16.金髪ギャルに同情した理由⑤
少し歩こう。
そう思った俺はテントエリアを抜け、グランピング場外の針葉樹林の中を歩いていた。
途中、中央広場を通る際、ハート型オブジェの前でイチャコラと写真を撮るカップルが居たりした。多分うちのクラスの奴だと思う。何故か余計に胸焼けが増した。決して嫉妬やない。
しかし最近は本当に「映え」を意識したスポットが増えたように思う。東京スカイツリーなどの名所は言うまでもないが、天使の羽をモチーフにした壁画、街ビルの屋上庭園、果ては世界に六店舗しかない限定カフェなんてのもある。オシャレなのは第一として、新鮮さや非現実感が重要なのだろう。
そして結局のところ、女子のアンテナにぶっ刺さるかどうかなのだ。映えスポットが人物を引き立てるかどうかなのだ。その点で言えば、俺なんて超映えると思う。隣に並んで写真を撮った日には、全ての影や陰を吸収し被写体は恒星にように光り輝くことだろう。いやもしかしたら光すら吸収する勢い。俺はブラックホールか何かかな?
しかしまあそんな事は起こり得ない。なぜなら俺は嫌われ者の底辺陰キャだからだ。「なんかリアル鬼太郎がいて草」とネタツイート用に写真を撮られることはあっても、肩を並べてインカメで「はいチーズ」なんてことにはならないのだ。
というかそろそろチーズ以外の何かに合図を変えてもいい頃だと思う。なんでもあの言葉だと自然と口角が上がり笑顔になるかららしい。しかし別に母音がイ音であればチーズじゃなくてもいいはずだ。
そうだな、例えば「チチ!」とかどうだろう?合法的にセクハラ出来るしなんかサイヤ人っぽくて良くない?……うん、ダメですね。
俺はそんな不毛なことを考えながら、ある程度整備された山道を歩いていた。
すると、背の高い木が一部無くなり開けた場所に出た。そこからは街が見下ろせるようになっていた。俺は側にあった丁度いいサイズの岩に腰掛けることにした。
ふう……しかし中々に良い所だな此処は。
山からの眺望に圧感した俺はそう呟く。
「人がゴミのようだ」とまではいかないが、駅の近くにはビルがひしめき合い、隙間を埋めるかのように家々が乱立している。そして、それらを繋ぐ道路には所狭しと車が行き交っている。
場所の関係からか代表的な二つのタワーこそ見えないが、それでも十二分に花の都を感じる景色だ。俺もいずれはあの中のビル群の端くれで馬車馬のように働くこととなるのだろう。
日々のお勤めで草臥れたおっさんこそ「学生の時が一番楽しかった、あの頃に戻りたい…」なんてことを宣うが俺はそうは思わない。それは学生の時が人生のピークだと感じて、現状に対し勝手に見切りをつけて感傷に浸っているに過ぎない。若い時より楽しむかどうかはその人次第じゃないのか?「もう歳だから…」と諦めて「俺の若い頃なんて…」と時代を引き合いに出す。「いい歳なんだから落ち着け」と。そんなありきたりな観念に伏するなんてつまらなくないか?
と、齢十六の世間知らずの若輩者が申しております。
……うん、歳を取るといろいろあるよね。頭皮の退行とかナチュラル腹巻の皮下脂肪とか。2000円ランチ妻から支給される鼻くそみたいな額のお小遣いとか。あとよく考えたら最底辺だと思っている今より社会人になったらより酷くなる可能性だって余裕であるな。ほら、俺って基本属性闇だから多分ブラック企業に行くと思うし。そうなったら底辺陰キャという枕詞にクソ社畜が加わるもんね。働きたくないでござる……。
俺はそんな来るべき明るい未来にそう呟いた。
ピシ……
暫くの間、大都会トーキョーを眺めて黄昏ていると、背後から木の枝を踏む音が聞こえた。
振り返ると、山には不釣り合いな格好をした貞操観念がえらく低そうな女がそこに居た。そう、金髪ビッチ姫こと藤井寺愛李依瑠さんだ。何故だか不敵に笑ってらっしゃる。あなたはRPGのラスボスか何かですか?
……さて、と。もう十分景色は堪能した。そろそろお暇させてもらおう。そう思った俺は座っていた岩から腰を上げ歩き出そうとした。しかし、派手なヒールを履いた目の前の女の声によって止められてしまった。
「ちょっち待ちなよ」
藤井寺はそう言うと、その場で立ち尽くす俺の側までツカツカと歩み寄って来た。ほのかにシトラス系の香りが漂う。はて、何の用だろうか、俺の好みのタイプでも訊きに来たんだろうか。女性声優さんだったら大体好きなのだが。
……うん、これは普通にお説教タイムですね、分かってましたよ、ええ。やだなぁ怖いなぁ……
「あんさ、あんたさっきの何?」
その顔に似つかわしくないくらいのご立腹な表情で藤井寺が俺に詰問する。
「さ、さっきの?な、なんのことれしゅか?」
とりあえずすっとぼけてみる。だが、ギリギリである。まだ返答出来ているだけでも褒めてほしい。
「は?それガチでゆってんの?ひなのことに決まってんでしょ」
女子の本気の「は?」である。真顔のやつだ。普段、声の高い女子も自然と声が低くなるやつだ。俺が知りうる限り最上級の怖い言葉だ。これを言われて言い返せる奴を俺は知らない。
「……あぁ…その、ことですよね…」
仕方ない、これは自分で蒔いたタネだ。お説教でもお叱りでも踏んづけでも受けようじゃないか。俺はそう決心する。……やっとそのおみ足で踏んづけて下さるんですね?はぁはぁ……
「あのさ、あんたがどんだけウザくてキモいかなんてこの際どうでもいいんだけどさ、ひなを傷つけるのだけはやめてくんない?ひなを邪魔すんのやめてくんない?あの子が今日のためにどんだけがんばってたか、あんた知んないでしょ?今日どんだけキンチョーしてたか知んないでしょ?ひなはね……ひなは……」
藤井寺は、感情が昂ってきたのかご自慢の鋭利なネイルが掌に刺さるのも厭わず、強く握り拳を作って話しを続ける。
「ひなはね……ほんとはお喋りな子なのにずっと我慢してきて……変に思われてるんじゃないかっていつも気にしてて……でも本音をきちんと言える子で……誰よりも優しくて……人一番がんばり屋で……それで……それで……」
ウチとはちがって……ほんとにいい子…………
………………なんだから……。
藤井寺はその固くなった握り拳を胸に抱き、ぽつりとそう呟いた。
いつものバカ丸出しのギャルの雰囲気はなりを潜め、ただひたすらに大切な友人を想う少女がそこには居た。藤井寺はもはや悲痛とも言える表情でその心情を吐露した。それはまるで故人を悼む人のように愁傷としたものに思えた。
そして、俺は一つ気付いてしまった。彼女が、彼女を形作る表層が、偽りの産物であるということを。
俺は藤井寺の過去なんざ知らないし興味も無い。だから、今の彼女の姿が虚構で虚飾で贋造のハリボテだったとしてもどうでいいはずだ。だと言うのに……何故俺は、こんなにも胸がチクチクと痛むのだろうか。
「……そうか」
俺は頭の中ではいろいろ思う事はあっても、一言返事をするだけで、余計なことは何も言わなかった。というか何も言えなかった。
周囲の環境がそうさせたのかは俺の知るところではない。自ら仕立て上げ、創り上げた仮面は知らぬ内にその使用者を侵蝕する。それはやがて、一つの罪科として、病となって心を蝕んでいく。
それは一見すると今の俺と同じように見えて、全く別種のものだろう。いつかはその仮面を取る時がやって来る。その時に果たして、自分に何が残るのだろうか。何が自分を自分たらしめると言うのだろうか。
そんな未来に対して、彼女は憂いたのではないだろうか。
そして、俺はそんな彼女に少なからず同情してしまった。いや、哀れんだと言う方が適切かもしれない。完全にお門違いな人間だと言うのに。
「……なにが『そうか』よ……。…次ひなにちょっかいかけたら……ガチであんたの引きちぎってやるから」
藤井寺はそう言うと、胸に抱いていた拳をそのまま俺の胸へと勢いよく移動させた。端的に言うと殴られた。しかも結構強めのストレートだ。何か武術の心得があるのかは知らないが、俺の鳩尾にジャストミートした。うぐっ……
藤井寺がそそくさと去って行くのを横目に俺はその場に蹲る。「おっーとぉ?高槻選手ダウンか⁉︎」そんなレフェリーの声が頭の中から聴こえてくる。……いや、てかめちゃくちゃ痛えぞこれ…。あと、出ちゃいそうです……マーライオンしていいですか?
俺は痛さのあまり、そのまま地べたに仰向けになった。晴れ渡る青空が見える。鬱蒼とした木々がここだけぽっかりと空いている。それは何かが足りないことを表しているかのようで、俺をひどく沈鬱な気分にさせた。俺はジンジンと痛む胸を押さえる。果たしてこの胸の痛みは外傷によるものなのだろうか、それとも……そんな事さえ考えてしまう。
俺は羨ましかったのかもしれない。
無口な彼女が。
彼女の友人達が。
あんなにも自分のことを思ってくれる人がいるというのは、この上無く幸せなことだろう。
日常の一コマを共有して、些細な話題で笑い合って、時に恋愛相談なんかしたりもして。
話して喋って聞いて見て笑って喜んで楽しんで怒って、そして時に泣いて。
不器用ながらも、そんな関係を築くことができた彼女を俺は羨ましく思ったのだ。もしかしたら嫉妬心だってあるかもしれない。
目の前のことに対して真摯に、そして愚直に取り組む彼女に。
かつての俺が手に入れる事ができなかったものを手に入れた彼女に。
ああ…なんて自分は滑稽で狭量で矮小な人間なんだ……と思い知らされる。
自分にはそんな権利も資格も義務も無いと言うのに。
そんな行き場の無い羨慕の念を焼き切るかのように、晩春の太陽は俺を照らしていた。
しかし、俺を蝕む原因不明の疼痛は暫く治まることは無かった。




