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幸田露伴「荷葉盃」現代語勝手訳(4)

 其 四


 義理を知らない、人情を(わきま)えないというのにも程というものがある。現在、青柳の家を継いでいながら、有るか無いかくらいに私を扱うだけでなく、縁もそんなに近くはない眞里谷の家にお静殿の好意(なさけ)から引き取られたのを好いことに、『それでよいわ』と、見舞いにも来ず、澄ましきって知らない顔をしているお力、新右衛門の腹の冷たさ。余りといえば畜生同様。人間の皮を(かぶ)らせて置くのも勿体ないくらいものの道理が分からない奴。今でこそ新右衛門と言っているが、まだ()茂作(もさく)と名乗っていた頃はどんな(ざま)をして居くさった。ただ正直なのが取り柄だったのを先代が鑑識(めがね)自慢から見抜いたとして婿に呼んだものの、(ろく)な箪笥を一つ持つではなし、『お婿で候』などと来られた立場では無かったはず。それを何から何まで皆こちらでしてやって、恥ずかしくないように迎えてもらったその大恩を忘れたか。世の中の()(よう)が変わったことで、お武家(さむらい)(しゅう)へご用立てしたものが一時(いっとき)()になってしまい、財産が痛手を受けたのはどうしようもないけれど、お作が亡くなった後は、霜柱が(つい)えるように、意気地も無くこれといった潔さも無く、ぐずぐずと家を零落させて持ち直そうという気も出さず、しかも、木更津の茶屋女、素性も何も知れない流れ者のお力に鼻毛を数えられる大たわけの大腰抜け。それを仕込んだお力の悪魔め。どんなに卑しい根性だとしても人の形をしているからには少しはこの家のお静殿にも恥じるべきなのに、『この馬の骨め、牛の骨めが』と、棄てられるように扱われた口惜しさの余り、おとわはその折々に、新右衛門、お力を恨み罵った。そして、遂に一度も訪れも尋ねもしない二人の行いは恨まれても当然なので、一日の半分余りを眞里谷の家で暮らす新三は、老婆(ばば)が独り言のようにくどくどと歎き恨むのを聞く度に、子ども心にももっともだと聞いて、老婆(ばば)の涙をもらい泣きしては小さい拳を握り固めて、お力の我が儘を悔しがり、自分の父の不甲斐なさを歎き恨んでいた。この度おとわがいよいよ(くら)い世界との境を彷徨う状態となった時も、その少し前に、これは危ないとお静から使いを出させ、新右衛門を呼びに走らせたから、臨終には間に合う時間は十分あったのに、いつものように愚図愚図して、その最期を見届けることもせず、大分経ってからお力と一緒にのろりとやって来て、涙一粒こぼさず、まるで他人が死んだような挨拶をする新右衛門。その口からは熟し柿の(くさ)いにおいが洩れ、お力の着ている着物からは今箪笥から引き出して着替えてきたと思われる麝香(じゃこう)の香りが放たれていて、人の顰蹙をかえば、亡骸に取り付いて、もの狂わしげに泣き悲しんでいた新三郎もしゃくり上げすらまだ止まらないのに、重たげに瞼の腫れた目尻をやや吊り上げて、涙ながらに二人を恨み睨んだ。


 心も腐り果て、分別も半ば無くなった新右衛門は、何事に関してもお力の指図任せにするのが最近の習慣(ならい)となっているので、末期の水も自分が取らなくては済まない義理がある母の葬式(とむらい)さえ、できることなら眞里谷の家から出させようと、面倒な物入りを嫌って常識外れの勝手を言いかけた。しかし、すべてに関して真心の及ぶだけを尽くして、寛容に人に接してきたお静も、余りにも高慢な考えだと、これには少し腹を立て、筋が通らないのは明白なので、毅然(きぜん)として、

「お断り申します」と、言葉を正しくし、亡骸を一旦青柳の家に戻した。

 当たり前のことなので、どうしようもないと思いながらも、お力と新右衛門はなおも膨れ面をしながら形ばかりの葬儀を執り行ったが、あれが青柳の家から出る葬式かと人が嘲笑(あざわら)うまでみすぼらしく、(かけ)無垢(むく)(*棺に掛ける白無垢の衣服)さえもない棺桶(かんおけ)を皆の見る眼に晒せば、そうはさせまいと言い争っていたお静も『余計なお指図』と言い退けられて気分良くなく、耳にすることがそろそろ解ってくる歳になってきた新三郎などはなおのことであった。又、亡くなったと聞いてわざわざ弔問に来た往時(むかし)おとわに使われていた與助夫婦も歯を噛んで大層悔しがった。

 しかし、(はた)から何を言っても分からない主人(あるじ)が採り上げなければどうにもできず、死んだ後まで不幸(ふしあわ)せに、おとわは無残に葬られた。


つづく

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