偽善の詩
「偽善」と「親切」の境目は、どこにあるのだろう――。
人に優しくしたい気持ちと、自分のエゴ。
曖昧な優しさを抱えて右往左往する日常をテーマにした、小さなお話です。
ふとした合間に、気楽にお読みいただければ幸いです。
そもそも 偽善 って何だろう?に何をって 毅然として、何を持って前途 するのか?刑定義は曖昧だ。心のこもらない偽が偽善ということだろうか?
善が偽善になったらただの余計なお世話。わたしの得意技だ。
「偽善」なんて大層な言葉を振りかざさずとも、人は誰しも自分のかわいさに引きずられながら、それでも誰かに優しくしたくて右往左往しているだけなのかもしれない。
だから今日も今日とて、わたしは誰かの小さな迷惑になるかもしれないリスクを背負いながら、懲りもせずに「余計なお世話」という名の手をそっと差し伸べてしまうのだ。
まあ、それでいいのではないか、どのくらいのことしかできなかったら仕方ないわ。それでよし!
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
誰かの役に立ちたいという思いと、それが自己満足や余計なお世話になっていないかという迷いは、日常の中で切っても切り離せないものだと感じます。それでも、何もしないよりは不器用でも手を差し伸べられる自分でありたいなと思い、このエッセイを書きました。
少しでも共感していただけたり、クスッと笑っていただけたら幸いです。
感想やブックマークなども大歓迎ですので、ぜひお気軽によろしくお願いいたします!




