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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。

キタさんとミタオくん 5

作者: 灯月 寧
掲載日:2026/02/28

朝なのに、部屋が静かすぎました。


いつもなら、台所から包丁の音がします。

味噌の匂いがして、ミタオくんが「今日ちょっと味うすいかも」なんて独り言を言っています。


でも今日は布団の山がひとつ、重たそうに膨らんでいるだけでした。


「……これは、明らかに異常事態です」


キタさんは額に手を当てました。


「熱、高いです」


「ごめん……完全にやられた……」


ミタオくんの声は、いつもの半分くらいの力しかありません。



午前九時。

キタさんは台所に立っていました。


普段ここは、ミタオくんの領域です。

調味料の位置も、火加減も、全部ミタオくん基準で整っています。


キタさんは腕を組みました。


「本日、臨時料理番を担当します」


誰もいませんが、宣言は大事です。



作るのは、おかゆです。


米を量るところで、少し止まります。


「……多いですか?」


一度戻して、また少し足して、結局よく分からなくなりました。


鍋に入れて、水を入れて、火をつけます。


ぐつ、ぐつ、と静かな音。


キタさんは真剣な顔で鍋を見守りました。


「がんばってください」


米に話しかけます。



三十分後。


見た目は、なんとか“おかゆの仲間”になりました。


キタさんは慎重に味見します。


「……やさしいです」


少し薄いですが、今日はそれで良いと判断しました。


卵を落とすか三秒悩んで、やめました。


「体調優先です」


キタさんは一刻も早くミタオくんに栄養補給してもらうべきと考えたのです。


布団を見ると、ミタオくんはまだ赤い顔で横になっています。


「できました」


「え、作ったの……?」


「臨時対応です」


キタさんは座布団に正座して、茶碗を持ちました。



スプーンですくいます。


少し多かったので、半分戻します。


「適量、重要です」


そして、ふー……ふー……


息をやさしく吹きかけました。


湯気が、キタさんの前髪を少し揺らします。


「温度、良好です」


スプーンを差し出しました。


「どうぞ」



ミタオくんは、少し驚いた顔で口を開けます。


ぱく。


しばらく、もぐもぐ。


「……うまい」


キタさんの背筋が、ほんの少し伸びました。


「合格ですか」


「うん……なんか、すごい安心する」



もう一口、すくいます。


今度は最初から量を控えめにします。


「学習しました」


ふー……ふー……


さっきより、息がやわらかいです。


「はい、二口目です」



外では、川の方から冷たい風の音。

部屋の中は、やかんの余熱と、かすかな湯気。


ミタオくんが小さく言いました。


「キタさん」


「はい」


「これ、毎日でもいいかも」


「それは困ります」


「なんで」


「あなたの料理番の地位が揺らぎます」


ミタオくんが、弱々しく笑いました。



三口目をすくいながら、キタさんは静かに言います。


「早く元気になってください」


ふー……ふー……


「台所が、少し落ち着きません」


スプーンが、そっと差し出されます。


「でも、本日の看病任務は、わりと気に入っています」



午後の診察時間に合わせて、ミタオくんは近所のクリニックへ行きました。


夕方に帰宅してうがいと手洗いを済ませたミタオくんは、即座に寝間着に着替えて布団に沈み込んでいます。


「……インフルエンザB型、確定だって」


「確認しました」


キタさんは、きちんとうなずきました。

手には小さなビニール袋。


中から取り出したのは、ポカリと、みかんのゼリー。


「補給物資、調達済みです」



テーブルに並べながら、キタさんは少しだけ胸を張ります。


「病人対応の基本を調査しました」


「頼もしすぎる……」


「ただし、にわか知識です」


正直なのが、キタさんです。



まず、体温計。


「計測、お願いします」


「さっき病院で測ったよ」


「再確認は重要です」


ミタオくんは観念して、脇に挟みます。


ピピッ。


「……まだ高いです」


「自覚ある」



キタさんはポカリのキャップを開けました。


「水分、少しずつです」


コップに注いで、布団のそばに座ります。


「起きられますか」


「ちょっとだけ……」


背中にそっと手を回して、ゆっくり上体を起こしました。


動きが、思っているよりずっと慎重です。



「薬は、もう飲みましたか」


キタさんの声が、いつもより一段低く、やわらかくなります。


「……あ」


「これは、未実行の反応です」


「まだです……」


「予想通りです。先に食事をしないと胃に負担がかかります。朝のおかゆでよろしいですか?」


「あまり食べたくないなあ…」


「では、こちらのみかんゼリーはどうですか?」


「みかんゼリーにする」


「では開封します」


ふたを開けた瞬間、柑橘の甘い匂いがふわっと広がりました。


スプーンですくいます。


少しだけ揺れて、形が崩れました。


「……柔らかすぎます」


それでも持ち直して、


ふー……ふー……


やさしく息をかけます。


「温度、問題ありません」


ゼリーなのに冷ましています。



「はい、ミタオくん」


ミタオくんは少し笑いながら口を開けました。


ぱく。


つるん、と喉に落ちていきます。


「……助かる」


キタさんの肩の力が、ほんの少し抜けました。



もう一口。


今度は、さっきより自然にすくえました。


ふー……ふー……


「キタさん」


「はい」


「なんか、看病うまくなってない?」


「進化中です」



みかんゼリーを食べてから、ミタオくんはインフルエンザの薬を飲み、横になりました。


外では、川の風が冷たく鳴っています。

でも布団のまわりだけ、少しだけ空気が丸い。


キタさんは静かに言いました。


「今夜は、私が定期巡回します」


「巡回……」


「三時間おきに、水分確認と体温測定を実施します」


「ありがとう。でもやめて……」



キタさんはふふっと笑いました。


「早く治してください」


少しだけ間を置いて、


「台所が、あなた不在で落ち着きません」


そして、いつもの調子で付け足しました。


「それに」


「それに?」


「臨時料理番、想像以上に緊張します」


ミタオくんが、熱で赤い顔のまま、くすっと笑いました。

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