9.無口な彼女を警戒した理由③
翌日の昼休み、俺は重い腰を上げ別館の昼食場所へと向かった。
はぁ……行きたくないでごさるぅ〜
結局昨日は考えごとをしてしまったせいで八時間しか寝られなかった。お陰でちょっと首が痛い。
本館一階の渡り廊下を進み講堂を通り抜ける。制服姿の生徒達がバスケットボールをしているのを傍目にさらに歩みを進める。
経年でくたびれた別館の一階、使われている形跡のない部室群を抜けると開けた空間がある。
何のためのスペースかは分からないが、今は自販機がポツンと一機だけ設置されている。古ぼけた校舎に佇み、煌々と電飾が光る真新しい自販機はどこか異質さを感じる。
俺はその自販機で野菜ジュースと緑茶を買うと、傍の若干立て付けの悪い扉を開け、枇杷の木の方へと向かった。
昨日の彼女の話では……いや正確には話してはないのだが、俺の謝罪が目的ではないということだった。だが、万が一彼女が急にヒスって刺してくる可能性も否定できない。そのため、お詫びの品ということで緑茶を携える。
扉を出て少し進むと、枇杷の木の下の丸椅子に座っている渡が見えた。向こうもこちらに気づいたのか、ガン見をかましてくる。俺は恐る恐る歩いて行き、空いている方の丸椅子に腰を下ろした。
俺は先手必勝とばかりに先程買ったホットの緑茶を彼女に差し出した。
「あのぉ、これつまらないものですが……」
「……」
彼女は無言で緑茶を受け取ると、「おてて」と表現する方がしっくりくるくらいの小さな手で、温かさを確かめるように握った。
「……ありがと」
「…あ、いえ」
この女、ちゃんと礼は言えるようだ。
昨日と同じ全くの無表情だが。
さてここからどうしようかと思っていると、未だ緑茶を握っている彼女の手の奥に目が止まる。
ん?
あれ?おかしいな……
結論から言えば、本来ブラウスの下にあるはずのモノが無かった。
アルファベットで表すならば粉うことなき一番最初、いやもしかしたらそれ以下かもしれない。ワイシャツとか綺麗にアイロン掛け出来そうだ。
なんなら、どこぞの無人島開拓系アイドルが「まな板にしようぜ!」と言ってもおかしくないレベルである。まあ彼女の場合、「しよう」というかもう「なってる」のだが(笑)
ふむふむと一頻り検分を終えた俺は、彼女の今後の成長に祈りを捧げつつ、いい加減停滞した時間を進めるため昨日の話の続きをするよう促した。
「あの、それで、私目に何かお話があるのでしょうか?」
「……それやめて」
「え、えと、こういった質問をやめろということでしょうか?それとも…」
「……その…しゃべり…かた」
なるほど、敬語をやめて欲しいということか。てっきり人生辞めろとか恐ろしいこと考えちゃったよ……
「わ、わかった」
「……うん」
「あの、それで続きを……」
「……しゃべるの…にがて」
「…えっと、渡が人と喋るのが苦手ということか?」
「……そう」
確かに昨日今日と合わせて彼女は指で数えられるくらいしか喋ってない。そういえば教室で藤井寺達といる時でも喋っているのは殆ど見たことが無いな……
まあ俺も他人のことは言えないが。
「その…人と喋るのが苦手なのは分かったんだが、どうして俺に?」
「……しゃべるの…とくい…だから」
いや、どこがだよ。
俺なんかコミュ障の筆頭みたいなもんだろ。そのうち広辞苑で引ける日が来てもおかしくないレベル。
「いや、それはないだろ。大体、俺は学校ではほとんど会話してないぞ?」
自分で言ってて悲しくなった。
というか「学校では」と言っているが、学校外では家族としか話してない。あたかも普段はお喋りなんだぜアピールが絶妙にダサい。
「……かしい…たち…と…しゃべってる」
いや、あれは喋ってるというよりかはちゃんと存在しているかの確認作業に近いのだが。
じゃないと空気になって認識されなくなり、全校生徒の前で美少女の先輩に告白しかねない。俺は陰キャ野郎であって、ブタ野郎になったつもりはない。
「…いや、あれは樫井達が一方的に話しかけて来てるだけだぞ?俺は一言くらいしか喋ってない」
「……いんきゃ…のくせに…しゃべれてる…から」
酷い言われようである。
並のメンタルのやつであれば、今頃「ぷぎぃ」などとよく分からない音を出して悶えているところだろう。
だがなるほど、こいつは俺が陰キャなのにも拘らず陽キャと会話出来ているという部分を評価している訳か。
「……それに…せんせい…とも…おとな…みたいに」
大人みたいな会話?
うーん、ただ単に教師を上司と割り切って下っ端の如く命令を聞いているだけなのだが。ちなみに「先生の適切な指示のお陰で作業が早く済みました」というゴマすりも忘れない。というかそこまで見てたんですね……
なんか今さらちょっと恥ずかしくなってきた。
「ごほんっ……と、とりあえず、渡の話を整理すると…会話が得意でない渡は、陰キャの分際で陽キャの樫井や大人である先生とコミュニケーションが取れている俺に、まともな会話が出来るように相談しに来た……そういうことか?」
「……そう」
いや、相談する相手間違えてね?
俺はカウンセリングなどしたことがない。ノイズキャンセリングなら去年クラスの奴に散々されたけどね。
音を立てずして騒音を立てる男、高槻棋雄である。
俺はウーハーか何かかな?
「いや、でもだな……それこそいつもつるんでいる藤井寺や樫井に相談した方が良いんじゃないのか?あいつらの方がよっぽど会話に長けてると思うが」
「……それは……はずか…しい」
「…そうか」
「……うん」
「……ほんとは…みんなと…いっぱい……しゃべりたい…」
「そうか。……というか、俺は平気なのか?」
「……うん…いんきゃ…だから」
どこまでも失礼な女である。
しかし、言ってることは分からなくもない。身近で親密な関係の人にほど、嫌われたくない、変に思われたくないと考えてしまうものだ。そこで元々嫌われ者の俺の出番である。
こう見えてクラスの女子連中からは最低評価を受けている……こう見えて。
「あのぅ、ちなみに俺が断ったら…」
「……ちかん…されたって…ゆう」
ですよねー。
なんか薄々そんな感じがしてました。ただ、薄々なビート板のようなモノを持つこの女に俺がどう狼藉を働くと言うのだろうか。
だがまあしかし、クラスメイトの女子であれば十中八九彼女の言い分を信じるだろう。そうなれば俺の手首にワッパが掛けられるのも自明の理。
くそぅ、許さんぞ瀬尾……
最底辺で平穏な日常を過ごしたい俺としては誠に不本意だが、ここは彼女の頼みを聞くしかあるまい。
「はぁ。分かったよ、分かりましたよ。協力すればいいんでしょ…」
「……ありがと……あの……お、おねがい…します…」
彼女はそう言うと、その場でこてっと小さな頭を下げた。可愛らしい女の子にこうもしおらしくされてしまうと、さしもの俺も悪態の一つもつけないので、一言「お、おう」と言っておいた。
「……じゃあ…あしたから…ここで…さくせん…かいぎ」
「作戦会議ねぇ、今日みたいに昼休みでいいのか?」
「…うん…ほうかごは…ぶかつ…だから」
部活ねえ……
はて、何の部活だろうか。口数の少ない彼女の事だから文芸部とかだろうか。
暮なずむ校舎、人気の無い教室に一人、小柄な少女が読書を嗜む…
すごくしっくりくる光景だな……
と妄想するくらいには彼女に少し興味が湧いた。
「了解。じゃあまた明日な」
「……じゃあ」
彼女はそう言うとトコトコと校舎の傍に消えていった。
しかし「また明日」か……
口に出したのはいつ振りだろうか…
本来は友人などの気心知れた連中に使うもんだが、俺と彼女の関係はなんだろう。奴隷以上舎弟未満とかだろうか。
そんなことを考えながら、終了まで残り五分となった昼休み、俺は慌てて弁当を腹に収めた。