選択 (マーベル)
休憩中に伯爵について聞くことが出来た。
「伯爵はエーバンキールに行っている。令息がエーバンキールに留学中なので、月一度会いに行っています」
エーバンキール国はシュタイン国の反対にある隣国。
月に一度隣国に留学中の息子に会いに向かうなんて、伯爵は心配性なのか息子を溺愛しているらしい。
「はぁ……まだ帰ってこないのかぁ……」
伯爵が戻らぬまま一週間が経過してしまった。
従業員の話では数日で戻る予定と聞いていたのに、私の手は大分荒れ始めている。
「私の手が……」
開店二時間前から徹底的に掃除をしその後宿の掃除もする事になっている。
そして閉店後もしっかりと掃除。
私が働いている『宿』というのは、カジノの傍にあり伯爵の持ち物で。
カジノの為に領地に訪れる貴族を顧客にしているため、豪華な仕様になっている。
「掃除係って、本当に掃除なんだ……」
ここに来た当初は、セクシーな接待を割り当てられたり詐欺まがいの運営の片棒を担がされるかと不安があった。
健全な掃除。
宿まで経営となれば。掃除係りを募集しているのもわかる。
今の人数で一日中本気で掃除しても足りていない。
きっと、あまりの仕事量に辞めてしまう者もいるだろう。
「一日が掃除で終わる」
カジノや宿で働くと酔っぱらいの相手や変態ジジイに絡まれると懸念していたが、それ以前の問題。
お金持ちのお客さんに会うことがほぼ無い。
伯爵に認めてもらえればカジノの方で給仕にまわることもあるそうだが、私はまだ一度も伯爵に会えていない。
会えば私を裏方になんてさせておかないはず。
「伯爵、早く帰って来てぇ」
見た目も気にしながら必死に働いてます感を出しつつ『サボりたい』のが本音。
一日が大変すぎて可愛い私が疎かになってしまう。
「早く貴族に出会わなければ、そして私は絶対貴族と結婚する。掃除係りで終わるつもりはない……今度は絶対に失敗しない」
邪な思いを抱きながら目の前の掃除を熟す。
「マーベル、話があります」
面接時に対応した従業員のマックスが私を呼びに来た。
彼はマックスという名で、伯爵がいない間は彼が責任者代理をしている。
平民だが立場上、媚びを売っておいて損はない。
そして、マックスが来た瞬間に直感した。
伯爵が帰ってきた。
「はい」
何も気付いてない素振りで笑みが溢れないよう演技をし、マックスの後を付いていき応接室へと向かう。
扉を開けると、カジノの応接室にしてはとてもシンプルではあったが家具一つ一つは高級さを感じる。
そして中央のソファーに貴族らしい風体の男が一人。
会ったこともない男をこれ程待ち望んだことはない。
高揚感で自ら進んで男の方へ進もうとする自分を律した。
私は今はなんの権力も後ろ楯も無い平民。
貴族においそれと近づくことも話しかけることも許されない。
おとなしく慎ましやかな人間を演じなければならない。いくらヒロインと言えど最初が肝心。
前回とは違い今回は続編のようなもの。
攻略の仕方がサッパリだから、相手の機嫌を損ねる行為だけは避けなければならない。
相手に呼ばれるまで大人しくややうつむき加減で待機した。
「マックス、新たな従業員か? 」
「はい、七日前から掃除係をさせています」
「そうか。面を上げなさい」
ちゃんと伯爵に言われるまで静かに頭を下げていたわ。
本来私だって失礼のないような行動出来るんだから。
ここはゲームの中で王子達を攻略するために無礼な行動をしていただけで、日本の義務教育をしっかり受けた人間なら目上の人やお偉いさんにむやみやたらに触れたりしない。
最低限の常識はちゃんと有る。
そんなことを考えつつ、可愛らしい顔を作って顔をあげた。
多少不安げにか弱く見えるように……
どう?
うまく出来たんじゃない?
「名は? 」
「マ、マーベルです」
「何故この国にいる? 」
何故この国に……
その言葉で私がこの国の住人でないという事を知っているという事。
もしかしたら、マックスの言葉通り、伯爵は既に帰国しており私の身辺調査をしていたのかもしれない。
そう考えると伯爵の鋭い視線に嘘は着けず、だからと言って本当の事も言えず答えられない時間が過ぎていく。
「調べればどうせ解る、時間の問題だ。自身の口で正直に話せ」
調べれば……
ということは、まだ知られていない。
だが、それは『まだ』であって、貴族が本気になれば私の過去なんて直ぐに調べられる。
私が追放となった原因は、王子と側近達を婚約破棄に追い込んでしまったから……
隣国とはいえ気づかれない保証はない。
だったら最初に正直に話した方がと思い、追放された話をする。
話している間、伯爵は一切表情を変えることなく私から視線を反らさない。
伯爵の冷たい目は、卒業パーティーの後の陛下以来。
思い出したくもないが、思い出してしまいスカートを握りしめる手が震えた。
話し終えても場の空気が変わることはなく、部屋の温度が十度は下がったんじゃないかと思うほど寒い。
次第に私の精神は沈黙に耐えられなくなりだす。
「お前は何を望む? 」
伯爵は私を試しているように質問する。
「……望み?」
望みを言ったら叶えてくれるのだろうか?
私の望みなんて『貴族と結婚して優雅に暮らしたい』だ。
そして更に言えば、相手の爵位は高い方がいい。
王族が相手であれば嬉しいが、前回の事もあるので高望みはしない。
でも、バカ正直にそんなこと言えない。
「平……穏に……暮らしたいです」
ウソ。
本音は働かず、優雅に過ごせる貴族が良いです。
「……それが嘘偽りないお前の望みか? 」
私の心を見透かすような鋭い視線に、嘘だとバレているように感じる。
王子や側近達に手を出したんだもの、『平穏に暮らしたい』なんて嘘が通用するとは思えない。
私は欲望の塊よ。
「わ……私は……貴族に戻りたいです」
こんな望みを口にしていいのか分からなず、もう伯爵の目を見ることはできない。
沈黙が部屋を支配しているはずなのに、心臓の音がうるさい。
「私の指示に従えるか? 」
自身の心臓の音で幻聴を聞いたのかと伯爵を見ると視線が合い、私が聞いた言葉は現実だと認識する。
ここで断れば私は一生掃除婦、頷けばきっと別の人生がある。
だけど、貴族としての生活ができたとしても結婚相手は選べないのは何となく察した。
私は今、選択を迫られている。
一生貧乏で運が良ければ結婚出来る。
この町は見た限り皆好い人そうで、きっと普通の家庭を築ける可能性がある。
もう一方は貴族になれるが、どんな人間と結婚できるかは伯爵次第。
それは変態親父かも知れないし、暴力を振るわれるかもしれない。
愛人がいるかもしれないし、私が愛人なのかもしれない。
どっちの人生が良いかは私次第……
貧乏と金持ち。
普通の家庭か変態貴族か。
私の答えは……
「伯爵の指示に従います」




