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短編大作選

気のはやいサクラ

 マフラ一が、とてもあたたかい。震えるカラダを、なだめてくれる。気温は、10度以上ある。そう、駅前の温度計が教えてくれた。

「また来週ね」

 会社の先輩の、小さな声が響く。心を支えてくれている。いなかったら、完全に気分は落ちていた。マフラ一に、口元が隠れている。でも、目から溢れる優しさがあった。


 ひとりになった。暗い部屋の中。ずっと、先輩と一緒にいた。だから、スマホは見られなかった。

 闇に包まれた玄関で、縦長の四角い光を灯す。画面の小さな赤い丸には、10という数字がある。未読だ。タッチしたが、その中に彼からのものはなかった。期待は、打ち砕かれた。




 彼と連絡が取れなくなった。まだ、二日目。だけど、それは異常だ。毎日、彼から50通くらいの、メールが来ていたから。

 最近、隣に美女が引っ越してきたらしい。それとこれとは、何か関係があるかもしれない。まあ、あるわけないか。

 後悔した。昨日のうちに、動けばよかった。事件や事故なら、早い方がいい。なんで、こんな重要なことが、出来なかったんだ。


 腰に結ばれた糸を、引っ張られている感じ。足がもつれながら、走った。前髪の乱れは、特に気にならなかった。

 マンションの階段を、二段飛ばしで降りる。ほどけた靴ヒモも、結ばす走る。

 赤信号で止まる。横断歩道の前で、貧乏ゆすりのような、足踏みをする。気持ちが先をゆく。口が半開きの通行人も、ほとんど気ならなかった。


 気付けば、建物内にいた。ここは、3階か4階だろう。ここは、彼のマンションの通路だ。隙間から見える空には、魚のカタチの雲があった。

 なぜか、普段気にならない場所が、気になる。3から始まる3桁の数字を見て、階段を竜巻のように登る。

 ぐるっと2回ほど、円を描くと、平面に出た。404を探す。横長のプレートを見て、404の前に立った。


 5秒間の空白作り出す。そして、手を伸ばした。チャイムを鳴らしても、返事はない。背中辺りから、変な汗が滲む。かゆいような、痛いような感覚。

 想像が、嫌な方向へと進む。想像する脳に、血の赤が滲む。音を発さない世界を、思い浮かべていた。まぶたで、視界を覆う。

 パシンと手を叩き、自分のなかで世界をリセットした。新たな世界になり、ドアに手を掛ける。


 引っ張っても開かず、合鍵で開ける。隙間からもう、横向きの足首がふたつ見えてしまった。2、3歩は進めたが、膝から崩れ落ちた。

 玄関マットが、無駄にふわふわだった。膝を直接、モコモコが撫でる。彼は部屋で、ぐったりしていた。近くに寄ると、首には絞められた痕があった。


 すぐに、スマホを手に取った。110番に連絡した。言った言葉は、覚えていない。でも、こちらに向かうという、相手の言葉だけは、覚えている。


 彼の、もさもさの髪には、桜の花びらが絡まっていた。この季節は、まだ桜は咲かない。

 ここら辺だけでなく、関東はまだ、桜の季節ではないだろう。桜の咲く場所で殺され、運ばれたのだろうか。

 他には、こんなことも考えられる。桜の咲く場所に行き、自分の足で帰ってきたあとに、殺されたという線だ。


 ずっと、フローリングの冷たい床にいた。そこから、動くことが出来なかった。ネットで調べた。桜を主体にし、サブワードを数多変えて、検索した。

 警察に頼るのもいいが、気持ちを一番知っているのは私。だから、絶対に手掛かりを見つけてやる。その気持ちは、数秒でどんどん、倍になっていった。


 1月に咲く、桜の場所。そんなの、この日本にだって、いくつかある。車で行ける場所でさえも、ちらほらある。

 一番近くにある温室の植物園。そこから、探っていこう。見つかったとしても、そこに手掛かりがあるかは分からない。でも、やらない手はない。




 日付が変わった土曜日。一人で、その植物園に向かった。親子連れが、2組いる程度だった。見たこともない大きな花。南国感が溢れる、植物ばかりだ。

 そこに、見覚えのある顔があった。すぐに、先輩だと認識した。園長らしき、50代くらいの夫婦と話をしている。

「結婚相手、俺が紹介しようか?」

「自分で見つけるから」

 先輩の実家なのだろう。



 彼は、園と名の付く場所には、行きたがらなかった。遊園地も、動物園も。もちろん、公園だって。

 だから、自分の意思で植物園には、近寄らないだろう。誰かに呼び出された。それしかないだろう。

 息を吸って吐くと、気持ちが良かった。空気は澄んでいる。なのに脳内は、先輩の不気味な笑顔で、濁っていた。


 両手両足から、力が抜けた。胸に気持ち悪さがいる。床に膝をついていた。みんなの視線が、こちらへ向く。

 残っていた力のすべてを、足に集中させて走る。気が付くと家だった。いつものベッドの、柔らかさが全身を包んでいた。

 それ以外の感覚は、ほとんどない。暗闇に、かすかなバイクの走行音があるだけだ。そのまま私は、だんだんと薄れていった。




 警察官が、部屋を訪ねてきた。犯人は、彼の部屋の、隣に住む女性だった。彼に告白したが、私の存在が分かり、首を絞めたのだという。

 許せない。そういった気持ちも、湧いてきた。だが、それ以上に逢いたい気持ちが募る。

 警察官から、彼の遺品を渡された。見覚えのあるスマホだ。5年も使っていたのに、画面に傷ひとつない。


 警察官に促され、彼のスマホのメモ帳を開ける。そこには、デートスポット候補の欄があった。そのなかに、植物園という文字があった。

 口は、塞がってくれない。彼の髪にあった桜の花びらと、一瞬で繋がった。一瞬で、バラバラのものが、一直線に並んだ。


 私は、カップルらしいことがしたかった。だから、夢の園に行きたいと、週に一度は頼んでいた。時間が経っても、あなたは園に行きたがらなかった。

 私はそこから、落ち込んでいたのかもしれない。彼が、その時から急に変わったのを、覚えている。元々、優しいときは優しかった。でも、もっともっと優しくなった。


 私は彼に、自然が好きだと言っていた。だから、近くの植物園を探してくれたんだ。それで、下見をしてくれたんだ。

 彼の愛に、涙が溢れた。苦しさに包まれた。


 彼の髪に乗っていた、あの桜の花びらは、愛の証だったんだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] すごく疾走感があって、不思議なお話でした。 今まで読んだことのないお話で余韻が残る素敵なお話でした!
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