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幸田露伴「荷葉盃」現代語勝手訳(12)

 其 十二


「さあさあ、どなたも家へ上がってお遊びなされ、爺が良いことを教えてあげましょう」と、木工助が何か面白いことがあるような顔をして誘えば、三太は一番に洗ってもらった足を拭くのもそこそこに、遠慮なしにちょこなんと坐って手を膝に置き、爺の顔をさも不思議そうに眺める。木工助はほくほくと笑いながら、水桶に投げ入れてある與助の土産の蓮の(はな)()をそのまま縁側の端に持って来て、小さい一つの茎を取り、摘まみ折って、長く出てきた(いと)を頻りに()り集め、

「昔、中将(ちゅうじょう)(ひめ)という姫様はこの蓮の絲で曼荼羅(まんだら)というものを織ったそうな。皆、これから絲を取ってご覧なされ」と、老人(とりより)は老人だけに愚もつかないことを言えば、三太は頬を膨らし、頭をもたげて、くんくんと鼻を鳴らし、

「何だ詰まらない。馬鹿馬鹿しい、それより蓮のその茎で砂糖水でも飲んだ方がよっぽど美味(うま)くて有り難いや。一昨日(おととい)隣家(となり)の婆さんに教えられてから昨日も今日も自家(うち)で飲んだが、おいおい爺さん、砂糖水でもこしらえてくれないか。銭独楽(ぜにごま)(*銭の穴に軸を通し、糸を巻き付けて独楽のように回して遊ぶ玩具)で絲を取るような詰まらないことを教えてくれなくてもいいからよ」と、言って笑うと、その後について新三とお小夜も砂糖水をと、せがむ。


 子どもでもうまい思いつきというのは時にあるもので、新三は半開きになった蓮の葉を取り出し、両手に捧げて(もてあそ)んでいると、(みどり)の色が麗しく『(すい)(ぎょく)大盃(おおさかずき)』にでも見えるようで、

「この中に」と言って新三が差し出すのを木工助も可笑しがって、麦湯(むぎゆ)に砂糖を加えたものを銚子から酒を注ぐように土瓶を傾けてその中に注いでやれば、これが朱塗りの大杯なら大江山の酒呑童子はこんな格好で飲むのだろうと、首を杯の中に埋めるように低めた様子は何とも可笑しく、お小夜はその横から、長くて細い茎を口に含みながら、その一端を杯の中に入れて吸おうとする。そういう姿も風情があって、そのうち、新三も大盃(おおさかずき)を木工助の手に渡して、お小夜の真似をして茎を咥え、チューチュー吸いながら、

(うま)い、(うま)い」と美味(うま)がった。


 その日、お静は新三に、東京行きのことをどう思うか訊いてみると、自分の家を出てしまうのは嬉しいと思わないが、厭とも思わない。知っている人もいないところに行くのは厭だが、それが好いことであるなら頑張って我慢もする。しかし、この村を出ると、お小夜等にも逢うのも難しくなり、一緒に遊ぶ機会もなくなるのが悲しく淋しい、など、訊かれるままに答えた。


 強いて東京行きを厭というなら、歳もまだいかないことであり、今、二、三年は自分の手許に置いて、毎日何やかやと気に掛けてやろうと、無理矢理にでも青柳に言ってやる心算(つもり)であったが、思いの外年齢以上の分別があり、丁稚奉公とはどういうものなのかを教えてやると、納得したと思われたので、怖さも半分なくもないが、家にいて、朝に夕にお力の咎を受けるよりはと、決心と言うまでには至らないけれど、東京行きに気持ちが傾いているようなので、あえて反対もせず、そのまま本人の気持ちに任せることにした。


 翌日、やはり新三は東京に()られることになり、清兵衛に連れられて眞里谷の家に立ち寄れば、これがしばしの別れと、お小夜も悲しみ、新三も名残を惜しむ。 

 お静がお小夜に、できるところまで送っていってやろうと言うと、皆それがいいと同意したので、木工助だけが今日は留守番となって、馴染みの例の子犬までも尻尾を振り降り一緒についていった。


 この月、この日、二人は別れて、一人は世の中というものの中に入り、一人は母の懐中(ふところ)になおいつまでもと(とど)まるのだが、(むご)いのは青柳の家からは誰一人として送る者がいないことであった。



                 (了)


今回で「荷葉盃」は終了いたしました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


既述のように、この「風流微塵蔵」は未完の連載長編小説で、一つの物語には何人かの人物が登場しますが、次の物語では、前の登場人物と関わりのある人物が新たに登場し、そこには、また次の話を生み出す人物が登場するという物語となっていて、次々と世界が広がっていくような構成になっています。


これまで、

「さゝ舟」→「うすらひ」→「つゆくさ」→「蹄鐡」→「荷葉盃」と続きました。この現代語勝手訳の底本としている岩波書店「露伴全集 第八巻」で言えば、物語のページ数全447頁のうち、これまでの分で、まだ109頁までを訳し終えたに過ぎず、1/4にも至っていません。

次回の「きくの濱松」は一番長い「其 五十一」まで、

その次の「さんなきぐるま」は「其 十」で終わりますが、

次の「あがりがま」は「其 四十八」、

最後の「みやこどり」は「其 四十」となっており、いずれも結構長編となっています。

また、この「露伴全集」には収められていませんが、田村松魚と合著としての

「もつれ絲」というのもあって、それは「其 二十」まであります。


この「風流微塵蔵」は面白くないとも、失敗作だとも言われていますが、私としては、なかなか味わいのある作品だと感じています。

読者の皆様方は、どうお感じになられるでしょうか?


拙い現代語勝手訳で、申し訳ありませんが、興味を持たれた方がおられましたら、原文をお読みいただければと思います。


残念ながら、この作品はまだ「青空文庫」には無く、全集でないと読めないと思いますが、機会がありましたら是非、原文をお読みいただき、露伴の作品の妙味を味わっていただきたいと思っています。


※ 次回の「きくの濱松」の投稿には少し時間を要するかも知れません。


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