後戻りはできない (マーベル改めマデリーン)
〈マーベル改めマデリーン〉
学園に入学する為に、着々と身の回りが整えられていく。
「過去を捨ててもらう」
「はい」
「マーベルではなく、これからはマデリーンと名乗りなさい」
「マデリーン……」
私は『マーベル』から『マデリーン』に改名。
「今日から、お前はマデリーン・ドレストだ」
「はい」
「挨拶やサインで躓かないようにしておきなさい」
「はい」
自室に戻る。
「私は、マデリーン・ドレスト。私は、マデリーン・ドレスト。私は、マデリーン・ドレスト」
鏡の前で何度も自身に言い聞かせ、名前を書く練習もした。
「マデリーン、明日パーティーに参加する」
「はい」
「詳しくは使用人に聞きなさい」
「はい」
学園入学前の第一段階、侯爵家の次期当主の誕生日パーティーへの参加。
「アセットイン侯爵は隣国エーバンキール国に最も近い領地を任されており、国境の検問所を任される程国からも信頼されている家門です」
侯爵家と言うので第三王子の婚約者ブルグリア侯爵かと予想するも、別の侯爵だった。
アセットイン侯爵……
隣国の国境の境を任されているという事は、信頼があり優秀。
そんな優秀な家門のパーティーにぽっと出の私がおいそれと参加出来るものではない。
それに、招待状は遅くとも一カ月前には届く。
私の存在が現れる前にパーティーの招待状は届いていた。
招待状にも伯爵の名前と夫人、次男の名前だけで私の名前が無い。
それなのに私が参加できるのは、伯爵が取り急ぎ侯爵に私の参加の許可を取り付けたから。
パーティー当日。
二人で会場へ向かう。
ドレスト伯爵には元子爵令嬢のサーシャリンという名の奥さんがいる。
夫人はパーティーやお茶会などには参加はしないそうだ。
人前があまり好きではないよう。
貴族夫人であれば社交の場に必ず参加したいと思うはずなのに、夫人は全てお断りしている。
伯爵もそんな夫人を咎めることなく許している。
「妻には無理してほしくないんだ」
その言葉から伯爵がとても夫人を大切にしているのが伝わる。
夫人を大事にしている伯爵が裏でパーティーの参加者と不貞をしているとは考えたくない。
それに参加していなのは夫人だけではない。
伯爵には二人の息子がいて長男のウィリアルは隣国のエーバンキールに留学中。
次男のテネイサムは夫人に似て社交の場があまり得意では無いそう。
体が弱いのかもしれない。
養女となり屋敷に連れられて皆さんに挨拶した時、テネイサムは俯き長い前髪で顔を隠し、男性にしては細身で丈夫そうには思えなった。
ドレスを着れば女性と間違えてしまいそうな体形をしている。
食事の際、必ず夫人と彼も共にするが会話はほぼ無い。
二人は人見知りで、突然現れた私に対して緊張していたりするのか「物静かな人」という印象。
申し訳ないが、二人はたまに存在が消える。
二人は王族主催のパーティーには参加するが、その他はお断りをしている。
なので今回のパーティーに参加してるのは、伯爵と私だけ。
今回、侯爵に無理を言って私まで参加した理由は伯爵が私を養女に迎えたことを宣言する為。
本来であれば伯爵自らパーティーを開催し、私を養女に迎えたことを印象付けたいのだが第四王子の攻略を一年で達成しなければならないので急いでいる。
私も一年から入学すればいいのだろうが、伯爵が第三王子とブルグリア侯爵令嬢ともつながりを欲しているよう。
『なんの情報もない状態で王子を……』
一年で王子を攻略だなんて、明らかに時間が足りていない。
乙女ゲームでも三年間という時間をかけている。既に王子が入学して一ヵ月ちょっと……
『出遅れているわ』
有力候補者が病気療養と聞き更には学園に入学していないとなり、俄かに信じていなかった令嬢達も噂を真実と受け取り我先にと第四王子攻略を始めているはず。
ヒロインは遅れて登場して注目を浴び印象残すにしても、これ以上出遅れるわけにはいかない。
「到着した、行くぞ」
「はい」
私は伯爵の傍を離れず、微笑む。
過去のように、男性全員に愛想を振りまくことはしない。
「アセッドイン侯爵、本日は無理を言って申し訳ありませんでした」
「……ドレスト伯爵。いえ、問題ありません」
会話を交わす二人。
伯爵ははっきりとは言わないが、侯爵とかなりの仲に見える。
雰囲気的に、伯爵が侯爵に何か恩を売ったのだろう。
伯爵と侯爵が対等というより、心理的に伯爵のが優位にたっているように侯爵は振る舞っている。
侯爵より伯爵の方が優位に立つだなんて……
ドレスト伯爵は爵位以上に権力を持っている……
『私って運がいいのね』
シュタイン国の王子を手に入れられなかったのは残念だったが、サーチベール国でも良い男と出会えそうな予感。
侯爵家の誕生日パーティーには多くの高位貴族が招待されている。
その中には第三王子の婚約者も招待されていると聞くが、今は人が多すぎて挨拶などできていない。
私は伯爵から離れることはなく、伯爵の知り合い全てに挨拶を交わし歩く。
「この度、縁があり養女として引き取る事になりました。挨拶を」
「はい、養女となりました……マ……デリーン・ドレストと申します」
緊張して名を間違えるところだった。
男性に挨拶をすることに緊張したのではなく、『伯爵の前で挨拶をする』という事に緊張した。
失礼のないように細心の注意を払いながら、周囲の貴族に挨拶周りをする。
私一人ではなく、その場に伯爵もいたので『養女』という事実に反感を抱かれることもなく和やかに済んでいく。
「……マデリーン」
貴族への挨拶に慣れ始めた頃、伯爵に名前を呼ばれ微笑まれる。
これから挨拶する人物が重要である合図。
視線の先には数名の貴族令嬢の姿。
「中心にいるのが、エメライン・ブルグリアだ。覚えなさい」
「はい」
令嬢達の輪の中に挨拶へ向かう。
周囲にいる令嬢もきっと高位貴族なのだろうと判断し、教わった通り挨拶を交わす。
「皆様、挨拶をよろしいでしょうか?」
伯爵が声を掛けると一斉に視線が集まる。
「はい」
代表してエメラインが答える。
令嬢達はドレスト伯爵の存在もあり突然貴族となった私に対しても丁寧に対応してくれた。
「この度、縁があり養女になったマデリーンです。学園にも通うことが決定し令嬢達と同学年になります。どうぞ、よろしくお願いします」
伯爵の後に私も続く。
「マデリーン・ドレストと申します。学園に通うことになり、皆様のご迷惑にならないよう精進していく所存です。よろしくお願いします」
緊張して、正しく挨拶できたのか分からない。
お相手の表情から感情を読み取る事は出来なかったが、一人一人挨拶をする。
ゲームにない、聞き慣れない名前に苦戦。
いや、一度で覚えられない。
「それでは、私達は失礼させていただきます」
初対面でありながら長居すること相手に悪印象を持たれてしまうので、自己紹介と近々学園に編入することだけを伝えその場を離れる。
挨拶を交わした男性陣は私の可愛さに好意的に受け入れていたので上々の出来と言える。
エメラインが私をどう評価したのか正直……分からない。
他の女性陣も微笑みで交わされたが、中には警戒心を抱いていたのか困惑の表情を浮かべる者も。
高位貴族に令嬢が一人増えるだけで、自身が狙っていた婚約相手を奪われてしまう可能性に危機感を感じているのだろう。
それに今は第四王子の婚約者候補不在に乗じて、お近づきになろうと躍起になっている状況。
そんな時に候補にすら挙がっていなかった伯爵家に、見目麗しい令嬢が誕生したのだ。
表情には出さずとも令嬢や令嬢を持つ当主達は疎ましく思っているに違いない。
「……ゲームの初見みたい」
前回はシナリオを把握していたので、当主や令嬢など気にしていなかった。
いや、気にする必要がなかった。
私はすべての人の好感度の上げ方を知っていたので、正解の動きをするだけで良かった。
だが、今回は違う。
誰が何を求め、どのような動きを求めているのか自身で考えなければならない。
選択を誤れば好感度は下がり敵を作ってしまう。
今の私は。ゲームの初プレイのよう。
ほんの少しの油断で足元を救われてしまうのを、私は既に経験している。
実際の乙女ゲームは優しくない。
気を引き締めないとまた同じ結末になってしまう。
「二度と追放なんて、ごめんよ。私はヒロインなんだから……今回は……大丈夫……大丈夫……」
ゲームのように熟していた前回、あのような結末を迎えた時は恐ろしかった。
森に放置された時『死』を覚悟した。
その事を思いだすと、爪の先から冷えていくのを感じる。
今更伯爵に『平民の暮らしを望みます』なんて言えない。
「もう、私は後戻りできない。前に……進むしかない」




