生まれ変わり
温かい。
頬を撫でる空気は柔らかく、ふわふわの布に包まれた身体は驚くほど軽く感じました。
しかし、軽いはずの身体の動きは鈍く、どうやら自分ではまだ立ち上がることも出来ないようです。
ぼんやりと写る視界の端にはとても小さい生まれたての赤ちゃんの手のようなものがチラチラとうつります。
おや、これは…
鈍い感覚の中、鈍いながらもなんとか身体を動かしてみます。
立つどころか手の開け閉じさえも難しい状況なのに不思議と悲壮感は感じません。
それは、きっとこの優しい空間と近くに感じる暖かい気配のおかげなのだと思います。
見えにくい視界で精一杯周りを見渡し、この場の環境と自分の手を見て私の予想は確信へと変わります。
…どうやら私は生まれ変わったようですね。
前世の記憶はまだ私の中に鮮明に残っています。
清貧を掲げ聖女として生き、ひたすらに祈りを捧げる日々。病に苦しむ人々のために奇跡を起こし、戦乱に飲み込まれた人々を救い、誰かのために尽くすことだけが許された生活でした。
食べられる食事は最低限で夜は冷たい石の床の上で眠るのがいつもの日常風景でした。
でもそれは、私が戦乱の時代に生まれた聖女であり、皆の希望だったので仕方のない事なのもわかっています。
聖女とは人々に尽くすことでしか存在の価値を示す事ができないものであり、私には他に生きるすべはなかったのです。
確かに辛いと感じる事も多い日々ではありました。
…しかし、最期に魔王を倒すためとはいえ、仲間達と旅が出来た事は唯一の私の幸せな時間であり、人生が終わる前にそんな時間を過ごせた事は神に感謝しております。
初めての旅と初めての温かい仲間達。他人と食べる食事の暖かさ…教会では知る事の出来なかった体験をたくさんする事が出来ました。
最期は魔王を倒すために命を削って奇跡を起こす事となりましたが、後悔はありません。
私の命をもって世界を守れるのなら…仲間達が生きていけるなら安いものです。
そんな、悔いのない人生を送ったのだと思っていたのです…
そう、そう思っていたのですが…
…それなのに…なぜ、私はこうして再び産まれる事となったのでしょう…?
しかも、今の私は……どうやら産まれて日の浅いただの赤ん坊のようです。
聖女の力もこんなに小さくては使う事が出来ません…。
神は私に何を求めているのでしょうか…?
『見て、私の産んだ子…なんて可愛いのかしら……』
『本当だ。やっぱ女の子って男の子とはまた違う可愛さがあるんだな…』
『あかちゃん、かわいー』
優しい家族の会話が聴こえてきます。
まだ、産まれて間もない為か色々な感覚が鈍い中で何故か耳だけはよく聴こえるようです。
そして、言葉の意味も理解する事が出来ました。
どうも今世での私の家族のようですね。
視界はぼやけていましたが、私を囲んで交わされる会話が温かくて、私が歓迎されている事がわかりました。
そっと額に落ちる口づけが、ほっぺたに触れる手が驚くほど優しくて――胸の奥が、ぎゅっと締めつけられました。
私はまだ何もしていないのに…
まだ誰のためにも祈っていないし、奇跡も起こしていません…
何も出来ない無力な存在なのに…
それなのにこんなにも歓迎されるなんて。
……これは、いいのでしょうか…?
何の役にも立たない私をこんなに優しく抱きしめて…受け入れてくれるなんて…
戸惑いと、それでもこぼれそうになる幸せの間で、胸が苦しくなりました。
私は、生まれ変わったとわかった時、今世でもまた聖女として生きるのだと思っていました。
すぐに…血縁者達とは離れ、教会へと引き渡されるのだと思っていたのですが…
でも、もしかしたら違うのかもしれません。
血縁者と思われる人たちは、新しい“家族”を迎えて喜んでいるようにしか見えません。
多分、私は教会に渡されるわけではないのでしょう…
ひょっとしたら……人々へと尽くさなくてもただ誰かに愛される、今世ではそんな人生を生きてもいいのでしょうか…?
母の指が、そっと私の小さな手を包み込みました。
『可愛い可愛い私の赤ちゃん。私のところへ産まれてきてくれてありがとう』
まるで心を見透かしたような、囁くような声。
そこに含まれた温もりに、私は知らず知らずのうちに、ぎゅっと母の指を握り返していました。
こぼれそうになる涙をこらえながら。