聖女3歳
産まれてから3年。
何も出来ないまま、あっという間に3歳になりました。
…いえ、何も出来ないとはいえ歩行は上手く出来るようになり、言葉も上手いとは言えないまでも話せるようになりました。
前世、私は生まれてすぐに聖女だと宣告を受けました。…まぁ、それは特例であり通常は3歳の洗礼にて正式にスキル等を授かるものなのですが。
私はその時からずっと名実共に聖女となる為、教会から聖女としての生活と勉強という名の教育を受け続けてきたのです。
しかし、この世界では百日のお祝いや七五三というお参りに行っただけで、何かを授かる様な事はありません。
何やら言祝ぎを頂いて絵姿を残したり、家族みんなで美味しいご馳走様を食べたりするだけのようです。
今世に産まれてから、私は皆のためになるための勉強やお仕事を一切していないと思うのですがこれは大丈夫なのでしょうか?
それに…どうやらこの世界には聖女…どころか魔法さえないようなのです。
それでも平和で穏やかにまわるこの世界…
…きっと聖女なんて必要がない世界なのでしょう。
…そしてやはり私も…もう聖女である必要などないのではないでしょうか。
「ゆずはー! キャッチボールしよー!」
庭の向こうから、兄である悠真の元気な声が聞こえました。
私、柚葉はぽふっと絵本を閉じます。
小さな指先でページをなぞっていたせいか、少しだけ指が本のにおいになっています。
兄がにこにこしながら、ボールをぽんぽんと手のひらで弾ませています。
「おいでー!」
「……うん」
私はぱたぱたとリビング横のガラス扉へと駆けよります。
靴を履いてまだまだ短い手足で急いで兄のところまでたどり着くと、ニコニコとしながらぎゅっと抱きしめてからグローブを渡してくれました。
「ほら、これつけて!」
子供用のグローブですが私の手にはそれでも少し大きいです。でも、兄は「大丈夫、大丈夫!」と笑っています。
——こんなに幸せで、いいのかな。
胸の奥が、ぎゅっとなります。
私は覚えています。前の世界のことを。病気の人のお世話をして、みんなのために一生懸命頑張ったことを。
でも、今は? こんなにのんびりしていていいの? 何もしていないのに、ごはんを食べて、寝て、遊んで……それでいいの?
「ゆずは? いくよー!」
悠真が、待ちきれなかったのかぽーんとボールを投げました。
「……!」
私はあわてて大きなミットの手を伸ばします。
“ぽふん”
ふかふかのミットに、ボールが収まりました。
「やった!」
悠真がぴょんぴょん跳ねて喜んでいます。
そんな兄を見ているとなんだか私まで嬉しくなりました。
「すごいすごい! じゃあ、つぎ投げてみて!」
「う、うん……」
小さな手でボールを持ちます。
えいっ、と投げてみました。
ぽと、ころんころん。
ボールは悠真の大分手前に落ち転がっていきます。
ボールを投げるなんて初めての事なので力加減なんてわかりません。
ボールを投げるのって意外と難しいのですね…
「ははっ、ちょっとちっちゃかったな! でも大丈夫! もういっかいやってみよ!」
悠真はボールを拾って、へへっと笑いました。
私はそんな兄の笑顔をじーっと見ます。
「……おにいたん、たのしい?」
「え? もちろん! 柚葉と遊ぶの、めっちゃ楽しい!」
くったくのない笑顔とその言葉に私の胸がぽっとあたたかくなりました。
誰かのために頑張らなくても、こうやって笑ってもらえる。
それって…すごく、温かくて嬉しいものなんですね。
「お、おにいたん。もういっかいしよ!」
「よし、こい!」
今度は、さっきより少し遠くまで投げられました。
悠真は「おー!」と大げさに驚いてくれたので私はくすぐったい気持ちで笑いました。