231話、閑話、某所
某所と警備会社。
その日、この部屋は大荒れだった。
「何の冗談だ!?」
「侵入した奴の身元は分かったのか!?」
「メキシコ国籍の男性で、ホセ・クレメンテ・ホロスコ34歳だそうです!」
「聞かないコードネームだな・・・。諜報に身を置く人間ではないのか?」
「そんな馬鹿な!?『ダンジョン・フィル・ハーモニー』の藤川 幸太の家に、たまたまコソ泥が侵入したとでも言うのか!?そんな偶然があるものか!」
バンッと、机を叩く音が大きく鳴る。そんな音ですら、騒々しい部屋の喧騒に、あっさりと搔き消されていく。
「メキシコの大使館でも、今大慌てで入国の経路などを調べているとの事です。メディアに、そう発表してます。」
「あんな記者会見、表向きだろう!?内部の音声は!聞き耳はたてられんのか!?」
「そちらも同じです!大使館内は、寝耳に水の大慌てですよ。」
「・・・他国の関与を、疑うべきだな。」
少し、喧騒が静まる。
「というと、合衆国、カナダ、それかドイツによる自作自演の線でしょうか?」
「藤川がドイツに警備を委託してるのは、少し調べれば分かる事だが・・・。裏をかいて、という事もありえるのか?」
「今回の件に、全く関係の見えない国の関与を疑うよりは、あり得る事だと思います。」
「そうすると・・・、オランダと日本にも探りを入れてみるべきだな。」
「はい!」
「皆くれぐれも慎重にな?久々に遺体らしい遺体の残った事件だが、相手はあの『アンタッチャブル』だ、その事を決っして忘れるな!」
ゴクリッと、喉の鳴る音が聞こえるかの様な静寂が、いつの間にか辺りを支配していた。
幾つかの国の、諜報機関の支部ともいうべきものが、丸ごと消された事実が、全員の脳裏に思い起こされていた。
はるか遠方の九州の地から、この名古屋、いや、豊田の地まで奴の手が届いている、その可能性を考慮しての事だ。
日本の中でも特に湿度が高くて蒸し暑い、そんな不快な気候に負けない寒気を、この部屋にいる全員が共有していた。
『東洋の悪魔』は、飛び切り性能の良い耳を持っている、と言うのは、諜報の世界に生きる者たちにとって、もはや常識だ。
この部屋に入ったら、メンバーの名前よりも先に教えられる、それほどの重要事項だ。
「少しでも情報を得たら、複数の手段でもって情報を残せ。僅かでも身の危険を感じたら、無理をせずに手を引け。いいな?皆の能力を疑う訳ではないが、相手は未知の能力を持った化け物だ。これまでの常識が通用するとは思うなよ、その事を念頭に置いて、各自慎重に行動してくれ。」
手が2つ叩かれた。
「では、仕事にとりかかってくれ!!」
この中の何人と、再び会う事が叶うのだろうか?
そんな不安を胸に、全員が仕事に取り掛かる。
取り残されたテレビの音が、メキシコの主張を繰り返し響かせていた・・・。
◇
アラートに反応し監視カメラの映像に目をやると、警備対象のアパートに、普段は見かけない色黒な人物が近づいて行くではないか。
服装におかしなところは見受けれらない、気候に合わせた薄着で男性の様だ。小さめのバックを担いでいるところにも、異常は見られない。
普通に見れば、完全なホワイトカラーだ。怪しい人物ではない。
「おい、念の為に準備しとけよ。」
それでも、仕事は仕事だ。
「珍しいな!あのボロアパートに近づく奴がいるなんてな!」
「ポスティングってやつか?それとも素人かな?」
奴に近づく諜報員は生き残れない。これが言われるようになってから、数ヶ月もの月日が経っている。
まともは神経を持った人間ならば、奴に近づく事はない。
だけど、国家となると、稀に頭のおかしい国が、未だに存在する。
「賭けるか!?」
「俺がポスティングに賭けていいならいいぜ?」
「それじゃあ賭けにならねえだろうが!」
「お前がそれ以外に賭ければいいじゃないか。」
「やめやめ!賭けにならねえよ。」
仕事を請け負ったはいいが、ここ数日は、ボロアパートの無人の部屋を監視するだけの退屈な日々だ、皆気が緩んでいる。おまけに家主が男ともなれば、皆が興味を失うのも無理のない事だ。
「2人とも準備は?」
「問題ありません。」
「普段から着けてるよ。」
この辺は、軍人上がりを雇用しているこの会社の良さだろう。
最低限の準備は、当たり前の事として行えている。
「では、そのまま待機・・・。いや、警察に連絡を入れ現場に急行する、いそげ!」
なんと、この日に限って、不審者は白昼堂々と依頼人の部屋に押し入ったではないか!
我が目を疑う事態だ・・・。
同僚の反応の鈍さも、致し方のない事だろう。
「下に行って、車を回せ!!」
「マジかよ!?賭けとけば良かったぜ!」
「危ない、危ない。」
警備会社といっても、逮捕権がある訳ではないし、被疑者へ尋問する事も拷問する事も、法律的には出来ない。だから、こうした処置は欠かせない。
本国ならば、会社のコネでもう少し融通が利くところだろうに。他国で活動するときには、特に欠かせない処置なのだ。
移動しながら、警備会社である事と、依頼人の住居に不審者が押し入った事を伝え、現場へ急ぐ。僅かな時間で、被疑者に逃げられ、依頼人の信頼を失っては目も当てられない。
せめて、自分たちの手で捕らえて警察に突き出せば、最低限の仕事はした事に出来る。いや、むしろ昇給があっても不思議じゃないお手柄だろう。
ここまでの映像は残っている。しかし、人相体格は偽装出来るものだ。討伐ないし捕縛が望ましい。
殺すと、日本の警察はうるさいからな。
それに、背後関係も追えない、それではイタチごっこだ。依頼人の心象も悪かろう。
現場に到着して配置につく。事前に想定しておいたポジションだ、戸惑う事はない。
扉の前に1人、アパートの階段下に1人、そして依頼人の部屋の窓の下に1人だ。後は被疑者が出て来るのが先か、警察が到着するのが先かってところだ。
数分もすると、警察が到着したので、通報した身として説明をする。
翻訳機があるので、意思疎通に支障はない。
だが、依然として被疑者が現場から出てこないではないか。
あれほど大きな音を立てて警察が到着したのに、何の反応もないというのはどういう訳だ?
俺たちが不審に思ってる間に、警察官が依頼人の部屋をノックした。
「藤川さーん!藤川さんおられますか?」
返事があるはずがない。
「藤川さん、開けますよー?開いてる?皆さんは、中には入られましたか?」
「いや、依頼人が留守なのは聞いている。我々は、被疑者が出て来るのを待ち受けていた。」
事実を端的に伝えた。
「一応、中を確認してみますね。何かあったら言ってください。」
「了解です。映像にも残しているので、何かあればお伝えします。」
言葉は濁しているが、お互いの仕事に支障が出ない様に配慮出来るのは良い事だ。
とりあえず、この国での仕事が順調にいきそうで安心出来る。
「先に入りますね。藤川さーん、ふじっ・・・!!?」
「どうした?っ!?退がって!部屋に入らないで!!すぐに増援を要請する!お前は生死の確認をしてくれ!!」
どうしたのだろう?
1人の警察官が室内に残り、もう1人が私たちを押し下げて来る。
「何があった?」
「・・・人が、人が倒れています。今、生死の確認をとっています。現場を保存したいので、どうか立ち入らない様に。」
・・・いったい、何が起きているんだ・・・?
この部屋に入ったら=この支部に配属されたら。
支部に配属、と書いた方が直接的で分かりやすいのですが、部屋に入ったら、と書いた方が諜報部らしくてカッコいいかな?と思ってこちらにしました。
ご理解いただけると、嬉しく思います。




