【過去】 進藤side
山田柚葉とは一年も同じクラスだった。
別に、ずっと気になっていたわけじゃない。
でも、ふとした時に何故か視線が惹かれる存在ではあったのだ。
あの頃、まだ一年生の頃…特に何でもない昼休みのあの時もそうだった。
教室のざわめきの中で、俺は何気なく視線を向けたのだ。
窓際の席、静かに文庫本を読んでいるのは山田柚葉。クラスの中で特に目立つわけでもなく、大きな声で話すこともない。
いつもどこかふわっとした雰囲気で、誰かに話しかけられると小さく微笑んで返事をする。
──あの笑顔、ちょっとずるいよな。
そんな事を考えた自分がなんとなく気まずくて軽い舌打ちで誤魔化しながらテーブルに肘をついた。
別に、いつもいつも気にしていたわけじゃない。
ただ、ふとした瞬間に目で追ってしまうだけ…そんな言い訳のような事を考えていたと思う。
でも、やっぱり視線は山田柚葉へと向かい、本のページをめくる細い指が紙の端をなぞるように動くのを、ついじっと見てしまった。
「進藤、どうした? ボーッとして」
「…は? 別に」
隣の席の友人に肘でつつかれ思わずハッとなり、ついそっけなく返した。
慌てて山田柚葉から視線を逸らして適当にスマホをいじるふりをする。
──俺が、あんな地味で大人しい女子を気にしてるとか、絶対バレたくねぇ。
そう思いながら…なのに、また気がつけば彼女を目で追っている自分が苦々しくて内心舌打ちをしていたのだ。
……その日の放課後の事だった。
部活の準備のために廊下を歩いていた時、ふと手の甲にじんわりとした痛みを感じた。
見れば指の関節のあたりが小さく切れて血が滲んでいたのだ。
たぶん、昼休みにふざけて友達と押し合ってたときにどこかで引っかけたんだろう。
「…まあ、これくらい平気だろ」
大した傷じゃないし、ほっといても治る。
そう思ってそのまま歩き出そうとした瞬間、不意に後ろから声をかけられたのだ。
「あの……進藤くん」
振り向くと、そこに山田柚葉が立っていたのだ。
「……え?」
「手、怪我してるよ」
そう言いながら、ポケットから小さな絆創膏を取り出し、おずおずと差し出してきたのだ。
今まで、まともに会話もしたこともなかったのに、大人しそうな彼女からわざわざ話しかけられたのだ…
「え、いや……こんなの、放っといても──」
「雑菌とか入ると、痛くなっちゃうから……」
困ったように微笑む、その笑顔に…なぜか断る言葉が出てこなかった。
「……じゃあ、もらう」
俺はついぶっきらぼうにそう言って、絆創膏を受け取った。
少しざらっとした包装の感触が、妙に意識に残った。
山田柚葉は「よかった」と小さく頷くとそのまま去ろうとして…
…でも、ふと立ち止まると少し迷ったように言葉を探す。
「…え…っと、あの…」
「ん?」
「その……私もケガを…したりしちゃうから…たまたま持ってただけで……別に変じゃないよね?」
「は?」
何を言ってるのかがわからなくて変な顔をしていたと思う。
「…あの、絆創膏はたまたま持っていて…小さいキズなら、治るのも早くなる…?と、思うから…」
いまいち何を言いたいのかはわからなかったけれど……どうやら俺に『絆創膏を持ち歩いてるなんて変な奴』って思われたくなかったのかなと思った。
「…別に変ではないんじゃね。助かったし」
そう言うと、山田柚葉はほっとしたように笑って、小さく「よかった」と呟いた。
何処か安心したような気の抜けた顔で笑うと、緩んだ表情のまま後ろへと去って行ってしまった。
そんな彼女につい動けなくなった俺は無言でその背中を見送り続けたのだが…
なんだか変に心臓が落ち着かないのを感じた。
とっくに血の止まった傷のある手で絆創膏を握りしめながら、俺はしばらく動けなかったのだ。
その日から何日か後だったと思う。
なんとなく教室の窓際でスマホをいじっていたら、不意に聞こえてきた声へ自然と視線が向かった。
あの日から、山田柚葉と会話をする事は無かった。
何度か視線を送ってもその視線が彼女から返ってくる事もまた無かったのだ。
「…良かったら…これ……ハンカチ、使う?」
視線の先では。山田柚葉がクラスの女子にそっとハンカチを差し出している所だった。
相手は、さっき給食のスープをこぼしてしまったらしい中野だ。
「え、でも……汚しちゃうし……」
「大丈夫。あとで洗えばいいし」
柚葉は柔らかく微笑み、中野は少し迷ったあとにお礼を言うと、照れくさそうに受け取りそっと汚れた服の裾を拭いていた。
「…」
別に驚くことじゃない。
あいつは誰にでも親切なのだろう。
落ち込むような事は何もない筈なのに…何故かガッカリしたような、面白くないような気持ちになった。
そのまま、何となく彼女を見続けていれば、次は別の男子が声をかけてきていた。
「あ、山田さん、俺シャーペン忘れたんだけど、一本貸してくんない」
「…あ、うん、いいよ」
あっさり自分の筆箱を開けて渡している姿に苛立ちを感じる。
…チッ、そんな物くらい仲のいい男友達にでも借りろよ。…アイツも…断ればいいのに…
さらに、後ろの席の奴が小さく咳をしている事に気が付いたらしく、後ろへと顔を向けると会話を始めた。
「のどが痛くて……」
「…あ、よかったら、これ」
後ろの席の奴は喉の調子が悪いらしく、それを聞くとすぐに自分の鞄からのど飴をと差し出していた。
「え、いいの?」
「うん、たまたま持ってて…」
「ありがとう!何だかまだ舐めてないのになんか喉が楽になった気がするかも…」
「…そ、そう。…良かったね」
……なんか、あいつお人好し過ぎじゃね…?
つい、彼女の動向を見入ってしまっていたのだが……その後も山田柚葉はクラスのいろんな奴をさりげなく気にかけているようだった。
──なんだ、俺だけに優しくしてたわけじゃないのか。
なんとなく胸がモヤっとしたが、山田柚葉が良い奴そうだという事だけはわかった。
…ただ、やっぱり…この間の事も自分が特別に気にかけられたわけじゃなかったのだと思ったら…なんだか妙に気に食わない気持ちになった。
別に、誰に優しくしようが彼女の勝手だ。
…でも、こうして目の当たりにすると、心のどこかが落ち着かなくなる。
「……なんなんだよ、マジで」
…あんな地味で大人しげな女子なんて気にしなければ良いだけだ。
ちょっと他人に親切で、笑顔が可愛いだけの別に目立つ存在でもない…
そう、思っている筈なのに…気がつくとまた、山田柚葉のことを視界に捕らえていた。
この時も…これから先も…俺は、まだしばらく自分の気持ちをよく理解出来ていないままだった…




