7.無口な彼女を警戒した理由①
始業式から一週間が経った。
ある者は春の出会いに夢を見て、またある者は下級生に先輩風を吹かせ、青春の一ページへの加筆作業に興じる。
そしてある陰の者は便座の上での昼食を避けるべく隠れ処を探し出す、そんな頃。
自称プロ底辺陰キャであるところの俺は、今日も今日とてボッチ街道真っしぐらだ。今は次の授業までの数分を肩肘をつきながら待っている。
瀬尾嬢が俺の下卑さを吹聴して回ったのかは分からないが、ここ一週間でクラスメイトの女子から話しかけられることは無くなった。
嫌われボッチを目指している俺としては願ったり叶ったりな状況だ。なので今度お礼も兼ねて、消しカスを練り合わせて作り上げた鼻くそのレプリカでも贈るとしよう。
さて、今説明した通り女性陣からは概ね高評価を得ている。問題は男子だ。言わずもがなスクールカーストトップに君臨している樫井である。
彼奴は俺のマイナス方向の努力を愚弄するかのように明け透けに話しかけて来やがる。もちろん、側近である加賀屋と桐谷のヨイショも少なからず起因しているが。
然もありなん、王が無害だと判断すれば平民はそれに従うのみ。よって、クラスの男子連中は俺に嫌悪の感情はないと見える。まあただ単に興味が無いだけかもしないが。
それにしてもこの樫井大誠という男、俺に分け隔てなく話しかけるだけあって相当のコミュ力を持っている。
例えば……
「高槻、今日の現国の課題やった?良かったら俺のやつ合ってるか見て欲しいんだよ」
「お、ワイも見しちくりー」
「いや、やってないんかい!」
「あ、おう」
「高槻、今日寝癖すげーな。でも逆に無造作ヘアーぽくていいな」
「確かにありよりのありー」
「いや、それ普通にありで良くない?ねぇ⁉︎」
「あ、あざす」
「高槻っていつも本読んでるよな。やっぱり現国の成績も良かったりするのか?最近の小説でなんかオススメあったりする?」
「ねぇキミ〜今どんな本当読んでのぉ?はぁはぁ」
「おいなんで性犯罪者みたいな口調なんだよ!」
「あ、じゃあ、この無職転…」
という風な感じだ。
ロキシーたんすこです。
というか俺の返事の大半が五文字以下というコミュ障っぷりが目に余る。それにコミュ障の特徴である冒頭に「あ、」をつけてしまうあたりがお察しである。
ただ、勘違いしてはいけないのが特別俺にだけ話しかけているのではなく、クラスメイト全員に対し平等に寵愛を注いでいるということだ。
樫井が話題を提供し、加賀屋がそれにボケて桐谷がツッコむ。トリオ漫才と言ってもいいだろう。
この教室はもはや、陽キャ軍団トリプルKによるトークショーの場と化している。なにも、目的無しにそうしているのではないのだろう。
そう樫井は、始業式で宣言した通り本気で全員と仲間(笑)になろうとしているのだ。
さしもの俺も奴の止めどない陽の魔力に押し負けてしまっている。流石にこれだけ友好的な対応をされれば、これ以上彼に対して陰湿な態度を取れる自信がない。
俺は陽キャ(悪者)を成敗する気はあっても、聖人君子に楯突く気は毛頭無い。そもそも俺は、人間関係を断ち切るために自分の長所を捨てるほど臆病な性格なのだ。
もしも、昔の俺が彼のような強い心と信念の元に行動していたら、今のようなことにはなっていなかったのかもしれない。
もしも、すれ違いにより大切な友人との仲が違うことがあったとしても、続開するだけの精神力があれば絶交することは無かったのかもしれない。
もしも、目の前の女の子を守れるくらいの強さがあれば、彼女を傷つけることも無かったのかもしれない。
そんなことを思うくらいには彼のことを少し……羨ましく思った。
ただ、今更たらればを語っても仕方がない。俺は樫井ではないし、樫井も俺ではない。人それぞれ、持ち合わせているものや目標は違うのだ。俺は俺の決めた道を進むだけだ。
でもいつか、自分が心から誇れる「何か」を手に入れられたらその時は……もう一度始めてもいいかもしれない。
そんなことを考えていると、授業開始一分前を告げる予鈴が鳴り、クラスメイト達がいそいそと着席し始めた。
昼休みになると俺は先週のうちに見つけ出した昼食場所へ向かった。去年使っていた体育館裏のベンチは三年のクソカップルに取られてしまったので、新たに探す必要があったのだ。
……てめぇら受験生だろーが、勉強しろ勉強。
教室のある本館からグラウンドを挟んで建っている別館。校舎と塀の間、そこに一本の木が聳え立っている。
葉の形と小さな実から推察するに枇杷だと思われる。木の下には古びた木の丸椅子が二つ置かれている。
近代建築を思わせる本館とは違い、ここはどこかノスタルジーさを感じる。
俺は丸椅子の一つに腰掛けると、もう一方の椅子に母特製の愛情弁当を広げた。
もうひと月もすれば食べ頃を迎えそうな小さく成っている枇杷の実を見上げながら、弁当をもしゃもしゃ食べる。
一人で居ることが多くなると、必然的に静かな場所を好むようになる。昼時の教室ともなれば、ワイワイガヤガヤキャッキャウフフと騒がしい。昼ぐらいは静かに過ごしたいので、俺にとってここは恰好の逃げ場所なのだ。
ここ一週間で樫井の野郎には、かなり防御力を削られてしまった。やはり万年陽キャとぽっと出の陰キャでは勝負にならないらしい。そのうち「まだまだだね」と爽やかスマイルで言われそうである。
そんな風なことを考えながら弁当を食べ進めていると……
「……」
……まただ。
最近どうも見られている気がする。
教室で樫井らと話している時、
峰先生をはじめとした教師と話している時、
休み時間に席で暇を持て余している時、
挙げればキリが無いが、とにかく視線を感じるのだ。
これは決して自意識過剰ではない。
というのも、以前の相当にモテた俺はそれはもう人の視線、それも異性の視線には敏感だった。流石にそれが好意的なものなのか悪意的なものかは分からなかったが、少なくとも見られているという感覚はあった。
教室で感じる視線は、樫井大好きでお馴染みの瀬尾だと思っていた。十中八九、俺との会話で樫井が穢されないかとか考えているのだろう。しかしアンテナの精度を上げると視線は二つだった。
一体もう一人は誰だ?
誰か俺に恨みを持ってる奴か?
舌打ちをしまくった青山か?
それとも胸をガン見して胸倉を掴まれた正木か?
駄目だ、心当たりが多過ぎる。勧善懲悪のつもりでやったのだが、やり過ぎたのだろうか。
ただ、去年のクラスの彼らだとしたらおかしい。
なんせ嫌われてからというもの、彼らは俺を必死に視界に入れまいとしていたのだ。だとしたら、やはり今のクラスで瀬尾以外に俺を恨んでる奴ということになるだろう。
うわぁ怖ぇ……
いきなり刺されたりしないだろうか。
俺は生憎、人智を超えた動きをする文学少女風宇宙人の知り合いなど居ないのである。急に斬りかかられたら対応できない。明日から腹に漫画雑誌を仕込んでいた方が良いかもしれない。
ひとまず人通りのないここで1人でいるこの状況はまずい。
俺は少しでも人のいる場所に避難しようと思い、慌てて開けていた弁当をたたんだ。腰を上げようとしたその刹那、校舎の傍から人影が現れた。
毛先が少し青く染色された黒髪につぶらな瞳と綺麗に通った鼻筋、右耳にはキラリとピアスが光っている。平均からみてやや小さめの体躯は、彼女のくりっとした瞳も相まってどこか小動物めいている。
そこには我がクラス上位女子グループ、ギャルソンズ所属の渡 日向が立っていた。