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ブランニューイエスタデイ  作者: 犬上田鍬
11/15

その四 冬眠とサマーブリーズ ①


「いまキミのことを考えていたんだよ」

 正雄はメタフィジカルでリリリに出会った。目の前に風に揺れる髪を掻きあげて立っているのは、あの頃のリリリだった。まだ少女のあどけなさが残っているが、まるでアイドルのようなオーラを放っていて、あらためて見ると本当に可愛かった。

 しかし、その笑顔からは正雄が知っている奔放さは消えていた。落ち着いたオトナの女性の気品のある微笑だ。見た目は変わらないのに彼女はさらに素敵になったと思えた。

 しばらくそうやってお互いを見つめていると時間の経過が忘れられるようだった。フィルターを通したように彼女の背後に見える遠くの波がキラキラと輝いている。まるで演出された映像だ。

 それでも、まだ正雄の疑念は消えたわけではなかった。

・・・このメタフィジカルのパーソナルマップ上で人に出会うことすら稀なのに、よりによって知り合いに、しかもいま考えていた女の子にピンポイントで出会うなどという偶然がありえるのか。これは現実なのだろうか、だれかのナリキリではなかろうか、はたまた自分は幻覚を見ているのか?・・・

 正雄はそのことを確かめたかったが、どうしても本人にきくことができなかった。こんなときほど余計なことが頭をよぎるものだ。あまりストレートなもの言いはどんなものだろう、とか。よくよく考えてみれば、いま正雄の目の前にいる少女は多感で情緒不安定な年齢ではないはずだった。

・・・そんな気遣いなど不要ではないのか、むしろ直球の方がわかりやすいのではないか・・・

 そのときだった。リリリは、こういった。

「センパイもカッコよくなりましたね」

 正雄は気づいた。ここでの彼の姿は二十代の頃のものだ。リリリが知っている正雄は水泳部時代の坊主頭だ。

「何年ぶりかしら?」

 リリリの問いかけに正雄は口もとを綻ばせた。

「忘れるほど昔のことだよ」

 彼女はたぶん、ここにいる正雄が現在の姿と思っている。痩せて頭髪も薄くなった貧相な姿に、さらに変化しているとは思ってもみないだろう。同じことが彼女にもいえるのではないか。どういうふうにきこうかと考えているうちに、またリリリの方からきいてきた。

「どうしてアタシのことを考えていたんですか?」

「この風景は、あの歌の舞台じゃないかってね」

 ふたりは肩を並べて海沿いの歩道を歩きだした。

「あそこにある県立高校の校舎や歩道の木陰、向こうに見える歩道橋、空を飛ぶ海鳥・・・ みんなキミの描いた歌詞のままだ」

「あの歌」とは『十七歳の風景』のことだ。リリリは道路の先の遠くを眺めながら穏やかな笑みを絶やさなかった。でも、その答えはなかった。

「センパイは、どうしてここへきたの?」

 歩きながらリリリは正雄の顔も見ずに、さらにきく。

「サユリから、キミにそっくりな女性をフィジカルのこのあたりで目撃した人の話をきいたんだよ。まさかキミに会えるとは思ってなかったんだけど、メタフィジカルにこの場所があるのなら一度見てみようと思っただけのことさ」

「サユリって、あの?」

「そう、ウェンズデイを一緒にやっていただろ? あのコ」

「サユリは元気ですか?」

「元気だよ、といってもメタフィジカルでしか会ったことないから若いままだけど」

「もう、お母さんになってるんでしょうね」

 リリリは相変わらず虚空の彼方を見る目つきでいう。

「お母さん?」

 オバアサンだろといおうとして、口籠った。無用の気遣いだったかもしれないが、それをいうことでリリリも年寄り扱いすることに繋がるのではと勘繰ったのだ。

「サユリは独身だといってたよ」

「結婚してないんですか?」

 彼女が離婚したということは、あえていわないことにした。

「よくわからん」

「コヤナギチャンは?」

「あのコは亭主がいる。子どもはいないらしいけど、シアワセそうだったよ」

 リリリは立ち止まると歩道のフェンスに両手をかけて海岸線に顔を向けた。防風林が切れて目の前に砂浜が広がっていた。強い潮風が不意にふたりに吹きつける。まさに『サマーブリーズシティ』の面目躍如だ。リリリの前髪がふわりと翻り、額が(あら)わになった。

「センパイは?」

「オレか? オレはいろいろあってな、婚期を逸した」

「独身ってことですか」

 振り返る彼女に正雄はきまり悪そうに苦笑した。

「そういうことです」

 リリリはすぐに顔を戻すと、ぼそっと呟いた。

「アタシもいろいろあったんです」

「らしいな」

「アタシの過去のこと知ってるんですか?」

 海を見つめたままのリリリに正雄はちょっとドキリとした。つい口が滑ったか、と。

「キミは有名人だったからな」

「詮索するのはやめましょう、ねっ?」

 そういったときのリリリの表情は、あの頃のものだった。正雄も笑顔で頷いた。

「コヤナギたちに会いたいだろ?」

「会いたいけど・・・ 無理」

 急に寂しそうなトーンになった。いままで明るかったのは、それを隠すための反動のように思えた。

「どうして?と、きいたら詮索になるのかな」

 リリリは、どう見ても愛想笑いで首を振った。

「迷惑かけたもの。いまさら会わす顔がないですよ。あの頃のアタシは自分のやりたいことが最優先で、それが当然のことだと思ってたから。思い通りにならないのなら、全部排除しようって考えていたんです。たとえお世話になったセンパイ方でさえ、気に障れば無視しようって。ききわけのない駄々っ子」

 正雄は笑い出した。リリリとの思い出の最後の方で、ヘンな別れ方をしたのが気になっていたのだ。

「ウェンズデイの本番を邪魔したオレたちに怒っているとばかり思ってたのだけど、そうじゃなかったの? コヤナギからは、そんなふうにきいてたけどさ」

「たぶん、そうだったんでしょうね。あの頃のことを思い出すとバカな自分を消してしまいたくなるんです」

「だれだってあるよ、そういうことは。特にオレたちくらいの齢になってくると、そんな恥ずかしくなるようなことばかり思い出す」

 リリリは正雄の顔をやっと見てくれた。眩しそうな笑みを浮かべて髪を掻きあげるのだ。

「センパイは前から優しかったですよね」

「優しいんじゃないんだ。気を遣いすぎるんだよ、オレは」

 また、しばらく海を見つめる時間があった。

「キレイな海だ。さすがメタフィジカルだけのことはある」

 するとリリリは鼻で笑っていうのだ。

「本当は、ただの壁紙」

「?」

「よく見ると遠くの方はホリゾントだってわかるでしょ?」

「しょうがないじゃないか。そのくらいのことは割り切ってるよ」

 せっかく、こうしてめぐり逢えたのに、ずいぶん情緒のないことをいうなと正雄は思った。そういう意味では女性の方が現実的だといわれる。ロマンチックは男の幻想なのか。

「このあたりはアタシが創ったんですよ」

「そうなの?」

 どうやら、ステラ似のアンドロイドがフィジカルのこのあたりに出没していたことや、風景が彼女の描いた歌詞を彷彿とさせることは無関係ではないらしい。だんだんと繋がってきた。ということは正雄が西町で見たシルビーバルタンや母校のプールサイドにいた女生徒も、みんなリリリだったのかもしれない。

「アタシが全部創ったの」

 正雄がそれを訪ねると、彼女はいとも簡単にいってのけた。

「思い出のある場所を再現して記憶を取り戻そうとしてるんです」

「それじゃあ、ステラにそっくりの女性の目撃談は、あれはすべてキミ自身だったの?」

「ステラにそっくりじゃなくて、ステラだったんです」

「フィジカルじゃあ、キミは自殺したって・・・」といいかけて正雄は自分の口を手で覆った。リリリは柔らかな視線を正雄に投げかけて頷いた。

「そうらしいですね。アタシ、憶えていないの」

「ええっ」

「アタシは自殺した前後の記憶を失くしているんですよ。逆行性健忘とかいう症状で、発症した時期に近い記憶ほど憶えていないんです。脳に外傷を負ったことが原因だろうって」

 正雄は絶句した。

・・・たしかにここにいるのはリリリ本人のようだ。自殺したのも事実らしい。幸い助かったみたいだが、それを知っている人はいるのだろうか。ステラ似のアンドロイドは、やはり再建手術を受けた本人なのか・・・

「リリリ・・・ 」

 正雄はききたいことがヤマほどあったのだが、口から言葉が出てこなかった。そんな彼を見て、リリリはまた眩しそうなまなざしをした。

「リリリって呼んでくれるのはセンパイだけ」

 正雄はなんと応えていいのかわからず、ただ彼女を見つめるしかなかった。

「ここでは、みんなアタシのことをステラって呼ぶんですよ。ステラでも、リリリでもないのに」

 フィジカルでは死んだことになっているのだ。もはや生来の蒲池真理でさえない。

「それはみんながキミのことをステラだって認識してるからだろ? 自分がステラだってことくらいは憶えているんだろ?」

 リリリは笑顔を絶やさないまま頷く。リリリは本当に変わった、と正雄は思った。あの頃のリリリは、こんな表情をしなかった。直情型で、すぐ反応が顔に表れた。

 正雄とリリリの間には長い空白の時間がある。その間に彼女は、いろんな経験をしながら成長したのだろう。それはそうだ、彼らはいま残照といわれる時期に入ろうとしているのだから。

 リリリは黙ってしまったので正雄はきくにきけなくなった。どうやら彼女が詮索されたくないのはステラ時代のことらしいと直感した。しかし、彼女は気を取り直したようにいうのだ。

「この症状は結構な割合で治るらしいんですよ」

「その・・・ 健忘症?」

「逆行性健忘」

・・・あの頃のリリリだったら、ここで絶対突っ込んできたはずだ。「健忘症ってなんですか、年寄りみたいじゃないですか」とかなんとか・・・

 年寄りは事実なんだから突っ込みようもないか、と正雄は失笑した。

「それでアタシに関わりのありそうなところをマップ上に再現することで、記憶を取り戻せるかもしれないってワーカーさんに勧められたんです」

 リリリは、どこかの医療施設にいまもいるようだった。「ワーカーさん」とは、そこの担当者のことだろう、と正雄は思った。どうやらステラ似のアンドロイドはリリリに間違いないようだ。あまり触れたくない話題だったが、こんなリリリにだったら逆にきいてしまえると正雄は思った。

「タクシーでキミに関わりのある場所を巡っているステラにそっくりな人の話をきいたよ。みんな、亡霊だっていったけど」

「それはたぶんアシストボディを装着したアタシです」

「そんなものがあるの?」

「脳の信号を増幅して操作する補助体躯をステラそっくりに造ったんですよ。フィジカルのアタシは、あんなに人間的じゃないんです」

 正雄はえらい話をきいてしまったと愕然となった。暫く言葉が出ないくらいだった。それを覚ってか、リリリは口数が多くなった。

「なにもそんなもの使わなくたって、と思うかもしれないけれど、再建手術でどうにかなる状態じゃなかったし、ここで人間らしく暮らすための訓練でもあったんですよ。ボディの操作は、ここのエピゴンを思うように動かす役に立ってます」

 リリリはこれを使って、マップ上に再現したい場所を巡っていたという。

「都立霊園は、近くにアタシがバイトしていたスタンドがあったんです。獄門寺駅の北口あたりは、ボディを回収してもらうための待ち合わせ場所。いま居るこの場所もアタシが創ったんですよ。まだ完成してないんですけどね」

 さらに創った場所を毎日のように見て回る彼女のルーチンがあり、それはいつも夕方なのだそうだ。正雄が見かけたエトランゼは、やはりリリリだった。

「獄門寺のアパートも憶えてるの? オレはキミを見かけたんだよ」

「ああ、西町のね。あれは自殺したときの住所があそこだったらしいんですけど、本人は記憶にないんです。だから外側は創れてもONにできないの」

「部屋の中を憶えてないのか。どうりで灯りが点いてるのに入れないわけだ」

「なんで、あんなところに居たんですか? なにか知ってるんですか?」

 そこで正雄は、あそこにダイブした経緯をリリリに話した。当然、コゴローのことを話すことになった。

「コゴローさん、懐かしい。一緒に働いているんですか、奇遇ねえ」

「コゴローさんにも会いたくない?」

 リリリは冷めた笑みを浮かべて首を振った。

「本当はセンパイにも会いたくなかったんですよ。昔の知り合いには、みんな」

 正雄には、やはり彼女の自殺の原因はウェンズデイから始まった一連の音楽活動と関連があるように思えてならなかった。もしそうなら、彼女をそこまで追い込んだ根源は正雄と沢田ということになる。

「リリリ、オレはもしかしたらキミに(わざわい)をもたらした張本人だったかもしれないと思って後悔してるんだ」

 リリリは正雄の顔をまじまじと覗き込んで、小首を傾げた。この仕草も彼女の特徴だ。エピゴンはここまで再現するのか、と驚かされるほどだ。

「どうして?」

「オレがあのとき、キミに学園祭のフォークコンサートに参加することを勧めさえしなければ・・・ 」

 途端に彼女は、まるで青い海にカラフルな熱帯植物の花が咲いたような笑顔を見せてくれた。正雄のこれまでの人生で見たことのない鮮やかさだと思えた。その瞬間、光のシャワーが弾け飛ぶようだった。

「ウェンズデイ、楽しかったわ。忘れられない」

 そして、また背を向けて海の方を見た。正雄は女子高生の後姿をしばらく眺めているだけだった。やがて彼女は、また正雄を振り返るというのだ。

「さっきの質問に答えましょうか」

「さっきの質問?」

「『十七歳の風景』の舞台はここじゃないかってきいたでしょ?」

「もう、わかってるよ。ここだ」

「あの歌詞の意味は分かりますか?」

「意味?」

 リリリは、いたずらっ子のような挑戦的な目つきになった。

「アタシがなにを歌いたかったのかってこと。いつかセンパイは『アイゴートゥピーセス』を意訳するときにいいましたよね? これがどんな状況なのかわかっているのかって」

・・・本人も忘れているそんなことをここでいわれるとは思わなかった。リリリは、そのことをずっと憶えていたのだろうか・・・

 正雄は率直に、あの県立高校の生徒が見ている風景や日常のことを淡々と描いただけとしか理解していなかった。それはおそらく沢田も、そしてウェンズデイの他のメンバーもそう捉えていたのではないかと思った。

 コゴローが以前にいっていたことを思い出す。

「この歌は以前に見た、例えば一番印象に残っている学生時代の授業中に窓から見えた風景を、あとになって思い出しているという状況じゃないかと聴きながら感じた。彼女がここで歌いたかったのは、十七歳のときに見た風景ではなくて、過去を振り返っている自分のことではないかなということさ」・・・

 それにしては、リリリがこの歌詞を書いたのは十七歳になる以前のことなのだ。

「質問に質問で返すのはどうかと思うんだけど、いまさらですかといわないで教えてほしいんだ」

「はい」

 素直な返事は相変わらずだが、妙に物静かな受けだった。

・・・あの頃だったら間違いなく唇を尖がらせて「きいてるのはアタシなんだけど」といったはずだ・・・

「どうして十七歳なの? キミはまだ十五、六歳だっただろ、なにか理由があったのかな?」

 リリリは、さらに不敵な笑みを浮かべた。トラップにハマったといわんばかりの表情だ。

「この歌詞の主人公はアタシじゃないからです」

「え?」

「この歌詞で、このあたりの風景を見ているのはセンパイたちなんですよ」

「どういうこと?」

「ウェンズデイが楽しかったから、いつまでも続いてほしいなって思ってたんです。だけど時間は過ぎていくでしょ? いつか終わりがくるじゃないですか。だからセンパイたちが卒業しても、このときのことを忘れないでほしいという想いがあったんです。ストレートにウェンズデイのことを歌うのはどうかと思ったんで、楽しい日々の象徴としてアタシが憧れていた海の風景を借りたんです」

 正雄は目から鱗が落ちる思いだった。長い間、疑問だったことがいまやっと解明できた。十七歳は、あのときの自分や沢田の齢だったのだ。リリリの才能に、いまさらのように驚かされる。

「それなのにオレたちは、この歌詞が面白くないからといって勝手にアレンジしてしまったんだな」

 奇しくも、リリリの人生を予兆させるような歌詞をつくってしまったことが、正雄の負い目にさらに拍車をかけるようだった。たしかに「この先、危険な誘惑が待っているような展開にしよう」といったのは沢田だったが、まさか本当に希望に胸を膨らませていたはずの少女の未来を左右するような歌詞にしてしまったのは皮肉としかいいようがなかった。

「それも余計な気遣いですよ、センパイ」

 リリリは気にも留めていないといったふうに受け流す。

「たしかに学園祭ではセンパイたちのつくった歌詞で歌いましたけど、レコードに吹き込むときには自分の歌詞に直しちゃいました。ステラブルーのレコードなんか聴いたことないと思いますけど」

 正雄は拝むような手つきで頭を下げた。

「申し訳ない。オレはあの当時本当に忙しくて、ほとんどどんな流行歌も聴いたことがないんだ。キミがデビューしていたってきいたのも、実は数か月前に沢田さんからなんだ」

 急にリリリの目から明るい光が消えた。

「沢田さんにも会ってるんですね?」

「今年の盆帰りの企画のことで何十年ぶりに会ってね」

「盆帰り?」

 リリリは、さすがに盆帰りを知らないようだった。そこで正雄は盆帰りと、そしてそこで催されるイベントのことを話した。

「アタシの追悼ライブですか? それを沢田さんが企画したの?」

「フィジカルでは、みんなキミが生きているとは思ってないのさ。オレもキミに会うまでは、だれかのナリキリか、エトランゼだと思ってた。なにしろ追悼盤までリリースされたくらいだからな」

 リリリは興味深そうにきいていたが、先ほどのような穏やかな笑みはなかった。正雄は、もしかしたらリリリを不愉快にさせたのでは、と一瞬だが感じた。それを察したかのように彼女は再び薄笑いでいうのだ。

「ステラブルーは売れなかったからなあ。アタシが死んだことで、なんとか採算が取れたのかしら」

 正雄は笑えなかった。自虐的といえばそれまでだが、リリリは命をかけて自分たちを売ったということになる。実際、ステラの追悼盤はどのくらい売れたのだろうか。

「沢田さんやコマサなんかは買ったといっていたけど」

「センパイ、『十七歳の風景』を聴いてみますか? 聴いたことないんでしょ、ステラブルーの?」

「聴けるの?」

 リリリは空間にコンソールを広げてオーディオボックスを立ち上げた。

「リリリ、いまでも歌える? 一緒に歌おうか」

「歌えますけど、アタシ、声帯がないんですよ。これ、造った声なんです」

 正雄は「はっ」とした。リリリは、なにごともなかったかのようにいうが、正雄は彼女にここで出会ったときから気づいていた。本物なのかどうか判断がつかなかったのは、正雄の知っているリリリの声ではないと直感したからなのだ。おそらくステラブルー時代の彼女の声をサンプルにしているのだろう。

「その声では歌えないの?」

「昔のようには発声できないと思います。なにしろアタシは、ウェンズデイで演った歌みたいに一回バラバラになっちゃってるから。それでもいいんですか?」

 リリリは徹底的に自虐していた。昔のリリリと大きく変わったのはこういうところだ。正雄は、彼女が余計な気を遣わせまいとしているのだろうとは思ったが、笑う気にはなれなかった。

「いいんだよ、それで。オレはステラとデュエットしたことをみんなに自慢できる。我が校出身のレジェンドと一緒に歌えるなんて光栄じゃないか」

 リリリはまた素敵な笑みを返してくれた。だれもいないメタフィジカルの浜辺に彼らがつくった『十七歳の風景』のイントロが流れ出した。聴いている者はだれもいない。恥も外聞もなく思い切りふたりは歌いはじめた。まるでオープンエアのカラオケボックスだ。

 そこで正雄は気づくのだ。たしかにリリリの歌は生気がなかった。決して音痴でも抑揚がないわけでもないのだが、妙に機械的に滑らかなのだ。

 そして、ステラブルーというバンドのオリジナル版をフルコーラスで初めて聴いた。それがかえって本物(!)のリリリと歌っているという実感になって嬉しかった。


♪ あの日のように見えていた 海の色も 白い鳥も

 アスファルトで踊っていた ゆらゆら揺れる陽炎のように

 ぼんやりと眺めていた曇り空 自転車を押していくうしろ姿も

 (コーラス)授業中 窓のそと

 街路樹の陰にたたずんで待ってたね

 ( 間奏 )

 海沿いの帰り道 風のなか 海鳥が飛んでいたパノラマのうえ

 (コーラス)授業中 窓のそと

 時が静かに流れるのを見ていた・・・



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