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ブランニューイエスタデイ  作者: 犬上田鍬
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序 別離のプレリュード

すいません、「ボーイズラブ」の要素はありません。私の間違いでエントリーしてしまったようです・・・


♪ 夢に見たメガロポリスの あの華やかなスポットライトに

 憧れて気づいたとき ボクは迷路に踏み込んでいた

 だけど決して挫けない ただ根っからの一途さで

 いつもステージで歌う彼と 同じ場所に立つことを

 ボクがまだ独りで列車の窓から 家の灯りを見送ったとき

 家を捨てることは夢を掴むためと 自分にいいきかせた

 ・・・でも、いいんだ でも、いいんだ


 カーオーディオから聴こえてくるこのフォークソングは、近藤正雄がつくったデモ音源だ。タイトルは『白いカモメは飛んでいく』。歌っているのはもちろん正雄本人なのだが、歌のモデルになっているある女性が男言葉で歌詞を書き、それに正雄が曲を付けた。

・・・この場所でこの歌を聴いてみたかった。去年の夏、〝盆帰り〟であったイベントから彼女には会っていない。歌っているのが彼女ならば、もっといいのだが・・・

 あれからこの場所にくることが多くなった。正雄の住む東京南西部から、さらに南に下った海岸沿いの国道。ここにくると無意識に波打ち際の彼方へ視線が飛ぶ。

 暮れゆく薄灰色の空と深い群青色をした海面が交わる、若干赤みを帯びたグラデーション。その中空に、突然巨大なクジラが跳びはねる光景を想像した。ここではそんなことありえないのに、と苦笑いする。そんな子どものような妄想をするのには理由があった。

 ここにくると二人の女性を思い出すのである。一人は地道に生きて子どもを育てあげストーリーを結ぶタイプ。もう一人はいまだに自分の夢を追い続け、エンドマークを付けたがらないタイプ。この歌の主人公だ。


♪ 心がいつしか 壊れていくのをボクは気づかない

 優しい恋人などどこにもいないし 仲間たちにも気持ちを閉じて

 ひたすら自分だけの夢を育んでいた ボクにはもう自分も助けられない

 住み心地のいいところで 自分自身をごまかしていた

 眩しい太陽の光は いつも冷たい蛍光灯のもとで暮らす

 ボクにとってあの遠い遠い 懐かしい昨日のように

 ・・・でも、いいんだ でも、いいんだ


 敗者の歌だ。表向きは強がって、やせ我慢しているようにもとれる。それとも自棄(やけ)になっていたのか、正雄にはその頃の彼女の気持ちがはかり知れない。仮にその場に正雄がいたとしても、彼にも彼女は助けられなかったろう。半ば彼女のことを知っている正雄は身につまされる思いがあった。

 二人とも正雄のすぐそばにいた女性たちだった。いずれも少なからず彼女たちの人生を左右したのは自分だ、と正雄は思い込んでいる。そのことが正雄をこの場所に呼び寄せるのだ。このあたりは彼女たちに関わりのあるところで、最初に二人が交差した出来事がそもそもの始まりだった。あれは四十年も前の秋のこと・・・


 その日、正雄は八川(はちかわ)駅の北口で午前零時に森高由里子と待ち合わせていた。ふたりにとって、いつもの場所、いつもの時間だった。沿線では乗降客数の多い駅でも、さすがにこの時間になると人通りが少ない。

 改札を出て階段を降りていくと、出たすぐ左側の壁に由里子は後ろ手にもたれて立っていた。頭を垂れ、レザーのタイトスカートから伸びる交差させた形のよい脚に見惚れているようだった。これもいつものことだった。いつものことではあるが、正雄は由里子のこの姿勢があまり好きではなかった。

 由里子は色黒で女の子のなかでは背が高い方だろう。ちょっと日本人離れをした顔つきに見えるのは、眼間距離が離れて大きなこげ茶の瞳を持っているからだろうか。細身のアスリートといったスタイルで、これとはアンバランスに髪型は〝聖子ちゃん〟だった。

 一時期、女の子といえばメス猫に至るまでこの髪形をしていたような気がする。いまやママになった〝松田聖子〟本人ですら、そんな髪型をしていない。しかし、そこも含めて彼女のルックスは正雄にとってお気に入りではあった。

 ただ、どう見てもこれから彼氏と会うという雰囲気ではなく、たったいま男と喧嘩別れして、どうしようかと途方に暮れて突っ立っているとしか見えない。

「おい」と声をかけるとおもむろに顔をあげてほほ笑むのだが、この表情がまた、なにかイヤなことがあったのだが自分に気を遣わせまいとして無理に笑っているように見えたりする。だから会って一言目は、いつも正雄からの「どうかしたの?」だった。

「ううん、なんでもない」

 そういって由里子は恥ずかしそうに、また顔を伏せるのだ。いいや、なんでもないわけがない、と思わせぶりなのだ。お互い独身なのに、まるで不倫の関係みたいだった。

「今日は早かったじゃないか」

「ヒマだったもん。ヘルプばっかりだったから、終わってすぐにあがっちゃった」

「欲がないね、オマエは」

「いいの」といって、由里子は頭を正雄の肩に押しつけてきた。

 ふたりはそこから再び駅の階段を上がり、電車に乗って二駅目の正雄の最寄り駅まで戻った。そこから正雄の借りている駐車場まで歩き、クルマで移動するというのがパターンとなっていたのだ。

 なぜ、そんな回りくどいことをするのかというと、そもそも由里子は知らない駅では改札口以外のところがわからないといい張り、正雄は八川駅前でクルマを停められる場所を探すのが面倒だった。しかし、彼らにとってたやすく移動できる手段は必要だった。クルマは必要なのだが、由里子は必要以上に自分の家に近づいてほしくないというので、結局彼女のアルバイトが終わる時間を見計らって最寄りの駅で落ち合うのが常となった。

「お父さんって、そんなに怖いひとなの?」

「怖いよ。家の近くで見つかったりしたら、もう大変だよ」

「だって、オマエいくつだよ?」

「二十四」

「それでも男と一緒に歩いていたらダメなの?」

「たぶん・・・ 」

 由里子は、正雄の前に少なくとも一人はつき合っていた男がいたのだろうと推測ができた。そのときに、なにかあったのだろうとも。

「じゃ、結婚できないじゃないか」

 彼女は助手席に沈み込むように座って外を眺めていたが、不意に正雄の顔を見た。

「結婚してくれるの?」

「そういう話じゃない。オマエの将来はどうするのかということさ」

「結婚したいよ、アタシ」

「だって、男を連れてくれば暴れるだろ、お父さん?」

 すると、彼女は吹き出すように笑って「婚約者なら暴れたりしないよ」と、正雄の肩を叩くのだ。正雄は笑ってはいたが、こういう一連の彼女の仕草も、最近はうんざりしていた。ハラのなかではこう思っていた。

・・・冗談じゃない、水商売の女なんかと結婚できるかい・・・

 由里子は昼間カーディーラーに勤めているが、夜はキャバレーでアルバイトをしていた。そこに遊びにいった正雄が、彼の好きな歌手の〝杏里〟に似た彼女と出会い、しつこく誘ったのがふたりのつき合うきっかけだった。最初にあの店で見かけたときには一刻も早く、こういう関係になりたいと思っていたはずなのだが、時の流れは酷い。

 実際つき合ってみると、一つしか齢が違わないのに話すことが稚拙なうえ、ときたまスラングのようなヤンキー語を使ったり、ホステス仲間の悪口をきかされたりすることで、彼女にときめくものを見出せなくなってきていた。

「アタシ今度、湘南市にいっちゃうかもしれないの」

「湘南市って、神奈川の?」

「そう。そこでオバサンが美容院をやっているのよ。人手が足りないからきてくれないかっていわれたの」

「オマエ、美容師の資格があるの?」

「あるよ」といって妙にクールな笑顔を見せるのだ。

「だけどアタシ、立ち仕事が嫌いじゃん? だから考えているのよ」

「手に職を持っているなら、それを生かした方がいいと思うよ。じゃあ、向こうにいくとしたら、いまの仕事を辞めるってことかい?」

「どうしようかなって」

 由里子は上目遣いで正雄を見た。まるでなにかいってほしいというように思えた。例えば「いかないでくれ」とか。これはカマをかけているのではないかと彼はすぐに勘ぐった。

 由里子は最近、友だちが結婚したことで彼女自身を駆り立てるものがあったのだろう、遠回しに、それとなく結婚を臭わせるようなことを頻繁にいうようになった。正雄にはそれがわかっていた。ますます彼女のルックスの魅力は褪せた。

「どこいくの」

 しばしの沈黙の後、由里子は虚無的な表情でいう。正雄にとって由里子のこういうところも不可解だった。感情の連続性が見られない、まるで情緒不安定な女子高生のようだと思った。

 深夜の街は静まり返り、乾いた十月の風は気持ちがいい。

「まだちょっと早いから、どこかでメシでも食うか?」

「アタシ、お腹すいてないよ」

「じゃ、お茶飲もう」

「それからアソコいくの?」

「そう、〝モーテルフジミ〟」

「また? アソコが好きなの? 回数券でも持っているの?」

 正雄にとって、別にラヴホテルなんてどこでもよかった。ただ、昔きいたことがあって、ちょっと名前を知っていたからというだけだったのだ。

「どこならいいのさ。〝モーテル野人(やじん)〟は?〝聖子の部屋〟っていうのがあるよ」

「そんなところがあるの?」

「あるけど、けっこう有名だから知り合いとばったりなんてことがあるかもね」

「じゃ、いいよ。アソコで」

 正雄のなかで由里子は、もはやそのためだけの女だった。そんな女にこれ以上のサービスをしてたまるかとも思っていたのだ。

 正雄は面倒な話をしなくて済むようにラジオのスィッチを入れた。ちょうどニュースを放送していた。数日前に始発電車に飛び込んで亡くなった人の身元が、やっと判ったというニュースだった。途端に由里子がニュースに割り込んだ。

「〝ステラ〟だったのよ、自殺した人!」

「だれ?」

「ステラよ、ステラ。〝ステラブルー〟のボーカルの」

 どうやらロックバンドのボーカリストが鉄道自殺をしたということらしかった。わけ知り顔に話す由里子のことも好きになれなかった。まるでゴシップ好きのババアみたいじゃないか、と思えた。

「今年は芸能人がよく死ぬなあ。オレはそんなバンド知らないけど、有名なの?」

「アタシは聴いたことないのだけど・・・ 」

 出たよ、と正雄は苦虫を噛むような表情をして見せた。どうせテレビのワイドショーか、女性週刊誌の受け売りなのだろう。

「作者不明の曲が話題になったことがあるっていっていたの」

 このニュースは正雄も知ってはいた。家業の営業の仕事の途中、やはりカーラジオで聴いたのだ。数日前の未明、獄門(ごくもん)()駅近くの跨線橋から始発電車に人が飛び込んで跳ねられた。鉄道事故の常で、遺体は男女の別もわからないほど酷いものであったと。

「なんでもステラは妊娠していたらしいのよ」

「へえ」と正雄は興味なさそうにいった。

「あ、これ、この曲」

 スピーカーからギターのアルペジオで奏でるイントロが流れてきた。バンドスタイルのアレンジにはなっているが、これはフォークだなと正雄は感じた。日本のロックバンドのオリジナルといえば、みんなこんなものだとも。

「これが作者不明の曲?」

「ステラブルーといえば、これらしいよ」

 歌が始まると、正雄は初めて「ステラ」と名のるボーカリストが女性だということを認識できた。少しハスキーな声だがキーはそれほど高くないように聴こえた。

《♪時はいつも過ぎていく 呼び止めても追いかけても… 》

「?」

 正雄は、このメロディと歌詞に聴き憶えがあった。ハンドルを握りながら、ずっと考えていた。そのうちにこの歌が口をついて出てきた。ラジオから流れてくる曲を一緒に歌っている正雄を見て、さすがに由里子は驚いた。

「正雄さん、知っているじゃない!」

 しばらく歌っているうちにラジオの音源自体はフェイドアウトしたのだが、正雄はその先を歌い続けていた。そして、不敵な笑みを見せるのだ。

「これが作者不明の歌だって?」

 そして再び、今度は声をあげて笑った。キョトンとして見ている由里子は、なぜこんなに正雄が面白がっているのか一向に理解できないでいた。

「知っているの?」

「知っているもなにも・・・ 」

 正雄はどういおうかと考えていた。こんなめぐり合わせはこの先、一生を通じて二度とないかもしれなかった。と、同時にもう一つ別のことが頭をよぎった。

・・・どうして、このステラブルーというバンドがこの曲を歌っているのだろう? この曲のことを知っているのは何人かしかいないはずだ。高校の先輩だった沢田さん、そして後輩の三人の女生徒だけの秘密みたいなものだった・・・

 正雄は沢田にきいてみようかと考えたが、沢田はたしか大学在学中に家出をして、その後、行方が(よう)として知れなかったことを思い出した。しかし、そんなこともやがて忘れてしまうのだろうな、とも思っていた。仕事も遊びも、毎日忙しかったから。まさか、その数年後に起こることが彼の生活を著しく変えてしまおうなどとは知る由もなかった。



毎週金曜日に更新予定です。ヨロシク!

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