第六章 錬金都市エクリヴァル ― 置き土産と再会の汽笛
夜明け前のエクリヴァル。
蒸気と金属の匂いが薄く漂う裏路地に、護衛ギルド《灰の紋章》の一団が足を踏み入れた。
先頭を歩くのは、痩せた輪郭に古い火傷痕を持つ男。
グリスヴァルト・クロイツァー。
錬金都市の表の治安を担いながら、必要とあらば仮面で裏に降りる――《灰の紋章》の実務頭だった。
「……グリス。あれ」
部下の一人が、路地の奥を指差す。グリスの澄んだ目が、そちらへ向いた。
薄闇の中、何かが転がっている。いや――転がされている。
人間だ。それも、複数。
「シグ」
短く呼ぶと、傍らの魔獣が低く唸った。
シグ――灰色の毛並みを持つ、狼に似た魔獣。《灰の紋章》が使役する索敵用の獣だった。
シグが先行し、転がった人影へ鼻先を近づける。ぐるる、と喉を鳴らしながら、一人一人の匂いを嗅いでいく。
グリスはその後ろから、ゆっくりと歩み寄った。男たちは四人。
全員が手足を縛られ、転がされていた。粗末な革鎧。短剣と棍棒。見覚えのある装備だ。
「……裏路地の鼠か」
グリスは短く呟いた。
この街で小銭稼ぎの窃盗や誘拐を繰り返す、下っ端の盗賊ども。
殺すほどの価値もないが、放っておけば街の秩序を乱す害虫。
だが――妙だった。
縛り方が、異様に丁寧なのだ。
ロープは関節を痛めない位置で巻かれ、血流を止めない程度に締められている。
殺す気がない。だが、逃がす気もない。
まるで「届けるため」に包装したかのような――
「グリス。これを」
部下が、盗賊の一人の顔を指差した。
顔に、紙が貼られている。グリスは眉をひそめ、その紙を剥がした。
乱暴ではない、むしろ几帳面な筆跡。
だが、内容は――
「街の秩序を乱す輩につき、少々お灸を据え申した。後の沙汰はお任せするでござる」
グリスの目が、わずかに細くなった。
「……お灸、ね」
盗賊たちの状態を見る。
鼻骨が折れている者。手首が腫れ上がっている者。顎が外れかけている者。
どれも的確に、しかし殺さない位置を打ち抜かれていた。
「少々、どころじゃないだろ」
部下たちが顔を見合わせる。
「誰がやったんですかね、これ」
「さあな」
グリスは紙を折り畳み、懐にしまった。
シグが盗賊たちの周囲を嗅ぎ回り、何かの残り香を追おうとしている。
だが、匂いはすでに薄い。
夜のうちに、ここへ「届けられた」のだろう。
犯人――いや、「成敗した者」は、もういない。
「どうします? 追いますか」
「追わない」
グリスは即答した。
「身元も名乗らず、こいつらを置いていった。つまり、こっちに借りを作る気がない」
グリスは盗賊の一人を靴先で転がした。
「厄介事を押し付けたんじゃなく、処理を任せた。……わかってる奴のやり方だ」
「わかってる、ですか」
「この街のルールを、だ」
グリスは視線を上げた。夜明けの薄紫が、工房の煙突を浮かび上がらせている。
治安を担う《灰の紋章》にとって、これは悪い話じゃない。盗賊が片付いた。こっちの手は汚れていない。書類上は「発見・拘束」で処理できる。だが、だからこそ――気に入らない。
「……『お任せするでござる』、か」
紙の文面を、もう一度頭の中で反芻する。丁寧なようで、どこか突き放している。
任せると言いながら、最初から答えを決めている。
この街で正義を振りかざすような青臭さはない。
けれど、「秩序」という言葉を使う程度には、筋を通すつもりがある。
「――面白い奴がいるもんだ」
グリスの口元が、わずかに歪んだ。
笑みではない。値踏みだ。
次に会うことがあれば、その時は顔を見せてもらう。
そう決めて、グリスは踵を返した。
「こいつらを回収しろ。詰所に放り込んで、身元を洗う」
「了解」
部下たちが動き出す。シグが、ふん、と鼻を鳴らした。
まるで「追わなくていいのか」と問うように。
「いい。縁があれば、また会う」
グリスは歩き出した。
「名前も顔も出さずに仕事をする奴は、この街にゃ珍しくない。――ただし、二度目があれば話は別だ」
《灰の紋章》の一団は、縛られた盗賊たちを担ぎ上げ、裏路地を後にした。
夜明けの光が、石畳を静かに照らし始める。
その光の中に、白い髪の魔導士の姿は――どこにも、なかった。
◇
そしてルーチェとテリア。
錬金都市エクリヴァルの一角、蒼炉亭という名の宿。
その二階の一室で、ルーチェは窓辺に座っていた。膝の上には、テリアが丸くなっている。小さな身体が、規則正しく上下していた。眠っている。ルーチェは、その姿をじっと見つめていた。
「……結局、核心には辿り着けなかったでござるな」
独り言が、静かな部屋に落ちる。
書物館で調べた文献。禁忌錬金術師との戦い。「鍵」という言葉。「器」という言葉。
断片は集まった。だが、それらを繋ぐ糸が見つからない。テリアが何者なのか。なぜ覚醒し、そして 暴走したのか。なぜあの時にそれが起きたのか。
その答えは、まだ霧の中だった。
こんこん。扉を叩く音がした。
「ルーチェ様。よろしいですか」
「うむ。入るがよい」
扉が開き、二階堂商会の社員が入ってくる。同行していた護衛の一人だった。
「報告がございます」
「何でござるか」
「先ほど、漣司様達から伝書が届きました」
社員は、一枚の紙を差し出した。ルーチェは受け取り、目を通す。
その瞬間――彼女の目が、わずかに見開かれた。
「……社長殿たちも、ここエクリヴァルへ……」
声が、少し上ずった。紙には、簡潔な文面が記されていた。
『二階堂商会及びヴァイスライン商会、鉄道都市クロスヴァルを発。 到着は明日の見込み。 ルーチェ殿、駅にて合流願いたし』
ルーチェは、紙を握りしめた。胸の奥で、二つの感情がせめぎ合う。
一つは、喜び。仲間たちと、また会える。
社長殿、リュシア殿、ガロウ殿、ミナ殿、ロイ殿――
共に戦い、共に歩んできた者たちの顔が浮かぶ。
一人での調査は、思った以上に心細かった。いや、心細いと認めたくなかっただけかもしれない。
だが、もう一つの感情が、喜びに影を落とす。
――落胆。
テリアの謎を解く手がかりを、掴めなかった。
単独行動を許された意味。社長殿からの信頼。
それに応えられなかったという、苦い味が口の中に広がる。
◇
「……残念じゃが」
ルーチェは、静かに呟いた。
「ここまでのようじゃな」
膝の上で眠るテリアを、そっと両手で抱え上げる。
小さな身体が、ふわりと持ち上がった。
「きゅい?」
テリアが、眠たげに目を開けた。丸い瞳が、ルーチェを見上げる。何が起きたのかわからない、という顔。
「すまぬ、起こしてしまったか」
ルーチェは、テリアの頭を指先で撫でた。
「じゃが、良い知らせでござるよ」
「きゅ?」
「社長殿たちが来る。皆と、また会えるのじゃ」
テリアの耳が、ぴくりと動いた。そして、尻尾がぶんぶんと振れ始める。
「きゅい!」
嬉しそうな声。その反応に、ルーチェの表情がふっと緩んだ。
「そうじゃな。我も、嬉しいでござる」
落胆は、消えたわけではない。
だが、仲間と会えるという事実が、その重さを少しだけ軽くしてくれる。
「明日、でござるか……」
ルーチェは、紙をもう一度見つめた。明日。まだ、少しだけ時間がある。
「ならば今宵は、しっかり休むとするでござる」
テリアを抱き上げ、窓の外を見た。
夕暮れの錬金都市が、金属の光沢を帯びて輝いている。
「明日、皆と会えるでござるよ」
「きゅ?」
「リュシア殿も、ガロウ殿も、ミナ殿も、ロイ殿も」
名前を一つ一つ挙げるたびに、テリアの耳がぴくぴくと動いた。
「きゅいっ!」
尻尾が、ぶんぶんと振れる。その反応に、ルーチェの表情がふっと緩んだ。
「そなたも楽しみか。……我もじゃ」
テリアを胸に抱き直し、ルーチェは窓辺を離れた。
「今日は早めに休み、明日に備えるでござる。――駅で、皆を迎えねばならぬからな」
「きゅっ!」
テリアが、元気よく鳴いた。
窓の外では、夕陽が錬金都市の輪郭を赤く染めている。
工房の煙突から立ち上る煙が、茜色の空に溶けていく。
ルーチェは寝台に腰を下ろし、テリアを膝の上に置いた。
小さな身体が、くるりと丸くなる。
「……長い数日だったでござるな」
独り言のように呟く。
列車での移動。書物館での調査。盗賊との戦い。禁忌錬金術師との遭遇。
単独行動は、思った以上に濃密だった。
得たものもある。得られなかったものもある。
だが、それを整理するのは明日でいい。
今は、ただ――
「きゅう……」
テリアが、小さな寝息を立て始めた。
ルーチェは、その頭をそっと撫でる。
「おやすみ、テリア殿」
声は、どこまでも穏やかだった。蝋燭の灯りが、ゆらゆらと揺れている。
その光に照らされた白い髪が、夜の闇にゆっくりと溶けていく。錬金都市エクリヴァルの夜は、深い。だが、その深さの向こうには――
明日という光が、確かに待っている。白光の魔導士は、静かに目を閉じた。
仲間たちの顔を、瞼の裏に浮かべながら。




