魔王登場
『……久しぶりだな、王よ』
玉座の間に、空気が震えるような気配が満ちます。
重苦しい沈黙の中、闇を切り裂くようにして現れたのは、明らかに人ならざる気配が宿っていた存在。
長く流れる漆黒の髪は宵闇のように艶やかで、瞳は紅玉のごとく美しい真紅。冷たい理性とどこか狂気を含ん熱を同時に湛えるその瞳に、誰もが恐怖と共に見惚れ息を呑みます。
身に纏う衣は黒銀に輝き、まるで月の光を纏った影そのもののようです。
微かに口元に浮かぶ笑みは不気味でありながらも、なぜか目を離せない妖しさを帯びていました。
魔王の声は重く…低く響き、決して大きくはないのによく通り、恐怖と畏敬を与えながらもどこか魅了されてしまうよう不思議な響きを持っていました。
しかし…
あれ?この声…なんとなく懐かしい…ような…?
戸惑う私とは別に…城を守る騎士たちは剣を抜くこともできず、その場に立ち尽くしているようです。
「……あれが…魔王…」
その場に…誰かの震えるように呟いた声が響きました。
圧倒的な力を前にして、見る者は恐怖の中でも魅入られてしまったようで誰も動きません。
まるで、抗いようのない運命に出会ったかのように…
謁見の間に居る者達の顔色は悪く、その表情は恐怖に染りながらもそれでも皆、魔王から目を離すことが出来ないようでした。
進藤くんも今は驚きや恐怖、不安といった様子ですっかり静かになっているようです。
その横の佐藤くんは不安そうではありますが、何処かジッと魔王を見据える様子で…まるで何かを探るような雰囲気でした。
そんな中、ルミエール様が震える手で杖を握りしめていました。
この場に突如として現れた魔王への恐怖からではありません。
「……まさか、あれは……」
横にいた戦士様も目を見開き、魔王の顔を凝視しています。
「いや、そんなはずは……でも……あの声…あの立ち姿、魔力の気配――まるで……!」
言葉にならない衝撃が、ふたりを包み込みます。
魔王が彼らに目を向けることはありませんでした…しかし、かつて共に命を賭けて戦った仲間の気配は、目を合わせなくとも伝わったようです。
「間違いない……あれは、俺たちの……仲間だった。…あいつ、…勇者だ……」
戦士の呟きが小さく響きます。
その言葉にルミエール様も顔を上げます。
その瞳には信じたくない思いと、認めざるを得ない確信が同居していました。
しかし、過去仲間だった気配を残しつつも…明らかに魔王にしか持ち得ない魔力を纏っているのです。
「あの子が…勇者が……どうして…魔王に……?」
その問いに答える者はそこにはいませんでした。
…あの、魔王、何処か見覚えがある気がすると思っていたら…
なんと勇者様だったのですか…!!
確かに…頭上の空間に突如として現れた存在は、かつて倒した破壊と狂乱が全てだった魔王とは纏う雰囲気から見た目まで、何もかもが異なっていました。
「…な、何故…ここに…」
玉座に座る王の口から震えるような声が聞こえます。
魔王は謁見の間、上空に浮いた状態で存在しています。
何となく位置的に両方を見渡せるちょうど良い場所だった為、傍観者の如く2人のやり取りを見ていました。
『…“聖女”が、現れたのを感じた…』
そう魔王が答えた瞬間、皆の中に衝撃が走ります。
“聖女”
魔王が、“聖女”と呼ぶ――その声音には、かつての優しさと深く沈んだ哀しみが滲んでいました。
「アイツ…今、“聖女”が現れたって…言ったよな……」
「…え、ええ。…そう…ね。
…それって…あの召喚された子のこと…?…いえ、…多分違うわね…」
ルミエール様と戦士様の中ではその名を呼ぶ声に、かつて“聖女”の事を愛おしげに呼んでいた勇者の声が重なっていました。
優しさの奥底に潜ませた深い執着と愛情…
ルミエール様と戦士様は魔王の言葉の内容を理解するにつれ、徐々に心臓がドクドクと脈打ち始めるのを感じました。
「――アイツ…“聖女が現れた”って言ったんだ…あっちの女…って事はないだろうし…」
「…まさか……でも、彼がそう言うって事は…やっぱり…」
その確かな予感にふたりの視線が自然と私へ向かいます。
隣では佐藤くんが驚いたような心配そうな困ったような…複雑な表情をこちらへと向けていました。
「……」
…え?
私は魔王の突然の言葉に、そんな場合ではない事はわかっていましたがついつい魔王へと抗議の意味を込めた視線を送ってしまいます。
…ちょっと…いきなり何を言い出すのですか…!?
「…ま、魔王よ!」
魔王の言葉に其々が衝撃を受けつつ思いを巡らす中で、震える声を上げる存在がいました。
…なんと、王様です。
王様は恐怖の中に何処か苦々しさを含むそんな顔をしながらも何かを思い付いたようなわざとらしい引き攣った笑顔を見せつつ魔王へと語りかけました。
「…ま、魔王よ。お前が“聖女”を特別に想っていた事はわかっておる。
…今回、我らは新たに異世界より“聖女”を授かったのじゃ…。…お前が望むのならこの娘、“聖女”を其方にやろうではないか」
「……」
え。
王様は突然何を言い出したのでしょう…?
王の言葉を聞いた者達は、皆唖然とした顔で王様を見つめています。
「…魔王…其方はずっと、聖女の事を気に病んでいたであろう…それならば、この聖女を代わりにお前にやっても良い…」
そう言いながら、王様は必死に取り繕った笑顔を浮かべその“聖女”を指し示します。
………そう、その指差した先にいた存在こそ…
鈴木さんだったのです。
「…は?…な、何を言ってるのよ!?」
皆の視線を一斉に受けた鈴木さんは戸惑いの声をあげました。
…あー…そうですよね。
…今の“聖女”は鈴木さんでした。
私では無かったのに…うっかりドキドキしてしまいました。
「…ひっ…!」
鈴木さんは顔色を青くして王子の影へと隠れようとしましたが、そんな王子も鈴木さんから離れようと必死になっているようです。
王様は鷹揚な態度を取り戻し、近くの騎士に鈴木さんを捕えさせようとしています。
そんな中でーーー
「…おい!!…ちょっと待てよ!!
そもそも…勇者が、お前が、魔王って……
…いったいどういう事だよ…?」
戦士様が声を荒げます。
「…そうよ、…何故か、王は…知っていたようだけど…。…まずは其方のところについて詳しく教えて貰えないかしら…?」
そんな戦士様に同調してルミエール様も声をあげました。
…そう、そうですよね。
色々な情報がいっぺんに出て来すぎて少し混乱していましたが…
そもそも何故…勇者様が魔王になどなってしまっているのでしょうか…?
「おい!お前、勇者だよな…?…魔王って、おまえ…どういう事だよ?」
「…そうよ…なぜ…?…何故貴方が魔王になんて……
…あの子が命と引き換えにしてまで…救った世界なのに…どうして…?」
ルミエール様達は魔王へと悲痛な様子で疑問の声をぶつけます。
『…』
魔王は何故か沈黙していました。
「おい!…答えろよ!…お前、勇者だろ!!!」
戦士様の叫びが謁見の間に響き渡ります。
何度目かの戦士様の呼びかけに魔王はゆっくりと静かに振り返り、戦士様へと視線を向けました。
こちらへと振り向いた魔王の顔は人ならざる者らしく美しく整い…冷たいその表情は元々の美貌に更なる儚さと凄みを増していました。
美しいその姿はまるで夜の静寂そのものを形にしたようで、思わず息を詰めてしまうような威圧と孤高さを感じます。
勇者様の頃にはあった瞳の奥の暖かい眼差は冷え切り、美しくも冷たい氷の彫像を思わせるような瞳をこちらへと向けると…瞳と同じ冷たい声で答えました。
『……あの時…あのまま放っておかれたなら……
俺も魔王になど、なっていなかっただろう…』
そう言いながら戦士達に向けるその瞳は深い悲しみと共に…かつて勇者様だった時と同じ…何かやり切れない想いを抱えているように感じました。
しかし…
「…だ、黙れ!」
そんな、魔王の言葉を遮るように王様が声を張り上げました。
『…王よ。…皆に話さないのか?』
魔王が王様へと向ける視線は侮蔑と嘲笑に満ち、皮肉な響きと鋭さを持つその声音は先程とはまるで違う別人のようで…かつての勇者様とは全くかけ離れた姿だったのです。
「…煩い!黙れ!黙れ!」
『……俺は…
…王の使いが来た事により、魔王へと覚醒する事となったのだ…』
「…は?どういう事だ?」
「うるさい、うるさい!…だまれ!!!」
煩く騒ぐ王様に魔王は形の良い眉を僅かに顰めると、スイっと手を上げました。
「…っ?!!!」
「…陛下っ!?」
手を上げた瞬間に王様の口からは声が奪われました。
近くに居た者達が慌てて駆け寄りますが、命に別状はないので大丈夫です。
遮る声が無くなった事により、魔王は再び話を続けます。
…まるでーー皆に…ここにいる全ての者達に聴かせるように……
『…聖女亡き後、俺は聖女の最期を迎えた場所に一番近い町へと向かった…
…そこで、そのまま静かに余生を過ごすつもりだったのだーーーー……』




