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9枚目 ストーカーだめ、絶対。

 ね、眠い……。

 ただ今四時間目、数学の授業だ。私は今、襲い来る魔の手、睡魔と戦っている。

 一度勉強したことのある内容をもう一度勉強しなければならないこの苦行。いったいこの苦情はどこに言ったらいいのだろう。お客様コールセンターは何番ですか。

 例えば、これが何年か前に習ったことだったら、所々忘れていたところなんかを思い出したりして、少しは楽しかったかもしれない。だが、私はこれと全く同じ内容を一年も満たない数ヵ月前に習ったのだ。必死の思いで合格点を取り補習を免れたのに、何でまたやらないといけないんだよー! である。叫びたい。だけど、今ここで叫ぶと不審者になってしまう。私はいつもの叫びたい衝動を沈静化させなければならないのだ。でなければ、先生に怒られることは確実だし、授業中に奇声を発したとして後ろ指を差され続ける残りの学園生活が待っている。断じて拒否である。嫌だ、絶対嫌だ。そんなことを経験するくらいなら私はこの眠気と戦おう。さぁ、いざ行かん! 戦いの火蓋は切って落とされたのだああ!!


 数分間の格闘の末、何とか睡魔を一時的だけど退けた私は、それでもまだ重たい目蓋をなんとか根性で押し上げて黒板を見る。そこにはもはや私では理解不能な記号で埋め尽くされていた。ここに来てまた、今度は別の敵からの襲撃だ。

 何だよ因数定理って。四字熟語か? 四字熟語なんだな!

 そしてω(これ)はもう何なの? これって顔文字に使う記号じゃないの? 『キリッ( `・ω・´)』みたいな。今の私の状況は全くキリッじゃないけどね! どちらかと言うと『(´・ω・`)しょぼーん』だ。

 私の頭はもうパンク寸前である。ダレカタスケテ。

 え、何? 相加平均と相乗平均を求めよ? それを解いたら次はこっちの証明も?

 もうやめて! 私のライフはもうゼロを飛び越えてマイナスよ!!


 私が未知なる記号と必死に戦っていると、救いのチャイムが空気をぶった切るように盛大に鳴った。神は私を見捨てなかったのだ!

 今の心境はまさしく『キタ――(゜∀゜)――!!』である。

 日直の号令に合わせて数学担当の師走義鷹先生に礼する。そのときに先生に一睨み送ることも忘れない。完全に八つ当たりですけど何か?

 私はさっさと教科書等を片付けて鞄から弁当を取り出し、同じ教室内にいる千恵のもとに向かう。いつもは二人で食べるのに何故か千恵は他の子たちのグループにいた。少し離れた位置で首をかしげていると、私に気づいた千恵がグループの子に一言伝え、私のもとまで駆けてくる。


「今すぐ弁当を持って図書棟に向かいなさい」


 ビシッと教室の扉を指さし命令口調で私に言う。何だか女王様みたいだ。ここ数日間の経験からきっと私にとって有益なことに繋がることだとわかっているのだが、私は今回も律儀に「何で?」と聞く。だって、今まで千恵のお陰で甘い蜜を啜らせてもらっている側だけど、いつもいつもそうとは限らないではないか。いや、決して千恵を疑っているわけじゃないんだよ? て、疑ってますね。すみません。


「睦月和哉が前に借りた本の量から考えて、今日返しに来るはずよ。そして、彼の行動パターンから考えて、今朝はまだ返してないみたいだから、人が多くなる前の昼休みになってすぐに行く確率が高いわね。たまに彼は横にある中庭で昼食を摂るから、運がよければ一緒に食べれるかもしれないわよ」


 集めた情報をもとに自分の意見を言い、ふふんと得意気にドヤ顔をさらす千恵。彼の情報を貰えるのはありがたいけど、こう何度も彼と接触していると私は彼のストーカーになってしまった気分だよ。それに前に彼の名前を呼んだとき、彼の目に一瞬ストーカーを見るような冷やかなものが宿った気がした。きっと彼は私をストーカーだと思っているに違いない。


「どこで仕入れてくるのかわからないお得な情報をありがとう。いつも思うけどすごい情報量だね」

「情報を持っていて損はないわ。それに、情報のお陰で命拾いした経験があるもの。その時、情報とは何て素晴らしいものかしらって思ったわ」

「さすが千恵。漢字は違うけど、名前は体を表すって本当なんだね」

「何か言った?」

「チエサマステキー」

「そんな棒読みで言われても嬉しくないわよ」


 じとっとした責めるような目で見られて、あははと乾いた笑いが出た。千恵は美人なだけにその顔は怖い。そんな私に千恵は「はぁ」と溜息を一つ吐くと、真面目な顔で私の顔を見てくる。


「それにしても、彼のどこがいいのかわからないわ。私としては断固反対したいんだけど、私がどんなに説得しても、あなたの意思は揺るがない、のよね……?」

「うん。私は千恵が彼を反対する理由も、彼が危険だということもわかってる。もし逆の立場だったら私も反対していたと思う。でも、誰に何と言われようとも、私は彼を愛してるの」

「そんなこと言われたら、私はあなたの力になるしかないじゃない……」

「……ごめんね。ありがとう」


 千恵は私の答えに顔を歪ませ、悲しそうに弱弱しい声で呟く。私はそっと彼女の頭を撫でた。




   *




 結局、私はお弁当片手に図書棟の前にいる。

 この学校の蔵書は簡単に手に入るものから貴重なものまで幅広く集められており、その蔵書の多さから一室ではなく図書棟という一つの建物が宛がわれている。また、図書棟は教室棟と特別棟の間にある中庭の中心に位置しており、どこかのお城のような洋風な中庭と相まって、そこは切り取られた物語みたいな幻想的な雰囲気が漂っている。しかし、不便なことに盗難防止のため出入りは一つしかなく、一階の渡り廊下からしか行けない。

 でも、だからこそここで待っていれば彼に会うことができるだろう。お陰で不審者を見るような視線がぐさぐさと突き刺さっているけども。痛い。視線が痛い。図書棟に入るでもなく、図書棟の前をただうろうろと歩き回っているため、周りから「何あの人」という視線が寄こされている。

 ここにいる時間が長引くにつれてその視線も多くなり、五分後、私は我慢の限界を向かえた。もう無理。一時退却。

 私は視線から逃れるように渡り廊下から中庭に入り、繁みをかき分けて図書棟の横に向かう。ずんずん進んでいると、図書棟の壁に両手をついて顔を少しうつむかせている男子生徒を見つけた。よく見るとその男子生徒は睦月和哉だった。

 何だ。ここにいたからなかなか現れなかったのか。不審者を見る視線を耐え続けた意味は無かったということだ。ちょっとショック。それにしても顔をうつむかせて、彼は体調でも悪いのだろうか。私は心配になって彼に声をかけようと、


「かっ――」


 したのだが、突然後ろから腕を引かれ、口は手でふさがれた。そのままずるずると和哉先輩から私たちが見えないところまで引きずられる。私が和哉先輩と会うのを邪魔してくる奴は一人しかいない。私は奴から逃れようと暴れるが拘束する手はビクともしなかった。やはり奴は腐っても男子。女子の私では力勝負で勝てるはずがない。私は抵抗を諦めざるを得ないのだ。ちくしょー!

 「ダメだよー。今、会ったらー」と、語尾の間延びした声と共にへらへらと締まりのない顔で笑っている相手をキッと睨み付ける。心の中で「何が今だ! いつも妨害してくるくせに! またか、水無月加純!」と叫びながら。

 奴と二度目に会ったころは、厨二病扱いしてしまい殺されるのでは、とビクビクしていたが何てことなかった。さすがに殺人まではしないらしい。だけど、厨二病扱いがそんなに嫌だったのか、私が和哉先輩と会おうとするとほぼ絶対という確率で奴に妨害される。千恵の情報量の多さのお陰で、何とか奴の妨害を回避し、何もしないよりは多く和哉先輩に会うことが出来ているのだが、それでも半分以上は回避できずにいる。もはや和哉先輩より水無月加純と会っているほうがはるかに多いのだ。私が和哉先輩のストーカーだとするならば、奴はもう私の立派なストーカーだと思う。ストーカーだめ、絶対。私が言えた義理でもないけれど。


 そんなことを考えていると、遠くでガサッと音がして先ほど和哉先輩がいた方向から人影が走り去っていくところが視界の端に映った。それは和哉先輩が執着している世良川鏡架だった。

 あぁ、そういうことか。私は妙に冷めていく頭で、すとんとことの経緯を理解した。

 ちょうど木に隠れて見えなかったが、和哉先輩と壁の間に彼女は居たのだろう。いわゆる「壁ドン」というやつだ。水無月加純が言っていた「今はダメ」というのは和哉先輩と世良川鏡架が一緒にいたから。そして、強引に場所を移動したのは、和哉先輩が世良川鏡架に執着しているのを見て、私が傷つかないようにと考えた結果だったのだろう。本当に奴が私のことを考えてそうしたのかはわからないが、振り返った先にあった奴の顔に、いつもの人を馬鹿にしたような軽そうな笑みはなく、ばつが悪そうな苦々しい顔があったのできっと粗方間違ってはいないだろう。

 何だ、そういうことだったんだ。

 奴はそっと私の拘束を解いた。後ろから拘束されていたので、体ごと向かい合うように動かしもう一度奴に目を向ける。目が合った瞬間に頭を下げられた。


「ごめん」

「そうだね。突然女子を後ろから拘束するなんて非常識だよ」

「ごめん」

「掴んでいた手、もう少し力を抜いてよね。痛かったんだから」

「ごめん」

「しかも引きずるとか。靴底が磨り減っちゃうでしょ」

「ごめん」

「……」

「ごめん」

「……何であんたが謝るの。あんなの、私はもとから知っていたことなのに」


 何度も謝る続ける奴。私が言っていることも含まれているだろうが、彼が謝っている本当の理由はきっと違う。でも、逆にそれが現実を直視させられているように感じて、私は顔を伏せた。


「泣くなよ」

「泣いてないよ」

「今は泣いてないけど、一人になったら絶対泣くだろ」

「……」

「一人で泣くなよ。今だけ特別に俺の胸を貸してやる」

「え、いらない」


 えっ、と奴の体がピタリと固まった。きっぱりと言い切られてショックを受けているようだ。断られないとでも思ったか。いつも邪魔してくる奴の胸を借りようだなんて考えるバカがどこにいる。


「あんたの胸とか借りたくない。あんたに借りるくらいならそこの木に抱き付いて泣く方がましだよ」

「……」


 いつもなら私がムカつく反論を言ってくるのに、何も言い返してこないので不思議に思い顔を上げてみると、奴は目に見えてしょんぼりとしていた。不謹慎だけどその姿にちょっと笑いが誘われる。そのまま奴の観察していると、奴は顔を俯け、仕舞いにはしゃがんで土に「の」の字を書き始めた。辺りにはどんよりとした空気が漂っている。その様子に我慢が出来ず、ぷっと吹き出してしまった。


「でも、そうだな。さっき私に謝ってたよね。だからお詫びとして、頭、撫でてよ」


 私もしゃがんで奴の顔を覗き込みながら言うと、奴はこれでもかというほど目を見開いた。次いで「まさか嫌だ、何て言わないよね?」と不敵に笑うと、奴は息を飲み、ふっと笑って私の頭に手をぽんと乗せる。


「お安い御用だ」


 そう言って、奴は髪を整えるようにそっと優しく撫で始めた。





   *




「本当に、あの人がいいのか?」


 奴が髪を撫で始めて幾分経った頃、奴は撫でる手を止め、壊れ物を扱うように慎重に質問してきた。この話題を出してよかったのか、もしかして私が泣き出してしまわないか、とビクビクしながら私の動向を窺っている奴を見て「あぁ、彼も私の心配をしてくれているんだ」と心が温かくなった。

 今日はやけに心配される日だ。心配してくれる人がいるなんて、何てありがたいことだろう。頬が緩んでいることが自分でもわかった。私は緩む頬を引き締め、決意を言葉に乗せる。


「私は、彼が好きだよ。たとえ彼が彼女しか見ていなくても、私は彼が好き」


 ここで一度言葉を切り、動きを止めた奴の手を私の頭から外して立ち上がる。数歩先に私のお弁当が落ちているのが視界に入った。いつの間にか手を放していたようだ。それを拾い、奴の方を振り返って残りの言葉を紡ぎだす。


「ほら、惚れたほうが負けって言うでしょう? 好きになっちゃったら、どうしようもないんだよ」


 何故かぽかんと口を開けて私を見る奴を尻目に、私はこの後の予定を考える。

 中身はきっと片寄っているだろうが、汁物を入れた覚えはないのでさほど支障はないはず。今から戻って食べる時間はあるだろうか。ここで食べるという選択肢もあるが、何とな くそれは選びたくない。仕方ない、急いで戻ろう。

 予定が決まったので、最後に奴に向かって「ありがとう」とお礼を言い、足早にこの場を去った。




 だから私は知らない。奴が顔を赤らめ口元を手で隠していたことも、奴が「あの笑顔は反則だろ。惚れたほうが負け、ねぇ?」と、呟いていたことも。私は知らない。


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