93話
目の前の『ゴブリン・メイジ』は、ゴブリンにしては珍しく、動物の皮ではなくて、布の服を着ている。伸びきった黄ばんだ服を、腰の所で縛って着ている。
ダラシなく足をずって歩く音を聞きながら、その背中へソッと近づいて行く。
警戒心のない相手。ウサギよりもよっぽど楽だ。
そう思うと、身体から緊張感が解けていき、『ゴブリン・メイジ』をただの一匹のゴブリンとして見る事が出来た。ならば、後は始末するだけだ。
右手でゴブリンの肩を掴んで押さえ、左手の刀を突き刺した。
慌てず、刀の刃を滑らせて引き抜き、奴の首を刎ねた。
誤算だったのは、奴が手に持っていた杖が、思いの外大きな音を立てて落っこちた事だ。
奴が霧と消えるまでの僅かな時間に、それは起こってしまった。
カランッ。
想定していなかった事態に、僕は一瞬迷ってしまった。
大急ぎで逃げだすか、何処かに隠れるかだ。
その迷った刹那に、『ホブゴブリン』が現れた。
「嘘だろぉ・・・。」
逡巡は僅か、僕は踵を返して逃げ出した!
理由は2つある。
まず、初遭遇のモンスターだからだ。
十分な安全マージンを取って戦うには、知ってるモンスターの方が望ましい。
もう1つは、此奴のように、何かに気づいて駆けつけるモンスターがいたら、僕は詰んでしまうからだ。
なりふり構わずに逃げる事はない、そんなものはダンジョンでは無謀だ。
だから、僕は必死になって、逃走ルートをイメージしながら走る。
僕が侵入して来たルートを、逆にたどる作業だ。
焦って、パニックになりそうな自分を、なんとか制御して、方向を間違えないように走り続ける!
『ホブゴブリン』は槍持ちだった、なるべく木の多い所を通って逃げた方が、攻撃され難いだろう。だけど、走り難いから、逆に追いつかれるかもしれない。
僅かな葛藤はあるものの、考えよりも、身体が林を走って行く方が早い。
『ゴブリンの集落』を出た時は、後ろに聞こえていた複数の叫び声が、今は全く聞こえない。
それでも、まだ追われている事は分かっている。
足音だ。
後ろから、長いストロークで走って来る音が聞こえている。
4足で走るウルフなんかとは違う。足の短い普通のゴブリンとも違う。長いストロークは足の長さを表している。
例えば、『ホブゴブリン』の様な。
僕はチラッと振り返る。
間違いない、奴だ!
「しつこいなぁ・・・、きみ・・・。」
結構走ったにもかかわらず、『ホブゴブリン』は僕を追跡していた。
だけど、奴は1人だ。
僕は、林の中で、奴を殺る事を選択した。
木の陰に身を隠し、息を潜めて相手を確かめる。
敵は『ホブゴブリン』、それは間違いない。
槍持ちで背が高く、細いけど筋肉質だ、動きも悪くなさそう。
頭はちょっと足りてないのか、僕を見失ってるみたいだ。近くでウロウロしている。
エミリアみたいだ・・・。
僕は、急激に冷静さを取り戻した。
なんて偉大なんだ君は、さっきまでの焦りが嘘のようだ。今なら『ゴブリンの集落』で一暴れしても、生き延びられそうだよ。
すぐ近くで、『ホブゴブリン』が僕を探してウロウロしている中、僕は地面に刀を突き刺し、ペットボトルを取り出して水を飲んで休憩だ。
僕も随分と大胆になったものだ。
彼女の事を考えると、すぐそこの『ホブゴブリン』が全く怖くなくなってしまう。塩分と糖分を補給するタブレットを、口に放り込む余裕すら出来てしまう。
彼女の攻勢を躱す事を考えれば、こんなのピンチでも何でもない。
何しろ受け止めたら、告白くらいはしないと、許してもらえないだろうからね。
諦めの悪さも、よく似てるよ。
「たった1人で追って来たのが、お前の失敗だよ・・・。」
呟きをこぼした僕は、始末を決行する。
木の幹の裏から、相手の位置を探り。
こちらを向いていない瞬間を狙って斬りかかる。
まずは当てる、お姉さんに知られたら、怒られそうな一撃だ。
それでも足がザックリと切れたのは、『小鬼丸』のおかげだろう。
すかさず返して来た突きを、半身になって躱し、もう一撃プレゼントする。
今度は狙って腕に当てた。
だけど、骨を断つには至らなかった。
無理な挙動の所為だろう。
ステータスが上がっても、まだまだお姉さんの動きは真似しきれない。
手足の肉が切られているのに、槍を構える『ホブゴブリン』に僕は警戒を強めながら、じっくりと仕留めて行く。
さらなる追っ手の気配はない。ここから先、時間は僕の味方だ。
ウルフのように、獲物の周りを回りながら、消耗を待ち、相手の隙を伺い続ける。
大きな傷を負った『ホブゴブリン』は、出血によって徐々にその動きを鈍らせて行き、体勢を崩したところを僕が切った。
長い戦いだった。
奴のドロップは、ありがたく頂戴し、僕はその日の狩りを終えた。
ホブゴブリンが強敵なの!?
まあ、ゲームでも序盤では、強敵でしょう?
まだ、この世界は序盤を過ごしてる時間なんでしょうね。




