3枚目 大事な一歩
「ふぅー、ご馳走様でした」
『二次元』の朝食を何とか食べ終わった私は、とりあえず食器を洗うことにした。洗剤をスポンジにつけわしゃわしゃとスポンジを握ったり開いたりして泡立てる。何回かしていると程よい量の泡が立った。よし、洗うか。
「あらー? あんた、食器まで洗おうとしてるの? いつも、そのままテーブルに放置してるくせに」
「んにゃぁぁあああ!?」
突然声をかけられて、握っていたスポンジを落とす。あぁー、せっかくの泡が落ちていく……。
それにしても、いつもの"私"はどれだけ生活能力がないんだ。皿洗いまでこの子に任せてるのか? どこのお嬢様だよ。ここまで、人に自分の家事を押し付けている一般人に一度会ってみたいね。て、"私"のことでした。
「食器は私が洗っとくから、あんたは早く制服に着替えてきなさいよ」
「え、でも」
「時間がもったいないでしょう。早く行く!」
「はいっ!」
女の子の気迫に負け、つい返事をしてしまった私を見て満足そうに頷くと、女の子は袖をまくり落ちてしまったスポンジを握る。スポンジを取られてしまってはしょうがない。色々と家事を押し付けてしまっているようで忍びないが、女の子が言うように身支度を整えることにしよう。
私は手についている泡を落とし、女の子にお礼を言うと、動きをぴたりと止まらせスポンジを落とすという壮大な驚きようを見せられた。スポンジを落としすぎだよ。泡がほとんど落ちちゃったじゃないか。あと、そんなに、"私"がお礼を言うのも珍しいの? ちょっと、ショック……。
「今日は本当に槍が降るかも……」
ありえない心配を始めた女の子を置いて、私は自分が寝ていた部屋に向かう。あそこに女の子が着ているのと同じ制服が掛かっていたのを見たのだ。それで間違いないだろう。制服に袖を通し軽く身支度を整え、机の横にあったバックを持って女の子のいるであろうリビングに戻ると、女の子はイスに腰掛けて何かを真剣に悩んでいた。
「今日のあの子、おかしいわ。二回で電話に出たのもそうだし、朝食も作ってるし、食器も洗おうとしたし。なにより、私にお礼を言うなんて。寝ている間に頭を強く打ったのかしら」
……いや、あの。家事をしてくれた子に言う言葉じゃないと思うけど、一発殴ってもいいかな?
「準備終わったよー」
私は思ってしまったことをおくびにも出さず、女の子に声をかけた。私ったら大人の対応ができてるよ。将来有望かもしれない。
女の子は顔を挙げ、壁に掛かっている時計で時間を確認する。そこで眉を寄せたので、時間が押してしまっているのかと不安になった私を裏切るかのように、ポツリと言葉を漏らす。
「……いつもよりも一時間半も早い。いつもみたいに走らなくてすむのは嬉しいけど、おかしい。おかし過ぎる」
……おい、なんだと?
私の顔の表情が引きつりピクピクを痙攣を起こし始めた。バックを握る手にも自然と力が入る。ヤバイヤバイヤバイ。表情に出てるよ。引っ込めて。女の子に悪気はないんだから。普段の"私"がきっとだらしないだけだから!
……でも、そうわかっているんだけど、ムカつくぅぅうううう!! 普段の"私"はどれだけ出来ない子なの!? 普通のことをしているつもりなのに、おかしいと思われるとかどんな生活してるのよ!!
「まあ、遅いよりはいいわよね。じゃあ、学校に行くわよ」
「……うん」
深呼吸を繰り返し、何とか気持ちを落ち着かせて家を出る。外の世界もやっぱり『二次元』だった。予想通りだ。
既に出ていた女の子にせかされ、制服に着替える時に見つけた鍵をポケットから取り出し、家に鍵をかける。学校に行くためにくるりと回った私の前には、何かが始まりそうなすがすがしい青空が広がっていた。
…………。
「なにボケっとしてんの?」
「なーんでもない」
首を振り女の子にニッコリと笑いかけると、女の子は少し驚いたような表情をして、すぐにふんわりと微笑み返してくれた。
「大丈夫よ。ほら、行こう?」
女の子は微笑んだまま右手を私に差し出す。大丈夫、ね。どうやら女の子は、私のわずかな気持ちの変化に機敏にも気がついたようだ。
それにしても、女の子の姿がとても絵になっている。まっ、実際に『絵』なんだけど。
「うんっ!」
私は元気に返事をして、女の子の元まで走り寄る。いい友達をもったものだよ、"私"は。女の子のおかげで心がじんわりと温まり、知らない世界に踏み出すことに感じていた不安を払拭できた。
――――ありがとう。
声に出して言うとまたおかしいと言われそうだったので、今度は心の中でだけで呟く。私は前をまっすぐ向いて、女の子と一緒に一歩踏み出した。
……あれ? そういえば、女の子の名前って何なんだろう?