子ども達の明日
「ねえ、カリン姉ちゃん。疲れちゃったよ。」
僕はミル。父さんと母さんは二人とも船員だったらしい。なんでも怪物を倒したとか。
「あんまり文句言わないでよ。せっかくここまで来たんだし、絶対に許さないから。」
カリン姉ちゃんが怒ってるのは、僕の父さんと母さんと、姉ちゃんのおばさんとおじさんが姉ちゃんが密かに書いてる小説を見ちゃったからだ。
かくいう僕も怒ってる。
何故かって?
クラスの奴らに、ミルってのは花の名前から付けたとか言ったからだ。もう明日から女の子扱い確定だ。
なんでも女子でも男子でも行けるような名前にしたかったらしいけど……そんなのってある?
背中にある『宝物』たちを背負いなおす。
「うん、姉ちゃん。今夜一晩は絶対に帰らないでおこうね!」
背中にはありったけのお金と、ありったけのお菓子と、冷蔵庫からかっぱらってきた食料と宝物。
「姉ちゃん、でもなんか寒いよ?」
ここは山の中。島の中心にある山を一つ越えて、隣村まで行くつもりだ。
「じゃあ、この辺で野宿しよう。テントはるの、手伝ってよミル。」
寝袋や毛布も持ってきている。何しろ僕はボーイスカウト経験者だ。最近はテントも買ってもらって、野宿の経験もある。
「はいはい。ってかさ、見つからないかな、こんなとこで。」
父さんたちは今晩は仕事で遅くなるらしい。この辺でテントを張っておけば、多分見つからないはずだ。
「大丈夫。ちょっとだけ、周りに木もあるし。」
気休め程度にテントを隠してくれる木のおかげで、いくらか気持ちは安らかだ。
「ちょっとミル、ランタン持ってる!?」
リュックをガサゴソやって姉ちゃんは言う。
「持ってるよ。はい。」
僕はボーイスカウト経験者だから、こんなものを忘れたりしない。
「できた!はい、入って入って」
カリン姉ちゃんはさっさとテントに入ると、ランタンを天井に吊るす。
電球が危なっかしく揺れ、すぐに光が安定する。
「カリン姉ちゃん、大丈夫かな……」
「何弱気なこと言ってんの。はい晩御飯。」
手渡されたのは食パン。
「これだけ?」
「仕方ないでしょ。隣町で買うまで節約よ、節約。」
僕は食パンをかじりながら言う。
「そういえば、姉ちゃんの書いた小説ってどんななの?」
カリン姉ちゃんの肩がびくりと震える。
「ミルぅぅぅぅ!それは、き・ん・く!」
姉ちゃんはそういうなり、マットを引いて寝袋を広げ始めた。
「姉ちゃん、ジャンルか題名だけでも教えてよ」
それでも気になるものは気になるのだ。しょうがない。
食パンを食べ終わった僕も寝袋を広げ始める。
「ジャンルは恋愛、題名は『叶わない恋』!はい、もう聞かないでよね。」
そうかぁ、恋愛か。そりゃ見られたら怒るわな。
……かなわない恋、ねえ。姉ちゃんもだれか好きな人、いるのかな……。
布団をかぶってそっぽを向く姉ちゃんの後ろ姿を見ながら、僕はそっとランタンの明かりを消した。
姉ちゃんと同じ部屋で寝るのは初めてだ。正確にはテントだけど。
姉ちゃんは全く視野に入れてないみたいだけど、僕だって男なんだ。
カリン姉ちゃんとは、ずうっと一緒に暮らしてきた。それはずっと変わらないと思ってた。
でも、あの口ぶりじゃ好きな人いるんだろうな……。
昔は僕のこと好きって言ってくれたのに。いつか、姉ちゃんはほかの人のものになるのかな……。
「すう……ふごっ」
情けないいびきを掻きながら姉ちゃんは寝てる。
僕も寝よう。――父さんたちは本当に許せない。二日ぐらいは、心配してくれてもいいよね……?
朝日が差し込んでも、姉ちゃんは起きない。
「カリン姉ちゃん」
「ふごごおお」
「姉ちゃん、行くんだろ、隣町!」
「すぴーーー」
あーもう、無防備すぎるだろ!年下の僕から見ても分かるぞ!
腰みえてるし。まったく。
「……………三十秒待って起きなかったらいたずらするぞ!」
六十秒立った。
………もう知らんからな!
ちゃちな恋愛小説(女性向け)をこっそり立ち読みした時のことを思い出す。
「カリン」
呼び捨てで、耳元で囁いてみる。――こっちが恥ずかしいわ。
すぐに体を話して証拠隠滅。
がば!っと姉ちゃんが起き上がって、
「ちょ、ミル!誰か来なかった!?」
顔を真っ赤にしてきょろきょろと見まわす。やばいかわいい。
「ううん、来てないよ。夢見たんじゃないの。それより片付けるよ。」
かちゃかちゃとテントのペグを抜きながら言う。
「ゆ、夢……やだ、あたし……」
「どんな夢見たの?」
意地悪半分で聞いてみる。
「ばっっ!かなこと言わないでよねっっ、うう……」
顔を押さえる姉ちゃん。
面白い、かわいい。
布を外して収納する。
でも、あんなに真っ赤になるってことは好きな人を連想したってことだよな。
そう考えると、楽しかった気持ちが沈んでいった。
「さ、隣町まで歩くわよ!」
「はいはい。今日も野宿なの?」
「さあ。分かんないわよ。」
僕は、姉ちゃんと一緒にいられるなら野宿でもいいやと思った。
ざくざくと枯葉を踏む音だけがそこら中に響く。
ざく、ざくざざく、
ぴたっと姉ちゃんが立ち止まった。
「ねえちゃ――」
しっ、と短く姉ちゃんが声を出す。
ざく、ざく。
確かに、ついてきてる音がする。
小説で読んだけど、多分僕らは後を消してない。百戦錬磨(?)の父さんたちは絶対見つけられる。
「姉ちゃん、上るぞ。」
え?というように姉ちゃんが怪訝な顔をする。
「木だよ!真面目に。ほら速く!」
ざく、ざく。
近づいてくる足音から隠れるように、僕らは木の上に上った。
「バカ姉ちゃん、なんで同じ木に登るんだよ!狭いよ!」
「仕方ないでしょ!」
小声で叫びあう。
ざく、ざく。
足音が、木の下で止まった。
見つかる!
こんな時なのに、姉ちゃんの吐息が首筋にかかってくるのが恥ずかしい。
「ミガン、見失ったぞ。」
「ええー、あんたちょっともうちゃんとしてよね。ばか。隣町まで行ってたら人ごみでわかんないわよ。」
「わりいな、俺は探索のスペシャリストじゃないんでね。残念ながら。」
「バッカなこと言ってんじゃないわよ!これはアディナとコアンだって心配してんのよ!」
「やれやれ。こんなことならボーイスカウトなんて行かせるんじゃなかったよ。」
ため息のような声を出す。この声は絶対に、父さんと母さんだ。
「あんたねえ……アディナたちは出張に行ってるんだから、こんなんじゃだめよ!責任をもって連れ帰らないと。」
母さんがどうやら父さんの肩をばあんと叩いたようだ。
ざく、ざく、ざく……。
遠ざかっていく声は、最後にこう言っていた。
「でも何で家出なんかしたんだろうね。」
いかりの炎がめらめらと燃えるのが分かる。
「ちょ、ミル!」
「もう遠ざかっただろ。おじさんとおばさんは出張で、父さんと母さんは隣町を探し回ってる。これは帰るしかないだろ。――父さんが出したラブレター全部外にばらまいてやる!」
「ミル!正気になりなさい。そんなことしたって何にもならないでしょ?」
「じゃあこれは何のためにやってるんだよ!」
僕は初めて姉ちゃんに腹が立った。木を降りると、さっきまで来た道を帰っていく。
「ミル、お願い。行かないで――。ミル!悪かったよ。ごめん。一緒に帰ろ。」
姉ちゃんに懇願されるのは、ちょっといい気持な気がする。
こんなことを言ったらおかしいけど、もっと怒っていたい。
「ミル……あたしの頼りはあんただけだよ。ミルがいなかったらあたし、どうしたらいいか――」
泣きそうな声を背中に受けるのは、どこか優越感がある。
「ミル!」
僕はくるりと振り向いて。
「わかった。早く村へ行こう。」
僕はそういうと足を速めた。
がちゃりとドアを開けると、――大声が降ってきた。
「こら!カリン、あんたって子は!」
この声は、――おばさんだ。はめられた――
「まったく、勝手に家出なんかして!ミルもよ!二人とも――押し入れにでも入ってなさい!」
ばかだ。僕をいつまでも子供だと思ってるのか?
おばさん程度なら、僕は力で負けない自信がある。
じたばたして、逃げ回る。
「ミル。カリン。――捕まえたっ」
おじさんの声がして、宙に体が浮く。
「やれやれ、今回は許すが、もうやめろよ。」
なんだそれは。何のために僕が家出したと思ってるんだ。信じられない。
「父さんになんか分かんないわよ!」
くしゃりと顔をゆがめて、カリンが言った。
「ああ、わからないね。でも、全員に分かってもらおうとするのは無理ってもんだ。そうだろ?」
カリンは泣きそうな顔のまま、部屋へと閉じこもった。
姉ちゃんはいつもこうするんだ。
しばらくして父さんと母さんに大笑いされると、なんだか気が抜けて、花の名前のミルって言われるのも大丈夫になった。
そんな僕の最近の趣味は、姉ちゃんの小説を盗み読みすることだ。恋心がつづってあるのに、まったく名前が出てこない。――僕は、名前が出てきたやつをぶんなぐろうと決心した。




