8.無口な彼女を警戒した理由②
「……」
「……」
ん?
なんだこの時間は……
椅子から立ち上がった俺と突如現れた渡が視線を交わすこと約一分。
命の危機を感じている俺は森の中で熊と出会した時のような緊張感がある。四月というのに背中に嫌な汗が流れる。
「……」
「……」
頼む……せめて何か喋ってくれ…
そういった俺の願いも届かず、彼女は相変わらず無言である。しかも全くと言っていいほどの無表情。ポーカーフェイスとかもはやそういう次元じゃない、本当に表情が無いのだ。それになまじ顔が綺麗なだけに威圧感が凄い。
ん?いや待て、もしや……
ここは彼女のお昼ご飯スポットだったのでは?
てっきり藤井寺達と食べるものだとばかり思っていたが、もしかしたら彼女も昼飯くらい静かに食べたいタイプなのでは?
そうだ!
そうに違いない!
だとしたら連日の視線も納得がいく。
恐らく、俺に場所を取られたから怒っているのだろう。俺だって体育館裏のクソカップルのことは今でも許していない。
なんだそうか。そうならさっさと言ってくれれば良かったじゃないか。
仕方ない、ここは紳士としてレディーファーストといこうじゃないか。この場所を譲るのは正直心苦しいが、命が助かると思えば安かろう。
俺は万が一に備えて弁当箱を腹に当て、背中を見せないカニ歩きの要領でゆっくり歩き出しその場を去ろうとした……
しかし、右足が三歩目を始めた時、女子にしては1オクターブほど低い彼女の声により止められてしまった。
「まって」
瞬間、俺はガニ股のまま停止する。
傍から見ればなんとも間抜けな格好だ。これに裸とコートという要素が加われば立派な変質者の完成である。
……いや裸の時点でアウトですね。
そんな風に現実逃避していると、彼女は一歩一歩と俺との距離を詰めてきた。恐怖と緊張で体が強張る。
無論、弁当箱の位置はそのままだ。
やがて彼女は俺の前までやって来ると、目線を合わせるためか小さな顔を上げこちらを見つめてきた。
「……」
「……」
漂うデジャヴ感。
いや、だからこれ何の時間?
女の子特有の「私なんで怒ってるかわかる?」系のクイズか?聞き齧った情報によると、あの手の質問はどう答えても不正解となるらしい。
例えば、原因が分からなければ分かるまでキレながら尋問され、原因が分かった場合でも過去のことを引き合いに出され倍プッシュの怒りを向けられるという。なんなら潔く謝罪しても「謝れば済むと思ってんの?」などと言われるらしい。
いやなにそれ無理ゲーすぎん?
そのため、ひたすら溜飲が下がるまで額と地面を濃厚接触させるしかないのである。どうしても駄目な時は、福沢さんという鼻の左側にホクロのあるおじさんに相談してみた方が良いかもしれない。
うんまあ今はそんなこと考えていても仕方があるまい。彼女は謝罪も無しにこの場を去ろうとした俺にチャンスをくれているのだろう。
とりあえず「さーせんしたー」と最上級の謝罪でもして怒りを治めてもらおう。意を決した俺は、相変わらず能面のような顔をしている彼女に謝罪しようと思ったのだが……
「すわって」
彼女はそう言うと、右手をクラーク博士のように真っ直ぐ伸ばし枇杷の木の下の椅子を指差した。並の少年ならばここで大志を抱いているところだが、残念ながら今の俺が抱いているのは恐怖心である。
「はひぃ!」
俺は命令されるがまま、慌てて再び先程まで座っていた木の丸椅子に腰掛けた。
椅子はすでに俺のプリケツによる温もりは消えており、彼女の心情を表すかのように冷え切っていた。そして彼女もやがて俺の隣に腰掛けた。
「……」
「……」
……いや、もうええて。
お笑い芸人ならば、今頃「天丼」なるシステムで爆笑の渦(大嘘)を起こしていること間違い無しだろう。しかし、残念ながら俺はずぶのトウシロー。日常の出来事を面白おかしく脚色して話したり、「どうもー」と言いながら拍手し登場したりもしない。
……いやごめんなさい、普通に俺の謝罪待ちですよね。ええ、分かっていますとも。
今度こそ腹を括った俺はその場で膝を折り、手のひら、膝、そしてもっさもっさの髪に覆われた額を地面に密着させると、謙った口調で謝罪を始めた。
「この度は誠に申し訳ありませんでした!貴女の腰掛とは露知らず、醜穢たる我が尻を乗せた罪は大変に重く、本来であれば刑戮となっても当然と言えましょう。ただ、もし貴兄の甚大なる敬愛の御心によりお情けを頂けるのであれば!どうか!どうか殺生だけはご勘弁いただきたくお願い申し上げまする!しかし、ただ無辜とするのは民も納得しないでしよう!なので!せめてもの誅罰として!罪深き我の尻をぶってくだされ!さぁ!一思いに、思いっきり!」
もはや時代も口調もめちゃくちゃな謝罪だった。
……いやだって仕方ないでしょ?俺だって相当にテンパってる状況なんだし。
あと名誉のために言っておくが、俺は女性に叩かれて興奮する癖は持ち合わせていない。今回は強制帝王切開を避けるための仕方ない選択だ。
あーもうほんとしかたないなーまぢだりー。
「……なにゆってんの」
「へ?」
え、なに?今謝罪の時間じゃなかったの?それともこれじゃ足りないと仰るんですか貴様は。
「え、えーと、貴方様はこの場所を取られたから怒ってらっしゃるんですよね?なので私はせめて謝罪をと思い土下の座を実施した次第でありまして、ええ…」
「……ちがうけど」
違いました!
いやー違ったかー、ふむふむオコな訳では無いと。ちゃんと言ってくれてありがとうございますぅ。
え、待って、じゃあどゆこと?
わけがわからないよ……
俺は契約と引き換えに願いをひとつ叶えてくれる白い地球外生命体のように嘆いた。
俺はエントロピーを凌駕し天高く突き上げられた尻を下ろすと、疑問を解決すべく彼女に借問を試みた。
「え、えっとじゃあ何ででしょう?」
「……しゃ」
彼女が何か発しかけたその時、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。彼女も聞こえてくる鐘の音に気付くと「むっ」と口を閉じてしまった。
……ええと、これどうしたらええのん?
主導権を完全に取られてしまっている俺は身動き取れずにいる。
どうしたもんかとフリーズしていると彼女は腰を上げ俺に一瞥し、一言「あしたもくる」と言い残しスタスタと行ってしまった。
はあ?
マジで意味がわからない。
結局何だったんだろうか。
それに、言いかけていた「しゃ」の続きが気になる。なんだろう、「しゃしゃってんじゃねえよカス」とか「社会の最底辺の気分はいかがですか?」とかだろうか。
とにかくまた来ると言っていたからその時に話してくれるのだろう。……というか明日もこの地獄みたいな時間があるんですね。
バックれたらダメだろうか……いやダメだな…
クラスが同じなのだから逃げられるわけがない。ああ最悪だ…気になって今日は寝られないかもしれない。
俺は五限の授業開始の鐘が鳴り終わる寸前に教室に飛び込むと、放課後までを憂鬱とした気分で過ごした。
結局その日、渡から話しかけられることは無く、コンビニで税込290円の週刊少年誌を購入し帰宅した。
難しい言葉をたくさん使ってごめんなさい。
でも大丈夫です、私もよく分かってないので(?)




