6枚目 私の特技は逃げ足が速いことです。
※8/29 最後の方を加筆修正しました。
――――普通のモブキャラじゃないよねー?
一匹狼で不良の主要攻略対象、水無月加純が告げた言葉はなんとも形容しがたい嫌悪感を抱かせるものだった。
普通の、モブキャラ……?
あぁ、ダメだ。ムズムズする。したい、今すぐしたい。でも、急にそんなことをするのは変人だと思われてしまうかもしれない。いや、絶対に変人だと思われる。ダメダメダメ、私は変人ではないの。一般人Fなの。したいと思っていることを実行して変に目立ってしまうことを想像してごらん? 嫌でしょう? ……うん、嫌だ、目立ちたくない。なら、ここはおとなしくしていないと。
そう分かっているのに、心の奥底から這い上がってくる衝動を抑えられない。
「ねぇ、何で黙ってるのー? 何とか言えよ」
「普通の、モブキャラ……?」
一生懸命したい衝動を抑えているのに煽るようなことを言わないで! 何とか言えだと? え、なに? しちゃっていいんですか? て、違う違う違う。ダメだから。私は我慢強い子、我慢できる子なの。発情期の駄犬共とは違うの。ちゃんと私の欲望くらい抑制できるんだから! そう、ちゃんと制御できるの。だから私の口よ、どうか止まってぇぇぇぇ!!
「あの……」
「ん?」
「普通のモブキャラって何ですかぁぁぁあああ!!」
「……は?」
そんな私の望みもむなしく必死に引き止めていた欲望、もとい叫びたい衝動は、とうとうほんの少し開いてしまっていた唇同士の隙間から華麗なスライディングを披露し滑り出てきてしまった。
不良君、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。とんだアホ面ですね。先ほどまでの悪魔のような笑顔も需要がありそうだけど、この顔もこの顔で需要がありそうだ。主に前者とは違う人たちに、だろうけど。このアホ面を写真にでもとって学校中にばら撒きたい。私がやったとばれたときのことを考えると、そんな彼を敵に回すような度胸なんて私にはもちろんないけど。
頭の中ではそこそこ冷静に考えることができるのに、一度欲望を吐き出し味を占めてしまった私の口は止まらない止まらない。自分でもビックリするほど止まらない。むしろ、もういいやという諦めの方が大きいせいか、既に私も自分の口を止めようとすら思わない。
「モブキャラなのに、普通も普通じゃないもあるの!? モブキャラはモブキャラでしょ!? 普通じゃなくなったらモブじゃないじゃない! そもそも皆してモブキャラだとかヒロインだとか攻略対象だとか何なの!?」
あぁ、本当に止まらない。私の口だけど私の支配下にない別の生き物のようだ。
「自分がゲームの世界の者だとでも思っているの!? 何さ! そろいもそろってあんたら厨二病ですかぁあああああ!!」
そんな捨て台詞を残しながら私は不良君には一切目を向けず、体育祭の短距離走で優勝も夢じゃないと思えるような速さで脱兎のごとくこの場から逃げ出した。その後はどの道を通って帰ったのか全く覚えていない。私の意識が戻ってきたのは自室の ベッドに倒れこんだ瞬間だった。
あ、ああああ。わ、わたっ、私は何てことを言ってしまったんだああああ!! 厨二病! 厨二病なんてっ!! ああああああああああああああ!!
もうどうしよう。私、明日には生きていないかもしれない……。お父さん、お母さん、不出来な娘でごめんなさい。怖くなって布団を頭から被る。視界が黒一色に染まった。目を閉じても開いても闇しかない。なんだか、私のこれからの人生を表しているようだ。よりいっそう恐怖が湧き上がってきたので、顔だけ布団から出す。よし、光が見えた。私の未来にも光が差しますようにっ!
まぁ、さすがに不良の彼でも人殺しなどしないだろう。……たぶん。しない、と願いたい。うん、彼は人殺しなんてしない。私は彼を信じるよ。私が彼を信じてあげないで一体誰が彼を信じてあげるって言うのよ!
なんて。こんなときだけ信じるなんて都合よすぎるね。分かっているんだよ、自分でも。それでも、こうでも言っておかないと、私の精神が恐怖で崩壊しそうなので許してください。彼に直接言っているわけじゃないんだからいいじゃないか!!
それにしても、いくら叫びたい衝動に耐えた反動だとしても、ここらへんいったいを占めている不良君に対して厨二病だなんてよく私は言えたものだな。人間、欲望を耐えすぎた反動は何をするか分かったものじゃないんだね。身をもって実感したよ。
さて、こんないくら考えてもどうしようもないことはさておき、これからの行動について考えよう。
水無月加純の言っていたことをまとめると、私が攻略しようと考えている主要攻略対象の睦月和哉は今"彼女"とやらに執着しているらしい。彼はそんな嫌がられてまで何かに執着するような性格だっただろうか? いや、私が知っている"睦月和哉"ならありえない。彼は童話や御伽噺にでてくるようなどこぞの王子様のように爽やかで、英国紳士のようにフェミニストだった。相手の、ましてやその相手が女性ならなおさら相手が嫌がることなど絶対にしない。
そんな彼が相手から拒絶されてもなお追い続けている? 不良君の言い方からすると、傍目から分かるほど相手は嫌がっているらしい。私の知っている"睦月和哉"と不良君の言っている睦月和哉が違いすぎている。不良君は本当のことを言っているのだろうか? あの場面で嘘を付くメリットなどないと思うが、私を普通のモブキャラじゃないと言い切る彼が何を考えたくらんでいるのか私には見当もつかない。そのため、嘘ということもあるかもしれない。
ふぅーといったん息を吐き、入り乱れる思考にストップをかけて布団から這い出る。私がやらなければならないことは分かった。
ふふっ。さぁて、情報収集といきましょうか。
まだ見ぬ相手を見据え私はニヤリと笑う。
……よし、きまったかな。せっかく這い出た布団の中にまたも逆戻りし今にもくっついてしまいそうな目をこする。眠い……。
なんだか、さっきのニヤリとした表情から考えて悪役ポジションのような気がしたけど、そんなのどうだっていいの。だって眠いんだもの。まだ、ご飯食べてないしお風呂にも入ってないけど、この睡魔には勝てませんよ、誰も。ということでそういうのは全部明日の朝に回して、今はもう寝よう。
「おやすみなさーい」
自分の意見を押し通すがごとく張り上げた挨拶は誰に聞かれるわけもなく、自分を除き誰もいない静かな家に哀しく響く。私は一度ぎゅっと強く目を閉じると、今度こそ夢の世界に旅立っていった。
*
「本当、だったんだ……」
下駄箱で上靴から靴に履き替えながらため息と共に言葉が漏れ出る。気分が晴れない。私の気分に比例するかのように外の天気も曇っていて、今にも雨が降りそうだ。
学校から最寄り駅まで一本道であるが、そのまま帰る気にならずまだ行ったことのないわき道を歩く。足取りは重い。今日の情報収集の成果を思い出し気分はますます沈んでいく。知らずにまたため息が漏れた。
私は今日、クラスメイトから学校ですれ違った全く互いに認識していない人にまで睦月和哉について聞いて回った。集めた情報の八割は"私"の親友、千恵から得たものだったけど。他の人があまり睦月和哉を知らなかった、というわけではない。千恵以外の人からも情報は、皆が皆言葉を変えただけで同じ内容だったのだ。
『睦月和哉の世良川橋架に向ける執着は異常だ』
皆口をそろえてそう言うのだ。そして、皆して私に釘を刺してくる。『睦月和哉と世良川橋架には近づくな。特に世良川橋架に近づくと誰であろうと消される。命が欲しければ絶対に近づいてはならない』と。たまに、この二人のほかにもう一人、主要攻略対象で生徒会長でもある卯月涼も世良川橋架に執着しているので近づかないほうが身のためだ、という忠告も受けた。その情報が本当か判断するにはまだ情報が足りないが、その情報が正しいのなら世良川橋架さんはすごいな。執着されまくりで人生が大変そう。お悔やみ申し上げます。
それにしても、いろんな人から集めた睦月和哉に関する情報は壮絶なものだった。
世良川橋架に近づくものは男女問わず排除される。彼女の親友だった子は精神を追い詰められて家から一歩も出れなくなった。彼女に告白した男子生徒は殺され、その死体はとても酷く悲惨だったらしい。
特に有名だったのがこの三つだが、他にも彼の執着に対して畏怖するようなものはまだたくさんあった。これらの中には睦月和哉だけではなく卯月涼も関わっているかもしれないと疑われているものも複数存在する。最後の男子生徒が殺された、というのは本当だったら警察に捕まっているだろうから単なる噂だと思うが、そのほかの情報に間違いはないだろう。
そんな異常な執着を示す睦月和哉に世良川橋架は全力で逃げ惑っているが、彼女の意思に関係なく捕まるのも時間の問題かもしれない、と噂されている。
不良君が言っていたことは本当だった。私の知っている"睦月和哉"と皆が認識している睦月和哉は本当に同じ存在なのだろうか。もしかしたら、彼は同姓同名で姿もたまたま似ているだけの全く違う存在なのではないだろうか。そんな、有り得ない幻想を抱いてしまうほど私は消沈していた。私の好きだった"睦月和哉"は存在しないのかもしれない……。
ポツッと額に水が当たり意識が思考から現実へと浮上する。とうとう雨が降り出してしまったようだ。一応折り畳み傘を持っているが傘をさす気になれない。そのままぼうっと降り始めた雨を見ていると、頬に水が伝った。その水を隠すかのように雨が少し酷くなる。
ある日突然知らないところに居て、発狂しそうになる心を何かで紛らわすために、ここがゲームの世界だと知って誰かを攻略することに決めた。だから、私は大好きだった″睦月和也″を攻略することにした。彼は私の生きる希望となった人だから。でも彼は、前の世界で生きる希望となってくれた人は、この世界では全然違う別の人格。崖から突き落とされたような気分だ。
勝手に私が思い込んでいただけ。そう頭では分かっていても、心がそれを受け入れてくれない。彼に依存していた分、その見返りが大きい。
何で私は今、ここに存在しているんだろう――
唐突にふとそう思った。体が冷えてきているせいか、思考もどんどん暗くなる。ならば、ここではなく前の世界がいいのか、と問われると私は首を横に振るだろう。
前の世界では、人は皆兄と妹に流れていく。私はいつも妹か姉でしかなくて。私個人を見てくれない。そこでは私は居ても居なくてもどちらでもいい存在。いや、きっと妹が言った通り、いないほうがよかった存在だ。
だったら、ここでは? この世界では必要とされているだろうか。何のためにここにいるの? いつの間にかここにいて、ゲームの世界なのに何も役割を持たされていない。攻略キャラでも、ましてやヒロインでもない。水無月加純が言うには、私はモブキャラですらない。
私はこの二次元の世界でも必要とされていない存在?
「は、はは……。誰からも必要とされない私は、一体どこに存在したらいいんだろうね?」
「あなたは今ここにいるじゃないですか」
「――っ!?」
ポツリと呟いた疑問に後ろから答えが返ってきて慌てて振り返る。そこには今一番会いたいけど会いたくない、そんな相互する思いを私が勝手に向けている睦月和哉が立っていた。