かくして死にたい令嬢は地獄に落ちる
雲一つない青空のもと、豊かな木々と鮮やかな花々に囲まれた屋敷。
王族の別荘として存在していた歴史とは裏腹な、暗く廃れた屋根裏部屋で、衝動のまま窓枠に足をかけた瞬間、そばにあった鏡が朝日に反射し煌めいた。
なんとなく鏡を手に取る。
鏡の中に映っているのは、青みがかった暗髪に、同じ色の瞳を持つ十四歳の女──私、ルリオン・ノンティーク。ノンティーク家の末娘だ。ちなみに上に兄二人がいるタイプの末娘である。
じっと鏡を眺めていると、鏡の中の私の姿に、世を恨んだ目でこちらを睨む私より少し年上の黒髪黒目の女の姿が重なった。
その瞬間、頭の中に流れ込んできたのはその女の人生の記憶──いや、前の私の人生の記憶だ。
全部に疲れて、この先どうにもならないと首を吊った。ネットで確実と評判だった麻縄をホームセンターで買って実行し、紙で指を切るみたいな痛みが首全体に襲い掛かってきたことで断念し、結局家にあるもので吊った。
結果、完遂した。
そしてどうやら転生したらしい。私は……リオン・ノンティークなんて洋画に出てきそうな名前がついてしまっているし。
なおかつ、ここは魔法や剣で戦い、魔物やいろんな種族が存在するファンタジー世界だ。さらに貴族令嬢という肩書きつき。
私は自分の置かれた状況を再認識して、呟く。
「地獄か」
絶望しかない。
普通は新たな第二の人生に心躍らせるかもしれないが、私は人生を終えたくて自殺した。
生きていることが辛いから。
生きていることで生まれる不安や人間関係のすべてから解放されたかったから。
なのに始まってどうする。
◆◆◆
前世を思い出し翌日のこと、私は最悪な気持ちで朝を迎えた。
自殺したら天国にいけないよ。
人間に生まれ変われないよ。
そう聞いても、地獄行きでも、生まれ変われなくても問題なかった。なにより生きてることが一番辛いから。
なのに『転生』という一番の地獄に見舞われている。いい加減にしてほしい。
私はまた一からやり直しだと、屋敷近くの森に突撃することにした。もちろん死ぬために。
親や使用人と交流があれば、別れの挨拶や心ばかりの餞別を用意する必要がある。でも私はノンティーク家当主と妾の子だ。
この世界の私の母親は私の出産により死んでいる。継母ことノンティーク夫人からは不貞の象徴として当然疎まれており、父親であるノンティーク当主は私を完全に無視している。
つまり、前世で無価値だった私は今世、「ノンティーク家の血を引く」という価値が付随しつつも、ノンティーク家的には無価値どころか邪魔な存在だ。
どこの馬の骨とも分からぬ男の子供を孕んでも困るが、家にいればいるで夫人の機嫌が最悪になる。いわば有害の塊。空気と表現するのが空気に対しておこがましい。殺すのはあまりに外聞が悪いので出来ないが、生きていては欲しくない。「どうにか死んでいますように」と、星空にそっとお祈りされる存在だった。
なので両親の顔を見たのは、一番上の兄が二十歳を迎えた成人お祝いパーティーくらいだ。私が参加を許された理由は関係者の手前、のみ。
あわよくば不審者でも入って刺されてくれたら、みたいな話を夫人がしていたけど、刺されなかった。不審者も入らなかった。一番上の兄の人望あってのことだろう。
まぁ、会話したことないから人望についてはよくわからないけど。多分、悪い人じゃない。
腹違いの兄二人との関係は薄くストレートタイプのめんつゆを間違えて三倍希釈したものより薄いけど、夫人から死を望まれ当主から無視をされる中、兄二人は私を見て、終わる。
本当に言葉通りのまま、見て、終わる。
双方はノンティーク家の跡継ぎ争いを繰り広げており、参加資格すらない私をわざわざ「妾の子」と疎むことはしないのだ。
息も絶え絶えで経営学、帝王学、地学、外国語、貿易、音楽など教養、魔法や剣術に勤しんでいる。
過労死一歩手前の状態だ。
一方、使用人のみんなは夫人に命じられ、日々の仕事にプラスして、私を投げたり殴ったり水をかけたりと忙しい。さらに仕事に拙い部分があれば夫人は容赦なく使用人を怒るので、使用人たちからしたらたまったものではないと思う。日々の水仕事に加え、私をサンドバッグ代わりにボクシングまでしなければいけないのだから。体力が持たない。
当の夫人は社交界を楽しみ、私を鞭で打つ。道具を使う。余り体力を使わない。
愛されて育ったなら、私のこの環境は辛いだろう。でも私は前世で毎日ヒステリックな声を聞き、家の中の様子を見ながら親の機嫌の調整をしていた。
特に親のヒスには耐性がある。
そして前世では貧困に苦しんでいた。
頑張って生きてたら、私のことを必要な存在や、私を好きになってくれる人とか、出てこないかな。
そう思って生きながらえていた中二の秋。
たまたま手に取った本に、幸せになる秘訣として「他人に期待しないこと」「自分を助けるのは自分自身」「誰かに好きになってもらうならまず自分が自分を好きにならないと」とあった。
私は、私を好きになれない。
誰かに好きになってほしい。
誰かに好きになってもらえないものを、好きになれない。
ああもう私って駄目じゃん、と思って死んだ。
だからノンティーク家の状態については、そこまできつくない。あの頃よりマシ。
とはいえ死にたいことに変わりなかった。
私は人生に疲れたのだ。
幸せになることは諦めた。前世で。
今度こそ幸せになれるなんて期待できないし、そういうのは全部捨てた。
生きること自体頑張りたくない。
望むのは死。
第一希望安楽死。
第二希望即死。
ということで気配を消しながら森の奥へと進んでいくと、魔物を見つけた。
今目の前にいる魔物は、前世の記憶でたとえるならば、小鬼だ。背丈は小学生ほど。肌は緑色でゆるキャラの素質を持っている雰囲気だが、顔は洋画ホラーのメイン化け物と変わらない。人でも食べそうな形相をしているし、実際食べる。
私は嬉々として小鬼の目の前に飛び出してみた。
避けられた。それどころか小鬼は足早に逃げていく。
なんとなくだけど、この結果に想像はついていた。
生き物には生存本能というものが備わっている。
いわば無意識のうちに死から遠ざかる本能のことだ。危ない場所に来たら怖くなったり、自分より強い存在を目にすると逃げたくなるとか。
魔物には自分より強い相手、もしくはどこかしらの能力で勝てないと判断した相手を避ける性質があり、私は避けられた。
たぶん、理由は耐久値。
私は前世の記憶が無くても、生きていても苦しいことしか起きないという生存本能の逆、希死念慮が根付いていたのだろう。
この世界で物心がついたときから自死を試みていた。
現代であれば完遂していたかもしれないが、この世界はファンタジー世界だ。治癒魔法というものがある。
なおかつ私は貧困家庭一人っ子ではなく貴族の末子。
一族は私を無視するけど、自殺されることは外聞に関わるため瀕死になっていれば治療をする。
自殺失敗、治療、自殺失敗、治療を繰り返した結果、経験を詰んでいってしまったらしい。
傷は浅くなるばかり。完治までの期間も短くなっていった。
最終的には四階建ての屋敷の屋根から飛び降りても無傷で済む始末だ。
ちなみに他人の力でも無理だった。夫人が「なによその目‼ あの女とそっくり‼」と私を二階から突き落とし、これはいけるのではと思ったけど無理だった。
手のつくしようがない。
もう手遅れ。
それでも諦めきれないし、死への衝動は消えない。前世について思い出したとき窓に手をかけていたのは、死ねないだろうと分かっていても「次こそは」と期待したから。
そして前世の記憶が蘇ったことで打開策を見つけた。
私は小鬼が逃げて行った方向とは逆の方角を目指し進んでいく。
この森は元々、ノンティーク家が管理している立ち入り禁止区域だ。
理由は簡単、怨霊や祟りの類のバケモノがいるから。
元々は聡明な人間だったらしいが非業の死を遂げ、祟りをまき散らし、災いそのものと化したバケモノだ。いわば疫病神アルティメットバージョン、神様レベルの地縛霊。
神霊なのか心霊なのか微妙バケモノ。
今日はそのバケモノに焼かれに来た。
前世を思い出す前、呪いなんてフワフワした存在に私のことなんか殺せるのかと相手にしていなかったけど、前世の記憶が蘇り、希死念慮に一層磨きがかかった。この際なんでもいい。スピリチュアル傾倒バケモノでもいいから私を殺してほしい。
歩みを進めていくと、神霊を奉っているのか封印しているのか分からない祠があった。
祠のせいで前に進めない。迂回しようにも岩場で塞がれている。登ろうにも高い。
よじ登って上から飛び降りれば死ねるのなら頑張って上るけど、絶対死ねない高さだから頑張りたくない。
私は元々持っていた金槌で祠を叩き壊した。
この金槌は私の頭蓋骨を何度も砕きながらも死に至らしめることは出来なかった私と同じ役立たずだ。ある種いわく付きの金槌だけど、祠はガラスが砕けるような音を響かせながら崩壊した。
「祟られてえー」
切実に思う。祟り殺されたい。だから視界にうつった祠はなるべく壊すようにしている。私は祠を叩き壊して出来た道を進んでいく。なんだか冷たく、重苦しいじめじめした風が吹いている。普通、冷たい風は乾いているものなのに。
不思議に思いながら進んでいると、開けた土地に出てきた。奥のほうには湖があり、孤島みたいに岩場が浮かんでいる。岩場の上には崩れかけの巨大泥団子がうごめいていた。泥団子なんて手ごろな例えをしてしまったけれど、大きさはジャングルジム二つ分くらいある。
これがバケモノだろうな。
そう思った瞬間。
孤島の上の「バケモノ」がバッと弾けたと思えば、紫色の業火が目前に迫った。
触手とかで攻撃してきそうな見た目なのに、炎を使うのか。
意外性を感じている間に、視界が真っ黒に塗りつぶされた。
「死ねなかったな」
目を開くと自室の寝台の上だった。あまりにも慣れた感覚で、「あれ、私てっきりバケモノに殺されようと森に入ってたのにどうしてベッドに寝てるんだ?」みたいな気にもならない。
死ねなかった。
死に損なった。
それだけ。
バケモノに焼かれて死ねなかった。
たぶん自分の縄張りに侵入してきた生物を追い払う程度の攻撃だったせいで私は死に損なってしまった。
そしてバケモノ的には殺す気が無かったのだろう。
私は森の入口に放置されており、ノンティーク家の使いにより発見され、治療の末ここに寝かされた。
二桁を超える飛び降りで経験した流れだ。想像がつく。この後の流れも分かる。
夫人と顔を合わせれば「死んでれば良かったのに」と言われる。
当主様は何も言わない。治癒士は……初代の治癒士は私に命を粗末にするなと言ったけど、夫人にバレて首になった。
この屋敷の法において、私に優しい言葉をかけることは無期懲役、親切にすることは死刑に相当する。
それでも私が治療されるのは、生きている以上、衰弱死は世間体に関わるからだ。
死んでいたなら、後々聞かれても「死んでました」で終わる。魔法を使って嘘か真か調べられても困らない。でも意図的に治療しなかったり衰弱死させると、後々調べられたときに困るのだ。直接殺すのも「なんでわざわざ不貞の象徴を排除するために自分の手を汚さなければならないのか」みたいなニュアンスで決行されない。
自殺は可、他殺は捕まりたくないから不可、衰弱死は世間体的に不可。
この微妙な巧妙さで私は死に至れない。
毒殺でもしてくれないかなと思えど、服毒を試みすぎてたぶん夫人の用意する毒は効かない。たぶん、毒殺チャレンジなんてされていても、気付かないだろう。
なので私は寝台から起き上がり、再度チャレンジするため、さっと自室を後にした。
森の奥に向かうと祠は壊されたままだった。
まあどうでもいい。これで死ぬ。最初こそ適当に追い払う程度の火力しか出さなかったようだけど、二回目ならば殺しにかかるだろう。
私は期待を抱きながら湖のそばへ近づいていく。すると少しだけ、湖の孤島に浮かぶ「なにか」がこの間より鮮明に見えた。やっぱりバケモノだ。遠方からは黒に見えたけど、よく見ると黒だったり赤だったり、グロテスクな肉片っぽい風合いだったり、ゴツゴツした岩っぽかったりしている。そして目玉が多い。大きめの目玉が四つくらいあり、その周りに両手で数えきれないくらいの小さな目玉がついている。
もう一歩近づくと、やっぱり炎が目前に迫り、視界が真っ黒に塗りつぶされた。
「駄目だったな」
私はまた寝台で目を覚ました。
バケモノは私を追い払うつもりはあっても殺す気はないらしい。
怨霊に近い存在だろうから人を殺したくてたまらないと思っていたけど、もっとこう、罰当たりみたいなことをしなければいけないらしい。
疲れる。
首吊りも完遂できなければ後遺症というリスクが付き纏う。死にたくても死ねない状態になることは避けたい。
安楽死もあるけど海外に行かなきゃいけなくて、さらにはその国の言語を話せる必要があるし、お金があるのなら死にたくなんてならない。
報われぬ人生を憂いて死ぬのに、死ぬことまで頑張らなきゃいけないなんて。
前世でやっと死ねたのに、死に辛い身体になった挙句祟り系バケモノでも死ねないなんて勘弁してほしい。
バケモノ祟られチャレンジは失敗続きだった。
最初のころは物音を立てた瞬間、口かお腹か頭か目玉かも分からない場所から炎を吐いていたというのに、5回目から炎をすら吐かなくなった。私を見て動きもせず、私が湖を泳いで孤島に上陸しても寝そべって動こうともしない。触っても「自分置物なので」みたいな、完全無視だった。
仕方がないのでバケモノの口らしき穴に入ろうとした。バケモノの牙は何でも砕き、胃液はなんでも溶かしてしまうと聞いたからだ。牙なんかなかったけど、うごうごしているし、いけると思った。
いけなかった。
私が飛び込もうとした瞬間、穴は閉じてその少し横に新しい穴があいていた。
今度はそっちへ突っ込もうとしたら、また別の場所に穴が開く。
それでも構わず挑んでいたら、バケモノが話しかけてくるようになった。
「貴様はいつ正気に戻る」
うららかな昼下がり、バケモノが問いかけてくる。
「今正気じゃないみたいな言い方しないでください」
バケモノ祟られチャレンジ34回目。
今日も今日とて祟られに来たものの、バケモノは私を侮蔑の目で見るだけで殺そうとしない。
「異物に喰われることを望む人間のどこが正気だというのだ」
「信者とかいるでしょう。好きすぎて食べられたいみたいな」
「いない。我は恐れられ忌み嫌われる存在だ。そもそも我に敵意を持たぬ存在自体ない」
「怖いのが好きな人もいますよ。ちょっと悪いぐらいがいいとか」
「仮にいたとしても好きすぎて食べられたいなどと悍ましい思考には至らない」
「人の好意を悍ましいなんて酷いじゃないですか」
「そうだな。貴様以上に悍ましい存在などいなかったわ」
「まぁ妾の子ですからね」
「妾なんて関係がない。人の子は人の子。そして貴様は貴様だからこその悍ましさがある。なにせ我の口に魔法で飛び込むことを止めぬのだから」
バケモノは無数の目玉でこちらを睨む。
バケモノ語なんて一切分からなかったけど、このバケモノ曰く、バケモノの言葉は勉強して学ぶものではなく、バケモノから権限を貰うことで話が出来るようになるものらしい。
口の中に入ろうとしたとき、焼かれるのではなく「ドロドロの邪悪そうな何か」に包まれたことがあって、そこからこうして話せるようになった。
そして焼かれに来るのも口の中に入ろうとするのも気持ち悪くて迷惑みたいな説教をされた。
要するにキモ迷惑ということだ。
迷惑なら殺せ。私を餌にしろ。
思ったし実際言ったけど、人間の魔力は少なく、魔力を得るための捕食としては非効率で、味も悪いと反論された。
さらに「貴様とて雑草を食すより果実や貴重な肉を食べたいだろ」と説得してきたけど、食に興味がないので良くわからないと答えれば、バケモノにバケモノを見るような目で見られた。
結果、殺してもくれないバケモノと意思疎通が出来るだけで終わった。なんの成果も得られなかった。無駄骨である。
そこからこうしてダラダラとバケモノの話し相手になっている。
屋敷にいても死ねないし、私のことを殺してくれそうなのが現状このバケモノしかいないからだ。
そして今日も今日とてバケモノは私を殺さない。
「絶対生まれ変わりたくないんですけどどうしたら良いと思いますか」
バケモノ祟られチャレンジ49回目。
渾身の自殺が未遂に終わった私はバケモノに問いかけた。
「貴様、同族殺しは嫌なのであろう」
「当たり前じゃないですか。私は死にたいのであって殺したいなんて思ってませんからね。死刑にはなりたいんですよ。死にたいと思うことが重罪になる法律の可決を望んでるんですけど。どうにかなりませんかね」
「罰は苦しみにより反省を促すもの。死が喜びになる者を殺せば、罪人を幸せにしてしまう」
「納得」
私はため息をついた。今日は屋敷を出る前、使用人が階段から落ちかけていて、あわよくば下敷きになって死のうとした。使用人に怪我がなくて良かったけど、私は死ねなかったので最悪だった。
「バケモノの幸せってなんですか」
「なにもない」
「バケモノにも幸せがない世界なんてもう終わりじゃないですか。あー死にたい。さっさと死にたい」
でも実のところ、幸せになりたい、という気持ちは正直そこまでない。どちらかといえば楽になりたい。苦痛から逃れたい。だから死にたい。鬱々としていれば、バケモノが呟いた。
「我にないだけで同族にはある」
「一般的なバケモノの幸せってなんなんですか」
「絶対的な強さを得ることだ。幸せには強さが必須だ。強くなければ許されない」
「へー。でも、強いんじゃないですか、そちら」
「そうだな。我に勝てる存在はない。だが我は幸せを求めるためではなく、強くならざるをえなかった。元々、求めていないものを手にしたとて満たされることはない」
「なんですか、バケモノさん今、不幸なんですか」
「人の子に目が合えば口に突っ込まれる不幸に見舞われている」
「目ってどれなんですか」
バケモノの目は複数ある。睨むときも軽蔑するときも全部の目でしているように見えるけど、そう見えるだけで実際どうかは分からない。
「全部だ」
「へー。食べちゃえば突っ込まれることもなくなりますよ」
「喰らいたくはない」
バケモノは「喰らいたくはない」と繰り返す。
「人の子だって、豚や鶏が話しだしたら、気が変わるだろ」
バケモノはそう言って、無数の目玉をこちらに向けた後、すぐに視線をそらす。たくさん目玉がついているのだから一つくらいそのままでもいいのにな、とちょっとだけ思った。
屋敷で誕生日のお祝いがあった。腹違いの兄二人の片方だ。室内はどこもかしこも飾り付けられ、大広間で盛大なパーティーが開かれる。私は一応、末娘として参加が義務付けられ、世間的におかしく思われない程度の家族ごっこをした。
あまり良い気持ちはしない。
死に方は選んでもらわないと困るけど決して生きていていいとは思われていないし、かといってパーティーで死のうとすればそんなつもりはなかったと言い訳がいくらでも出来そうな、都合のいい求められ方を受け流す約三時間。
苦痛だった。
あのドレスが可愛い。いいやあのドレスは安物だ。あの令嬢は美人だ。いいやあの令嬢のほうが美人だ。
連なる比較にとりとめもない勝負の繰り返し。
誰と誰が仲が良くて誰と誰が不仲で誰と誰が話しかけてよくて誰と誰が話しかけてはいけない。
対応できなくもないけど疲れる。疲れるし不満だけど逆らう気力もない。
逆らうより逃れたい。
だからか、パーティーが終わっても部屋に帰る気になれず、あわよくば死ねないかなと、パーティー衣装のままバケモノのもとへやってきた。
「なんなんだ貴様は」
バケモノは疲れた様子で目玉を向ける。
「令嬢ですからね」
「そうだったな」
「それよりなんかやなことあったんですか。元気ないですよ」
「分かるのか」
バケモノは意外そうに私を見る。
「はい。目玉も大きいですからね。疲れが滲んでいるのがありありと分かりますよ」
「さようか」
バケモノはやっぱり意外そうだ。
「で、どうしたんですか」
「……どうということはない」
「その問答面倒なのではっきり言っちゃってくださいよ。何でもないと大丈夫で生まれるのは安心じゃなくて心配かその後の軋轢だけですよ」
「……いやな夢を見た」
「夢?」
聞き返すとバケモノは蠢く。
最近この蠢きが、「同意ではないが返事をする相槌」と「同意のうなずき」と「自然にまばたき感覚で蠢いているだけのとき」の三種類だと分かってきた。
「前に幸福について話をしただろう」
バケモノは地面をじっと見つめながら言う。
「強いと幸せみたいなやつですね」
「ああ。同族は、強さを幸せとしている。ゆえに争い、競う。戦う。強いものを見つければ、戦い、勝とうとする。しかし強さは戦わなければ分からない。目で見てわかる異端を狙う」
以前バケモノは「喰らいたくはない」と言っていた。
「……もしかして、あなたはバケモノの中でも異端の見た目なんですか」
「ああ」
てっきりバケモノはバケモノの中でスタンダードなバケモノだとばかり思っていた。偏見だった。どう違うのか気になったけど聞かなかった。お前どこが変なのと聞かれるのも不愉快だし、「ここ!」と言われても反応に困る。
「それで、めちゃくちゃ挑まれていたと」
「ああ」
バケモノは強さを得たのは不本意だったと話をしていた。つまりバケモノは異端のビジュアルゆえに同族から狙われ戦っていた結果、強くならざるをえず、今に至っているということか。
「強いのは幸せ……というのが一般的なバケモノの幸せで、で、あなたの幸せは違うんですよね……」
「ああ」
先ほどからバケモノは「ああ」しか言わない。
同意ではないが返事をする相槌で頷いてはいる。
「戦いたくない。共生がしたいが……同族を同族とは思えぬ。実際、元は一緒だったのかもしれないが、同族と余はかけ離れている。交わることはもうない。そして同族ですら異端な余が、異種族と共生できるはずがない。理解しているが、理解できていても受け入れられぬときがある。いや、受け入れられていても、唐突に、どうにもいかなくなる時があるのだ」
「人間みたいな悩みですね」
見た目は完全に人ならざるソレだし、ファンタジー世界でもかなり歪で怖いビジュアルをしている。でも、苦悩はまさしく人間と似ていた。
前世の私の悩み。
父親は自分の機嫌が取れないどころか他人で機嫌をとることに全振りしているタイプで、気に入らないことがあれば手が出るし、ずっとお酒の臭いがしていた。母親は父親の機嫌を取ることに全振りしていた。父親が私の修学旅行費を使いこんでしまっても「いいじゃない、小学校の頃の思い出なんて大人になっても役に立たないんだから」と、父親の暴力や怒鳴り声で勉強が出来ず母に訴えても「気にしなければいい」と言って、小学校の頃、なんとかネットで福祉について調べ、役所に連絡するよう伝えても「今度ね」と一向に電話してくれなかった。
そして母親も母親で、おおらかではない。
父親はお酒の影響で洗濯物がものすごく多い。そのことにいつも苛立っており、私がすると言い代わりに行うと、それはそれで気に入らず最初からやり直す。「あの人はいっつも洗濯ものばかり増やして!」と怒りながら、私の出した体操着や下着を洗うことなく、タンスに畳みなおして戻す。洗濯機の容量がいっぱいいっぱいになるからだ。
親に対して、理解できないことの方が多い。「世間一般の親」を求めることはやめた。期待しても意味がない。理解できないと諦め受け入れて日々をやり過ごしたほうが、最も苦しくなく済む。
でも、唐突にどうにもいかなくなる時があった。
「無理に、受け入れて諦めようとしなくていいんじゃないですか」
私はバケモノに顔を向ける。視線は合わない。バケモノの目はたくさんあるのに全部地面に向いている。
「無理になったら。しんどい時はしんどいし、無理だと思えば無理でいい。逃げちゃえばいい。手遅れになる前に」
私は、当時私が欲しかった言葉をバケモノに言う。
バケモノがその言葉が欲しいかは分からない。そもそも私とバケモノは生まれも育ちも種族も違う。人間相手ですらその心の内をはかることはできないのに、相手の楽になる言葉を選ぶなんて無謀だ。
だけど楽になってほしい。
「期待しない、期待しなければ楽……と、思いますけど、期待、しますよ。生きてたら。食べ物だってこれ美味しいといいな、って普通の人は食べ物選んだりするじゃないですか。これ似合うといいなって、服選んだり。これ、楽しいといいなって本を選んだり。ただ心臓を動かすだけなら、美味しい食べ物も、似合う服も、楽しい本も、いらない。でも、そういう小さなことだって期待せずにいられないのが人間なのだから、誰かと理解し合ったり、意思疎通をはかるうえで期待するなっていうほうが、無理な話ですよ。期待しないっていうのは、理想です。理想の世界で生きれたらいいですけど、それはとても難しい」
生きていることは、難しい。楽しそうに生きていたり幸せそうに過ごしている人を見ても、妬ましい、羨ましいとは思わない。あまりに遠い世界に思えて、自分と同じ成分で構成されているなんて信じられないな、と思う。
なのに、同族前提での触れ合いが求められる瞬間があって、疲れる。
疲れるのに、理解者が欲しいなと思う。私に味方してくれなくていいし否定しても構わないから。
「同族じゃなくても、同族でも、あなたが理解したいと思えて、あなたを理解する存在が現れるといいですね」
私はバケモノの意図を汲めない。バケモノどころか全生物の意図も汲めないだろう。
前世の育ちと今世の育ちや私の気質的に、無理だ。きちんと弁えている。生まれも育ちも変えられない。
でも、もう少しまともでいられるような場所で生まれたかった。心臓のあたりが痛む。
もう少し、正しい感性を持っていたら。
バケモノの心を軽く出来たし、「私があなたの理解者になりたい」と口に出せたかもしれない。結局ただ隣にいて置物同然の役立たずになるかもしれないけど、風よけくらいにはなれるはずだった。
「……余を理解したいと思うものなどいるものか」
「いますよここに。世界ほろんじゃえなんて定期的に思う私なんかでも思うんですから、旅でもすればぽんぽん見つかりますよ」
励ますように私はバケモノに触れる。初めて触ったけれど、ドロドロしていると思っていた皮膚は案外もっちりしていた。
「私、明日、屋敷を出るんですよ」
「どうした唐突に」
「唐突じゃないんですよ。私今日16歳の誕生日なんです。冒険者になって、悪人とか犯罪者倒しまくろうと思って」
この国では、16歳を超えた人間はお酒は飲めずとも成人扱いになる。冒険者として魔物を倒したり、何か貴重な石とか砂とか宝石とかを集める依頼を受けられるようになる。いわばバイト解禁だ。
なんとか近場での死を目指していたけど、どうにも無理らしい。なので冒険者として屋敷を出て、悪さしてるところに突っ込んでいき殺してもらうことにした。
色々試行錯誤……それこそ死行錯誤の結果、経験値を積んだらしく死に辛くなっているし、こうなると私を倒してくれる奴を探してもらうほかない。戦闘狂みたいなものの、周りを巻き込み死刑になるのは嫌だし、犯罪者とか人殺しみたいな奴に目をつけられて殺してもらうに限る。
一族の反応は「放任」そのものだった。
隠れて登録しても家に絶対バレるだろうから、一応、使用人伝いに冒険者登録の手続きをしたら、しっかりノンティーク家であることは隠されたうえで登録完了の書類と、冒険者の証が届いた。
証と言っても見た目は正円のアクリルキーホルダーに近い。中央にはこの国の紋章が鎮座し、紋章を囲うように魔法陣が刻まれている。
陣の外周には星の幾何学模様が散り、魔法陣は剣士として冒険をしているか、魔法士として冒険をしているかなどジャンルが分かる仕組みだ。
星の幾何学模様の色づき具合でその道のプロか駆け出しか識別する。
私の証は魔法陣がところどころ崩れている、いわゆる剣士でも魔法士でも薬師でも、特定のジャンルに染まっていない「陣なし」の証明だ。
最高の意味で言えば、なんでも得意ならオールラウンダー。
一般的な意味で言えば、補欠。変わりはきく、あまりもの枠。死ぬ確率も高い。好き好んで陣なしになりたがる人間はいないけど、大抵そこに行きつき、何かを目指す。
でも私は陣なし希望だ。
貴族令息が自分の素性を隠し冒険者になることは、なくはない。
貴族は国直属の騎士団に入るのがセオリーだけど、騎士団や集団と気質が合わない変わり者は冒険者になってソロで戦ったり、そもそも貴族社会が無理な貴族もいる。
といった話を上の兄二人がしているのを盗み聞きしたことがある。「あの家の次男は冒険者になったらしい」みたいな感じで。
つまりノンティーク家としては、私がノンティーク家の末娘として冒険者になるのではなく、いい感じに素性を隠し野垂れ死にして、後から「娘がいなくなり死体となって発見されました。とてもつらいです」みたいな表明をして幕を閉じることを望んでいる。
そして私も、同じ終幕を望んでいる。
「バケモノさん?」
バケモノは私をじっと見つめているだけで、何も話そうとしない。
「貴様……」
バケモノはググ……と大きな蹄を動かす。すると私のそばで淡い発光が起きたかと思えば、茶色い塊が現れた。
「これはいったい」
「先の時代、16歳を迎えた人の子が喰らう菓子だ。今の時代の菓子と比べれば古めかしく喜びもないだろうがな」
「いや、初めてなので比べようもないですよ。嬉しいです」
バケモノの言う先の時代と今の時代と、私の先の時代と今の時代は違うだろう。でも、どちらにせよ私は、誕生日のケーキなんて食べたことが無かった。生まれてきたことなんて全然良かったと思えないのに、誕生日ケーキを貰えたことは嬉しい。
嫌だな。死にたいのに。
生きていることを祝うケーキをもらえて、泣きそうになるなんて。
切実に思う。今のうちに死んでおきたい。
「良ければ一緒に食べませんか」
「隙を見て我の口の中に入ろうとしなければな」
「……」
「黙るな」
バケモノは私を怪訝そうに見てくる。私は祝いのケーキを二人で……ではなく、バケモノと食べた。
ケーキを食べながら、ただ死にたいのではなく、死に方が選べるのならばバケモノに食べられて死にたいと心の底から思った。でも殺してくれなさそうだ。
殺してもらうのは諦めるので、良ければ一緒に旅をしませんか。
そう言ってしまおうか悩んで、やめた。
バケモノに得がない。私にしか得がない。
私にしか得がない願いは、口にしない。
冒険者としての生活は、案外快適だった。
いつ死んでもいいので危険なダンジョンにも潜り放題だし、危険な依頼も受け放題。普通の人がためらうような仕事を進んでやっていくと、新たに「誰も受けない、死を覚悟しなければいけない依頼」が舞い込んでくる。
中には危ないダンジョンで行方不明になった冒険者の捜索依頼、災害時に発生した救助もあり、「見捨てるしかない」「絶望的」といった死ねそうな仕事が飛んできて、私は嬉々として捜索や救助に向かい、依頼達成。
依頼人や遭難者、救助者の笑顔を見送り、一日を終える。傍から見れば素敵な人生だろう。
でも、私は一生を終えたいのだ。怪我をしたとき、他者の治療を優先しているとたまに「自分の命を大切にしろ」「生きたくても生きられない人間がいる」と言ってくるけど、私はきちんと自分の臓器移植の許諾申請をしている。私が死ねば明日を生きたい複数名の命が繋がるのだ。
そして今日、とうとうある国で表彰を受けることになった。誰彼構わず襲撃し金を盗む強盗集団を討伐したのだ。守られたくないので単独で乗り込み、ワンチャン死ねないかと思っていたけど、駄目だった。生き残ってしまった。
「さて褒美は何を求める」
大広間で要人たちが問いかけてくる。ドラマで見たことあるような場面だな、と思う。会議室で役員の一人が詰められているようなシチュエーションだけど、舞台は簡素な会議室ではなく中世の城の中みたいな内装だし、私はファンタジー冒険者の格好だし、向こうは西洋映画の人物みたいな風体だ。
私は「恐れ入りますが」と断りを入れた。
「処刑してください」
「犯人は当然厳罰に処す」
「いや私を」
「そなたを?」
要人たちが動きを止めた。それどころか周囲の空気が凍る。誰かが魔法で悪さをしているのかもしれない。
「……なぜ」
周囲の気配をうかがっていれば要人のひとりが問いかけてくる。
「死にたいからです」
「も、もしかしたら我が国の……異国人はどんな理由があろうと街中で殺生を行うことを禁ず、といった法を知っているのか」
要人は苦々しい顔で言う。この国の法は勿論知っている。異国人は少しでも町の治安を乱せば即極刑であり、暴力を振るえばたとえ自己防衛であっても拷問の末、死刑になる。だからこそ丁度良かった。強盗団を襲撃すれば強盗団に殺されずとも法律が私を殺してくれる。
「はい。入国の際に」
「……そうか。だが、心配しなくていい。今回の一件で、変えるべきだと声が上がっている。あなたを処すことは出来ない」
駄目だ。法の下の平等なんて無かったんだ。救いがない。死んでしまいたい。
強盗団討伐の祝賀会が開かれることになったけど、「死んだ被害者の追悼がしたい」ともっともらしい理由で辞退した。法律が変わるくらい、強盗団による被害は凄まじく、死んだ人数だけで言えば80人にのぼる。運よく助かった……心臓だけ動いてる人間の数は三桁にのぼり、軽傷者は最早カウントされずの状態だ。
宿で、被害者のリストを見る。
死体や死んだ人間の名前を見るたび、なんで自分じゃなかったんだろうなと思う。自分が死ねばよかった。こんなにも死にたいのに。死ななくていい人間ばかり死んでいく。おかしい。この世界はおかしい。ずっとおかしい。前の世界もおかしいと思っていたけど。
死ななければと思った人間は案外、死ねない、死んではいけないように出来ているのだろうか。よく分からない。疲れた。
たいして眠れやしないのに目を閉じ睡眠を試みる。隣の部屋の子連れの声が滅茶苦茶うるさいけれど、誕生日祝いをしているので耐える。要人に宿を用意したと言われたけれど、元々死ぬために治安最低の宿を予約していたので、キャンセルも悪いかと断っていた。
断らなきゃよかったかもしれない。なんだかすごく、心の死んでいたはずの部分が主張してくる。
いいなと思う。生まれてきたことを祝ってもらえて。
今祝われても、生まれてきたことも生きていることも全然嬉しくないから嫌だけど。
生まれてきたことを許される人間になりたかったし、他責思考だけど生きていていいと思える育ち方をしたかった。
前世駄目だったから今世くらいなんとかしてくれよと思う。
死にたい。飛び降りたい。でも今飛び降りれば隣の誕生日パーティーが最悪な状態になるので死ねない。そこまでの理性はある。
でも今、耐えているのは本当に理性からだろうか。死んだほうがいい自認があると私が思いたがっているだけで、実際は死ぬのを嫌がっているだけではないだろうか
死んだほうがいい人間のくせに。
人差し指の関節を親指ではじく。天井を見つめていると突然爆発音がして星空と火炎が見えた。なんのこっちゃと思えば、空に要人の一人が浮いている。
「……殺し損ねたか」
「な、なぜ」
「突然現れたお前のせいで我が国の法が勝手に変えられようとしている。そんなことはあってはならない。死ね」
要人は簡潔に告げると、詠唱を始めた。どうやら要人が魔法で宿ごと吹き飛ばし私を殺そうとして、屋根が吹き飛んだらしい。殺そうとしてくれるのはありがたいけれど、隣で誕生日パーティーをしていた親子は殺されたら困る。
「自国民を巻き添えにするつもりですか‼」
「何事にも犠牲がつきものだ」
「バカがよ‼」
殺してやろうかなと思う。でも駄目だ。めちゃくちゃ死にたいし全部ぶっ壊してやろうかな、たくさん殺せば死刑になれるかな、なんてことは正直週一で思うけど、それだけはやっちゃいけない。楽になりたいけど、他人を犠牲に楽になることだけは、絶対駄目だから。
そして攻撃したらおそらく殺してしまう。私は魔法を展開し、あえて躱されるように仕向け相手の魔法を中断させ、隣の部屋の親子のもとへ飛び込んだ。
防御壁を貼ろうとして、気付いた。
死んでもいいので防御系の魔法は一切習得してない。
相手は殺したら駄目な人間、今まで相手にしてきたのは死刑クラスの犯罪者か駆除依頼のある害獣。
救助のときはモンスターを殺して人を助けていた。殺してはいけない人間と戦いながら誰かを守る戦い方は分からない。
どうしたものか。
一瞬の隙が生まれた瞬間、要人から魔法が放たれた。私は親子を庇う。
私の命なんてどうなってもいい。このまま魔法で相殺しても、殺傷力が高すぎるあまり要人を殺す可能性があるし、私側が無事でも後ろの親子が死ぬ。
トロッコ問題の状態だ。
私でどうにかできないか。私の命で。トロッコ問題を目にするたびずっと思っていた。どちらのレールも選ばずレールを選ぶ人間が死ぬ道はないのかと。レールを選ぶ人間が死ねば、二人も救える。
どうにか抗おうと、空に手を伸ばした瞬間だった。
要人が放った魔法が、空から伸びた真っ黒な触手に一瞬にして覆われた。
「……なっ」
要人が突然の光景に目を大きく見開く。後ろで親子が「バケモノ」と怯えている。
「バケモノ」
私も同じように呟いた。美しい星空を切り取るように、おどろおどろしい塊……いつもそばにいてくれたバケモノが姿を現わした。
「な、なんでここに」
「言語を授けたであろう。意思の疎通は魂の繋がりと同義、どこにいても分かる」
「年上が年下の位置情報把握して追尾してくるの犯罪ですよ、怖」
言語機能だけでなくそんな機能までついてくるなんてびっくりする。しかしバケモノは相変わらず複数の目玉で私を冷ややかに見てきた。
「隙あらば我の口の中に入ろうとする貴様に一番言われたくないわ」
「こっちは事情があるじゃないですか。そっちに何の事情があるっていうんですか」
言い返すとバケモノは複数の目玉をぎょろぎょろ動かした。これ子供見たら泣くんじゃないかと振り返れば、子供は私を見ていた。
「お姉ちゃんバケモノが何を言っているか分かるの」
子供は目を輝かせている。そういえばバケモノは私に権限を与えたと言っていた。話をしているのは二人きりのときと言うか、私とバケモノしかいない場だった。
でも今、子供がいる。私が一方的にべらべらしゃべりかけてるように見えてたのでは……?
「う、うん。分かるけど……え、バケモノがなんて言ってるように聞こえてるの?」
「ビジャグチャバチャビチビチグチョ」
目をまんまるにしていた子供は迫真の演技でグロい音を出した。
どうやらこれが周りに聞こえている「バケモノの話し声」らしい。
今までバケモノは意思疎通できるようになるまで、バケモノが一言も発しなかったから知らなかった。
そういう感じだったんだ。
じゃあ私が「いつ殺してくれるんですか?」とか聞いた後、このバケモノはホラーサウンドみたいな音で返事をしていたらしい。
「あの、この子にも話通じる魔法かけてくれませんか」
私はバケモノにお願いをする。私なんかに権限を与えたのなら、この子にも与えるだろう。しかし私の思惑に反してバケモノは、鼻なんてどこにあるかも分からないのに、「フン」と嘲笑の音を出した。
「余が自らの言語をそう容易く授けるわけがないだろう。何千年に一度あるかないかのことだ」
「え、じゃあ千年単位で授けてるんですか」
「ものの例えだ。広義的に、何千年に一度あるかないか、という意味だ。他は知らん。余は永劫貴様だけだ。ほかの種族は知らん。まぁ、人間に権限を与える同族はいないがな」
「なんでいないんですか」
「争いの引き金になる。そもそもこちらと言葉を交わせると知られれば、人間たちは余を理解した気になり、勝手にあれこれ始めるだろう」
「じゃあなんで私に授けたんですか」
問いかけると、「それより」とバケモノは目玉を要人に向けた。
「あれを無力化しなければならない」
そう言って、バケモノはいつも私を焼いていた炎で要人を攻撃する。要人は倒れ──要人自身が攻撃して壊した宿に墜落した。
「騎士団だ‼ いったい何が──ば、バケモノ‼ 大丈夫ですか‼ そのバケモノから今すぐ離れるんだ‼」
同時に、おそらく最悪なタイミングで騎士団が到着した。要人がこちらを攻撃したのは、宿の人間も親子も見ているだろう。とはいえ騎士団からすれば、確実にバケモノが宿を襲撃したようにしか見えない。バケモノ自身もそれを理解しているのか、また星空におどろおどろしい穴を開け、どこかへ行こうとする。
「では」
「では‼」
「え」
要人は私に別れを告げたつもりなのだろうか、私もこれ幸いと、バケモノの中に飛び込んだ。
「なんでついてきたんだ。冒険者として認められていただろうに」
バケモノが私を冷ややかに見返す。
空間を切り開いて移動した先は、原っぱだった。どこの原っぱか分からない。
「別に認められたくて頑張っていたわけじゃないので」
「何故」
「死にたいから」
即答する。
「あの家を抜け出してもなお、死にたいのか貴様は。あの家の者と違い、今のお前にはお前に生きていてほしいと願う存在がいるだろう」
「まぁ」
救助した人たちは、そう思うだろうなと思う。私は命の恩人だ。客観的に考えて、生きていたい人間が命を救われた人間に対して感謝しないケースは少ない。周りの人間に生きていてほしいと感じる優しい人もいる。
「でも、その人たちは、助けてくれた人、傍にいる人に生きていてほしいだけで、私に生きていてほしい人じゃないですからね」
本来の私には何もない。特技も好きなこともない。空っぽな人間だ。本当に色々中途半端で、人に好かれたり愛されたいけど、好かれて愛される要素はないし、それらを獲得するために努力──も一応できるけど続かない。天性のものには勝てない。養殖をしなきゃいけないけど、続かない。
だから終わりたい。冒険者になって感謝されるようになってひときわ思うようになった。
皆にそこまで悪く思われていないうちに死んでおきたい。
それにみんなどうせ、私が死んでもそこまで悲しまないし人生に影響もない。
ああ悲しいなって三日思って、忘れ去られる。代替えはいくらでもある。
誰かに、何かに、いてもらいたい。
でも私が私である限り永遠に手に入らない。手に入らないものを求め続けることは醜い。期待が膨らみ悪さしない前に潔く死ぬ。
「貴様はいったい、何を求めているんだ」
「安楽死、即死」
「それ以外は」
「私がどうしようもない人間であることを許してくれて、変えられない私でも妥協してくれる存在」
どこまでも都合のいい我儘だなと自分でも思う。でも何かを欲するとしたらそれだ。
そして私は、それを今隣にいるバケモノに求めているフシがある。
何も返せやしないのに。誕生日を祝われた時につくづく感じた。だから離れようと決めた。期待し続けるから。
「先着順でいい。その存在と地獄にいたい。天国は地獄に行く可能性があるだろうけど、地獄はどこにも行かずに済む利点があるから。どこにも行かずに、この手を掴んでいてほしい」
──いかがですか。
私はバケモノに手を差し出す。どうせ取りはしない。知ってる。ハッピーエンドは私の人生にない。求めているものは絶対に手に入らない。
なのに。
するっと、バケモノから黒い線が伸びた。その線は私の手首にぐるぐると巻付き、到底人の手を模しているとは思えないのに、手のひらを包むように絡んだ。
「え」
「余はずっと貴様に口の中に飛び込まれるという被害を受けた。そして今回、助けてやった。貴様は死にたがるが、親子は生かしたいようだったからな。違うか」
「はい……」
「だから余は、貴様に復讐しなければならないし、同時に貴様は我に恩を返す必要がある。貴様は死にたいのであろうが、余は呪われし存在。人の子の願いなど叶えない。我を愚弄した罪は重い。永久に呪う。楽に死ねると思うな」
「あぁ……」
「まぁ、先着順と告げた己を呪え」
バケモノはさきほどまで私を見つめていた複数の目玉を、すっと逸らす。背景の星空もあいまって、水晶体が反射し、星が瞬いているように見えた。
異国での出来事は、普通に大騒動になったらしい。バケモノが要人を操っていたんじゃないかとか、色々憶測が生まれたそうだ。親子や宿の関係者の無事を確認した後、私とバケモノはサッサと国を出てしまったので、その後あの国がどうなったのか、私たちを襲った要人の処罰がどうなったのか分からないし、噂で聞いても所詮噂だ。本当のところどうか分からない。トラブルがあった以上、もう二度と行かないから、関わりのない存在だ。興味もない。実家と同じだ。
そうして国を出た私たちは、のんびり旅に出ることにした。
「バケモノは人間体になったりするんですか」
私は夜明け前の道を歩きながら問う。日の出の時間だから空は赤く、夕焼けと区別がつかない。朝焼けと呼ぶのだとバケモノから教わった。
「なれはするがなってほしいのか」
バケモノは私の隣を歩く。ただ縮小して浮いている形だから、傍目に見れば私が一人で黒い風船を持っている様にしか見えないだろう。それも、黒い目玉がいくつもついている不気味な風船を。
「いや、人間好きじゃないので」
「そうか」
バケモノはほっとしたような声を発した。私以外の人間が聞いたらビチャビチャ言ってるんだろう。
「嫌がらせに使えるな」
「あぁ確かに。そういうときって目玉何個になるんですか」
「一つでも二つでも、減らせはする」
「へぇ、でも、せっかくあるならそのままでいいですよ。無理に減らさずで。勿体ないですし」
そう言うと、バケモノは「貧相な発想だ」と鼻で笑った。鼻は相変わらずどこについているか分からないままに。