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ブランニューイエスタデイ  作者: 犬上田鍬
9/15

その昔 ウェンズデイのシーズン ②

 八月に入って、ウェンズデイはまた音楽室で練習をするのかと思っていたが、相変わらずプールにきていた。練習の終わり時間を見計らったように、午後一番にはプールの昇降口に集まっているのだ。正雄は毎日のように彼女たちの顔を見ることができるのはいいのだが、練習環境としては音楽室の方がよかろうと思えた。

 その頃になると女子更衣室ではなく乾燥室を使っていた。乾燥室はなんの装飾もないロフト部屋で、壁に沿って囲むように木製のベンチが備え付けてあるだけだった。そこは更衣室より涼しいし、明るいし、密閉度が高いのだそうだ。乾燥室だけに乾いた風も入ってくる。正雄が着替えて覗きにいくと、監督していた沢田がルーズリーフを彼に渡した。

「リリリが作詞したんだそうだ」

「?」

 正雄は黙ってそれに目を通した。『ふり向かないで』や『アイゴートゥピーセス』とは、まったく趣きの違う歌詞だった。恋愛の歌でも失恋の歌でもない。なんだか風景描写ばかりが目立っていて、いかにも素人が書きそうなものだ。

「これに曲をつけてくれってさ」

「ボクがですか?」

「オマエ、リリリに『アイゴートゥピーセス』の意訳をやらせたらしいじゃないか。それで、だいぶその気になったみたいだよ。最後の一曲はオリジナルを演りたいって」

「いきなりオリジナルですか? 生意気な」

 そうはいったが、実は正雄もそれを考えていた。三曲のうちの一曲は自分がつくった歌を歌わせようと考えて、コマサにそのリズムまで録音してもらっていたのだ。ただ、どのタイミングで切り出そうかと見計らっていた。

 正雄は、自分には作詞をする能力がないと思い込んでいたから、どうしようかと思案していたこともあった。まさかリリリがそれを叶えてくれるとは思ってもみなかった。

「それは合宿中にもらったんだけど、オレにはどうしてもいいメロディが浮かばなくてさ、オマエも考えてくれ」

 正雄は「任せといてください」とはいわずに、少し微笑して見せた。

「それはいいとして、どうしてアイツら音楽室でやらないんですかね?」

「音楽室にいってほしいか?」

「いや、毎日練習にくる甲斐がありますけどね、彼女たちがくると思うと。でも音楽室の方が環境はいいでしょ?」

「どうやら、そう考えているのはオマエだけじゃないってことだ」

 沢田はメガネの奥の乾いた眼光で正雄を見た。当然、沢田もそう考えていただろうくらいのことはわかる。なら、なぜこんなところで練習しなければならないのか?

「どうやら学園祭の参加者に練習日が割り振られているみたいだ。もちろん、他で練習するのは自由だけど音楽室を独占させないようにするための配慮らしいぞ。実行委員会も一応考えてるんだな」

・・・そうなると、ウェンズデイはこういう練習場所が確保できて幸いだったと考えるべきなのだろう。合わせの練習を限られた回数だけで本番を迎えるグループもいるということになる・・・

 沢田は続ける。

「オレの同級生が実行委員会のフォークコンサート担当なんだけど、今年はエントリーが例年よりかなり多いんだと。音楽室が使えるのは、もちろんウチの学校の連中だけらしいよ。それでも午前十時から夕方六時までの間で、一日四組だけしか使えないんだって」

「ウェンズデイも夏休みの間に一回くらいは使えるんでしょ?」

「いや、三、四回は使えるってコヤナギがいってた」

 リリリは、まだ弦を見ながら歌っていた。でも三か月前は弾けなかったのだ。彼女たちは進化している、特にリリリは・・・と正雄はリハーサルを見ながら思った。

 夏の午後の気だるげな陽ざしが乾燥室の窓から斜めに射し込んでいる。その中心に、まるで金色の女神のように座っている女の子に正雄は無言で語りかけるのだ。

・・・よし、ご褒美に曲を書いてやろう・・・

 曲づくりにゴーサインが出た正雄の夏休みは、その後多忙を極めることになる。午前中の練習が終わると午後からウェンズデイのリハーサルにつき合う。たまには彼女たちを喫茶店やラーメン屋に連れていったりすることもあった。家に帰ればコマサがつくってくれたリズムテープに合わせてギターで歌を録音するのだが、なかなかうまくいかなかった。

 夏休みの課題などやっている暇はなかった。正雄と沢田が女の子たちとなにかやっていることは他の部員たちも知っていたので、同級生たちが課題を助けてくれたりもした。

 八月の中旬に地区の競技会があり、そこで三年生は正式に引退することになった。沢田も日々の練習には参加しなくなったが、練習が終わる頃にはウェンズデイと一緒にプールにきていた。正雄が沢田のあとを継いで副将になったので、ウェンズデイのリハーサルにあまり関われなくなったのだが、そのぶんを沢田が面倒を見てくれていたのだ。沢田は、いまやウェンズデイ専属のチーフプロデューサーだった。

「学園祭のシンクロにはオレも参加するからよ。最後だからな」

 付属の大学に進学するつもりの沢田はノンキなものだ。正雄は、ちょうどその頃にできあがったオリジナル曲をテープに録音して沢田に渡した。さっそく乾燥室でそれをみんなに聴いてもらった。

「フォークだな」

 まず口火を切って沢田がいった。

「フォークコンサートですからね」と正雄は自分の曲をフォローした。

「しかし、このリズムは難しくないか?」

「なあ」と沢田はウェンズデイの面々を見渡す。初めて、たったいま聴いたばかりの素人がつくった曲だ、彼女たちはピンときていないのが正雄にはあからさまにわかった。

 リリリが作詞したこの『十七歳の風景』という曲はスローテンポのバラードで、ピッチが速い曲よりアンサンブルとして難しいかもしれなかった。沢田が思いついたように提案した。

「この際ドラムを入れるか?」

 彼女たちは「どうする?」という雰囲気で顔を見合わせるばかりだ。それよりも「冗談でしょ?」と思っていたのは正雄だった。こういうとき沢田は必ず「オマエやれ」と正雄に振ってくるからだ。せめてもの抵抗のつもりで正雄はいった。

「いまさらメンバーを増やすんですか?」

 すると意外な答えが沢田の口から出た。

「まさか。いまから合わせるんじゃ間に合わないし、だいいちドラマーがそう簡単に見つかると思うか?」

 とりあえず正雄は胸をなでおろした。よかった、沢田もそのくらいの常識はあったんだ、と。それじゃあ、どうするつもりなのか?

「みんなのピッチを合わせている、このリズムのテープを使おう」

「は?」

 沢田以外、全員が意味不明だった。

「どういうことですか?」

「伴奏するサユリの聴こえるところにラジカセを置くんだよ。ラジカセの音では他の二人にわかりづらいけど、当然客席に聴こえるわけはないから。ピッチはサユリがわかっていればいい。なんなら、サユリはイヤホンを付ければ余計な音も無くなる」

 なるほど、さすが沢田だ、考えている、と正雄は思った。サユリの伴奏にギターを合わせればいいし、サックスは遊撃隊みたいなものだから、入るタイミングさえわかればいい。

「名案ですね。しかし、そうなるとサユリは〝リックウェイクマン〟みたいになるな」

 正雄の例えに「なんだ、それ?」と沢田が引っ掛かった。

「〝イエス〟っていうロックバンドの鍵盤奏者ですよ」

 そうこたえたのは正雄ではなかった。リリリが得意げに笑顔を見せた。

「リリリ、知ってるの? オレも知らないのに」

 沢田がびっくりしたような顔をすると彼女はさらに得意になった。

「ライブのときには自分の回りをありとあらゆるキーボードで囲んで、その中で演奏するんです。ねっ?」

 正雄は頷いて見せた。彼女に貸したレコードのジャケットにそんな写真が刷り込まれていたのを憶えていたのだ。どうやらジャケットくらいは見てくれたらしい。

「サユリも当日はピアノの横にポータブルエレクトーンを置いて、その横にラジカセを置くようになるんでしょ? カッコいいじゃん!」

「オマエもやるか? オレのギター貸してやるから」

 沢田が面白そうにいう。

「それ、どうするんですか。弾きもしないのに」

「いっぱい並んでいるとカッコいいだろ? ギターに囲まれて演奏するんだよ」

「じゃあ、オレのも持ってきてやる」と正雄も悪乗りした。

「恥ずかしいだけでしょ」といったリリリの反応に一同大笑いになった。彼女がいちいち見せる仕草がチャーミングだと思っているのは自分だけだろうか、と正雄は思った。

 とりあえず新曲のアンサンブルアレンジを沢田は考えてくるといったが、正雄とふたりになるとまた新たな課題を突き付けてきた。

「歌詞のことなんだけどな」

 まさか、今度はこれを英訳しろ、などといわないだろうなと不吉な予感がした。

「歌詞がキレイに乗ってるなと思って感心したんだけど、どう思うよ」

「どうって? 彼女の言葉で書いたんだからいいんじゃないですか?」

「ちょっと、なにか物足りなくないかと思うんだよ。フックがないというか」

「ボクにどうしろと?」

 正雄は、沢田がいったいなにが不満なのかわからなかった。沢田も、どう表現していいかわからないといったふうだ。額に縦ジワを寄せて唸ったりしている。

「わかるだろ? おかしくないか、冷静に読むと」

 正雄は、もう一度読み直してみた。このメロディに乗せるために言葉をいじったり、削ったりは一切していなかった。よほどおかしな展開をする曲でない限り、どんなメロディにも乗る歌詞だと思っていたくらいだ。

 おそらく、リリリは『アイゴートゥピーセス』を意訳するときにコツを掴んだのではないかと思えた。言葉を短くして、あまり詳細まで語っていないところが、かえっていいとさえ感じられた。

「最初の《時はいつも過ぎていく 呼び止めても追いかけても》という部分が浮いていると思わないか? なにも無さすぎるんだよ、この歌」

 なるほど、と正雄は気づいた。しかし、それはこの歌詞を渡されたときから沢田もわかっていたのではないかと思っていた。風景や日常の描写ばかりで内容がない歌詞だとは、とっくの昔から正雄はわかっていた。だが、素人が描いたオリジナルなんだから大目に見ようよという暗黙の了解だとも思っていたのだ。

「いまさらこれにオチを付けようっていうんですか?」

「せっかくオリジナルをつくるんだし、もうちょっとなんとかしようよ」

 正雄はやっと沢田の真意がわかった。たぶん沢田は、こんなにしっくりいく曲になるとは思わなかったのだろう。自分が関わるのなら、もうちょっとそれらしいものにしたいと思ったのだが、それを考えるのが面倒なだけなのだ。だが、正雄はそれには安易に賛同できなかった。

「リリリが書いたものですからねえ・・・ メロディに乗るようにいじるのとはわけが違うんじゃないですかね」

「リリリだって、わかって書いてるとは思えないよ。せめてストーリーっぽく終わらせて、あとでリリリに見せればいいだろ?」

「それをボクがやるんですか?」

「オレはアレンジをやらないといけないから、そんな暇はないよ」

「じゃあ、どんなオチを付けたらいいかヒントをくださいよ」

 沢田は面倒くさそうに頭を振った。はっきりいって、正雄は自分に全部任すといってくれれば、独りで考えた方が能率は上がるのだ。ただ、沢田の考えをきいておかないと何度でもやり直しをさせられると思った。

 そこから、しばらくお互い歌詞を書いたルーズリーフを前に黙読を繰り返すことになる。男子が二人で睨めっこをしているというヘンな時間だった。

「よし、こうしよう」と不意に沢田が提案した。

「これ、風景描写や普段のことしか書いてないけど、この先時間が経つことで危険な誘惑が待っているみたいなストーリーはどうよ?」

 今度は正雄が頭を抱える番だった。どこにどうやってそんなことを付け足せるのか、と思ったのだ。

「いいんだよ、これはこれで」

 沢田は正雄の顔を見て、さすがにそのうちキレるのではないかと感じたようだった。だから具体的なヒントを出した。

「ただ、最後の部分になにか不吉な予感を匂わせるんだ。一番、二番プラスサビでフルコーラスになってるだろ? 最後のサビをちょっといじろう」

「歌詞を変えるってことですか」

 沢田は頷いた。

「例えば、二番の最後は《街路樹の陰に笑い声が消えた午後》となっているだろ? これを一番の最後の《歩道橋の向こうに砂埃が舞っていた》と言葉を掛けて、《桟橋の向こうに暗闇が待っていた》とかな」

 なるほど、沢田は沢田なりに考えているのだと正雄は思った。

「それで、一番の繰り返しになっている最後のサビを別の歌詞でとどめとするんだ」

「だけどこの先なにが待っているかわからない、と?」

 そういう意味か、それならなんとかなるかも・・・とその気になってきた。とりあえず持って帰って見るといって、その場は解散した。

 家に戻り、今度は独りでルーズリーフと睨めっこしていると、変更の部分は意外とすんなりとできあがった。沢田のヒントと、この歌詞の世界とを生かしてイメージが湧いたのだ。沢田の考えた二番の最後を少し変えて《桟橋に闇がたたずんで待っていた》としたうえで、そのうしろに追加のサビをくっつけた。

《手招いて呼んでいた水の底 妖しげに輝いたウミユリのよう

(コーラス) 授業中 窓のそと

 時が静かに流れるのを見ていた・・・ 》

 できあがった歌詞を沢田に見せると「いいじゃないか、これでいいんだよ」と満足そうに微笑した。正雄自身も、この部分を書き変えたことで世界が広がったように思えて自分の持っている潜在能力に驚くほどだった。

 ただ、その後リリリが「歌詞を変えたんですか」とちょっと不満そうな顔でいってきたが、正雄はそのとき練習中だったので「よくなっただろ?」と軽くあしらっただけだった。

 夏休みもあとわずかとなり、正雄たち水泳部はシーズン最後となる東京都の記録会に向けて追い込みに入っていた。ウェンズデイも二か月余り後に迫った本番に向けてリハーサルを重ねていたようだが、サックスのコヤナギが吹奏楽部の練習に参加しなくてはならないことなどで、正雄は彼女たちの完成した形を見ることができなかった。


 学校が始まった九月の最初の土曜日の夕方、正雄は八川駅前でリリリたちを待っていた。その日は、リズムテープをつくってくれたコマサのバンドが出演するアマチュアロックコンサートがあった。正雄たちはこれを見にきたのだ。奇しくも、このコンサートには沢田が組んでいるバンドも出演するということで、沢田からも「見にこい」といわれていた。

 黄色い陽ざしがロータリーにこぼれている。まだまだ夏は続いているようだった。ウェンズデイの連中を待ちながら正雄は考えていた。

・・・沢田さんは変わり身が早い。水泳部をリタイアしたら、途端にバンドを組んで、もうこんなところに出るほどの練習を知らないところでやっている。時間を無駄なくフルに使っている。こんなことが来年、自分にできるだろうか・・・

「センパーイ」

 リリリの声だった。でかい声で恥ずかしいヤツだと思い、時計を見れば時間を十五分ほど過ぎている。それよりリリリの姿を見て、正雄は思わず他人のフリをしようかと思ったくらい、もっと恥ずかしくなった。

 白地に、なにか花模様みたいなサイケなデザインのプリントシャツとデニムのホットパンツだった。坊主頭に黒いTシャツ、洗いざらしのブルージーンの正雄とは似ても似つかぬアンバランスな組み合わせだとしか思えない。思えばウェンズデイの三人は、練習で夏休みに学校にきているときも制服だった。こんなリリリは初めて見たのだ。

「サユリやコヤナギは?」

「これません」

「ええっ」

「サユリはなんか用事があるんだって。コヤナギは、ほら、吹奏楽部の練習で」

 と、いうことはリリリとアベックだ。正雄は気が重くなった。内心、こんな可愛い娘とデート気分でコンサート観賞できるんだから嬉しいのに違いないのだが、シャイな正雄はそれより目立つのではないかと照れ臭い気持ちの方が強かった。知っているだれかに会わないことを祈った。

 そんな正雄の思いをよそにリリリは腕を組んできたりするのだ。リリリは、たぶん正雄と一緒なのが楽しいのではあるまい。初めていくロックコンサートに気持ちを弾ませている。まだ子どもなのだ、と正雄は感じた。

「おい、よせよ」

「なんで?」

「暑いだろ」

「ほんとだ。センパイ、顔が真っ赤」

「待っている間に日焼けしたんだ!」

 そこからは逆に不自然と思えるような中途半端な距離を保った。歩道の端と端を歩きながら会話を交わすようなものだった。リリリなどは大袈裟に手を口にかざして「ヤッホー」と叫ぶように話しかける。

「センパイに借りたレコード、よくわからない。なんか、ただガチャガチャしてうるさいだけみたい。どこがいいのやら・・・ 」

「しばらく貸しといてやるから何回も聴くんだよ。一、二回聴いただけで感想をいうな」

「〝イエス〟や〝ピンクフロイド〟はまだ聴けるけど、あの〝レッドツェッペリン〟っていうのはなんですか? あれ、音楽?」

 リリリに貸したレッドツェッペリンのアルバムは、もっとも混沌とした二枚目だった。どんな顔をして聴いていたのかを想像すると顔の筋肉が思わず緩んでくるようだった。

・・・今日のコンサートでは、おそらくあんなものじゃあすまない。リリリの反応が楽しみだ・・・

 そんなことを考えながら歩いていると、リリリが大声で呼ぶのだ。

「おーい、センパイ! どこいくの?」

「市民会館だよ」

「市民会館はこっちだよー」

 リリリが大きな交差点で右手の方を指している。正雄は立ち止まって、慌ててリリリのあとを追った。リリリの方がよく知っている。

 そこから彼は、ずっとリリリのホットパンツのお尻を見ながら歩くことになる。こうして彼女の後姿を見ているとセクシーというより、まだまだあどけなさが残る中学生のようだった。厚手のビーチサンダルを引きずって前を歩く姿などは、ほとんど天真爛漫なガキ大将といってもよかった。

 それでも見たことのない風景に、なにか妙な安らぎを感じたりするのだ。こんな新鮮な時間はいままでになかった、と練習の疲れも癒される思いがした。

 市民会館の前の広場には正雄やリリリと同じ年格好の連中が大勢、(たむろ)していた。みんなこの近隣の高校生らしく、音楽にかぶれているようなファッションの者はほとんどいない。

 むしろリーゼントにアロハという、いわゆる〝ツッパリ〟といわれるようなヤカラがきていることに少し違和感を覚えた。同類項の金髪やクルクルパーマの女の子に混じると、リリリなどは正雄が思うほど目立っていなかった。

 そんなところでもリリリは臆せず、どんどん奥へ入っていく。エントランスの前で、この暑いのに革ジャンを羽織った不良番長みたいなのになにかいわれて彼女は戻ってきた。

「時間までなかに入れないんだって」

「それで、こんなところにみんな屯しているのか」

 どうやら不良番長はモギリのようだ。正雄はあたりを見回した。知っているヤツがいないかたしかめていたのだ。リリリも、きょろきょろとあちこちを見ている。

「アタシがチケット売ったコが、だれかきているかもしれない」というのだが、見当たらないようだ。

「あんなのがモギリにいるからビビッて帰っちゃったんだろ」と正雄は不良番長を指さした。リリリは「まさかあ」と正雄の胸を軽く叩いた。

 やがて時間になり、ふたりは館内に入った。全席自由なので、正面右手通路側のちょうど真ん中あたりに腰を降ろした。館内はまだ明るかった。空いていた席が次々に埋まっていく。同じ列の左手の方に数人で座ったのは、正雄と同じ学校の同級生だった。無意識に顔が右の方を向いてしまう。すると、そこにリリリの顔があった。

「センパイ、アタシこういうところにきたの初めて。なんかドキドキしちゃうわ」

「オマエがなにかやるわけじゃないだろ」

「だって学園祭ではアタシたちがステージに立つんですよ。緊張するじゃないですか」

 どうりで顔色が外と違って白いなと思えたわけだ。リリリは、もう学園祭で演奏するときのシミュレーションをしているようだった。心はステージの上だ。

 やがて客席のライトが落ちてステージにスポットが当たると、そこに最初のバンドがスタンバイしていた。ギターのアルペジオと緩いドラムの伴奏が始まる。長い前奏だった。

「これ、聴いたことある」と暗闇からリリリがいうのがきこえた。

「センパイに借りたヤツだよ、これ。ピンクフロイド」

 正雄にはそうは思えなかったが、いわれてみればそんな気がしないでもない。やっと歌が入ってくるのだが、アレンジしているのか、ニューウェーブのような抑揚のない歌い方なのだ。

 静まり返っていた場内の溶暗から浮かび上がるように、リリリがクスクス笑っているのがわかった。やがてそれが館内全体に拡がっていった。もう、大笑いだ。このバンドのボーカルは緊張のあまり、自分の音程が合っていないのに気づいていないらしい。

「センパイたちの歌みたい」

 リリリは手を叩いて笑っている。「センパイたちの歌」とは、扇風機の『シクラメンのかほり』か、シモンズのネタのことだろう。いくらウケ狙いでやったとしても、ここまで酷いと笑えない。演奏も一応ロックバンドの体裁だが、フォークみたいだった。

 やがて笑い声はヤジに変わった。演っている連中は必死なのだろう。真っ蒼な顔に冷や汗という形相なのだが、修正は無理らしい。しかも結構長い曲だ。最初のバンドから、いきなり地獄を見たようだ。演っている方も見ている側も、両者が地獄という予想外の展開だった。

 正雄はステージの明かりで陰影の濃くなった隣席を見た。もう、「やめろ」コールに包まれている会場内の雰囲気に圧されて、ウェンズデイの本番に投影していないだろうかと心配になったのだ。

「大丈夫だ、ここまで酷くはならないだろ?」

 リリリは大笑いしている。そして正雄の胸をまた叩くと涙目でいうのだ。

「ああ、笑った。面白かった」

 あっけらかんとしたものだ。あらためて正雄はリリリの少女のような繊細な感性と、正反対に子どものような無邪気なところとの線引きがわからなくなっていた。

 次に出てきたのは正雄の地元の連中のバンドだった。リリリどころか、今度は正雄が緊張を強いられた。知っているバンドだけあって感情移入してしまう。さっきのバンドみたいに、たった一曲で引っ込まざるをえないようなことにならないだろうな、と。

 演奏が始まると、さっきのバンドと演奏力はそう変わらないと思えた。ただ、タイトな曲なので一概に比較はできないのだが、アンサンブルも歌もまとまっていた。

「上手!」

 リリリが一曲終わったところで手を叩いていう。

「あのドラムの人、カッコいいですね」

「アイツは中学の頃からファンクラブがあったくらいモテたヤツなんだよ」

「センパイ、知ってるの?」

「オレの地元の連中だ」

 二曲目を演っている頃には、もう聴衆の信頼を得たようで安心して見ていられた。それどころか、ドラムを叩いている正雄の友だちのカッコよさに見惚れるようだった。

 三曲目は正雄も知っている『ジョニーBグッド』だった。終盤、ノリを煽るようにボーカルがステージの中央で大手を振って叩き出した。途端に、またリリリが笑い出した。場内も反応した。正雄はなにがおかしいのか、最初わからなかった。

「あの人、手と脚の長さがおんなじ」

 リリリが、また泣きながら笑っている。たしかにボーカルが手拍子を煽って振っている腕と脚の長さが、ちょうど胴体を中心にアメンボのように見えた。本人はそれを気づいているのかどうか知らないが、客席が大喜びで手拍子に乗ってきているのを見て満足顔だった。ステージをあとにするときには拍手喝采だった。たいしたヤツらだ、と思った。

 次に登場したのはギター、ベース、ドラムスというスリーピースのユニットだった。スタイルも、いままでのバンドと違ってちょっとストイックだった。ボーカルの入らないインストゥルメンタルの曲を三曲演ったのだが、まるでレコードを聴いているように正確なピッチなのだ。

 特に三曲目に演った〝スティービーワンダー〟の『迷信』などは、ほぼリフの繰り返しだけなのに場内を黙らせるほどテクニカルだった。三人は黙々と演奏しているのだが、途中お互いを見合わせて微笑したりしている。その余裕が彼らの実力の証しだった。リリリなどは目を真ん丸に見開いていた。

「アレもセンパイの知り合いですか?」

「まさか。初めて見たけど、スゴイな」

「あれで高校生? アタシ、プロかと思っちゃった」

 たぶんプロを目指しているのだろう。ここに出ている連中は多かれ少なかれ、目標はプロデビューなのだろう、と想像できた。

「こいつらがプロならどう思うよ?」

「どうって? 上手じゃない」

「下手なプロなんているか。オマエなら、この演奏にカネを払って見るかということさ」

 リリリは小首を傾げて唸った。この仕草は彼女の特徴だった。

「わかんないよ。ロックコンサートなんて初めてだしさ」

・・・この連中がもしプロなら、どういう評価なのだろうか。演奏技術は高いのだが、聴衆としては物足りないような気がする。なにかが足りないのだ、きっと・・・

 しかし正雄たちは最初から、しょせんアマチュアロックコンサートにきているという潜入感があった。

「でもね、センパイ。ロックって面白いなって思ったの。レコード聴いてるより実物の方が迫力あるよ」

「そうかい。きた甲斐があったな」

 物足りないといえば、このコンサートにはMCが一切なかった。入れ替わり立ち代わり知らないバンドが出てきて曲紹介もなにもなく、ひたすら演奏してはけるだけだった。ギタートリオがはけると次に出てきたのは正雄の幼なじみのコマサのバンドだった。

「あのドラム叩いているヤツがリズムテープをつくってくれたんだよ」

 リリリはコマサのバンドをじっと見つめていた。コマサのドラムとギターが二人とベースという四人編成だった。曲が始まると、すぐに場内から歓声が上がった。ここに見にきている聴衆のだれもが知っているイントロだったのだろう。リリリは、まわりを見回した。

「有名なバンドなんですか?」

「バンドが有名かどうかは知らないが、曲はみんな知ってる曲だ」

〝ディープパープル〟の『ハイウェイスター』だ。正雄は、この曲の入ったアルバムをみんな持っているから、借りて聴けばいいくらいに思っていて持っていなかった。当然、リリリが知っているわけはない。

「スゴイ! センパイのお友だち、ドラム叩きながら歌ってるよ」

 コマサはドラムのほかにボーカルも執っていた。もう一人、正雄が目を見張ったのはギターだった。ギターソロをコピーして弾きこなし、キーボードレスにも拘らず、オルガンのソロパートまで弾いていた。

 場内は、もう割れんばかりの歓声と興奮に包まれていた。気がつけばリリリも立ち上がって腕を振っている。正雄は知らなかったとはいえ、凄いヤツにウェンズデイみたいなド素人の手伝いをさせてしまったと冷や汗が出た。

 二曲目になるとコマサが前に出てきた。

「ボクたち、これ一曲しかできないので、今度は気合を入れてもう一回演ります」

 え~~~~っ! 

 正雄はそんなことがあるのかと驚いていると、幕間から別の一人が出てきてドラムセットに座った。コマサは、二回目は歌に専念するということらしい。しかし場内は大歓迎というように湧いた。

 ギターのドッドッドッドッというイントロが始まるところから大盛上がりになった。コマサは一回目よりもパワフルに歌い上げていた。正雄は鳥肌が立つ思いだった。今日一番のパフォーマンスといっても過言ではない。

 惜しむらくは、これ一曲しかないのかということと、このバンドのメンバーは全員中学生みたいに見た目が子ども染みているところだった。それと、二度目のこの曲はいったいいつ終わるのかというほど、場内の歓声に応えてバースとサビを繰り返している。あるはずの無い四番とか五番を演っているのだ。

 彼らがやっとステージを降りるときには、「アンコール」の声がやまなかった。

「カッコいい~!」

 リリリは興奮冷めやらぬ様子で、しばらくぶりにシートに腰を降ろした。館内が落ち着くと背後から「ドラムはやっぱりボーカルのヤツの方が上手かったよ」という声がきこえた。今度、コマサに会ったときにいってやろうと、正雄はリリリと顔を見合わせ笑った。

 その後に出てきたのは、なんだか半グレみたいな一癖ありそうな連中だった。なかでもベースの男はアイドル顔なのに、ふてくされてスピーカーの上に座り、だらしなく脚を組んで弾くのだ。

「ツッパリみたい。なにアレ」

 リリリは前のコマサのバンドとの落差に不満げだった。

 大ウケの後は、さぞやりづらいだろう。グレたくもなる。しかも演っているのはブルースのようだった。重いリズムに、わざと気怠そうな歌い方をしているので眠くなってくる。普通なら、このへんでヤジが飛びそうなものなのに静まり返っているということは、コイツらもいろんな意味でタダモノではないのだろう、と思えた。

 次に出てきたのは、ちょっとコマサのバンドのカラーに似た、アイドルっぽいルックスの中学生バンドといった印象だった。最初こそ重いドン、ドン、というリズムから入ったので、ハードロックかと思っているとチューリップの『千鳥橋渋滞』だった。

 カラフルなキャップを被って、軽快にギターを弾いている男に正雄は見憶えがあった。

「リリリ、あのギターのヤツを見たことないか?」

「カワイイじゃない」

「ウチの学校の野球部のヤツだ。帽子の下は丸坊主だぞ」

「センパイの同級生?」

「隣りのクラスだよ。どうも、どこかで見たことがあると思ったら」

「センパイも帽子被ってくればよかったね」

「余計なお世話だ」

 正雄は自分も坊主だということをいまのいままで忘れていた。なんだか急に恥ずかしくなる。すると、いずれここに登場する沢田はどうしたのだろうか?

「沢田さん、髪伸ばしてましたよ」

 正雄が沢田を最後に見たときには、まだ少し髪が伸びたスポーツ刈りといった感じだった。リリリはリハーサルで毎日のように会っているはずだから、わかっているのだろう。

 ステージ上では、このバンドがチューリップの曲ばかり続けて三曲演ってはけた。バリエーション豊富なコンサートだと思えた。

 そして、沢田のバンドが出てきた。どうも時間的に彼らがトリのようだ。トリとはたいしたものだが、正雄にはそれが沢田の政治力ではないかと勘繰られ、思わず口角が上がってしまうのだ。

 ギターを抱えた沢田はポマードかなにかで髪を撫でつけて長く見せていたが、ロック少年とはいい難かった。プールにいるとヒョロっとした長身の少年なのに、スポットライトを浴びて黒光りした腕とロゴの入った白っぽいプリントシャツとのコントラストで妙に精悍に見える。

 沢田のバンドも日本のバンドのコピーだった。縦ノリのリズムなのに場内は静まり返った。なにをいっているのか、わからなかったのだ。


♪ ◎△☆×◆○ひとりで ◎△☆×◆○いいのさ

 ◎△☆×◆○のさ ふざけるんじゃねえよ◎△☆×◆○だぜ・・・



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