【人々の反応】
王都へと響く獣の咆哮に、街の人々は建物の影に隠れ、祈るように空を見上げていた。
「……なんで魔物が王都に」
人々の間には既に恐慌と不安と諦念の空気が広がっていた。
慌てた様子の者達が必死に逃げようとしていたが、既にここにも素早い魔物は到着しつつあったのだ。
そんな中でも戦う術のない者達はただ逃げ惑うことしか出来なかった…
聞こえてくる叫び声と遠い空から聞こえる魔物の咆哮が更に人々の恐慌と恐怖を掻き立てる。
既に空近くに飛翔する魔物と重く響く地響きのような音はあっという間に近くにまで迫っていた。
何かがおかしいと気がついた頃には既に逃げ場さえもないような状況へと陥っていたのだ。
既に王都の中にも魔物は侵入し始めている。
誰かが震える声で呟く。
「もう……終わりだ……」
しかし、その時だった。
王都のどこからでも見えるこの国の象徴でもある王宮の上部が吹き飛んだのだ。
そして、吹き飛んだ場所には不自然に浮かぶ人影のような物。
恐怖が蔓延する中でも何事かと思わず視線を向ける。
人々の視線がそちらへと向けられたその瞬間、その存在により黒い雲の下に凶々しい魔法陣が現れたのだ。
漆黒の装束、そして夜のように深い闇のような魔力を纏うその姿は見る者全ての人々へ重い威圧感を与えた。
それを仰ぐ民衆の中の一人が震える声で叫んだ。
「……あ、あれは、魔王じゃないのか……!?」
「…ヒイィ!!!」
「…なんで!?もう終わりだ…!」
人々の間に絶望が広がりつつあったその瞬間、天が鳴った。
雷鳴のような轟音と共に、圧倒的な力が空間を引き裂く。
次の瞬間には、空に見え始めていた無数の魔物たちが――文字通り“撃破”されたのだ。
「えっ……魔物を攻撃した……?」
「は?…いったい、どういう事……?」
「わからない……でも……あいつ魔物を攻撃してるぞ……」
凄まじい力の奔流と共に建物ごと魔物達への攻撃が繰り出されたのだ。
その攻撃には躊躇いがなく、強く激しい魔術に誰もが自分の死も覚悟した。
…しかし、それが人々へと訪れるような事はなかったのだ。
攻撃は確実に狙いを魔物達へと定められていた。
不幸にも近くにいた者たちはその余波に巻き添えをくうものもいたが、致命傷にて命を落とすような者は今の所見当たらない。
余波を受けてもその痛みよりも目の前の脅威が…命が助かった事に安堵と感謝を感じる者がほとんどだった。
そんな中ーー
魔力の余波を受け倒れた少年のもとへ駆け寄った母親が驚愕の声を上げる。
「…え、なんで…?この子……さっきまで怪我してたののに、傷が……消えてる……!」
「あたしの腕も……折れてたはずなのに、動く……」
「…ま、まさか……治った……?」
「……いや、これは――広範囲に癒しの魔術が使われている…?」
「…え…まさか」
「…俺たちは…助けられたんだ…」
状況を理解するにつれ、人々の視線はどんどんと集まっていく。
その視線の先…
禍々しく凶悪なまでの攻撃と包み込むような優しく温かい癒し。
そこに立っているのは人々が恐怖し憎悪し嫌悪していたもの。そして本来であればまさに恐怖や憎悪を引き起こすだ原因となるであろう存在、“魔王”だったのだ。
一目でわかるほどに禍々しい魔力を纏った存在。それでもその姿は確かにそこに存在し、その禍々しい魔力で魔物を退けてくれた。
今、まさに目の前で人々のために力を使っているのだ。
「……あれは本当に“魔王”なのか……?」
「……魔物を倒して皆を癒すなんて……」
「…見た目ほど…怖くない……のか……」
暫くの間、茫然とその様子を伺っていた者達は徐々に安堵と信仰にも似た感情を抱くようになっていた。
魔物達は倒され、危険が去った事に安堵し、落ち着くと同時に魔王は消えてしまった。
驚くと同時に何処からか会話のような声が聞こえてきた。
…ひょっとしたら、もっと前から聞こえていたかもしれないが…気がつけば何処からか不自然に何かが聞こえてくる。
その会話のような不思議な声に気がついたの自分だけではないようで、落ち着き始めた者達から順に耳を傾け始めていた。
自分達は命を救われたのだ。そんな相手が何かを聞かせようとしている。
それはきっと、とても重要な事なのだろう…
致命的な危機に陥っていた者たちは神の声でも聞くように膝を付いて祈るように耳を澄ます。
そしてそれは……
現在、王宮で交わされている会話の内容だという事をすぐに皆が理解する事となった。
『……見たか、見たか! 魔王は滅びたのじゃ! 我が決断により、この国は救われた!
これこそが“王”というものじゃ!』
聴こえてきた王の言葉に、誰もが耳を疑い目を見張る。
その会話を聞き、内容を理解するにつれ…皆が驚愕の顔を見合わせる。
「え……今、何て……?」
「俺らを助けた“魔王”が滅びた……?」
驚きの発言はそのまま王や側近たちの傲慢な声で続く。
魔王討伐の名のもとに禁忌の召喚魔法で呼んだ若者たちを犠牲にしたこと、国を守った魔王を滅ぼした事、すべてをもみ消し更にそれを自分の手柄としようとしている事、全てが街の人々の耳に届いていた。
「おい……こいつら、生贄に使ったって言ったか?」
「聖女を使い捨て?歴史を書き換える? …こいつら…いったい何を言ってるんだ…?」
「…アイツらが魔王を生んだ、だと……?ふざけるな……!」
「……王が、そんな人間だったなんて……!」
怒りは一人の胸にとどまらず、次第に広がっていく。
石畳の地に集まった人々の表情は、恐怖から憤りへと変わり、拳を握る音がそこかしこに響き出す。
「許せねぇ……俺の弟だって魔物に殺されたのに、それを“騒ぐことじゃない”ってか……!」
「…死んだ子たちは……」
「…私達を癒やし続けてくれた聖女様は…“聖女”ってだけで、生贄にされたんだ……!」
「ふざけるなあああああああ!!」
人の集まる場所で怒号が巻き起こるが、通常なら民衆を宥め止める筈の兵士たちも動く様子はなかった。
「……聖女様が、犠牲にされてた……?」
「魔王が人々を救ってたのに……王がそれを……!」
最初は戸惑い、呆然としていた民衆達の表情は怒りに塗り替えられていく。最初の一人が拳を振り上げると、それに続くように怒声が広がりはじめた。
「ふざけるな!王の名のもとに、罪なき者を犠牲にしたってのか!?」
「…いくら王様だって何しても良いわけないわ!」
「そんな奴らのために、俺たちは犠牲になるのかよ!!」
怒号は渦となり、王宮を目指して押し寄せようとする勢いさえあった。
王宮前に詰めかけた群衆は一気に暴動寸前の熱を帯びはじめる。
そして、人々は城に近ければ近いほどに早い段階から会話の内容が聞こえていた。
その会話内容が情報共有されるにつれ、人々は更なる怒りに火をつけて燃え広がっていった。
ーーまた、冒険者ギルドでも人々の熱は燃え上がりつつあった。
王都の中でも、王宮寄りにあるギルドには魔物襲撃前の段階で既に会話は聴こえてきていたのだ。
「…いきなりなんか聞こえると思ったら…なんだよ、この話…」
「俺も聞こえた…こんな話し信じられるか!?」
「…いや、でもルミエール様の声も聞こえたぜ…」
「なあ、今の話、聞いてたよな……?」
「…ああ……ルミエール様が、元勇者の仲間だったなんて…タチの悪いイタズラだな…」
最初は誰かのイタズラかと半笑いで聞く者がほとんどだった。
それが話が進むにつれてギルド内に怒りと困惑が入り混じる空気が充満し始めていた。
そこにーー
『山田さん、大変だ!魔物が…魔物達が一斉にこの城へと向かっている』
最近聞き慣れ始めた期待の新人の慌てたような必死な声に、その場にいた冒険者たちの間に戦慄が走る。
「…おい、これってサトウの声だよな…?」
「…魔物って…!?」
今まで散々貢献してきたサトウの声と内容に半信半疑ながら外へ出ようとしたところで既に外からは狂騒が聞こえ始めていた…
悲鳴や混乱の声も広がりつつあったが、そんな中でも皆が何かを気にしている。
聞こえてくる会話はもはや疑いようのない事実なのだろう。
この声は…本当に王宮でされている会話なのかもしれない…
そんな風に疑いが確信へと変わりながらも緊急事態となり、確認するどころではなくなった。
「魔物だ!魔物の襲撃だ!!動ける奴は全員急げ!」
「戦える奴は街の外壁へ行け!!」
「いつの間にこんなに接近されてたんだ!?」
そんな中で…緊急事態に慌てるみんなの耳にも穏やかに響く声が届いた。
『“聖女”が望むのなら…』
魔王と思わしき人物の低く優しい声。
こんな事態でなければウットリと聞き惚れる者も出たかもしれない。
しかし、そのすぐ後に王宮の上部が重い轟音を立てて崩れ落ちた事により皆の意識はそちらへと向かう。
崩れ落ちた王宮の一部。
そして、その上空には魔王らしき存在の人影。
息を呑む者、拳を握り締める者、呆然と立ち尽くす者。
声の聞こえていた者達の視線は王宮上空へと集まる。
ーーそして…その後はあっという間だった。
上空に禍々しい魔法陣が現れたかと思えば、その後すぐに飛び交う恐ろしい雷撃と轟音。
あれだけの攻撃を受けたなら魔物達は壊滅出来ても被害は相当なモノとなる事を覚悟していた。
それが、たどり着いてみれば被害は建物のみだったのだ。
安堵と共に思い出すのはそれまでずっと聞こえていた会話。
そして、目の前で見せられた魔王の消失。
「……魔王は…いや、かつて勇者様だったあの方は、魔物の襲撃から私達を助けてくれたのに……」
「…本当に…この国の王達は…消したのか
…?」
王達による横暴な行為に衝撃と共に怒りが沸く。
…そもそも、横暴だったのは今だけではない。
「…騎士が派遣されなくて俺たちが魔物を倒していたんだ…」
「…魔物に対峙して、何人も死んだ!!」
「それを“多少の犠牲”だと……?どれだけの仲間が死んだと思ってるんだよ……」
「ふざけるな……!」
その中にいたひとりの冒険者が、血と泥に汚れたマントを払って歩み出る。
「俺たちは、こんな国のために戦ってたんじゃない!!…こんな…俺らをゴミだと思ってるような奴らのために命をかけたんじゃない……!」
空気が、重く、熱を帯び始める。
広場に再び集まり出した人々の中に、冒険者たちの怒りの声が混じる。
こうして、冒険者たちの怒りもまた城にいる王達へと向けられる事となっていったのだった。