒砂糖は熊の出没する15キロ離れた隣街への徒歩での、お使いの代償として支払われることが頻繁だったことから価値が分るだろうか。

 ※白砂糖も貴重なものの一つで、黒砂糖ほどではないが黒砂糖1キレと白砂糖一握りの差はあった。

 ※ワカメ漁は生まれながらにして熟練した浜人や浜子でないと難しく通称、獲り・干し・拾いの仕事は素人では売り物にならない危険があって、銭を出して街から他人を雇うことはしなかった。

 ※本来獲った物は全てを組合を通す規則ではあったものの、街で高値で取引されるワカメは貧しい者や山里には届きにくく、行商を通じて流通を願う漁師達のささやかな気持ちだったのかもしれない。

  







◆◆◆◆◆62話







 今日で十日、海が荒れて漁に出られない日が続く… 青かった海は黒ずんだ銀色に変わり、オカ寄りの岩場は渦巻く白波と気泡が風に舞う。


 渦巻く荒波で岩場に近づくこと叶わず、浜里の食卓から海の恵みは姿を消し僅かに採れる山の恵みが添えられる。


 毎日続くフキの煮物とアイヌネギ(キトヒロ)の炒め物に、強風で外に出られない浜子たちが家中で「ブゥ! ブウゥゥゥゥー!」と、屁を垂れると強烈なニンニクのような匂いを家中に漂わせ「こりゃぁ! 屁垂れる時は便所でやれっていってるだろぅ!」と、不機嫌な父親オトーに怒られて逃げ惑う浜子たち。


 朝から晩まで、あちらで「プゥ!」こちらで「ブブブウゥゥー!」と、浜子の垂れる強烈な屁が、家に染み込んで行く。


 やがて集落に夜が訪れ、家中にランプが灯されるものの「ぶぅ! ブビビビィィー!」と、浜子の屁は止まらずに、強烈な異臭に嫌気をさしたオドーが「まずまず臭ねぇのぉぅー」と、顔を顰め立ち上がり、戸棚から茶色い壷と酒の入った土瓶を手に「どっこいしょ!」と、囲炉裏の前に座ると酒を湯飲みに注ぎながら「コリッ! コリコリコリ」と、歯切れの良い音を俄かに放った。


 歯切れの良い音の間に「ぷはぁぁぁー!」と、合いの手を入れるように酒で喉を潤し「カリッ! コリッ! コリコリコリ」と、心地よい音を静まり返った家中に響かせると「ありゃりゃりゃ、まだ食ってるのかや~♪」と、浜子の父親オトーがオドーの横で胡坐をかいて座った。


 オドーの湯飲みを横から「ヒョイッ!」と、待ち上げると「ゴクゴクゴク… ぶはぁ! うめえぇー!」と、オトーも「コリコリコリ… カリカリカリ…」と、心地よい音を発した。


 並んで酒を飲みながら「コリコリコリッ…」と、音出す二人に「まぁまぁー♪ よく食えるもんだのおぅ♪」と、ばばが囲炉裏差し向かいに座ると、オドーが「坊ーたちのが臭くて臭くてのおぅ♪ ついつい、これ食うてしまうべ~♪」と、一粒「ポンッ」と、口に放り込むと「カリッ! コリッ! コリコリコリ」と、婆の前で笑みを見せた。


 オドーとオトーが並んで「コリコリ」と、音を出していると「これどうぞ~♪」と、浜子たちの母親オカーが小皿に白砂糖と竹串を数本持って来て二人に手渡すと「ほほおぅー、こりゃいい♪」と、嬉しそうに一粒ずつ串に刺して白砂糖を少し塗すと、囲炉裏の上の渡し網にそっと乗せた。


 渡し網の上で焼き団子のように並べられたものから「ブツブツブツ」と、湯気が昇り甘辛い匂いが辺りに漂うと「オドー! オトー! オラも食いてぇー♪」と、突然、浜子たちがオドーとオトーを後ろから取り囲んだ。


 するとオドーが「ダメだダメだダメだってばぁー! お前達さ食わせたら、まんだブップカブゥーっとなるはんで!」と、言いながらもブツブツと渡し網から漂う甘辛い匂いに「しかたねぇなぁー みんなで一本だけだはんでなぁ!」と、浜子達に一本、小皿に乗せた。


 一杯の酒の肴だったはずの、ニンニクの味噌漬けと醤油漬け、そしてそれらを串に通して白砂糖を塗した串焼きは、浜子達にアイヌネギ(キトヒロ)以上の悪臭を放つ結果を招いたものの、後に浜子達に弟妹が一人加わったのは言うまでも無い。


 浜集落では毎年のように訪れる嵐の月が、誕生月だと言う浜子は少なくない……


 山からの恵みである山フキとアイヌネギ、そして前の年に漬け込んだニンニクの味噌と醤油漬けが浜集落を元気づけていることは間違いないようだった。


 


 


 

◆◆◆◆◆63話







 ゴムの短靴を履いた浜子たちが靴を「ペタペタ、ペコペコ」と、鳴らし、手にはお気に入りだろうか棒切れを持ち、半ズボンに半袖、そして全員が丸坊主と言う井出たち。


 風呂敷に包んだ学校の教科書を持ち、他人の家の前に干してあるスルメイカを誰かが一枚拝借すると、次々に周りの浜子たちもスルメイカに手を伸ばす。


 大人の背丈ほどの丸太が二本、五メートルほどの間隔で立てられ、山吹色の藁縄を両端に縦30センチ間隔で結わえられていて、そこにスルメイカ半折状態で干されている。


 そんな浜子たちの行動を見ていて何も言わない浜家の家人たち… 勝手に物を盗っているのに一言も怒る気配がなく、周囲を見回すとスルメイカばかりか台に乗せられて天日干ししている魚にまで手を出す浜子たちの姿も窺える。


 育ち盛りの浜子たちとは言え、他人の家の物を盗ると言うことに怒りを表さない家人たち… 挙句に浜子たちは教科書の入った風呂敷を、干してあるスルメイカの下に積み置きすると何処かへ消えてしまった。


 五十枚ほど干してあったスルメイカは四十枚ほどに減り、それを見た浜家の家人は、うな垂れる様子もなくスルメイカを引っくり返して家の中へと消えてしまった。


 お天道様が西に傾き集落を赤く染めても浜子たちは戻る気配がなく、風呂敷に包まれた教科書もそのまま、更に時間が経ち、お天道様の代わりに、おおつきさんが集落を照らしはじめた。


 翌朝、置き去りにされた教科書が心配になって早起きして見に行くと、既に風呂敷は跡形もなく消えていて、戻ろうかと「チラッ」と、スルメを盗られた家の前に目を向けると、小さなムシロが掛けられた木箱が玄関の前に置いてあった。


 なんだろうと近づいて、そっとムシロを避けて見ると木箱の中に、ウニ・鮑・ワカメに昆布と40センチはあろうかと言う魚が二匹入っていた。


 一体、誰が? と言う疑問が愚問だったことに気付くのに時間はかからなかった… 集落の家々から聞こえる笑い声の中に「昨日! 地蔵様が来てくれたんだわぁ~♪」と、大喜びする浜家の女子衆…「ほお~ どらどら見せて見ろ! こりゃぁ、良いものもらったのおぅ~♪」と、浜家の男衆の声。


 浜集落のアチコチから聞こえて来る地蔵様と言う呼び名… 耳を澄まして良く聞くと「浜子地蔵…」と、言っているのがわかった。


 浜の集落に突如出没する浜子地蔵様の正体を知ってか知らずか、今日もスルメイカや魚を干す浜家は後を絶たなかった……




 ※浜子地蔵は食べた分の十倍以上の返しをすることで、有名な実在する地蔵様たちの集団である。

 ※子供は集落の宝、血筋に関係なく集落で育てると言う、今では貴重な文化だろうか。

 

 






◆◆◆◆◆64話







 魚を終え沖から帰る浜人りょうし達と入れ替わるように、家を出て学校へやって来る浜子たち… 始業の合図は「カラァン~ カラァン~ カラァン~♪」と、聞こえる手振りのベルの音。


 ベルを持った先生が校内の廊下を音頭をとる様に上下に振ると、廊下に居た浜子達は一目散に教室へと駆け込む。


 先ほどまで楽しげな浜子達の声で溢れていた校内は一瞬にして静まり、教科書を持って廊下を歩く先生達の足音だけが校内に響き渡る。


 教室の引き戸が「ガラガラガラー」と、音を立てて開くと七三分けの頭にヨレヨレの背広を来た先生が、険しい顔で黒板の前に立つ。


 僅か6人程度の生徒を前に、顔をキリっとさせて「おはようございます」と、先生の声が狭い教室に響くと「おはようごいます!」と、元気いっぱいの浜子達の声が先生へと届けられた。


 校舎を囲む松林で羽を休めるカラスたちも、先ほどまで「カアー カアー」と、鳴いていたのをピタリと止め窓の向こうから教室に見入っている。


 雲一つ無い澄み切った青い空の下、薄暗い教室に届けられる静かさという音の無い音が「ヒリリッ!」と、張り詰めた空気を漂わせると「えー! 本日は土曜日! 天気もいいしラジオの天気予報も晴天だと報じていたことから! 本日は課外授業と言うことで海へ行く!」と、目の前の生徒達を見回しながら口元を緩めた先生に「わああぁぁぁー♪」と、一斉に席を立って大喜びする浜子達。


 教室の6人の浜子達は「何処行く? アソコがいい♪ いやあっちだろ♪」と、顔を見合わせ相談を始めると「さてさて、今日は何処の浜へ連れて行ってもらえるのかな~♪」と、嬉しそうに浜子達に声を掛けると「先生! アソコの浜はねぇ♪ 浜昼顔が薄い桃色ピンクでとっても綺麗なんだよおぅ♪ アソコの浜がいい♪」と、傍で微笑む先生に駆け寄るオカッパ頭の浜子に「よし! 前回は男子の意見を取り入れたから♪ 今回は女子の意見に従うことにしよう♪」と、浜子達の顔を一人ずつ見た先生に「先生! アソコは砂利浜だから、なーんも食うものねえんだよー!」と、駆け寄る坊主頭の浜子に「それは困ったなぁ…」と、一瞬、顔を曇らせた先生。


 すると別の坊主頭の浜子が「途中の岩浜で獲っていけばいいべぇー!」と、せり出すと「うんっ! そうしようか♪」と、首を大きく振る先生。


 運動靴からゴム長靴に履物を替え、頬かむりした上から麦藁帽子深くかぶった先生の手に、浜子達の小さな手が我も我もと群がった。


 岩浜で昼のオカズになるウニ(ノナ)をブリキのバケツいっぱいに獲り、天秤棒に二つぶら提げる坊主頭の浜子と、小岩を起こして捕まえた磯カニの入った小さなバケツを持つオカッパ頭の浜子に、先生の好物でもあるワカメを網袋に入れ担ぐ坊主頭の浜子。


 中でも一番、大汗を流しているのは先生が学校の裏山の畑で採ったジャガイモの入った袋を「うんせ! うんせ!」と、持ち運ぶ坊主頭の浜子。


 集落から岩浜まで20分、岩浜から砂利浜まで砂を上を30分と浜子達は意気揚々としているのに、先生は既に息が上がっているようだ。


 まるで砂漠の旅人のように前屈みになって、生徒達に励まされながらようやく、浜昼顔の砂利浜に到着すると「うわあぁ! こ、これは!」と、砂利の浜、一面を山側から覆う浜昼顔に圧倒された先生。


 両手を「ダラン…」と、下げ立ち尽くす先生が「綺麗だあぁ~」と、一言漏らすと、腰砕けしたように砂利の上に尻餅をついた。


 傍で満足げに先生に見入るオカッパの二人の浜子と、そんなものにお構いなしとばかりに、焚き火の用意に追われ薪集めに忙しい坊主頭の浜子たち。


 

 





◆◆◆◆◆65話








 砂利浜に広がる昼顔の真ん中で、仰向けで空を眺める先生とオカッパの浜子達から波打ち際まで30メートルほどだろうか、その中間に集められた紙や木片は高さ60センチほどに積まれた。


 焚き火の準備の終わった坊主頭の浜子達は、砂利の中に埋まる手頃な石を拾い集めせっせとカマド作りに追われるものの、群生する昼顔の中に横たわる先生は構うことなく只管、只管……


 先生の両側で添い寝していたオカッパ頭の二人が「ヒョイ」と、上半身を起こすと「タッタタタタッ」と、坊主頭たちの方へと駆け出し「出来たかや?」と、オカッパ頭が坊主頭に聞くと「あぁ、出来たべゃぁ!」と、額の汗をタオルで拭う坊主頭たちは、オカッパ頭たちにカマドを引き継いだ。


 石をUの字に積み上げた外側を小砂利で覆い、更に砂利の上から砂で覆う… 口の開いてる方から奥を覗くと直径3センチほどの、流れついたであろう竹が数本、口をあけて顔を出している。


 ちゃんと竹の中が坊主頭に依ってくり貫かれているかを、オカッパ頭たちが入念に確認すると「中々、いいカマドだな♪」と、坊主頭たちを下から見上げるオカッパ頭の二人は嬉しそうだ。


 満足げな顔するオカッパ頭に褒められた坊主頭の一人が、スボンのポケットから「ホレ」と、マッチを手渡すと坊巣頭たちは「したら」と、その場を離れ波打ち際を遠くに見える岩場を目指して歩いて行った。


 坊主頭の浜子たちが居なくなると、オカッパの浜子たちはカマドの下に引いてある平らな石の上に、海の水で洗ったジャガイモを間隔を取って並べると、その上から「パラパラ」と、砂を塗し芋を覆いつくし、その上から焚き火の材料を掛けマッチで火を点けた。


 拾い集められた焚き付けは「パチパチッ」と、音をあたりに響かせ「ユラリユラリ」と、炎を躍らせると浜子の二人は小さな木片、中位の木片と手際よくテントのように並べると、炎は次第に大きくなり90センチほどのカマドは「パチパチッ」から「バチッバチッ」と、音を変え燃え上がった。


 遠くの岩場で動き回る坊主頭の浜子たちから、届けられる大歓声に聞き耳を立てるオカッパたちは、波打ち際に座りカマドを「チラチラ」と、気にしながら沖の上を飛ぶ白いカモメを目で追った。


 カマドの炎が小さくなる度に、カマドに薪を入れに行っては波打ち際に戻り、戻ってはまた薪を入れに行くを繰り返すオカッパたちの額にも汗が滲んでいる。


 浜昼顔の真ん中で横になった先生も、よほど心地よいのか就寝の様子… オカッパたちが「ソオ~」と、近づくも目を覚ます気配なく顔を見合わせてニッコリするオカッパたち。


 空を見上げたオカッパの一人が「そろそろ昼だのぉ~」と、お天道様を時計に見立てると「パッ!」と、目を覚ました先生が「昼になったか~♪」と、むくっと起き上がり照れ笑いする。


 遠くの岩場にいた浜子達も時計を見たのか、手になにやらぶら提げて向かって来る姿が見えると「先生♪ 土産獲れたみたいだぞ♪」と、先生の顔見たオカッパ二人が「ニッコリ」と、口元を緩め「おぉ♪」と、目を大きく見開いて嬉しそうな顔を見せた先生。


 向こう側から来た浜子たちが「ホレ! 土産獲れたべゃ~♪」と、50センチはあろうかと言う「アイナメ」を先生に見せると波打ち際に立てた棒にしっかりと括りつけた。


 波打ち際から戻った坊主頭たちが、オカッパ二人に「腹減ったべゃ~」と、口をへの字にして見せると「あぁ~ もう出来てるぞぉ~♪」と、炎の弱まった焚き火の下から芋を棒切れで取り出すと、再び薪を入れ火を起こした。


 

 




◆◆◆◆◆66話








 薪を居れ火を起こすと石積みのカマドのがわに、黒いトゲがウネウネ動くウニを殻ごと乗せ、炎の舞い上がる薪の上に鮑を一つずつ放り投げる。


 舞い上がる煙に混じる磯の香りが漂うと「食うべ♪ 食うべ♪」と、目を躍らせる先生と砂利の上に腰を下ろす浜子たちに「ワカメ、ワカメ」と、口元緩めて辺りを見回す先生に「ちゃんあーんとあるってぇ♪」と、心配するなとばかりにオカッパ二人が生ワカメを先生に手渡す。


 渡された生ワカメを焚き火の炎に何度か振ると、焦げ茶色だったワカメは見る見る、キレイな緑色に色を変え濃厚な磯の香りを回りに伝えた。


 次々に焼きあがる鮑を棒切れで刺しては、カマドの前の板の上に並べるオカッパ二人と、喉をゴクっと鳴らして焼きワカメを頬張る先生、焼きあがった芋の皮を向いて先生を見て嬉しそうな顔を見せる浜子たち。


 剥き終えたクリーム色した芋から立ち上る白い湯気を「ふうぅー! ふうぅー!」と、息を吹きかけ冷ましては「はぐッ!」と、一口食べた浜子たちから「うめえぇ~♪」と、歓声が沸き起こり先生の方を一同振り向けば「はふはふはふ!」と、好物の焼きワカメに全力を尽くす先生の姿。


 カマドの側で黒から白の混じる薄茶色に変化したウニを、棒切れを使って浜子たちが引っくり返し白いヘソをグイッと棒で押し込めば「ジュクジュクジュク」と、甘いウニの焼けるにおいがして白い湯気が舞い上がる。


 焼きワカメを右に、焼き鮑を左に大忙しの先生を見ては、目をまん丸にして顔を見合わせる浜子たち… 芋を食う手を休めては「先生ー! 慌てんでも先生が全部食ってもいいからぁ~♪ あっはははは♪」と、浜子達に背中を叩かれて「おっ! いやあぁー参ったなあぁー♪」と、大笑いした先生。


 焼き芋の皮で手を黒くした浜子達は波打ち際で「ジャブジャブジャブ」と、横一列で手と口元を洗うものの、先生は一人で黙々と海の幸に舌堤をうち、冷めて丁度良くなった芋を頬張っては次は何を食おうかとカマドを見回していた。


 口元と手を真っ黒に染めた先生は「ひやぁー 食った食ったぁー♪」と、ゴロンと胡坐から後ろに倒れ「もう何にもいらん! こんな御馳走食えて幸せだあぁ~♪」と、空を眺めて人の歓喜した。


 カマドの焚き火も消える頃、先生を真ん中に横一列に仰向けになって昼寝する浜子たちも暫しの休憩… 半時ほどした頃「ムクッ!」と、起きた先生が「よし! みんな写真撮るから花の前に並べ!」と、口元を芋の炭で黒くした先生が立ち上がった。


 泥棒ヒゲのような先生の顔見て「あっひゃひゃひゃー♪」と、腹を抱えて大笑いする浜子たちに「こらこら、終わったらちゃんと洗うから♪」と、照れ臭そうに微笑む先生。


 横一列に浜昼顔の前に整列した浜子達を何枚かカメラに収めると「よっしゃ! 次はこれだ!」と、周りの浜昼顔の花を「ブチッ! ブチッ!」と、もぎ取って「ほら、これみんな一つずつ持ってよ!」と、浜子達に渡そうとした瞬間!「うわあぁぁー!」と、一斉に大声で驚きの声を発した浜子達に「どっ! どうした!」と、浜子達の声に驚いた先生が慌てた。


 すると、坊主頭の浜子の一人が「おい! 帰り支度するぞ! 急げ!」と、慌てると「うん! そうだ! 急げ!」と、口々に帰り支度をする浜子たちに「ど、どうしたんだ!?」と、両手を広げた中腰の先生が浜子達を見渡した。


 帰り支度を始めた浜子の一人が「先生、浜昼顔摘んだら、ダメだっていたでねえかぁー! 忘れたのかぁー!」と、少し憮然とした表情で答える浜子に「あぁぁー! あれかぁー♪ 迷信… 迷信だったってぇー♪ あっはははは♪」と、両手を腰に当てて大笑いする先生は更に「今日は快晴だってラジオの天気予報も言ってたぞ♪」と、帰ろうとする浜子達に余裕を見せて言い聞かせる先生。


 そんな先生を気にも留めず、浜子は波打ち際の魚を先生に手渡すと「いくどー!」と、全員に声掛けると「スタスタ… ジャリジャリ…」と、帰路につき「おぉーい♪ まったく迷信だって言ってるだろうにぃ♪」と、先生は砂利浜に腰を下ろして空を見上げた。


 浜子達は先生を何度も手招きしては帰路を急ぎ、港が大きく見える辺りに来ると空を見上げ「急げ! くるどお!」と、声を少し大きく発すると、あれほど晴れていた空は見る見る間に黒い雲で覆われ、明るかった周囲を薄暗くした。


 空を見上げた浜子達は「うわあぁぁぁー!」と、大声を発して一斉に走りだすと「ピカッ!ゴロゴロゴロ!」と、激しい雷が地面に響き「それえぇぇー 急げえぇー!」と、声掛けて浜子達は港の端っこにある小さな浜人りょうしの浜小屋へと辿りついた瞬間!「ドオオオォォーン! ゴロゴロゴロゴロォォー! ピカッ! ザザザザアアァァァー!」と、激しいいかずちと共に激しい雨が集落に襲い掛かった。


 あわやの所で浜小屋に入った浜子達が心配そうに、小屋の窓から先生の居る方角に見入ると「ドン! バタン!」と、浜人りょうしが入ってきて「お前らがっ! 浜昼顔さイタズラしたのは!」と、仁王様のような顔して浜子達に拳を振り上げた! そこへ「ドンッ! バタン!」と、全身ずぶ濡れで入って来た先生が「申し訳ありません! 私なんです! 子供達から聞いていたのに… 申し訳ありません!」と、何度も浜人に深々と頭を下げ詫びると先生。


 浜子達の前で散々、浜人に説教された先生は意気消沈し只管、浜人に頭を下げ続けた… そして雨も上がり浜人が再び外へ出て行くと「先生… 戻ろうよ…」と、浜子たちに言われ「うん…」と、ショゲながらビショ濡れのまま浜小屋を後にした。


 学校へ戻った先生は、まだ迷信だと思っている節があり戻る早々に浜子達を帰宅させ、左右の隣街の学校へ職員室に一台しか無い壁掛け電話から連絡を取ったと言う… そして「えぇぇー! そんな馬鹿な! そ… そんな…」と、何やら顔色を変えたと言う。


 翌週の月曜日、学校へ登校した浜子達が教室へ向かう廊下にある、学校便りと言う掲示板に目を奪われた…「浜昼顔にイタズラしたり摘んではいけません」と、書かれた一枚の注意書きだった。


 後に聞いた話では、浜子達が休みの日曜日に先生は集落の家を一軒ずつ訪ね歩き、謝罪して回ったと言う……


 

 ※今も残っている迷信… 果たして迷信かどうかは知る人ぞ知ると言うことだろうか。

 ※ウニのヘソ(白い歯の付いた口) ※ワカメに火を通すと綺麗な緑色に変わり焚き火で焼いて食べる

 ※電話(壁に本体と通話する湯飲み茶碗のような物があって、本体のクランク棒を回して発電し相手先(電話局)のベルを鳴らす仕組み)

 







◆◆◆◆◆67話








 浜集落の左側、外れの方から磯浜へ降りる絶壁は草木に覆われ、その中に太い綱が一本垂らされている。


 以前、浜子たちが浜人りょうしからウニを御馳走になった、あの浜の辺りから浜人たちの声が風に乗り、離れた集落へと運ばれて来る。


 お天道様も上り始めの午前9時、浜人たちの声が賑わうものの浜家の殆どは、戸締りを厳重に晴れているのに雨戸で窓や戸口を塞いでいる。


 奇妙な光景に、誰かに物を尋ねようにも集落には人ひとりおらず、風に伝えられる浜人たちの声の方へ「一体何が…」と、歩みを始める。


 集落の端から下の浜を見下ろせば、浜人たちが腕組みして全員が同じ方向を見て、何やら語らうのが解かるもののハッキリとは聞こえず、風に乗って舞い上がる声に耳を澄ました。


 すると風に伝えられた浜人が口々に「親父はどごだべ… 親父はアソコだ! 親父は今日帰るべかのおぅ~」と、何処かの父親のことを案じているようだった。


 しばらく上からその光景を見ていると「来た来た! ホラ、アソコだ!」と、誰かが少し大きな声で話すと「うおぉぉー! 居た居た!」と、全員の声が重なった。


 浜人たちの指さす方向はこの場所からは見えない… 何とか見ようとするものの覆う木々と左側に聳える断崖が邪魔して何も見えない。


 と、暫くすると突然! 下にいる浜人たちが「走った! 走りだしたぁー!」と、一斉に声を発すると「うわあぁぁー!」と、下へと垂れ下がる綱に掴まって、覆う木々の中の絶壁を浜人たちが登り始めた。


 絶壁に育つ木々は左右に大きく揺れ、上から垂らされた太綱は「ギシギシ」と、音を風に伝え「そりゃぁー! もう少しだあぁー!」と、一人、また一人と上へと這い上がって来た。


 這い上がってきた浜人たちは両膝に両手を当て「はぁはぁはぁ」と、肩を揺らして荒い息を整えると「ほらあぁ! アンタもグスグスしてねえで港(浜)さ行ぐどぉ! 急げ!」と、這い上がった浜人達は一斉に集落へ、そして集落から港へと一気に駆け下りた。


 何が始まったのかと、うろたえていると「ホラホラホラァー! アンタもい急がねえと!」と、声に引き摺られるように港へおりると「ドドドドドオォォォーン!」と、船着場に浮かぶ漁船が一斉に、黒い煙を上げ機関音を空に轟かせた。


 黒い煙で港の中は覆われ、暫くして空気が澄んで来たと思うと、船の上には大勢の男衆から女子衆に浜子たちが重なるように乗りあっていた。


 たどたどしい雰囲気の中、一艘、また一艘と機関音を轟かせ船が港を出る中で「アンタァー! 置いていくどおぅー! 早く乗れぇぇー! 親父が来てるがらぁー!」と、凄い形相で怒鳴る浜人。


 船は「ドドドドドオォォーン!」と、黒い煙と音を轟かせると船体を前後に揺らし「バッシャァァーン! バッシャァァーン!」と、舳先へさきで海面を叩き青い海面に白い波を立てた。


 大勢の浜人を乗せて沖に向かった漁船が、一塊になって舳先を集落側に向け機関音を小さくすると「おぉ、来た来た…」と、望遠鏡を覗く浜人が「今、地蔵様のとこ… お! 走った! 走ってぇ街の中ば歩き回っとるで!」と、望遠鏡を覗きながら無線で教えている。


 舳先を集落に向けた船を見渡すと、大勢の船にコダマするラッパ(スピーカー)から流れる浜人の声が、幾重にも重なり響いているのが解かった。


 青い海と澄んだ空の真ん中に浮かぶ船から、歓声が上がったのは一時間ほどしたあとだった。


 


  

 ※親父(熊)のこと

 ※山の親父さんは年に一度、自分の縄張りを視察に来ると言い、親父さんが来たら親父さんが気持ちよく御帰りになれるように浜人たちは街を明け渡すのだと言う。

 ※親父さんが街に滞在する時間が短ければ短いほど、その年は大漁に恵まれると言う言い伝えもあるようだ。

 







◆◆◆◆◆68話







 浜集落にもタンポポの季節が来たようだ… 小石と土が絡み合って出来た固い道の両側のヘリに生える緑の草の中に混じるように黄色い花をつける。


 集落の上にある学校の途中、グラウンドを囲う木で出来た手摺に頬杖を着いて集落を見下ろせば、左右に伸びる道にも下へ降りる道にも、はたまた十字路にも縁には眩しいほどの黄色い花が目を楽しませる。


 道を飾るように咲いた黄色いタンポポを気遣い、馬車同志が狭い道を擦れ違う… 生きる物を粗末にしない浜人はまんどたち。


 緑色やま青色うみ茶色つちしか無い浜集落に黄色タンポポが仲間入りしたようだ。


 






◆◆◆◆◆69話







 夜だと言うのにヤケに港が騒がしい… 月明かりと浜家から漏れる明かりを頼りに港の見える場所へと移動する。


 浜から吹く風に浜人たちの声が乗り、集落へと運ばれると浜家の戸が次々に開かれ、心配そうに家人たちが浜の方へ耳を向け澄ます。


 集落の外れに浜人たちが集まり、煌々と燃やされる魚火(いざりび)は、港のアチコチを炎が照らしその海面に炎が揺らめく。


 左右の船着場のほぼ中央に位置する船揚げ場、港の中心部に一際大きな魚火があって、そこに右往左往する浜人の影が見え隠れし、浜から慌てて集落に上がってきた浜人が「お客さん! お客さんが来たはんでぇー! 仕度してくれぇー!」と、大声で浜を見下ろす浜人たちに告げ歩いた。


 浜から上がって来た浜人の「お客さん」の声に、一斉に浜家の玄関に炎の灯るランプが掲げられ、夜だと言うのに浜集落は祭りのごとく「灯り」と言う賑わいを見せた。


 集落の外れにある地蔵様を祀る(まつる)社の戸口が開かれ、中から煌々と外へと放たれた大きな炎のランプの光は、集落の何処からでも地蔵様の場所がハッキリと見えていた。


 地蔵様の社の光が見えた瞬間、一斉に集落の明かりは玄関も家中も全てが消され、港の魚火と地蔵様の社の灯りだけが月夜を照らしていた。


 半時ほどが経過すると、港から「チリ~ン、チリ~ン」と、鈴の音が聞こえ、その後から「ガタッ、ガタッ、ゴロゴロゴロ」と、手押し車の、木で出来た車輪の音がして大勢の浜人たちが、手押し車を囲み口々に楽しげに、手押し車の荷台に「さーさあー♪ 今から地蔵様のとこさ、案内するはんで♪ 何処さもいかねで、じっとここに乗っててくれよぉう~♪」と、大勢の浜人の楽しげな語らいが暗闇の中に手押し車と一緒に歩んでいた。


 浜から上がって来た「チリ~ン、チリ~ン」の鈴の音は、手押し車の先頭を脇目も振らぬ浜人が、ゆっくりと鳴らしていて、その後ろから手押し車の荷台に「今日は、いい天気だったなぁ~♪ おかげさんでアンタさんにも御会い出来たのは何よりだったのぉぅ~ あっはははは♪」と、口々に楽しげに荷台に話しかける大勢の浜人たちは、集落を地蔵様の社の方へとゆっくりと移動して行った。


 大勢の浜人たちと手押し車が通ると、集落の家々から家人たちが塩を持って来ては、家の周りに「迷わんで~♪ 安心して~♪ 行って頂戴ねぇ~♪」と、風に掻き消されそうなほど、小さな声で歌うように塩を撒いた。


 手押し車が地蔵様の社に到着すると、浜集落の家々に次々に明かりが灯され、慌てるように女子衆たちが集落のアチコチから集まった。


 




◆◆◆◆◆70話






 地蔵様の杜に集まった女子衆たちは、男衆によって運ばれてきたお客さんに「お疲れ様でやんしたのぉ…」と、口々に声を掛け「これから風呂さ入ってのんびりして頂戴ねぇ♪」と、荷台の上からお客さんを下ろすと、ムシロを引いてその上に「横になってて下さいな♪ あとはみんなでキレイに洗いますからねぇ♪」と、お客さんを労いながら寝かせた。


 お客さんは、女子衆たちから最近のことや、集落での出来事を話して聞かされながら、温いお湯で全身をキレイに洗われると、女子衆たちが若い頃に着ていて、もう着ることの出来ない色とりどりのキレイな着物を着せられ「寒かったでしょう…」と、女子衆から声かけられ一枚、また一枚と数人分の着物を着せられた。


 痩せ細ったお客さんは何枚もの着物を着せられ、化粧を施され髪もキレイに結われ、足には白い足袋も履かせて貰っていた。


 1メートル程の高さに居る地蔵様の足元から、下へ伸びる算段の段差の上の二段目に、真新しい敷布団に枕、掛け布団が置かれ、そこにキレイになったお客さんに「今夜はここで、ゆっくりと疲れを癒して下さいねぇ~♪」と、女子衆から口々に声かけられた。


 翌朝、浜集落に大柄で鼻の下に立派なヒゲを蓄えた軍服のような服装の巡査が、黒い立派な馬に乗り、地蔵様の社にいた浜人達から来客時の状況を大まかに聞き、同行させた付き人にお客さんの似顔絵を書かせた後、お客さんに深々と一礼すると浜家で朝食を馳走になり隣街へと戻って行った。


 巡査が戻ったあと、男衆たちは集落から歩いて30分の墓地に向かい、同時に女子衆たちが家々から持ち寄った、生物を使っていない料理を次々に地蔵様の社に運び「どうぞぉ、食事の支度が出来ましたから、召し上がって下さい~♪」と、優しい口調で声をかけ供えた。


 地蔵様の社の中は沢山の料理と花で、二十四畳間ほどの部屋は所狭しと埋め尽くされて行くと「アンタさんの事情は、なあーんも解からんけど、集落からの気持ちだから、楽しんで行ってくださいねぇ♪」と、一人また一人とお客さんに声かけていると「ガタガタガタ… ゴトゴトゴト… ヒヒイィーン! ブルブルブル…」と、社の外に馬車の音がして、社から女子衆が数人で迎えると「ほほおーぅ♪ お客さん楽しんでおられるようじゃのおぅ♪」と、紫の袈裟をかけ真新しい足袋を履いた、白い眉毛の僧侶が隣街から馬車で集落の浜人に連れられて来た。


 僧侶は地蔵様の前で、深々と一礼すると「こんにちは♪」と、声を弾ませ笑みを浮かべながら社に入って行くと「隣街から来ました僧侶の○○と申します♪」と、寝ているお客さんとは別の壁側の誰も居ないところで自己紹介をしていた。


 墓地から戻った男衆たちは、社の女子衆に声掛けると、女子衆たちが用意していた黒い半被を羽織った… 社の中の灯明が燈されると僧侶が「南無妙法蓮華経…」と、合掌し数珠の音を響かせると、僧侶・女子衆そして社の外に男衆の順に僧侶に合わせて経を唱え始めた。


 朝の八時に始まった祈りは午後三時ごろまで続けられ、夕暮れの迫る中、棺に納められたお客さんは男衆の準備した墓地の外れの丸太の櫓に乗せられ、僧侶と浜人たちの見守る中で天へと旅立った行った。


 浜集落では、何らかの原因で海原を漂う人を「お客さん」と、呼んで労わり労い手厚く葬るが、浜子はお客さんとは一切の接点を絶ち、神社の社の中に集められ神主と共に時間を過ごしていた。


 そして、この年の浜集落は豊漁に次ぐ豊漁で活気付き賑わいを見せたが、この浜集落では古くから「お客さん」を大切にしていると言う話を聞かされた……


  

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