忘れているんだろうね (アンドリュー)
〈アンドリュー・カストレータ〉
「……ハァ」
しまった。
狭い車内で溜め息が漏れてしまった。
アンジェリーナは……気付いていない。
馬車に乗ってから眉間に皺を寄せ、何か考え込んでいる。
婚約破棄は相当堪えた様だ。
アンジェリーナとは幼い頃にすれ違ってしまい、それから関係修復が困難になってしまった。
いや、正確には『なってしまっている』だ。
昔は、『お兄ちゃま』『待って、お兄様』と私を追いかけてきた。
ある時、些細な事で言い争い……まではいかないが揉めてしまった。
それをきっかけにギクシャクし始めた時だ。
「アンジェリーナと王子の婚約が決定した」
父の報告で、アンジェリーナは王子を追いかけるようになってしまった。
仕方がないと感じながらも寂しくその光景を眺めていた。
「使用人がそこで何をしているのっ」
アンジェリーナは王子の素っ気ない態度に不満があると、使用人に対して厳しく対応するようになっていた。
「アンジェリーナ、そんなに声を荒らげるものではないよ」
その都度指摘をしていたが、私が間違ったのかそれからドレスや宝石などの贅沢が増えていく。
アンジェリーナの行動は私に対する対抗意識からくるものだと判断。
使用人からも
「お嬢様は、普段は静かにお過ごしです……アンドリュー様の姿が見えると……周囲に厳しく対応なさるように……」
使用人は言葉を選んでいる。
私がいる事で、迷惑をかけているのなら申し訳ない。
一人一人事実確認を取る。
「アンジェリーナに叱責されたというのは君か?」
「……はい」
「その時の経緯を教えてくれ」
厳しい言葉を受けた者に確認の為に経緯を尋ねる。
「あの時は『お客様がいらっしゃるので急ぐように』と指示がありましたので、効率よく掃除をしておりました。私は手を抜いたりはしていません。お嬢様の誤解です」
使用人は自分は無実だと主張。
だが、論点が違う。
我が家では客人を出迎える時は、『完璧』といえる状態で出迎える。
相手への敬意として、そう教育している。
準備が出来ていないのは、相手を見下していると捉えかねないから。
掃除が間に合わなかった場合、準備が整っていないのを相手に悟られてはいけない。
客人が来訪された時は遠回りし、相手の目に触れないように決められている。
使用人は平民出。
効率を重視し、最短距離での移動を試みたよう。
使用人は聞き取りをしている今も、自身の行動の何が悪いのか分かっていない。
仕事は効率よく終えた方が良いと思っている。
平民だけの環境であれば、間違っていない。
「……分かった。君はいつからここで働いている?」
「三週間前に雇って頂きました」
「そうか」
使用人は明らかな教育不足だと判明。
侍女頭に確認する必要があると判断。
その前に、経緯を目撃した使用人からも話を聞く。
「アンジェリーナお嬢様は初め冷静に指摘していたのですが、注意を受けていた使用人が従いつつも不服に思っているのが表情に。諭していたアンジェリーナお嬢様も使用人の様子から次第に厳しく注意していました。あれは使用人の落ち度です。私も、先輩として指示不足でした。申し訳ありませんでした」
アンジェリーナは正しい。
だが、その正しさに相手が納得しないと相手を屈服させるまで言葉を止めない傾向にある。
侍女頭が現れるまでアンジェリーナの口は止まらなかったようだ。
相手は平民として生活してきた期間が長い為、貴族が相手になると優先順位が変わることはわかっていても何がどう変わるのか理解していない。
アンジェリーナはそれを切々と説いていたのだが、相手に伝わらないどころか反抗的な態度に感情が高ぶってしまったと。
侍女頭も経緯を知り私の元へ訪れる。
「アンドリュー様。アンジェリーナお嬢様は間違っておりません。全ては私の教育不足です。あの者には、私が直接教育いたします」
深々と頭を下げる。
アンジェリーナは正しさを貫く強さを持っているのだが、頑固すぎるのが玉に瑕だ。
次期王妃として不正などに立ち向かう行動力はあるのだが、周囲からは近寄りがたい印象が強い。
潔癖すぎる正義は時にアンジェリーナの首を絞めることになりかねない。
操りにくい人物は謀反を仕掛けられやすい。
アンジェリーナが王妃になれば命が狙われやすくなると心配し、アンジェリーナの為にも『婚約を取りやめるべきだ』と父に進言するが、王命である事とアンジェリーナの想いをくみ取った結果だと。
父は婚約を続行する決断を下す。
「アンジェリーナが……婚約を望んでいる……」
私だけが反対し、邪魔をしているんだと突きつけられた。
私はアンジェリーナの為をと思っていたのだが、アンジェリーナは私を疎んでいるのかもしれない。
その時、気が付いた。
私の一方的な押し付けでアンジェリーナを追い込んでいたのだとしたら、私という存在が不要なんだと感じ離れる決断をした。
私が最終学年に上がり、アンジェリーナが学園に入学すると同時に逃げるように隣国へ留学を決めた。
アンジェリーナを心配しながらも離れる決断を下した3年は長かった。
「結婚……するのか……」
今回、アンジェリーナの結婚に間に合うようあちらを出発した。
本当に結婚してしまうのかと複雑な思いを抱いていたが、兄が出席しない訳にはいかない。
「アンジェリーナは昔から……殿下一筋だったな……」
私の思い込みでアンジェリーナを不幸にさせたくない。
誰よりも幸せになって欲しいと願う。
「私は王妃になるアンジェリーナを祝福できるだろうか? 」
そんな不安を抱いたまま帰国すると、屋敷の異変に言葉を失った。
「……リーナが……地下牢……婚約解消? 」
卒業パーティを終えればすぐに二人は結婚する予定だったはずだが、地下牢に入ったという報せを聞いた時は唖然とし怒りが込み上げる。
殿下との婚約は色々と思う事はあった。
まさか卒業式に卒業生徒の前で婚約破棄を宣言するような愚かな行為を、あの殿下がするとは思いもしなかった。
不貞を堂々と宣言したかと思えば、側近とその女を分かち合う愚行まで披露したと聞く。
噂なのでどこまで本当の事かは分からないが、『男爵令嬢と親密な関係となり婚約破棄宣言に至った』というのは事実らしい。
アンジェリーナは婚約者の不貞に気が付き二人に直接問いただしたばかりに、目撃した生徒によりアンジェリーナは身分で相手を見下す『高慢貴族』と評価されていたらしい。
私の不安が的中。
強すぎる正義感が災いしてしまった。
王子とその周辺の状況をおかしいと感じながらも、誰も王子の不貞を諫めることが出来ずにいたらしい。
それどころか、全ての責任をアンジェリーナに押し付けたのだ。
「本来側近が王子を諌めるべき時に、一緒になり籠絡されるとは……この国はどうなっていくんだ」
アンジェリーナの兄としていずれ王妃になるアンジェリーナの立場を少しでも強固にするべく、隣国で貧困層の改革についてを学んだ。
時に厳しすぎるアンジェリーナの社交界での噂を止められなくとも、私が平民に尽力する事でカストレータ家が平民から支持される。
平民からの信頼を得ることは王妃となるアンジェリーナの役に立てると考えたから。
私は一番重要な時に傍にいてやれなかった。
私はアンジェリーナを思うあまり、周囲の目がある時は厳しく接してきた。
きっとアンジェリーナからしたら私の事を苦手と感じているのだろう。
公爵家でいるうちは多少の失敗は私や父がどうにか出来る。
だが、王妃になればそうはいかない。
私はただ、アンジェリーナに傷付いて欲しくない。
幸せになってほしい、それだけだった。
「まさかあの殿下が堂々と不貞を犯すなんてな……」
卒業パーティーではエスコートなく一人で登場した聞く。
そうだと事前に知っていたら、私がエスコートをした。
聞け聞くほど、怒りが収まらない。
アンジェリーナはなんとも無いように見えるが、強がっているだけ……
「あんな男のどこがいいんだ……」
アンジェリーナから『気分転換に隣国へ行きたい』とあり、良いことだと感じた。
様々なものを観て、見聞を広め殿下より素晴らしい人間が沢山いるというのを知るといい。
以前の様にとはいわないが、明るさを取り戻せるなら私はアンジェリーナに何でもしてあげるつもりだ。
「……リーナはきっと覚えていないだろうな……」
私の八歳の誕生日の時。
「大きくなったらお兄様と結婚するっ」
『結婚して二人は幸せになりました』と締めくくられた絵本を読み終えた直後。
アンジェリーナは絵本に感化され、挿絵のように抱き着き宣言。
とても嬉しかった。
母はアンジェリーナを産んで以来体調を崩すように。
アンジェリーナが三歳の時に亡くなってしまった。
アンジェリーナには母との思い出がない。
そんな妹を幼いながらも守らなければと必死だった。
父もアンジェリーナが寂しくないように、食事だけでも一緒にと忙しい中出来るだけ家族の時間をつくっていた。
幼いアンジェリーナの結婚発言により、嫉妬深い父とはその日から張り合う日々が続いている。
父はアンジェリーナの欲しがるものは全て与え、悪さをしても叱ることはなく何でも許した。
どうにかしてでも、アンジェリーナの一番になろうと躍起になっていた。
可愛いリーナの告白は嬉しかったのだが、我が国の法律を教える。
「リーナ、実の兄妹で結婚はできないんだよ」
アンジェリーナが恥をかかない為に教えた。
まさか、次の日から怒った顔で避けられるようになるとは思わなかった。
仲直りの切っ掛けがつかめないまま十年以上経ってしまった。
ここまで不仲のままになるとはあの当時は予想しなかった。
昔は私も父と同じように『リーナ』と呼んでいた。
その日から私は本人の前では気を付けて『アンジェリーナ』と呼び方を変えた。
「リーナはどうして不仲になったのか覚えてないだろうな……」
その後すぐに殿下との婚約が決まり、更に溝が深まってしまった。
私は血が繋がっていなかったらリーナと結婚したいと考えたことがある。
だからか、婚約が決まったリーナに厳しく当たるように。
自身の邪な感情が恐ろしく、突き放した。
リーナが使用人や平民に辛く当たるのはそこまで追い詰めてしまった私に原因がある。
邪な感情から逃げるように隣国へ留学。
父も私の気持ちに気付いていたのだろう、反対もなく早急に送り出してくれた。
「それぐらい大好きなんだ……だから、私に婚約者はいない」
あの時はつい口が滑り、リーナを見つめ『結婚したい相手がいる』と本音が漏れてしまった。
あれは嘘ではない。
リーナは相手を勘違いしているだろう。
悟られないように、そう話したのは私だから。
気になる女とは、リーナを陥れた女のことでもある。
私はリーナに嘘はなるべく吐きたくない。
婚約破棄と聞き状況を知った私は、すぐにリーナを追い詰めた女を確認するべく追跡した。
遠目からだが情報に類似した女を発見。
すでに隣国に逃げ込み町に溶け込んでいた。
あの女の処世術なのか、無意識に周囲に媚を売る姿が目に入る。
見た目は確かに整ってはいるがあんな女に引っ掛かるのは貴族の重責を理解していない者か、あの見てくれを利用しようとする者だけだろう。
リーナにあの女の話をしている最中つい感情が昂ってしまった。
あの女にはそれ相応の報いを受けてもらわないと……
リーナを傷つけたことは私が許さない。
リーナの為なら何でも出来る。
「私は……この世で一番愛した女性とは結婚出来ない」
だからと言って神様を恨んだりはしない。
幼い頃から共に過ごすことが出来、見守ることが出来るのだから感謝している。
三年ぶりのリーナ……
「綺麗になったな」




