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ブランニューイエスタデイ  作者: 犬上田鍬
2/15

その一 十七歳の風景 ①

 それから五年もしないうちに世界は変わった。〝バブル景気〟の崩壊によって正雄のまわりの環境も彼自身の境遇も、あの頃とは想像できないほど変化していた。景気はどんどん悪くなり、やがて流通改革とかで中小の事業者は軒並み淘汰された。いまは一時期ほどではないにしろ盛り返してはいるが、彼の境遇は戻らなかった。

 正雄は四十歳のときに家業の飲食店向け酒類雑貨卸会社を廃業して、二十年以上もアルバイトを転々とした。ここ数年は宅配会社の構内で夜間の仕分け作業をしていた。

 経済的な理由から婚期も逸した彼は、痩せて頭髪も薄くなり、絵に描いたような貧相な六十男に変貌していた。定年が大方の企業では六十五歳になり、まともに勤めていればもう何年もしないうちにリタイアすることになっただろうが、彼には老後の望みもない。

 少子高齢化が極端に進んだ影響で年金制度はほぼ崩壊していた。受給年齢は定年の引き上げで六十五歳になったが、さらに近い将来は二択制になるようだ。それまでに納付した年金に見合った給付金を貰うか、〝疑似(メタフィ)世界(ジカル)〟へ移住するかだ。

 メタフィジカルは噂によれば極楽のようなところらしい。数年前の東京五輪をきっかけに飛躍的に発展したVR技術で創造されたメタフィジカルでは、自分の住みたいところで余生を好きなように過ごせる。もちろん年金を所定の水準以上納付していれば、向こうでの経済的な心配は一切ない。

しかし、正雄の現状ではメタフィジカルはおろか、まともに暮らせるだけの保障も得られないだろうと思われた。まだまだ働き続けなければならないのだ。

 思い起こせば四十年前はよかった。この国全体が幸せに満ちていたように感じられた。なにをやってもカネを稼げたし、競って贅沢をしていた。正雄自身も生涯で一番遊んだ時期だったかもしれなかった。

 同じようなどんでん返しを経験した人間が、この職場にはたくさんいた。こんな夜中にいいオジサンやアジア系の外国人ばかりが働いている構内の景色は異様だった。

 正雄がこの職場で最も仲がよかったのは石田光秀という、彼より五歳ばかり年上の男だった。ここにきたときに仕事を教えてくれたのが石田だった。彼も、いかにもわけがありそうな人物だった。

 長く伸ばした髪をポニーテールに結び、現場では被らなくてはならないキャップの後ろから垂らしていた。色黒で口の形状が見えないほど髭を蓄えている。目つきが鋭く筋肉質な体格なのだが、正雄の肩ほどしか身長がない。黙って立っていると強面な毛むくじゃらのネイティブアメリカンみたいだが、話すと実に気さくで面倒見がよかった。

 ある夜のことだった。この職場では午前一時過ぎになると人影が少なくなる。仕分けした荷物をそれぞれの営業所に搬送するために現場のアルバイトが駆り出されるのだ。その夜は彼らのセクションの者は悉く駆り出され、気がつけば現場に残っているのはたまたま正雄と石田だけだった。

 この時間になれば、一時的にではあるが、そんなに人手はいらないくらい整理されているので独りでも十分なくらいだった。残った荷物をコンベヤに流すのが彼らの仕事だ。いま流すべき荷物が詰め込まれたカーゴも二つしかない。

 広々とした構内には、しんとした夜気が染み渡り、まるでだれもいないような活気のない時間帯だ。聴こえるのはコンベヤのベルトが軋む重低音だけ。

「近藤さん」

 コンベヤに荷物を流す担当の正雄の耳に、不意に低い声が囁いた。どうやらカーゴを運ぶ係をしている石田らしかった。動作を止めて振り返ろうとすると、背後から石田が小声でいうのだ。

「手を止めちゃだめだ」

 構内のあちこちには監視カメラが設置してあり、さらに〝投入口〟と呼ばれるコンベヤの最上流部の上空には監視窓があった。ここから全体の動きをコントローラーと呼ばれる社員が見降ろしながら、構内放送で指示を出していた。

 正雄たちが働いている場所は、もろにその真下だった。肉眼でキャップの(つば)に掲げたネームプレートまで読めるほどの距離しかない。

 正雄は「なんですか」と、相手の顔も見ずに応えた。流し手が一人しかいないので、カーゴの運び手も自動的に正雄専用になる。常に正雄の背後でカーゴを入れ替えるために石田が付いていてくれるのだ。

「近藤さんは音楽なんか聴くの?」

 なんのことかと思えば私語だった。正雄は顔が綻ぶのに注意しながらいう。

「どんな音楽でも聴きますよ。クラッシックから歌謡曲まで、音楽のことは私にきいてください」

 冗談めかして返したつもりだったが、実はクラッシックとジャズはあまり詳しくなかった。

「ロックなんか聴く?」

「専門はロックです」

 おいでなすったと思った。石田の、この年齢にも拘わらず一種異様ないでたちは、そうか、このひとは音楽をやっていたのか、と気づいた。

「〝ボブディラン〟なんかは?」

「聴かないことはないですけど、私はどっちかというとブリティッシュロック派なので」

「じゃあ、〝エリッククラプトン〟は?」

「ああ、好きですよ。石田さんは?」

「実はオレ、ブルースシンガーなんだ」

「えっ」と思わず振り向いて、しまったと監視窓の方を見上げた。それとほぼ同じタイミングで構内放送が響いた。

《それでは荷物が入ってくるまで、しばらく休憩をとります。ええと・・・そうですね、三時から開始とします》

 ふたりは顔を見合わせて構内から外へ出た。中は風通しがいいとはいえ埃臭かったし、休憩室もあるのだが、そこはタバコのヤニで真っ黄色だった。春先の未明の新鮮な空気が美味いと思える瞬間だった。からのカーゴの中に並んで腰かけ、ふたりは缶コーヒーを飲んだ。

「石田さんはミュージシャンだったんですか?」

「うん。(ちゃ)(きり)()町に〝羅摩談(らまだん)〟とか、〝インザペンダントハウス〟ってライブハウスがあってね、そこでよく歌っていたよ。その頃は〝煩悩寺(ぼんのうじ)コゴロー〟って名のっていた」

「レコードなんか出したんですか?」

「出す予定だったけど、リハーサルで飽きちゃってさ。エスケイプしちゃった」

「エスケイプ?」

 石田は、ふたりの腰かけるカーゴの前に広がる暗闇を見つめて目を細めた。

「逃げ出したのさ。やれ、ああしろ、こうやれと指示されるのがイヤでね。あのとき、もうちょっと我慢していればなあ、いま頃は・・・ 」

 やりたいことで身を立てていた、少なくともこんなところで、こんな時間に力仕事などしていない、とでもいいたかったのだろうか。つまり彼はレコードデビューが決まっていたのに、リハーサルで嫌気がさして脱走したということらしかった。

「茶切巣町に友だちがいてね。そいつのオヤジは飲食店をいくつもやっているような人で、心配ないからこいって誘われたのさ。ヤツらと昼間から酒飲んだり、女のコをひっかけて遊びにいったり・・・面白かったなあ、あの頃は」

 茶切巣町は当時、若者に人気の街だった。映画、ファッション、そして音楽も東京都下では流行の発信基地のようだった。ここを舞台にした青春ドラマがあったくらいだ。

「カネがなくなるとライブハウスにいって歌わせてもらうんだ。そのうちに定期的に()ってくれっていわれてね。オレのブルースシンガーとしての絶頂期だよ」

「よく名も知らない素人を歌わせましたね?」

「そいつが羅摩談のオーナーと知り合いだったし、実際オレはデビューする予定だったから、ド素人ではないだろうと思ったみたいだ。自慢じゃないけど、けっこう人気があったんだぜ、オレ。そのうちインザペンダントハウスや〝ぎゃらん堂〟でも出てくれっていわれるようになってさ」

「煩悩寺コゴローっていうバンド名でですか?」

「それはオレの芸名。本名が光秀だから明智と本能寺にひっかけてそうしたんだ。みんなオレのことを〝コゴロー〟っていってたな。レコードデビューするときはバンドの予定だったんだよ。千葉の〝超ウルトラスーパーデラックス観音〟っていう連中をバックにしてね。バンドではオレがベースを弾いたんだ」

「煩悩寺コゴローと超ウルトラスーパーデラックス観音・・・まるでコミックバンドだね」

「〝ディープパープー〟や〝レッドチャップリン〟よりはマシだろ?」

 実際にそういう案もあったようだ。

「じゃあ、バックバンドはデビューを目の前にして、ボーカリストがいなくなったら途方に暮れたでしょ?」

 すると石田は、さもおかしそうにいうのだ。

「そいつらもエスケイプしちゃったの。そもそもオレもヤツらもやりたいことが違ったんだ。一緒に茶切巣町にきて、ヤツらは別にベースとボーカルを見つけて、後にデビューしたよ。だけど売れなかったな」

「へえ」

「オレの歌、聴いてみる?」

 石田が「ブルースシンガー」といっているのだから、ブルースなのだろうと正雄は思った。ただブルースといっても、ストレートにその音楽性は想像できなかった。漠然と石田の、その風貌や立ち居振る舞いから、相当クセのあるものだろうなということだけは推測できた。

 しかし、どんなものかわからないうちから「いえ、けっこうです」というのもどうかと思い、正雄はつい「ぜひ」と返事してしまった。

 翌日の仕事上がりの朝、屋上にある駐車場に向かう階段の昇り口で石田に捕まった。「これ」とカセットテープを渡された。パッケージにはローマ字で〝kogoro-〟と書かれていた。ラベルにA、B面合わせて十曲ほどが並んでいた。正雄は本当に持ってきたんだ、と思った。

「カセットデッキある?」

「ラジカセがありますよ」

「よかった、MDよりはこっちの方がいいだろうと思ってさ」

 どっちも化石みたいなものだ、と正雄は思った。石田がいうことには、CDに焼くにはデジタル変換をするソフトが必要なのだが持っていないのだそうだ。

「私が持っているんで、やってあげますよ」

 石田と別れて自分の軽ワゴンに乗り込んだときには、もうだいぶ気が重くなっていた。少なくとも、いつものような仕事をやり終えた安堵と達成感に満ちた清々しい朝ではなかった。石田は、次に会うときには「どうだった?」ときいてくるに決まっている。正雄は覚悟を決めて、今日からこのテープを繰り返し聴かなくてはならなかった。

 彼が一番恐れていたのは、どんな感想も湧いてこないような音楽性だったらどうしようということだった。きかれたときになにかいわなくてはならない、その強迫観念だけで疲労感は倍増した。

 帰りがけに寄ったコンビニで買った朝飯を喰い、朝風呂に入って夕方まで寝るのが正雄のルーチンだった。彼には、いまの職場が打ってつけだった。明るくても寝つける方だし、静かな環境ではかえって神経が研ぎ澄まされて眠れなくなることが多かったから、いつも枕元に置いたラジカセからなにかしら音楽を聴きながら就寝するのが習慣となっていた。昼間の喧騒など、彼にとっては子守唄みたいなものだ。だが今日からは、喧騒の代わりに〝コゴロー〟を聴かなくてはいけない。

 一曲目はギターの多重録音で歌はなかった。マイナーコードで展開する曲なのだが、ほぼアドリブで演っているのだろうと思えた。タイトルも『インストゥルメンタル』となっている。ギターだけでしっかりピッチを保っているところなどは、さすがと思わせる。

 二曲目もサイケなギターのアドリブをバックに石田のモノローグという作品で、正雄が思い描いていた渋いブルースとは、いまのところ似ても似つかないものだった。

「私は何者か」みたいな小難しい理屈をこねくり回すような内容で、語っている石田本人がわかっているのだろうかと疑わざるをえない作品だった。

 三曲目で正雄が恐れていたことが現実となった。『無題』というタイトルだったが、歌詞もメロディもあるれっきとした歌だった。

 バックが生ギターのダビングだけなので割合いに軽い音のはずなのに、ものすごい暗さなのだ。それはとりもなおさず、歌の内容と〝コゴロー〟というシンガーの歌い方に頼るところが大きいのだろうと思われた。低く、しゃがれた声が、まるで耳打ちをするかのようにぼそぼそと歌うのだ。

 四曲目以降も、もちろんメジャーコードで軽快なものがあるにせよ、この独特な歌のバリエーション集だった。歌詞も妙に古臭い言い回しをしていて、昭和のアングラフォークをイメージさせる。

 正雄とは世代がちょっと違うので、そのへんのことは詳しくないのだが、〝カルメンマキ〟の『時には母のない子のように』とか、〝浅川マキ〟の『夜が明けたら』などを彷彿とさせる。

 ジャンル分けをすればアシッドフォークで片づけられるところだろうが、いまこれをやっていることに石田の個性を見た気がした。この強烈な個性は、あらゆるものを聴きかじってきたと自負する正雄にとっても初体験だった。

 慣れていないとフックがあり過ぎて、聴きづらいとさえ思える。そのスピリットは、石田本人がいう「ブルース」の許容範囲であるのだろうな、と納得がいく。

 聴いていると、なかには複雑な展開をするものもあるのだが、そのほとんどがバースとサビだけというシンプルな構成のものばかりで、ある意味憶えやすいともいえる。ただ、間違いなく正雄の知っている既成のフォークでも歌謡曲でもなかった。

・・・なるほど、これがプロになる予定だったひとのなせる業なのか・・・

 やがて、その音のなかに意識が巻き込まれていった・・・


 次に正雄が石田に会ったのは、シフトのずれもあって三日も後のことだった。石田は正雄の顔を見るなり、「聴いてくれた?」と感想を欲しがる。仕事上がりの駐車場で、ふたりは立ち話に花を咲かせた。

 正雄は率直なところを石田にいった。自分が感想を述べられるような音楽性ではなかったし、どの引き出しを開けてもこれを評価できる材料がなかった。それでも石田はきいてくるのだ。

「どの曲がよかった?」

 その手があったか、と正雄は困り果てた。甲乙を付けることすらできないので、正雄の基準で最も聴きやすく、ポップでアップテンポなのにも拘らずアングラ臭が漂っている曲を挙げた。

「『二時がこんなに暗いのは』って、ノリがよくて好きですね。最後に雷鳴が入るヤツ」

「ああ、あれ。コードの反復だけどね」

 石田の反応は鈍かった。正雄は気に入らない曲を挙げてしまったかと思ったが、彼にとってどんな出来の悪い作品でも、みんな自分が産んだ子どもなのだ。気に入らないものを残しておくわけがない。

 それは正雄にもわかった。彼も楽器を演奏することにはそれほど興味があるわけではないのだが、曲づくりは好きでデモテープを()り貯めていたのだ。今日はその中でも自信作を、今度は石田に聴いてもらうために焼いてきていた。

 ところが石田は、もらったCDをあっさり自分のデイパックにしまうと、早速自作曲についての解説を始めるのだ。

「『二時がこんなに暗いのは』はEマイナーとDマイナー、Gしか使っていないんだ。オレの一番好きな日本を代表する作家の詩に曲を付けたんだ」

 石田はあえて、それがだれなのかはいわなかったが、それで歌詞が古臭いインテリぶったもの言いの理由がわかった。おそらく昭和初期の人なのではないかと想像がつく。

 石田は「あの曲もそうだ、この曲も」というのだが、正雄はそれらのうちの一曲たりとも聴いた憶えがなかった。そこまで聴く手前で、いつも意識が無くなっているのだろう。

「ギターは何回被せてるんですか? 三回くらいは重ねてますよね」

「『二時が~』で四回かな。『イントロダクション』ではモノローグが入るからごちゃごちゃしないように二回ぐらいにしたけど、だいたい三、四回だな。でも同じ演奏は二度とできない」

 やはり、と思った。そこもまた石田らしいのだ。アドリブどころか、ぶっつけ本番で曲づくりをしている。思った通りのタダモノじゃない。

 石田はその後、正雄の質問一つに対して二、三十分は喋り続け、挙句の果てに二時間以上もそこに居続けた。しまいに正雄は眠さに耐えられなくなって、ろくに石田の言葉も理解できなくなってきた。彼の話に、ただ笑って相槌を打つだけになり、さすがの大ブルースシンガーも異変に気づかないわけにはいかなくなった。

「近藤さん、このへんにしとこうか。また今度」

 正雄は、これにも笑って応えるしかなかった。やっと解放されたと思って時計を見れば、もう十時を過ぎていた。今日のルーチンはめちゃくちゃだ、と諦めるしかない。そこへ再び石田が戻ってきた。

・・・えっ、まだなにかいうことがあるの?・・・

 石田は、正雄がジャケットまでつくったCDを取り出すと、こういった。

「このジャケットはいいけど、タイトルを『石田光秀作品集』じゃなくて『コゴロー』にしてくれる? そう、ローマ字で」

 正雄はとりあえず帰って寝たかった。だから、当たり障りのない笑顔で「ОK」という仕草をして見せた。今日もコゴローを聴きながら眠るのか、と頭のどこかで考えていた。


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