幸田露伴「荷葉盃」現代語勝手訳(5)
其 五
草市がそこここに立ち、苧殻を売る声が喧しく街中に響くことこそないが、盂蘭盆が近くなれば、鄙にも鄙は鄙だけの風習があって、家々の魂祭の準備に忙しく、枝豆、根芋、瓜、茄子などの供え物を取りに畑に出る女もいれば、花からしてそもそも淋しく哀れげなみそ萩を桔梗、女郎花、蒲の穂の鉾と一緒に折り取って帰る子どももいる。又、日頃の怠け者が急に思い立って、どこかの沼から取ってきた蓮の花に、その葉、その根を添えた物を肩に担ぎ、触れば壊れそうな粗末な燈籠をあちらこちらで売り歩く者もいる。いよいよその前日の宵となれば、迎え火を焚き、いよいよその日となれば、棚経(*お盆の時期に僧侶が檀家を訪れ、仏壇・精霊棚の前で読経を行うこと)を読ませるなど、別に変わったことも無い。
青柳の家ではおとわが亡くなって、初めての盆なので、供養も取り分け丁寧に行うべきなのだが、例のお力、新右衛門は大したこともしないだけでなく、寺参りもさせないという話を新三郎から一々聞いていたので、お静は他の家のことながら、それで済ませることなく、お勘とお小夜に留守番をさせ、木工助爺を引き従えて、新三と一緒に菩提寺へ参った。そして、形ばかりの墓標の前後の草を払い、線香と花を手向け、水を供え、住職に布施物を渡すなどして懇ろに冥福を黙祷り終えた。
やがて帰り道を辿れば、夏の空は熱く、傘から洩れる日の光もうなじを灼くかと思うくらい烈しく、綿雲は峰が聳え立つようにもくもくと畳み重なって東の方に立ちはだかっている。その様子に眼がクラクラするのに加え、足下の道端に生えている草の熱香がほやほやと暖かく人を蒸す。暑苦しさに堪えられず、早く我が家に帰り着きたいと心が苛立つけれど、新三郎は悠々として無頓着に、最近お静からもらった麦藁帽子を阿弥陀に被って、脳天から照りつける日も恐れず、小溝の傍の機織草を手に持った短い棒で意味も無く叩きながら、畑の端にある藤豆の花房を摘むなどして、ゆっくりと従い歩く。例の小流れの畔に来かかって、早くも眞里谷の家も見えてくるようになると、急に駆け抜けて、先頭を走って行ったが、それは早くお小夜と遊ぼうという気持ちなのだろうと、お静は笑みを含んで呼び止めもせず、その後をついて行くのだった。
充分伸びて地面に届くくらい垂れ下がったあの柳の緑色の濃く涼しい蔭の下、門の柱に身をもたせて、白い単衣に赤い帯を締めた我が子のお小夜が、薄紅の蓮花の莟をさも無心に捻ったりしている傍には、見馴れないもう一人の、手織りらしい紺の単衣を着た色白の八歳か九歳くらいの女の子が、これも同じように蓮の莟の白いのを弄びながら佇んでいた。二人の足下には咲いていた花をむしり取ったと思われる花弁が五、六枚散り落ちて、その風情のある優しさに引き換え、新三郎は見馴れぬ子を憚ったのか、橋のこちら側の左手の枯れて禿げた大榎の蔭にしょんぼり隠れて、手に抱える程集め持っていた藤豆の花を投げ出し、足でもって頻りに踏みにじっていた。
ああ、又僻み心を起こしたか、可愛そうにと、お静は手招きしてこちらに来させようとするが、既に拗ね始めて背を人に向け、蝉のように樹にくっつけたまま離れようとしない様子。こうなれば、もう放って置くしかしようがないと、そのままにして橋を渡ろうとする時、お小夜が走り寄って「母様」と、飛びつき、もう一人の子は頭を下げて、拙くはあるけれど礼をしている。誰だろうと見ると、二、三度は見たことがあって、その低い鼻、おかしな眉つきに記憶のある、與作の娘のお春であった。
「おお、春坊か、よくまあおいでだ。お父様と一緒に、おおそう、それは好かった、さあさあこっちへおいで、私が居なくて悪かったね。お小夜も内にお入りなさい。片影が出来るまで戸外へ出てはいけませんと母様が言いましたのに」と言いながら戸内に入れば、二人は勝手の方へ駈け去って、お勘は走り出て迎え、
「まぁ、さぞかしお暑うございましたろう。木工助殿もご苦労様」と言う傍から、與助爺がのこのこ頭を出し、
「お帰りなさいましたか。いやはや凄い暑気でございます。ちょっとお伺いにお留守の所へ上がりまして、何の用事でもありませんが、折角来たものですからお目に掛かって行けと、お勘殿に言われましたので、それもそうだと、お力なんかの陰口などを叩きながらお待ちしておりました。お勘殿から砂糖水や何やらと戴き、大層面倒をおかけしました。ありがとうございます。これヤイ、春ッ子、嬢様と蔭でトチ狂っておらずに、てめえもここに来てお辞儀をせい。いやもう、蛙の子は蛙で馬鹿で困ります」
つづく